本澤二郎の「日本の風景」(4777)

<人が人を殺す猿以下の社会=袖ヶ浦市レポート10>

 田舎暮らしはいい。空気がいい。新鮮な野菜を、少しは無農薬家庭菜園で採れるのがいい。梅も桜もチューリップも散ったが、それでも岩つつじが咲いている。我が家では、東芝病院で命を奪われた正文の岩つつじと呼んで、自らを慰めている。竹の子御飯は飽きたが、庭先の野生ミツバやフキ、いま茗荷の芽が出てきた。周囲にならってジャガイモを植えたが、これは誰でも簡単に出来る。葉に南京虫がつく。手でつぶした。害虫退治は原則として両手を使う。除草剤は原則として使わない。

 

 いただいた8本のトマトの苗木が無事に育つか。そして3本のキウリは?果樹のブルーベリーは、例年剪定の失敗でぱっとしない。桃の花は見事だったが、殺虫・殺菌をしないため、実がなることはない。サクランボはどうか。一昨日、親類の豊平・福江夫妻が、見事なウドを持参した。中国の詩人・蘇東坡を見習ってそぼふる冷たい雨を見ながら、久しぶりにお燗をつけた。酢味噌で食べると、これが美味だ。久しぶりの日本酒にふらふらになった。これぞ田舎暮らしの醍醐味だろう。誰かが「いい女といい酒が揃うと人生最高」と言っていた贅沢な言葉を思い出した。縁のない話である。

 思うに、ひたすら両親に感謝、感謝である。戦前戦後にこの畑を耕し、春は麦、秋はサツマイモで4人の子供を育ててくれた。お陰で家賃も住宅ローンもない。そうでなかったら、今頃どうしていたか?安倍銃撃事件の山上被告を憎むような感情は、右翼人士には申し訳ないが、全く起きない。

 

 さて、しからば地方自治体の公務員はどうか。住民が彼らを養っている。彼らの親・恩人は、地元の住民・市民である。市民のお陰で、まともな安定した生活を送っている。彼らは、市民に奉仕することが報恩のはずだ。一部のカネのある業者に奉仕することは違反で、公務員失格だろう。全体の奉仕者が公務員に課せられている唯一の大事な使命だ。だが、袖ヶ浦市に限ったことではないが、憲法が命じる罷免の対象者なのかどうか。今しばらく同市の建設産業常任委員会の議事録に付き合うことにしたい。

 

<業者にやさしい村田委員長と飯野廃棄物対策課副参事?>

 この日は傍聴人がいた。事前の準備は怠りない。「端緒は平成25年3月の通報」「事業者の説明では、太陽光発電を始めるため、自社で中間処理した再生土で盛土を整地し、水はけをよくし、湿気を少なくするために粉砕した瓦を敷き詰めている」「平成26年4月に高谷区長、林区長立会いの下、1町5反の土地の売買の際に地権者と覚書を交わした」「同年6月、市の環境経済部長と君津地域振興事務所で現場確認」などと経緯をさらりと述べた。

 

 平成28年に千葉県が再生土に関する行政指導指針を策定、翌年の292月に現場が動き出した、とも説明。「残土ではなく、灰色の、乾くとより白っぽくなる砂上のものを盛土、整地している。事業者の説明では、購入した砕石」「県の事務所職員から再生度か今後も調査する」

 要するに、袖ヶ浦市は住民の不安に対して、ただ事業者の説明はこうだの一点張り。再生土の有無は「千葉県の報告待ち」を決め込む無責任市政に徹している。公務員倫理ゼロだ。業者の言い分が間違っていないか、との姿勢が皆無だ。自ら調査して住民の不安を取り除くとの立場を取ろうとしない。

 「平成29年7月14日を最後にパトロール報告はない」と開き直る。「平成31年に県の再生土条例が施行され、規制が強化された。昨年(2021年)の4月に林区長から4年ぶりに通報があった。職員が現地を確認したが、残土の搬入ではなかった」とあっさりと否定、しからば搬入されたものについての言及はない。子供のお使いレベルの説明である。

 

 「地元からは2021年8月28日に水質、10月25日に地質、11月4日の放射線の調査の依頼があった」「地質と放射線調査は、林区と事業者の間で、調査方法や調査個所の調整がついていないため、実施に至っていない」とさらりと述べてやり過ごした。

 

 埋立地から放射能が検知されたとの通報はただ事ではない。袖ヶ浦市と千葉県をふるいあがらせる重大事件である。日本国民すべてが、腰を抜かすほど

の大事件であるが、住民の不安を解消するには、全市上げて調査する場面だろう。だが、業者寄りの飯野副参事にとって馬耳東風を決め込んだことになる。第三者も怒りが込み上げる。

 会議録はあっさりと進行する様子が記録されている。地元住民が暴れまくる場面だが、それはなかった。「羊の群れ」でないことを祈りたい。千葉県民、全国民の重大事であるが、それでも言論界は動かない!驚くべき事実に驚愕するばかりだ。

 第一、ここには自公委員も共産党委員もいるはずではないか。誰一人放射能問題を追及しない。不思議な光景である。

 

 「昨年の12月20日に林・高谷の皆さん約50人ほどが集まる会場で、私と緒方副参事が質問に答えた。市のやれる範囲は行ってきた」「現地の堆積物が廃棄物か、有価物か、その結論が県から出てこない限り、現地は動かしようがない」といって、問題は県にありとして逃げきったことにも委員長も委員も沈黙した。血税で養っている公務員・特別公務員の正体に呆れるどころの騒ぎではない。

 開会時間は午後1時15分、閉会同50分。審議ゼロ、執行部の市の説明会である。

 

<馴れ合い委員会=質問追及は無いに等しい=税金泥棒なのか>

 問題企業のワコーの固有名詞は出なかった。それについて誰も質問しなかった。不思議な奇々怪々の袖ヶ浦市の建設経済常任委員会だった。

 しかし、地団太を踏む住民は彼らの正体を見抜いている。委員長も副参事も「札付きの業者の手先」と断言している。その意味では有益な会議録に違いなかった。

 国会では議事録だが、地方では会議録と呼ぶらしい。2022年5月23日の市議会委員会室での様子から、地方行政の実態とこれの監視役の各党委員(市議会議員)の正体をあぶりだしている。

 

 筆者はこのような地方議員はいない方がましだと思う。地方議員を廃止してはどうか。税金の無駄遣いではないだろうか。

2023年4月17日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)