壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

沫雪(あわゆき)

2010年04月15日 23時08分18秒 | Weblog
                         大伴旅人
        沫雪(あわゆき)の ほどろほどろに 降りしけば
          平城の京(ならのみやこ)し おもほゆるかも [『萬葉集』巻八]

 大伴旅人が筑紫太宰府にいて、雪の降った日に京(みやこ)をおもった歌である。
 「沫雪」は、「淡雪」と同じことであって、それが散漫に、あまねくゆき渡るというのでなしに降る、というのだから、これは春先の光景であろう。
 「ほどろほどろ」は、沫雪の降った形容だろうが、沫雪は降っても消えやすく、重量感からいえば軽い感じである。厳冬の雪とは反対に消えやすい感じである。そういう雪を、斑雪(はだれ)という。斑雪は春の季語で、降るそばからすぐ消えてしまうのではなく、はらはらと降る雪や、降ったあと少しの間、点々とまだらに残っている春の雪をいう。
 「春の雪」といえば、先日、東京銀座・「画廊 宮坂」で開かれた『中嶌虎威 日本画展』の「春の雪」も、忘れられない作品の一つである。

 雪は不思議に、時間的にも空間的にも、遙かなものへのあこがれ心をそそるものである。幼い頃の回想とか、望郷とか、遠い人への憧憬とか……。雪は何か人を童心にかえらせるものを持っている。
 昔から雪は、豊年の「ほ」(神意を象徴して現れるしるし)として、村人に幸福をもたらすものとされた生活伝承が潜在していて、動き出すのかも知れない。ことに大雪ではなく、「ほどろほどろに降りしく」といった程度の雪が……。
 その雪の「ほどろほどろに」降るさまが、そぞろに思郷の思いをかきたてるのだ。幼少年時代の思い出、家族、友人、恋人たちの面影、華やかな平城京のさまざまの楽しかった思い出。老病にさいなまれて、志の衰えを感じていたから、その思いは旅人にはいっそう強かったかも知れない。


      良寛の声の舞ひくる雪の果     季 己

       ※ 中嶌虎威先生の「春の雪」に触発されて

落花

2010年04月14日 22時09分32秒 | Weblog
        扇にて酒汲むかげや散る桜     芭 蕉

 他人のことではなく、旅中の桜狩りにおける、自らの逸興(いっきょう)ぶりを句にしたものであろう。以前の「花の蔭謡に似たる旅寝かな」や次の句などで、能に思いを寄せていたことが知られるが、それも旅心のあらわれなのであった。

 「扇にて酒汲むかげ」というのは、桜の木蔭で、扇を以て酒を汲むしぐさをしている意。能とか狂言で、扇子をひろげて酒を汲むしぐさをするが、旅中のこととて携えた酒もないままに、花を見ながら興じてそれをしているのである。
 「かげ」は蔭。ただし影とする説もある。
 「(散る)桜」が季語で春。
        
    「桜の木蔭に花をたのしみながら、能の趣をまねて、扇子で酒を汲むしぐさをしていると、
     折しも花がこぼれかかって、ひとしお興を添えることだ」


        声よくはうたはうものを桜散る     芭 蕉

 落花の趣に見入っている姿である。句の発想は「扇にて酒汲むかげや散る桜」と表裏をなすような感じがある。「扇にて」は、横から自分を眺め、「声よくは」は、心中を言いあらわす発想なのである。

 「声よくは」は、仮定条件を表すが、謡曲などと同じく、「は」は濁らないで読んでおく。
 「うたはう」は、謡(うたい)をうたおう、の意であろう。
 季語は「桜(散る)」で春。
    
    「桜がひらひらと散っている。もし自分がよい声であったら、しかるべき謡曲の一節
     なりとうたいたいところであるが……」


      散る花の連綿体に似てかろし     季 己

糸桜

2010年04月13日 22時58分46秒 | Weblog
          万乎べっしょ
        年々や桜をこやす花の塵     芭 蕉

 『千載集』の
        「花は根に 鳥は古巣に かへるなり
           春のとまりを 知る人ぞなき   崇徳天皇」
 という歌の「花は根にかへる」という想が、多くの謡曲に生かされているので、それが発想の元になっているのではなかろうか。
 万乎(ばんこ)のべっしょ、つまり、万乎の別荘での属目吟である。背後に万乎の家運隆盛をたたえる挨拶の意があると見るべきであろう。『花のちり』の前書きによれば、糸桜を詠んだものという。
 糸桜は、枝垂桜の別称。各地の山野に自生し、また観賞される江戸彼岸の園芸種で、枝が長く伸びて垂れ下がるものをいう。白色・淡紅色の色があり、八重咲きの種類もある。神社などの境内に植えられることが多く、京都・平安神宮神苑の紅枝垂桜は有名。

 「万乎」は、伊賀上野の門人。通称 大坂屋次良太夫と称した金持ち商人、のち仏門に入った。
 「べっしょ」は別荘のこと。

 季語は「花」が春であるが、「花の塵(ちり)」で、散り落ちた桜の花の屑をさす。「桜」も季語であるが、この句では桜の木をさすので季感はない。

    「桜の花びらが、しきりにその根元に降りしいている。こうして花は年々咲き、年々
     散ってその木を肥やすのであろう」


      あめつちのみち韻きあふいとざくら     季 己         

CT検査

2010年04月12日 22時50分55秒 | Weblog
        比良三上雪指し渡せ鷺の橋     芭 蕉

 「ひら みかみ ゆきさしわたせ さぎのはし」と読む。
 白鷺の渡るのを見て、七夕の鵲(かささぎ)の橋が連想され、さらにこれを鷺の橋と俳諧的に興じたもので、豊かな空想力を駆使している。現代の写実風の詠み方とちがって、鷺の背後には鵲の伝説が層をなしていて、それが句の厚さを生んでいるのである。

 「比良三上」は、比良岳と三上山のこと。それぞれ西の滋賀郡と東南の野洲郡とにあって、相対して琵琶湖を抱いているので、その間をつなぐ白鷺の橋をおもいえがいて、「雪指し渡せ」といったものである。
 季語は「雪」で冬。白鷺と雪の白さという、色彩を中心とした発想になっている。

    「雪をいただいた比良岳と三上山にいだかれた琵琶湖の上を、今しも白鷺が渡ってゆく。
     七夕の宵は、鵲が橋をかけるといわれるが、雪のときである今は、鷺よ、このふたつの
     山に純白の鷺の橋を架け渡してくれよ」


 まるで真冬に戻ったような寒さである。午後3時の気温が6.7度であったという。
 午後1時10分からのCT検査のため、正午前に家を出、駒込病院へ向かった。春雨ならぬ氷雨に打たれながら。抗ガン剤の副作用で、顔はピリピリ、手の指先はビリビリとしびれっぱなし。革の手袋をしてもだ。おまけに鼻水がツツーっと垂れてくる。
 CT検査は、X線を用いて身体の断面を撮影し、病気の診断に役立てるものという。今日、実際に検査台の上に乗って検査を受けた時間は20分ほどだったが、さまざまな前処置をするので、待ち時間が長いのが困る。それでも今回は待ち時間が短く、1時間程度であった。
 わたしの場合、脊柱から骨盤までの検査なので、前処置が当然多い。
 腹部の検査のため、まず造影剤入りの麦茶800mlを30分かけて飲んだ。これは、腸の中を造影剤で置き換えて、腫瘍や腫大したリンパ節などとの区別を容易にするためとのこと。
 つぎに、骨盤部の検査のため、肛門から管を入れて造影剤を注入された。女性の場合は、膣にタンポンを挿入することもあるという。これらの前処置は、膀胱をいっぱいにするために、尿をためて、病変をわかりやすくするために行なうものだ。
 最後に肺に転移した癌を検査するため、検査台で造影剤の注射を打たれ、造影剤を入れながらの検査となる。これをすると、身体がすこしほてってくる。
 造影剤による副作用は、2万人に一人くらい、血圧低下・呼吸困難・意識混濁などがおこることがあるという。万が一、副作用が起こっても、駒込病院はすぐ適切な処置を行なえるように万全の体制がとられているので安心である。
 もちろん、今になっても副作用が起こらないので、どうぞご安心ください。
 なお参考までに、検査料は保険3割負担で、8,480円であった。

 今朝、日本画家の菅田友子先生から「桜」の[はがき絵]が届いた。おそらく、このCT検査にあわせて描いてくださったものと思う。力強い桜の幹が、神々しく見え、非常に勇気づけられた。いつもいつも本当にありがとう。

      はげましの声か落花の中に幹     季 己

雉子の声

2010年04月11日 22時23分25秒 | Weblog
        虵食ふと聞けば恐ろし雉子の声     芭 蕉

 古来、和歌などに“あはれなるもの”として詠まれてきた雉子(きじ)の声の中に恐ろしさを感じとったもの。弟子の其角の句に対応して詠んだもので、其角の
        「うつくしく顔掻く雉(きじ)の蹴爪(けづめ)かな」
 という句が、美しさの中のすさまじさを視覚的にとらえているのに対して、これは聴覚的に、どこかあわれむような思いをつつんだ発想となっており、情緒の詠嘆的な対象であった雉子が、生きものの生きる姿にふさわしくとらえられている。
 『笈の小文』には
        「父母のしきりに恋ひし雉子の声」(芭蕉)
 という作があって参考になる。元禄三年春の作という。

 「虵食ふと聞けば」は、雉子についてふつう「妻を呼ぶ」・「子を思ふ」などと言われるのに対して、「虵食ふ」といったもの。「虵」は、「蛇」の俗字なので「へび」と読む。雉子が蛇を食うことについては、『和漢三才図会』などにも記述がある。
 「蛇」は夏の季語であるが、ここは「雉子」がはたらくので、こちらが季語で春。多分に題詠的な発想であるが、発見のひらめきをもっている。俳句では、この発見が非常に大切。

    「雉子の声はあわれ深いところがあるが、あの雉子が蛇を食うのだと聞くと、あわれな中に
     恐ろしいものが感じられる」


      雉子恍と鳴くやことこと屋敷神     季 己

筑波嶺

2010年04月10日 22時43分57秒 | Weblog
                  東歌 常陸国歌
        筑波嶺の 嶺ろに霞居 過ぎかてに
          息づく君を 率寝て遣らさね  (『萬葉集』巻十四)

 この歌は、一、二句の序から「過ぎかてに」への移りが、今の人の理解にひっかかるであろう。
 この一、二句は序歌で「過ぎ」にかかっている。筑波山の頂上にかかってじっとしている霞が、やがて消え去って行くという意味の「すぎ」から、「通りすぎる」意味をおこしてきた。「かてに」というのは、「耐えられずに」、「……ことができなくて」という意味。通り過ぎることが出来ないで、ということ。
 女の家の前をうろうろしている男を見かけた女の先輩が、「あの人を中に入れて、ひと抱きして帰しておやんなさい」と言っているのである。おそらく、男に頼まれて口を利いているのであろう。
 「息づく君を」とあるから、まじめな感じがするが、催馬楽(さいばら)になると、これが、「吾が門を、とさんかうさん ねる男」などとなって、一段と民謡の味が濃くなる。

 常陸(ひたち)は、当時の東国の最奥に近い。『萬葉集』の東歌では、陸奥(みちのく)といっても、せいぜい福島県南部あたりまでである。元来「あづま」とは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説によって、碓氷峠(うすいとうげ)から望んだ、いわゆる後の関東地方がそれにあたるが、東人(あずまびと)の勢力がのびてくると、東国の地域も広がって、ずっと西まで来てしまう。巻十四で見ても、遠江、駿河の歌までも東歌として採用している。ただ相模の足柄の神が強力で、この山の東が、東(あずま)の中での東というように考えられたらしい。

    「筑波嶺の頂にかかってじっとしている霞のように、お前さんの家の前を通り過ぎる
     ことが出来ないで、ため息ばかりついているあの人を家に入れて、ひと抱きして帰
     しておやんなさいな」


      筑波嶺に焦がれてひとり青き踏む     季 己

花の雲

2010年04月09日 22時41分39秒 | Weblog
          草 庵
        花の雲 鐘は上野か浅草か     芭 蕉

 この趣の中に、草庵の春、静かにあたりの自然に身を任せた姿が見られる。置かれた境遇に身をゆだねた人の大きな安らぎが、この句の調子の上に流れている。前年の、
        「観音の甍(いらか)見やりつ花の雲」
 と一連をなす味がある。ちなみに上野は寛永寺、浅草は浅草寺の鐘をさすものであろう。
 「花の雲」とは、桜の花の一面に咲き乱れたさまを、雲にたとえていう語。つまり、桜の花が爛漫と咲いたさま。

 季語は「花の雲」で春。この季語が、句を支える中心になっている。

    「花の雲を目にしながら静かに坐していると、花の中から鐘の音がゆるく響いてくる。
     あれは上野の鐘であろうか、それとも浅草の鐘であろうかと、聴きわけようとするが、
     その鐘の音は、駘蕩(たいとう)たる花の雲の中にとけこんでいて、なんとも聴きわ
     けがたい感じである」


 どいうわけか今日は抗ガン剤投与の予約者が少なく、十一時半ごろに投与が始まり、午後二時半ごろに終了した。こんなことは初めてである。
 おかげさまで、体調はよく、“しびれ”さえなくなれば快調そのものといえる。その“しびれ”の原因となるオキサリプラチンを、次回の投与から抜いてくれるという。もっとも4月12日のCT検査の結果次第という条件付きではあるが。
 芭蕉さんは、のどかな春の日和に誘われ、草庵の縁側から対岸の上野・浅草あたりを眺めわたした。変人は、駒込病院のベッドで抗ガン剤の投与を受けながら、右脳で花見のシーンのフラッシュバック。
 掲句は、花もおぼろ、鐘もおぼろの、駘蕩たる大江戸の春光を外にした、閑居の気味を読み取るのが、一句の勘所ということになる。鐘の音は、上野でも浅草でもどちらでもいいのだ。駘蕩たる春景色を詠みたかっただけなのだ。そう今は、上野も浅草も台東(たいとう)区なので……。


      花散らす木に寺町の薄日さす     季 己

神の顔

2010年04月08日 22時49分29秒 | Weblog
          葛城山
        なほ見たし花に明け行く神の顔     芭 蕉

 伝説を心にした芭蕉が、花の中にようやく明けて行こうとする曙の色を見ていると、この美しい景色の葛城山(かずらきやま)に棲(す)む一言主神(ひとことぬしのかみ)が、そんなに醜いはずはないという気持をとどめえなくなったのであろう。
 「なほ見たし」という気持は、「醜かろうはずはない。なぜ人をおそれてそうはにかむのであろう。なおのことそうでないことをこの目でたしかめたい」というので、芭蕉の力が精妙に生きた一つといえよう。
 「花に明け行く神の顔」は、謡曲「葛城」の終段で、
        「名に負ふ葛城の神の顔かたち、面なやおもはゆや。恥ずかしやあさましや。
         あさまになりぬべし。明けぬ前(さき)にと葛城の明けぬ前にと葛城の夜の
         磐戸にぞ入り給ふ……」
 や、『拾遺集』の、
        「岩橋の 夜の契りも 絶えぬべし
           明くるわびしき 葛城の神  (春宮女蔵人左近)」
 あたりが心にあっての発想ではなかろうか。

 『泊船集』に、
        「大和の国を行脚(あんぎゃ)して、葛城山の麓を過ぐるに、四方(よも)の花は
         盛りにて、峯々は霞みわたりたる明ぼののけしき、いとど艶なるに、彼の神
         の御容貌(みかたち)悪しと、人の口さがなく世にいひ伝へ侍れば」
 と前書きがあり、発想の事情をよく伝えている。貞享五年春の作。

 「葛城山」は、役行者(えんのぎょうじゃ)の籠った山。奈良・大阪の境にあり、金剛山地の一峰、九百五十九メートル。修験道の霊場。『奥義抄(おうぎしょう)』などによると、役行者が、葛城山と吉野金峰山(きんぶせん)との間に岩橋を架けようとしたとき、この葛城山の一言主神にその役(えき)を命じたが、神は容貌の醜いのを恥じて、夜の間だけしか働かなかったので完成しなかった、という伝説がある。
 「花」が春の季語。

    「葛城山の麓を過ぎつつ、花に明けゆく曙の美しい色を見ていると、醜い顔だという
     この葛城山の神もそんなに醜いはずがないと思われて、夜明けとともに身を隠すと
     伝えられるその顔を、なおいっそう見たくなることだ」


      絵の奥のこころや富士に山桜     季 己

     ※ 東京・銀座「画廊宮坂」、『中嶌虎威 日本画展』に心ふるえて。

花の別れ

2010年04月07日 20時31分27秒 | Weblog
          坦堂和尚を悼み奉る
        地に倒れ根により花の別れかな     芭 蕉

 哀悼の意を、「花の別れ」によってあらわしたもの。
 「根により」は、『千載集』の、
          「花は根に 鳥は古巣に かへるなり
             春のとまりを しる人ぞなき (崇徳院)」
 を踏まえたもので、帰り着いた場所として「根」に墳墓を意味させたもの。この歌は、謡曲などにしばしば引かれて、人口に膾炙(かいしゃ)しているもので、この帰るべきところに帰る意を、僧侶の死にとりなしているのであろう。
 「坦堂和尚」は未詳。野球のお好きな方は、今朝、くも膜下出血のため亡くなった、読売巨人軍の木村拓也コーチに置き換えて読んでいただいても結構。すなわち「木村拓也コーチを悼む」と……。

 季語は「花」で春。「花の別れ」は、当時の歳時記には見えていないが、この句では、季語としてはたらいているようである。哀悼の意がこめられているために、どうしても毅然としたものになりきれていないのは、仕方なかろう。

    「古歌に、桜の花びらはその根に帰るというが、坦堂和尚も帰すべきところに帰され、
     この世を去られた。けれども、花の別れを悲しむごとくその永別を悲しんで、自分は
     地に倒れ伏し、塚のもとに寄り添い悼み奉ることだ」


      球場のどこか濡らして散る桜     季 己

灌仏の日

2010年04月06日 23時18分09秒 | Weblog
          灌仏の日は、奈良にてここかしこ詣で侍るに、
          鹿の子を産むを見て、此の日においてをかし
          ければ
        灌仏の日に生まれあふ鹿の子かな     芭 蕉

 軽い味であるが、旅の実感を基調にしていることが、この句をいきいきしたものにしている。
 「生まれあふ」というあたりに、芭蕉のあたらしい生命へのあたたかい祝福が出ている。貞享五年(1688)四月八日の作。

 「灌仏(かんぶつ)の日」は四月八日。釈迦の誕生日といわれる陰暦四月八日に、その降誕を祝福して、全国の寺々で行なわれる法会。花祭ともいわれる。花祭と称したのは、もともと浄土宗であったが、後に一般化した。境内に花御堂(はなみどう)という美しい花々で飾った小堂をしつらえ、浴仏盆のなかに誕生仏の像を安置して、参拝者が甘茶をひしゃくで灌(そそ)ぐようになっている。仏生会(ぶっしょうえ)ともいう。
 所によっては、竿躑躅(さおつつじ)とか高花(たかばな)・天道花(てんどうばな)といって、竿の先に花の塔を作り、門口にたてる。
 近年、花祭というのは、子ども中心の祭になって、花時の感じが強いが、花御堂の花は、元来、躑躅・卯の花・石楠花(しゃくなげ)など初夏の花を用いた。

 季語は「灌仏」で夏。この季語が、季感よりも釈迦誕生の仏縁を示すはたらきで置かれている。「鹿の子」も夏の季語。

    「奈良で鹿が子を産むのを見た。折しも灌仏の日にあたっているので、この日に
     生まれた鹿の子は、仏縁があってまことにめでたい、と感じたことである」


      花まつり雀もつともよろこんで     季 己

もう一人のひと

2010年04月05日 20時46分19秒 | Weblog
        一人居て喜ばば 二人と思ふべし
        二人居て喜ばば 三人と思ふべし
        その一人は 親鸞なり
                       (『御臨末の御書』)

 『御臨末の御書(ごりんまつのごしょ)』(伝親鸞)については諸説があるが、それはそれとして“釈秀友”のわたしにとっては、忘れられない聖語の一つである。独り身のわたしを、いつも支えて元気づけてくれる[いのちの言葉]と言ってもよい。
    「ひとりぽっちでいるときでも、うれしいことがあったら、一人だけのよろこびと
    思いなさんな、“もう一人のひと”が、ともによろこんでおるぞ。
     二人してうれしいことがあったら、二人だけのことと思うでないぞ、“もう一人
    のひと”も一緒によろこびをともにしておると思ってくだされ。
     そう、“もう一人のひと”とは、この親鸞――」

 親鸞の教えを信ずる人でなくても、この聖語を深く味わうことをおすすめしたい。
 この聖語には、さらに
       「一人(ひとり)居て悲しまば 二人(ふたり)と思ふべし
        二人(ふたり)居て悲しまば 三人(みたり)と思ふべし
        その一人(いちにん)は 親鸞なり」
 の意が、当然ふくまれていると思う。
 「うれしいときも、悲しいときも、決して、ひとりと思わないで! いつでもそばに親鸞がいるからね」親鸞さんは、そうおっしゃっているのだ。
 “一人(いちにん)”は、親鸞聖人でなくてもいい。たとえば、父でも母でもいい。目に見えない“もう一人のひと”を見つめることが大事なのだ。その目がやがては、自分のこころの眼を開かせてくださるのだから。


      冴返る二羽のインコの無愛想     季 己

花の上

2010年04月04日 20時58分24秒 | Weblog
        しばらくは花の上なる月夜かな     芭 蕉

 花と月との映発しあった春の夜の情をつかんで的確な作品である。明るすぎるくらい明るい情景をうたって、その中に一抹の水のような寂寥をにじませているのは、「しばらくは」が、月と花との映りあう美しさの中に、移ろうものの姿を言いとめているからであろう。貞享五年吉野の作という。
 「月夜」は秋の季語であるが、ここでは「花」が季語で春。

    「この月は、やがて西へ傾き去るであろうが、しばらくの間は花の上にあって、花と照り映え
     とけあって、まるで夢のような春の夜の景である」


 「お独りで寂しくないですか」と、聞かれることが時たまある。「寂しくない」と言ったらウソになるかもしれないが、独りが当たり前になっているので、返答に困ってしまう。
 友人のS君の学生時代の詩に、こんなのがある。

        待つ時間と
        待った時間とは
        ちがいます。

        独りでいる寂しさと
        独りになった寂しさとが
        ちがうように。

 わたしの場合は、「独りでいる寂しさ」であって、「独りになった寂しさ」ではないので……。

      咲きみちて風をよぶ花 塔伸びる     季 己

奇特

2010年04月03日 23時25分31秒 | Weblog
          桜
        桜狩り奇特や日々に五里六里     芭 蕉

 桜にひかれて遠い道を歩きまわっている自分の姿を、ある時ふとかえりみて、自ら求めてのことではあるが、我ながらご苦労なことだと興じているのである。「奇特や」にやや苦笑を交えながら興じている姿が思いうかべられる。
 『笈の小文』にのみ見える句で、貞享五年の作。
 「奇特」は、「キトク」と読むが、古くは濁音で「キドク」と読んだ。したがって、掲句の場合は「キドク」と読む。この上もなく珍しいこと、非常にすぐれていること、不思議なしるしの意。ここでは、日に五里、六里と花を尋ねて歩く自分の行動をかえりみて、ご苦労なことだと興じて笑う気持ちである。
 「桜狩り」が季語で春。

    「自分はこうして桜を求めて、日々に五里も六里も歩きまわっているが、さても我ながら
     奇特なことだわい」


 荒川区・尾久の原公園で「シダレザクラ祭り」が行なわれ、観光ボランティアガイドとして手伝った。植えられて間もない枝垂桜は、満開の状態であっても、日光の手前である。

 桜の種類はいくつあるか知らないが、山桜がもっとも美しいと思う。自生しているものでは山桜が一番多いということだ。公園や校庭にけんらんと咲き満ちているのはソメイヨシノで、東京・染井の植木屋に幕末に出て、全国に広まったものだが、ルーツ不詳。雑種なので実生(みしょう)ができない。
 桜餅の葉っぱにするのは、香りの高い大島桜、八重系のものでは、紅味(あかみ)の強い南殿(なでん)・黄色いうこん桜・御衣黄(ぎょいこう)・めしべが二本で、象牙のような緑の葉に変わった普賢象(ふげんぞう)などが、わかりやすい品種であろう。

      川ふたつめぐりてしだれ桜かな     季 己

花盛り

2010年04月02日 20時43分36秒 | Weblog
          芳 野(よしの)
        花盛り山は日ごろのあさぼらけ     芭 蕉

 花の盛りの吉野山中に立って、‘あさぼらけ’にあう趣である。
 山はこの万朶(ばんだ)の桜の中で、常とは何か異なった様子で明けてくるかと期待したのである。しかし、いよいよ明けてゆくさまは、いつもとかわらぬ静かでさわやかな朝ぼらけであったという、かるい期待はずれの声である。この「日ごろの」という発見に、実に感覚の鋭い把握が感じられる。

 『笈の小文』に、
    「吉野の花に三日とどまりて、……いたづらに口を閉ぢたる、いと口惜し」
 とあり、『去来抄』に、
    「杜国が徒(ともがら)と吉野行脚(あんぎゃ)したまひける道よりの文に」
 と伝えるが、季・場所から推して貞享五年の作。
 「日ごろ」は、いつもながら、ふだんの意。
 季語は「花盛り」で春。「花盛り」が、「日ごろのあさぼらけ」を生かす感動の軸になっている。

    「ここ吉野山は、桜が今を盛りと咲き満ちている。けれども、みごとな花盛りにもかかわらず、
     山は常と少しも変わらぬ姿に明けてくることだ」


 東京の桜もいよいよ満開。しかし、桜を詠むことはむずかしい。
 芭蕉は、「桜」として30句弱、「花」として60句強の句を残している。
 「花」はその成り立ちから、抽象語としての性格を持ち、類題も幅広く、時候・天象・人事・心理と変化の妙を見せる。だが「桜」は具体名であり、ズバリと決まっている。
 「花」の、より感覚・ムード的なのに対し、「桜」は視覚・描写的に詠みたいのだが……。

      花盛り象の鎖を長くせよ     季 己

春の院展

2010年04月01日 22時51分36秒 | Weblog
 「たくさんの絵の中で1点、お金があれば欲しい絵があった。久しぶりである」と、[宮坂通信 Web版]にあった。「あの宮坂さんが欲しい絵とは、どんな絵であろう」と、早速、日本橋・三越へ行き、『春の院展』を観てきた。
 迷路のような会場を、あっちへうろうろ、こっちへうろうろして考えたが、ただ疲れるだけで結局、どれであるか見当もつかない。だが、それは当然のこと。宮坂さんはその道でウン十年も鍛えてきた慧眼の士、こちらは好きか嫌いか、心にひびくかひびかないか、ぐらいしかわからないド素人。
 そこで、素人は素人なりに帰宅してから楽しんだ。「出品作品一覧」によると、同人作品点数33点、入選点数311点、出品総点数344点とある。(ただし、同人作品‘展’数33点、と誤植)
 この一覧を机上に置き、印象に残っている作品(作家)にチェックを入れていった。その結果は次の通り。(敬称略)
 [同人]下田義寛、田渕俊夫、清水達三、松村公嗣、大矢紀、吉村誠司、倉島重友、清水由朗。
 [入選]相澤豊治、阿部任宏、荒井孝、井手康人、大嶋英子、大矢十四彦、加藤裕子、岸野香、黒澤正、楚里清、樋田礼子、東儀恭子、並木秀俊、波根靖恵、前原満夫、村田潤治、谷中武彦、柳本富子、吉原慎介。
 さて、この中から1点選ぶとなると難しいが、大矢紀先生の「長寿大虹」が、ダントツ品格があり、最も輝きを感ずる。これを欲しい作品ナンバー1にする。
 はたしてプロが欲しい作品とは? あとでこっそり宮坂さんに教えてもらおう。
 そこで今日の一句は、大矢紀先生の「長寿大虹」を凝視して得たイメージを……


      八重椿いのちの末のなきごとく     季 己