治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

奄美鹿児島の旅 見えてきた課題 その2

2018-09-18 09:35:20 | 日記


さて、翌日はいいお天気でした。
まずは早朝の浜辺を散歩。
そして午前中はプールサイドへ。
海がまだ満潮で波が高かったからです。
実はこの安全判断について、私は保守的だったりします。

海辺でぽーっとしていたら色々着想が浮かんでくるわけですが、このときもそうでした。
こんな空を見ながら




ちょうど出発前に入ってきたある報告について考えていました。
花風社クラスタで通級の先生をしている方。
学習能力の底上げには身体アプローチが大事だと授業に取り入れています。実際それで成果が出て多くの親子に感謝されている。
ところがある親からクレームが入ったというのです。
そのおうちのお子さんに、家でやるといいよと言ったらしい。そうしたら「家でやらせるな。学校ですませろ」というクレーム。教委にたれ込んだらしい。「家でやらせようとする」と。そしてこういうクレームにへたれるのが地方公務員の死んだふり原則ですな。

まあ端的に言って宮仕えのつらさです。
そして私は、こういう親子にそれ以上身体アプローチを勧める必要はないと思っています。
私は自分が主体性を大切にしている人間だから、アンチはアンチで主体性を大事にすればいいと思っているのです。よく花風社のアプローチでよくなった人が「もっと多くの人に知ってもらいたい」とか言うのですが、そしてそれは自分がこんなカンタンなことで長年の苦しみから救われた、という気持ちの表れなんだと思うのですが、実はそういう苦しみを味わったことの乏しい私にそういう気持ちはあまりない。ギョーカイと心中したい人はすれば、と思っています。ただ私はギョーカイのやり方は社会のために良くないと思っていますから屈託なくディスりはしますけど。別に誰と仲良くしたくもないのでディスらない理由がないし。

だからこの場合も花風社クラスタの通級の先生がクビをかけてまでその親子に身体アプローチを教えつづける必要はありません。
所詮雇われの身です。私のようにリスクとってそのかわり好き放題言える人とは違います。
身体アプローチ抜きの学習障害用教材でも参考にすればよい。効果は限定的だろうけど、それはその家での身体アプローチが嫌いな親が自ら選んだことだから自分で責任を取ってもらえばいいだけ。蹲踞なんて所用時間1分ですけどそれすらやりたくないのならやらなければいいのです。
金魚だろうと蹲踞だろうとおうちでやりたい人はせっせとやればいいのです。

エビデンスガーの人たちは検証を出そうとします。それは苦しんでいる親子がいる現場に寄与するのではなく大学で出世するため。そのために他人の大事なお子さんを実験群と統制群に分けます。でも身体アプローチの人たちは現場しか納得させる必要がなく、しかも実験群と統制群が勝手に分かれてくれています。身体アプローチいいなと思う人はやるしインチキだと思う人はやらない。実は実験群と統制群に分かれているのだけれど本人達にはそういう意識もなく極めて主体的にやる人とやらない人に分かれています。

そして五年後十年後に結果をみればいいだけです。今自然にやる人とやらない人に分かれているせいで、倫理的になんら瑕疵のない結果が五年後十年後には得られているでしょう。それを見て、後に続く人たちが判断すればいいのです。昨今の炎上はその一つの現れですね。

『発達障害は治りますか?』が出て八年です。そしてあのときあの本をインチキ扱いした人と上手に取り入れた人は明らかに差がついていて、今でも取り入れる人とインチキ扱いする人が出続けている。そしてそれは誰に強制されたものでもなく本人達が選んだんですから平和です。

治りたい人から治ればいい。治りたくない人は治らなければいいのです。だから、通級の先生がクビをかけてまですべての親子に身体アプローチを根付かせる必要はない。やりたい人がやればいい。発達障害が脳機能障害という言い方が古くて神経発達障害だということを知っている人は、身体からアプローチすることの合理性に気づくでしょう。それは

神経発達障害=大脳皮質だけの問題じゃない 

ってわかったっていうことだからです。ところがギョーカイ人の頭がまだ切り変わっていない。それが無能力のせいか悪意のせいかわかりませんがまあどっちにしろギョーカイを信じていたら治らずめんどりコースへの片道切符を渡されるだけ。これは私、自分の予測ですから屈託なく書きますし口にしますよ。

でも今自然に身体アプローチをやる人とやらない人に分かれているから、あとは結果を見ればいいだけ。赤本から14年、神田橋本から8年、そして栗本さんが一万パーセント無名だったのはほんの4年前のこと。その間にこんなに治る人が増えているのだから後は生態系の自然にまかせとけばいい。

と思ったら楽しくなって私は波が静まってきた海に飛び込みました。




続く