壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

八重桜

2010年04月30日 21時07分48秒 | Weblog
        奈良七重七堂伽藍八重桜     芭 蕉

 「ならななえ しちどうがらん やえざくら」と読む。
 上五がやわらかく、中七が強く豪壮に、下五がやさしく、また、母音‘a’が9回も繰りかえされて、全体が音楽的な階調を備えている。「七」と「八」とを対応させ、全体が名詞だけで成り立っている表現も特異な技巧である。
 『詞花集』の、
    「いにしへの 奈良のみやこの 八重桜
       けふここのへに にほひぬるかな」 (伊勢大輔)
 を心においた発想であるが、年代の古い『続山井』(寛文七年刊)に
    「名所(などころ)や奈良は七堂八重桜  如貞」、
 『大井川集』に、
    「奈良の京や七堂伽藍八重桜  元好」
 などがある。芭蕉作と認めるにしても、芭蕉独自の句境とはいえないものがあろう。
  
 「奈良七重」は、「な」の頭韻をふみ、「七重」に「七代(ななよ)」を通わせ、奈良の都が七代七十余年つづいた意をこめて、下の「八重」とひびかせ、また七堂が立ち並んだ感じを呼び起こす手がかりとした表現。「ここのへ(九重)」の俳諧化ともなっている。
 「七堂伽藍」は、寺院の主要な七つの建物、つまり堂宇が具備された寺をいう。七堂は必ずしも確定しておらず、宗派によって異なる。たとえば興福寺であると、中堂・金堂・東金堂・西金堂・南円堂・北円堂・講堂がそれである。「伽藍」は、梵語で僧伽藍の略で、衆園・僧園と訳し、僧侶たちが住んで仏道修行をする、清浄閑静なところ、後に寺のことをいう。

 季語は「八重桜」で春。

    「奈良は七代七十余年の帝都で、七堂伽藍が重畳(ちょうじょう)と立ち並んだ古いお寺が
     多い。そこには昔から和歌に詠まれた八重桜が今も咲き誇って、まことに立派な古都で
     ある」


      ネモフィラの丘はつなつの太平洋     季 己