教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

菅官房長官留任を産経新聞の単独インタビューで明言した安倍首相

2014年08月09日 23時23分48秒 | 国際・政治

天木直人| 外交評論家
       

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2014年8月9日 10時44分

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安倍首相は産経新聞との単独インタビューに応じ、そこで9月初めの内閣改造人事で菅官房長官を留任させると明言したらしい。

それをきょう8月9日の産経新聞が一面トップでスクープ報道した。

いうまでもなく菅官房長官が留任するかどうかは、今度の改造人事の最大の注目点だ。

そして菅官房長官が留任するという推測記事はこれまでにも多く見られた。

しかし、安倍首相自らここまで明言した事は初めてだ。

 

これで決まりだ。

安倍首相はほかにも官房副長官や首相補佐官は留任させると明言している。

これを要するに自分に忠実な側近をすべて留任させて安倍首相主導の政策を官僚主導でこれからもさらに強行していくということだ。

もはや9月初めの改造内閣人事はどうでもよくなった。

誰がどのような閣僚に就こうとも、すべては安倍首相の思いままの内閣になるということだ。

それにしても、今度の改造内閣人事は、これから9月初めにかけて各紙の政治報道記事の最も重要なテーマになるはずだ。

その重要なテーマのハイライトを産経新聞の単独インタビューで早く明言するとは、他のメディアは形無しだ。

怒らないのだろうか。

安倍首相は、単なる軽率な首相か、それともメディアに文句を言わせない、ますます強くなった首相なのか。

政治評論の専門家にぜひ聞いてみたいところである(了)

   
     
       
        天木 直人       

外交評論家

   
 
 
   

2003年、当時の小泉首相に「米国のイラク攻撃を支持してはいけない」と進言して外務省を解雇された反骨の元外交官。以来インターネット を中心に評論活動をはじめ、反権力、平和外交、脱官僚支配、判官びいきの立場に立って、メディアが書かない真実を発信しています。主な著書に「さらば外務 省!」(講談社)、「さらば日米同盟!」(講談社)、「アメリカの不正義」(展望社)、「マンデラの南アフリカ」(展望社)。

       
           
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男子中学生、マンション屋上から飛び降りか

2014年08月09日 22時50分36秒 | 受験・学校

2014年8月9日(土)20:43 9日午後0時15分頃、『札幌市中央区の10階建てマンション敷地内の駐車場で、市立中学校の男子生徒(14)が血を流して倒れているのを、通行人の男性が発見、110番した。 男子生徒は搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。マンションの屋上から遺書のような書き置きが見つかり、札幌中央署は自殺とみて動機や経緯を調べている。 発表によると、マンション屋上の入り口には高さ約1・1メートルの柵があるが、男子生徒は柵を乗り越えて屋上に侵入し、飛び降りたとみられる。書き置きのほかに遺留品はなかった。 男子生徒が通う中学校の教頭は「警察から詳しい情報が入っておらず、状況を把握できていない」とし、いじめなどトラブルの有無についても「まだ確認できていない」と話した。』

平和な日本で、なぜ゜日本の子供たちは死に急ぐのか。親も学校の先生も、友達も救えない悲しさと情けなさが有ります。戦後69年目の終戦記念日を前に日本では、少子化が問題になっている今日子供の命の貴さが忘れられています。有名精神科医の言ういじめた加害者に死んで自分が見せしめても、本当のリベンジにはなりません。本日は、関西では、西国観音霊場・中山寺の星下り大会式の日です。死んで花見が咲くものかと言う諺も有りますが、いじめで、一つしかない命を無くす価値など有りません。命を賭ける「大義」果たして有りますか。大正15年生まれの亡き母の祥月命日に戦前、戦後を生き抜い来た母のたくましさを思い出します。

 

www.nakayamadera.or.jp/sub2.html

星下り大会式 名前の由来, 星下り大会式 法要の由来, 星下り 卜部左近の物語, 星下り と後白河法皇, このウィンドウを閉じます. ○名前の由来. 平安の頃から「星祭り」の表現で続けられ「星下り」という名称になったのは、慶長元和の頃から。それは、三十三所



●名前の由来

                                     
       

         平安の頃から「星祭り」の表現で続けられ「星下り」という名称になったのは、慶長元和の頃から。それは、三十三所の観音様が来迎されるお姿が、あたかも星が降るようであるからです。

       

 別名「ここのかび」。

        星下り大会式の様子
   

    ▲ TOPへ    

 
     ●法要の由来

                          

           古来より8月9日に中山寺にお参りすると、西国三十三所観音霊場のすべてにお詣りしたのと同じ功徳があるといわれています。

       

         またこの日は、「四万六千日(しまんろくせんにち)」ともいわれています。「四万六千日」とは、この1日で46,000日お詣りしたのと同じ功徳が得ら れる日という意味です。数の由来はいろいろありますが、一説には、1升の米粒の数が四万六千粒あり、「1升」は「一生」と同じ発音だから四万六千は一生を 意味するといいます。

●卜部左近    

                                                                             
       

 慶長 元和の頃、播州三木に卜部左近という修行者がいました。幼い時は母と共に諸国を漂浪していましたが、しばらくして、故郷の三木に帰ってきて暮らしていまし た。生まれつき利発な人物で、儒学を好んで、ついには六経に通じ、塾を開いて門弟を教えるようになりました。その頃に、隣村の金剛寺に澄傳法印に就いて、 十一面観音の真言を授けられました。(金剛寺は三木にある真言宗の寺院。孝徳天皇の当時、法道選任が開基したと言い伝う。弘法大師も参拝したりして栄えて いたが、別所長治氏の乱で伽藍を焼失)。

       

 卜部左近 は、毎日数万遍もこの真言を唱え、信心はより強固となって、遂には一家揃って三十三所の霊場を巡礼することにしました。中山寺の観音様は巡礼の根本であ り、特に例年7月10日は三十三所の観音様がすべて中山寺に集まる日と言い伝えられています。三十三所巡礼を復興した花山法王の頃、7月9日から7日間大 供養を行い、10日五夜の刻に弁光僧正の前に観音様がお姿をあらわされたとの言い伝えがあります。卜部左近は元和2年7月9日に中山寺に参りました。        

 卜 部左近は一心に『私の前にも観音様がお姿をあらわしてくださいますように』と念じながら、真言を唱えていました。夜もいつしか更けていき、卜部左近も疲れ が出てきたのか、ウトウトしはじめました。辺りは風もなく静かで、大気は爽やかでありました。するとどこからか、微かな音、雅楽を奏でたような音が聞こえ てきました。卜部左近がふと空を見上げると、無量の菩薩を前後左右に擁して三十三所の観音様がおられました。その美しさはたとえようがない美しさでした。 やがて中山寺の観音様が金鑰をもって極楽浄土につづく門扉を開きました。諸尊はその中に入っていき、卜部左近もその後に続き、中に入ることができました。 中は現世の百倍はあろうかという明るさでした。        

       

         卜部左近は大喜びで尋ねてみました。『極楽浄土は十万億土を隔てたはるか遠くにあるときいております。 今いる浄土は何処なのでしょうか』観音様は『ここは、お前の清浄は心の中にある浄土であって、お前が作りだした浄土である。心が仏を作り出せばそれは形と なってあらわれ、すべての仏たちを摂取する。十万億土は遠い所ではない』と答えました。          

        卜部左近の墓の様子
【 卜部左近の墓 】
       

                 大喜びの卜部左近は自分の妻子にも拝ませてあげようと急いで門扉を出たところ、その門扉は閉じてしまい、再び入ることはできませんでした。卜部左近は、 中山寺の僧侶にお願いし、草庵をかまえて妻子とともに日夜観音真言を唱えていました。その後3年を経て、妻子も観音様のお姿を拝見することが出来ました。

                 これより、観音様が中山寺に集まるという信仰は益々盛んになり、今に続いています。今は旧暦7月9日を、8月9日であると定めています。梵天には仏様が宿るとされていますので、梵天泰幣が行われています。参拝者が梵天の切れ端を欲しがるのはその為です。

   

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 ●星下りと後白河法皇

                  
       

           世の中には観音の功徳にあずかろうとしても種々な事情で霊場巡拝のかなわぬ大勢の人々がいました。そこで根本道場である中山寺の本尊十一面観世音の左右 に、脇仏として十一面観世音二体を合せ祀り、御本尊と共に御三体で三十三面、西国観音を総摂して法華経に説く観音の三十三権化身を表象し、中山寺に参詣す ることによって、真の三十三所巡拝と同じ功徳をえられるという大悲の方便が後白河法皇(1127-1192)により仰せだされました。法皇はあつく観音を 信仰され、荒廃した三十三所霊場を再興されておられます。なお脇仏御二体は最近の調査で寛元2年(1244)の銘記が発見され、執権北条経時(つねと き)、蒙古襲来で世情がやかましくなる30年ほど前の作と判明しました。

       

         さて、7月9日夜、三十三所観音が星に駕って中山寺に参集するといわれる「中山寺星下り」は、花山法皇巡礼復興のおんとき、弁光僧正に観音示現があった ことから継承されている霊話で、これは「極楽中心中山寺」の思想、すなわち徳道上人の霊験から発しているものです。観音総衆が中山寺に参集される時あたか も星の星下り大会式の様子とんでくるように見えるので、新暦8月9日を「星下り大会式」俗に9日(ここのかび)と呼んで、毎年盛大な大法会が営まれ、丁度、夏から秋に移る時節(節分)に当年の豊穣と安産とを祈り、この日参詣すると四万六千日分参詣したと同じ功徳を得られるといわれます。

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