虵食ふと聞けば恐ろし雉子の声 芭 蕉
古来、和歌などに“あはれなるもの”として詠まれてきた雉子(きじ)の声の中に恐ろしさを感じとったもの。弟子の其角の句に対応して詠んだもので、其角の
「うつくしく顔掻く雉(きじ)の蹴爪(けづめ)かな」
という句が、美しさの中のすさまじさを視覚的にとらえているのに対して、これは聴覚的に、どこかあわれむような思いをつつんだ発想となっており、情緒の詠嘆的な対象であった雉子が、生きものの生きる姿にふさわしくとらえられている。
『笈の小文』には
「父母のしきりに恋ひし雉子の声」(芭蕉)
という作があって参考になる。元禄三年春の作という。
「虵食ふと聞けば」は、雉子についてふつう「妻を呼ぶ」・「子を思ふ」などと言われるのに対して、「虵食ふ」といったもの。「虵」は、「蛇」の俗字なので「へび」と読む。雉子が蛇を食うことについては、『和漢三才図会』などにも記述がある。
「蛇」は夏の季語であるが、ここは「雉子」がはたらくので、こちらが季語で春。多分に題詠的な発想であるが、発見のひらめきをもっている。俳句では、この発見が非常に大切。
「雉子の声はあわれ深いところがあるが、あの雉子が蛇を食うのだと聞くと、あわれな中に
恐ろしいものが感じられる」
雉子恍と鳴くやことこと屋敷神 季 己
古来、和歌などに“あはれなるもの”として詠まれてきた雉子(きじ)の声の中に恐ろしさを感じとったもの。弟子の其角の句に対応して詠んだもので、其角の
「うつくしく顔掻く雉(きじ)の蹴爪(けづめ)かな」
という句が、美しさの中のすさまじさを視覚的にとらえているのに対して、これは聴覚的に、どこかあわれむような思いをつつんだ発想となっており、情緒の詠嘆的な対象であった雉子が、生きものの生きる姿にふさわしくとらえられている。
『笈の小文』には
「父母のしきりに恋ひし雉子の声」(芭蕉)
という作があって参考になる。元禄三年春の作という。
「虵食ふと聞けば」は、雉子についてふつう「妻を呼ぶ」・「子を思ふ」などと言われるのに対して、「虵食ふ」といったもの。「虵」は、「蛇」の俗字なので「へび」と読む。雉子が蛇を食うことについては、『和漢三才図会』などにも記述がある。
「蛇」は夏の季語であるが、ここは「雉子」がはたらくので、こちらが季語で春。多分に題詠的な発想であるが、発見のひらめきをもっている。俳句では、この発見が非常に大切。
「雉子の声はあわれ深いところがあるが、あの雉子が蛇を食うのだと聞くと、あわれな中に
恐ろしいものが感じられる」
雉子恍と鳴くやことこと屋敷神 季 己