治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

『発達障害、治った自慢大会!』にみる情報収集の変遷

2022-06-16 09:17:24 | 日記

さて、新刊が出るまでときどき情報をアップしていきます。

前回のブログでお伝えしたとおり、今回は

味噌ぴさん
いぬこさん
たにしさん
智くんファミリー

にご登場いただいています。
インタビューの順番はそれぞれのご都合に合わせて、だったのですが、最終的に本にするとき、上記の順番にしました。
どういう順番かというと、年齢順です。

味噌ぴさんご長男 30歳一人暮らしの社会人
いぬこさんお嬢さん 高校二年生
たにしさんジュニア 小学校六年生
智くん 小学校三年生

とこういう順番です。

そうなるともう、発達クラスタにおける情報収集方法の歴史がたどれるのです。これが興味深かったです。

味噌ぴさんの時代は、親の会全盛期。治す方向の情報は皆無で、親の会=専門家用ただ働き部隊 でもありました。専門家が専門家として君臨しながらも治すことなど考えなかった時代、お母さんたちはわりとこき使われていた。味噌ぴさんはその中でも地区のリーダー的存在で専門家から一番近いところにありながらそこに飲み込まれず「重いですね」と言われたお子さんの自立を果たした。なぜそれが可能だったのか? というのが事前の私の問題意識でした。

そしていぬこさん時代。療育手帳何それ美味しいの? 時代に入っていきます。支援が今ほどない分、今よりラッキーだった世代。ちなみにいぬこお嬢さんがかつて持っていた診断名+疾病は、本に挙げているだけでも11個。そのすべてが消えてなくなりました。よいお医者さんとの出会いもあり、花風社との出会いもあり。でもそれはすべてお母さんが脚で稼いだ感じですよ。

そしてたにしさんジュニア。こちらは民間療育にお金がつくようになった時代。ただし玉石石石石石石混淆。ただ自力で玉をつかんだことをきっかけに灰谷さん→花風社→栗本さんとか愛甲さんとか神田橋先生とか→花風社クラスタ→栄養療法→たにし家流治す方法へ とたどりつかれました。

そして智くん。
智くんファミリーがどうやって花風社にたどりついたかというと、ツイッターのロムだそうですよ皆さん! 我々が治った治ったと言ってアンチがうるさかった頃、十八か所の奇形をもって生まれた智くんのお父さんは「せめて発達だけでも治るといいな」と思いながら情報収集していたそうです。心臓の血管を作り変えるとかそういうのは医療マター。だけど発達は家庭マター。だからね、ツイッターの花風社クラスタにも感謝です。まあ色々あったけどね。去っていった人もいました。でもその人たちにも感謝です。智くんを連れてきてくれたのは皆さんだったのだし。

そしてあのとき色々うるさかったアンチは、だいたい味噌ぴさん世代もしくはその上なんですよね。専門家にあきらめを洗脳されていた世代。どうしても信じられないんですよ。だって治るって信じたら自分たちのあきらめが無駄になってしまうでしょ。だから彼らはきっと、治らないという考えを治せないと思いますね。彼らの精神的な安定のためにも、治せないと思う。

でも治ったね。治るのわかったね。そしてアンチが治らないという考えを治せなくても、大人になったアンチジュニアが治るという情報にたどりついて自分で自分を治すことは可能です。そのためにも花風社は、発信をやめてはいけないのです。

味噌ぴさんから智くんまで。その多くの時代を砂かぶりで見つめていた私としては、こうやって情報収集の仕方が世代で変わったことを知っただけで感激しました。色々あったけど、自分たちのしてきたことは間違っていなかった、ってね。

では皆様新刊をお楽しみに。

イラストは浅見が「治る」の定義に目覚めた瞬間です。肝心なところはピンク塗にしましたが、処理が雑で画伯がピキってなってる姿が目に浮かぶようですわ。わはは。