東歌 常陸国歌
筑波嶺の 嶺ろに霞居 過ぎかてに
息づく君を 率寝て遣らさね (『萬葉集』巻十四)
この歌は、一、二句の序から「過ぎかてに」への移りが、今の人の理解にひっかかるであろう。
この一、二句は序歌で「過ぎ」にかかっている。筑波山の頂上にかかってじっとしている霞が、やがて消え去って行くという意味の「すぎ」から、「通りすぎる」意味をおこしてきた。「かてに」というのは、「耐えられずに」、「……ことができなくて」という意味。通り過ぎることが出来ないで、ということ。
女の家の前をうろうろしている男を見かけた女の先輩が、「あの人を中に入れて、ひと抱きして帰しておやんなさい」と言っているのである。おそらく、男に頼まれて口を利いているのであろう。
「息づく君を」とあるから、まじめな感じがするが、催馬楽(さいばら)になると、これが、「吾が門を、とさんかうさん ねる男」などとなって、一段と民謡の味が濃くなる。
常陸(ひたち)は、当時の東国の最奥に近い。『萬葉集』の東歌では、陸奥(みちのく)といっても、せいぜい福島県南部あたりまでである。元来「あづま」とは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説によって、碓氷峠(うすいとうげ)から望んだ、いわゆる後の関東地方がそれにあたるが、東人(あずまびと)の勢力がのびてくると、東国の地域も広がって、ずっと西まで来てしまう。巻十四で見ても、遠江、駿河の歌までも東歌として採用している。ただ相模の足柄の神が強力で、この山の東が、東(あずま)の中での東というように考えられたらしい。
「筑波嶺の頂にかかってじっとしている霞のように、お前さんの家の前を通り過ぎる
ことが出来ないで、ため息ばかりついているあの人を家に入れて、ひと抱きして帰
しておやんなさいな」
筑波嶺に焦がれてひとり青き踏む 季 己
筑波嶺の 嶺ろに霞居 過ぎかてに
息づく君を 率寝て遣らさね (『萬葉集』巻十四)
この歌は、一、二句の序から「過ぎかてに」への移りが、今の人の理解にひっかかるであろう。
この一、二句は序歌で「過ぎ」にかかっている。筑波山の頂上にかかってじっとしている霞が、やがて消え去って行くという意味の「すぎ」から、「通りすぎる」意味をおこしてきた。「かてに」というのは、「耐えられずに」、「……ことができなくて」という意味。通り過ぎることが出来ないで、ということ。
女の家の前をうろうろしている男を見かけた女の先輩が、「あの人を中に入れて、ひと抱きして帰しておやんなさい」と言っているのである。おそらく、男に頼まれて口を利いているのであろう。
「息づく君を」とあるから、まじめな感じがするが、催馬楽(さいばら)になると、これが、「吾が門を、とさんかうさん ねる男」などとなって、一段と民謡の味が濃くなる。
常陸(ひたち)は、当時の東国の最奥に近い。『萬葉集』の東歌では、陸奥(みちのく)といっても、せいぜい福島県南部あたりまでである。元来「あづま」とは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説によって、碓氷峠(うすいとうげ)から望んだ、いわゆる後の関東地方がそれにあたるが、東人(あずまびと)の勢力がのびてくると、東国の地域も広がって、ずっと西まで来てしまう。巻十四で見ても、遠江、駿河の歌までも東歌として採用している。ただ相模の足柄の神が強力で、この山の東が、東(あずま)の中での東というように考えられたらしい。
「筑波嶺の頂にかかってじっとしている霞のように、お前さんの家の前を通り過ぎる
ことが出来ないで、ため息ばかりついているあの人を家に入れて、ひと抱きして帰
しておやんなさいな」
筑波嶺に焦がれてひとり青き踏む 季 己