坦堂和尚を悼み奉る
地に倒れ根により花の別れかな 芭 蕉
哀悼の意を、「花の別れ」によってあらわしたもの。
「根により」は、『千載集』の、
「花は根に 鳥は古巣に かへるなり
春のとまりを しる人ぞなき (崇徳院)」
を踏まえたもので、帰り着いた場所として「根」に墳墓を意味させたもの。この歌は、謡曲などにしばしば引かれて、人口に膾炙(かいしゃ)しているもので、この帰るべきところに帰る意を、僧侶の死にとりなしているのであろう。
「坦堂和尚」は未詳。野球のお好きな方は、今朝、くも膜下出血のため亡くなった、読売巨人軍の木村拓也コーチに置き換えて読んでいただいても結構。すなわち「木村拓也コーチを悼む」と……。
季語は「花」で春。「花の別れ」は、当時の歳時記には見えていないが、この句では、季語としてはたらいているようである。哀悼の意がこめられているために、どうしても毅然としたものになりきれていないのは、仕方なかろう。
「古歌に、桜の花びらはその根に帰るというが、坦堂和尚も帰すべきところに帰され、
この世を去られた。けれども、花の別れを悲しむごとくその永別を悲しんで、自分は
地に倒れ伏し、塚のもとに寄り添い悼み奉ることだ」
球場のどこか濡らして散る桜 季 己
地に倒れ根により花の別れかな 芭 蕉
哀悼の意を、「花の別れ」によってあらわしたもの。
「根により」は、『千載集』の、
「花は根に 鳥は古巣に かへるなり
春のとまりを しる人ぞなき (崇徳院)」
を踏まえたもので、帰り着いた場所として「根」に墳墓を意味させたもの。この歌は、謡曲などにしばしば引かれて、人口に膾炙(かいしゃ)しているもので、この帰るべきところに帰る意を、僧侶の死にとりなしているのであろう。
「坦堂和尚」は未詳。野球のお好きな方は、今朝、くも膜下出血のため亡くなった、読売巨人軍の木村拓也コーチに置き換えて読んでいただいても結構。すなわち「木村拓也コーチを悼む」と……。
季語は「花」で春。「花の別れ」は、当時の歳時記には見えていないが、この句では、季語としてはたらいているようである。哀悼の意がこめられているために、どうしても毅然としたものになりきれていないのは、仕方なかろう。
「古歌に、桜の花びらはその根に帰るというが、坦堂和尚も帰すべきところに帰され、
この世を去られた。けれども、花の別れを悲しむごとくその永別を悲しんで、自分は
地に倒れ伏し、塚のもとに寄り添い悼み奉ることだ」
球場のどこか濡らして散る桜 季 己