治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

なんで「知ってた」のか

2014-03-24 10:18:00 | 日記
さて、前記事のコメント欄に書きましたが
私はおからさんのご長男が就職戦線で苦戦し不採用通知を集めている間も
「きっと最後はうまくいくだろう」と楽観しておりました。
きっとふさわしいところに決まると「知ってた」のです。

そしてそういう結果になったとき
「やっぱりね~」と一人で満足しておりました。

昨日ふと、「なんで『知ってた』んだろう?」と考えていたら
脳みその奥から、もうずっと前に出た就労支援セミナーの記憶がよみがえってきました。

当時にふさわしく
「お情けで雇ってね」という論調一色のセミナーだったのですが、その中で質疑応答があり
地元の保護者の方が
「もう何年も就活しているのに全く実らない。いったい悪いのは企業なのか保護者なのか当事者なのか社会なのか支援者なのか」みたいな質問をされ

「なんて不毛な質問なんだろう。その質問をやめるところから始めたらどうだろう」と正直な感想を抱いたのです。
もっともその頃は、ギョーカイとことを構える気がなかったワタクシ。涼しい顔をして座っておりましたが(こういう違和感がじわじわと重なってギョーカイ嫌いになっていった)。

そして気づきました。
ご子息が不採用通知をコレクションしている間、おからさんからただの一言も(そしておそらくご子息ご本人からも)「企業への恨み節」など聴かれなかったことを。

そして先日、横浜市旭区でギョーカイ人の講演会を少しだけ聴いたときの違和感を思い出しました。その方は「企業は報われる職場を用意せよ」とかおっしゃっていたのですが

「何言ってるんだろう?」と思いながら帰ってきました。
すごくその言葉に違和感があったのです。
そして夜家族に話したら

「働きに行って給料がもらえる。じゅうぶん報われているだろう」と言われ
「そうだそうだそうだよ。それ以上何を望んでいるんだろう」と気がついたのです。

プロ市民の親を持つ子どもは、それだけで不幸。
恨まないでもいい社会を恨む習慣を身につけてしまうから。
就職には不利かもしれません。

発達障害の特性を社会が大目に見たとしても
ノンバーバルではない
ある程度高機能である限り

1 目上の人に敬語が使えない

とか

2 そもそも縦になれない

人は不利なんじゃないのかな。
だからまず、身体からやっていこうよ、っていう話です。

そうしたらちゅん平から、原稿が送られてきました。
頼んでいた原稿です。
ニキさんが「当事者の方たちに伝えたいこと」というメッセージをくれたので
同じようにちゅん平にもメッセージを頼んだのです。

それを見て
「ああなるほどな」と思いました。

これを言うと
またご本尊に触れてしまうんですけどね。



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ところで

どっかのギョーカイメジャーが
「多様性を認める社会を」とかおっしゃっていましたが
今の日本が多様性を認めない社会だとは
私にはどうしても思えんのですよ。

むしろ「良くなった例はあまり喧伝しない」というギョーカイじゃないの?
多様性を認めないのは。
たくさん発達障害の人がいれば、中には良くなる子もいるでしょうに。

「そういう子の存在を喧伝すると、良くならない人が傷つく」とかがおきまりの言い訳でしょうけど

「よその子がよくなって傷つく」のはあまり健康な状態じゃないですね。
そういう状態を私は肯定する気にはなれないので
そういう人への配慮で自分の言動を変えることはしません。
世の中には「卑屈な人に攻撃されること」で自分の言動を変える人がいますが(例 鳥烏賊)
それは基本的にちきんのやることなので、私はやりません。

むしろこのブログでは
良くなった、うまくいった人の例をどんどんどんどん挙げていきます。
読むのがいやな人はここにこなくていいですよ。
逆に
良くなっていくケースについて知りたい方
どうぞここにお越しください。
私にとっては、それが啓発なので。