父の様子がおかしいと母から電話がきたのは12年前の冬だった、
会社に休暇申請し翌日実家にいき大学病院の神経内科で診察を受
けた結果幻覚症状のでるレビー小体型認知症と診断され、その足
で市役所で介護認定の申請の手続きをした。
親が認知症と診断されてから私自身、本やネットで調べたり、認
知症のフォーラムにも参加した、会場には介護従事者はじめ多く
の人が参加してたのには正直驚いたものだ、ただこの時点では親
が認知症という実感はあまりわかなかった。
それから1ヵ月経過したころから、父親のおかしな言動が始まっ
た、母親が浮気をしてる、離婚する、風呂場に怪しい軍団がいる
など妄想が激しくなり、連日私や弟のところに電話をかけてきた、
さらに母親に暴力をふるうこともあり、実家に何度も通ったが、
日を追うごとに症状が悪化してることは確かだった。
母にとっては地獄の日々で朝、昼、夜かまわず暴言に悩まされ、
父の持病が悪化して入院するまでの半年間は苦労が絶えなかっ
た、介護施設への入居は頑なに拒んでただけに、もし在宅介護
の状態がつづいてたらと思うとぞっとする、変わり果てた父の
姿はショックだったし、威厳のある父はどこにいったのかと思
ったものだった、父が倒れて入院する2週間前に私にかけてき
た電話が最後の会話だった「そっちに行くから住むところを探
してくれ、俺このままでは殺される、それでもいいのか」幻視
妄想とはいえ、その言葉はいまだに耳に焼きついてる。