13年前のあの日、私は仙台市内の会社にいた、退職を月末に
控えビルのなかで残務整理をしていた時、今まで感じたことの
ない大きな揺れ、長く感じた揺れ、その時同じ県内の沿岸部に
津波が押し寄せ、よもや未曾有の大惨事になろうとは予想もし
なかった。
死への恐怖を感じ、声を出す時間もなく波にのみこまれた人々、
死はだれにも平等にやってくる、しかし十分生きたと満足して
旅立った人はいなかったはず、本人も残された人も無念だった
はずである。
そんな東日本大震災の出来事を作家の小池真理子氏はエッセイ
の中で映像から受けた衝撃、そして悲惨な状況を的確に捉えて
次のように書いている「巨大な波にのまれていく町、玩具のよ
うに流されていく家や車、闇を焦がす炎、避難所で震えている
人々の映像が繰り返し映しだされた。
これは一体何なのかと目を疑った、自分が生きてる間に、これ
ほど凄まじい光景を目の当たりにすることになるとは夢にも思
っていなかった、現実の出来事として受け入れるのに時間がか
かった、永遠の悪夢を見ているかのようだった」