壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

沫雪(あわゆき)

2010年04月15日 23時08分18秒 | Weblog
                         大伴旅人
        沫雪(あわゆき)の ほどろほどろに 降りしけば
          平城の京(ならのみやこ)し おもほゆるかも [『萬葉集』巻八]

 大伴旅人が筑紫太宰府にいて、雪の降った日に京(みやこ)をおもった歌である。
 「沫雪」は、「淡雪」と同じことであって、それが散漫に、あまねくゆき渡るというのでなしに降る、というのだから、これは春先の光景であろう。
 「ほどろほどろ」は、沫雪の降った形容だろうが、沫雪は降っても消えやすく、重量感からいえば軽い感じである。厳冬の雪とは反対に消えやすい感じである。そういう雪を、斑雪(はだれ)という。斑雪は春の季語で、降るそばからすぐ消えてしまうのではなく、はらはらと降る雪や、降ったあと少しの間、点々とまだらに残っている春の雪をいう。
 「春の雪」といえば、先日、東京銀座・「画廊 宮坂」で開かれた『中嶌虎威 日本画展』の「春の雪」も、忘れられない作品の一つである。

 雪は不思議に、時間的にも空間的にも、遙かなものへのあこがれ心をそそるものである。幼い頃の回想とか、望郷とか、遠い人への憧憬とか……。雪は何か人を童心にかえらせるものを持っている。
 昔から雪は、豊年の「ほ」(神意を象徴して現れるしるし)として、村人に幸福をもたらすものとされた生活伝承が潜在していて、動き出すのかも知れない。ことに大雪ではなく、「ほどろほどろに降りしく」といった程度の雪が……。
 その雪の「ほどろほどろに」降るさまが、そぞろに思郷の思いをかきたてるのだ。幼少年時代の思い出、家族、友人、恋人たちの面影、華やかな平城京のさまざまの楽しかった思い出。老病にさいなまれて、志の衰えを感じていたから、その思いは旅人にはいっそう強かったかも知れない。


      良寛の声の舞ひくる雪の果     季 己

       ※ 中嶌虎威先生の「春の雪」に触発されて