壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

もう一人のひと

2010年04月05日 20時46分19秒 | Weblog
        一人居て喜ばば 二人と思ふべし
        二人居て喜ばば 三人と思ふべし
        その一人は 親鸞なり
                       (『御臨末の御書』)

 『御臨末の御書(ごりんまつのごしょ)』(伝親鸞)については諸説があるが、それはそれとして“釈秀友”のわたしにとっては、忘れられない聖語の一つである。独り身のわたしを、いつも支えて元気づけてくれる[いのちの言葉]と言ってもよい。
    「ひとりぽっちでいるときでも、うれしいことがあったら、一人だけのよろこびと
    思いなさんな、“もう一人のひと”が、ともによろこんでおるぞ。
     二人してうれしいことがあったら、二人だけのことと思うでないぞ、“もう一人
    のひと”も一緒によろこびをともにしておると思ってくだされ。
     そう、“もう一人のひと”とは、この親鸞――」

 親鸞の教えを信ずる人でなくても、この聖語を深く味わうことをおすすめしたい。
 この聖語には、さらに
       「一人(ひとり)居て悲しまば 二人(ふたり)と思ふべし
        二人(ふたり)居て悲しまば 三人(みたり)と思ふべし
        その一人(いちにん)は 親鸞なり」
 の意が、当然ふくまれていると思う。
 「うれしいときも、悲しいときも、決して、ひとりと思わないで! いつでもそばに親鸞がいるからね」親鸞さんは、そうおっしゃっているのだ。
 “一人(いちにん)”は、親鸞聖人でなくてもいい。たとえば、父でも母でもいい。目に見えない“もう一人のひと”を見つめることが大事なのだ。その目がやがては、自分のこころの眼を開かせてくださるのだから。


      冴返る二羽のインコの無愛想     季 己