平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

ヴラダン・コチ氏のチェロコンサートのご案内

2011-03-03 16:37:06 | 教会行事

 ヴラダン・コチ チャリティ・チェロコンサートのご案内

 主の御名を賛美します。
 2011年、この年も皆さまの上に、主の導きが豊かにありますようお祈りします。
 さて、今回、神さまの不思議な導きにより、世界的に有名なチェリスト、ヴラダン・コチ氏をお招きして、標記のチャリティ・チェロコンサートを開催することになりました。
 ヴラダン・コチ氏は「プラハ室内オペラ」の首席チェリストとして活躍中、当時の社会主義国チェコ・スロバキヤ政府の徴兵に反対したために投獄されました。そこでアムネスティは彼を「良心の囚人」と認め、世界中の会員から釈放を求める手紙が送られ、89年のチェコ民主化運動「ビロード革命」で釈放されます。現在、プラハ音楽院のチェロ・室内音楽教授。同世代のチェコのチェロ奏者として最も傑出し、活躍されている一人です。
 今回、アムネスティ・インターナショナル日本の設立50周年の記念コンサートの奏者として招かれ、全国各地のホールで演奏活動をされます。そのような多忙なスケジュールの中、私どもの教会でもコンサートをしてくださることになり、今回のチャリティ・コンサートの開催となりました。コチ氏ご自身から、当時の貴重な体験をお話しくださるとのことです。
 一人でも多くの方々と素晴らしい演奏とお話を分かち合いたいと願い、ここにご案内いたします。なにぶん狭い会堂です。先着150名とさせていただきます。お早目のお申し込みをお勧めします。
 なお、今回の開催の経過やヴラダン・コチ氏のこと、アムネスティのことについては、当ブログの「牧師室だより」(毎週の週報に掲載)の1月16日、23日、30日の文章をお読みいただくと少しは参考になるかと思います。
主の祝福を祈ります。

チャリティ・チェロコンサートのご案内

2011-03-03 16:19:13 | 教会行事
今回、5月1日(日)(午後3時30分開演)に
当教会でヴラダン・コチ チャリティ・チェロコンサートを
開催します。入場無料、ただし入場整理券を
お申込みください。先着150名です。
当日、献金のお願いをしますが、その献金はすべて
(社)アムネスティインターナショナル日本に寄付します。
開催の経過やヴラダン・コチ氏のこと、アムネスティのことなどは
当ブログの「牧師室だより」の1月16日、23日、30日の文章を
お読みください。
お待ちしています。

夢を解くヨセフ

2011-03-03 15:33:03 | 説教要旨

(先週の説教要旨) 2011年2月27日 主日礼拝宣教  杉野省治牧師

 「夢を解くヨセフ」 創世記41章1-16節

 ヨセフの新たな夢解きの物語は、40章から始まる。この2章にわたるヨセフの夢解きは、監獄生活から始まり、エジプトの全国の宰相にまで引き上げられる結果に終わる。しかし、この夢解きの物語は、ヨセフを称えるものではない。ヨセフの口から「解き明かしは神がなさることではありませんか」(40:8,41:16)と語られているように、イスラエルの神が飢饉に襲われた世界各地の人々の救い主であることを示すものとしてある。

 神は、飢饉から人々を救うという祝福のために、実は、周到な準備を十数年前からなさっていたのである。13年前、神は、当時17歳であったヨセフを主の器として選ばれた。しかしヨセフは鉄の枷にはめられ、奴隷としてエジプトに無理やりに運ばれた。その後、ヨセフはエジプトのポティファルに仕える。主が共におられたので、彼はうまく事を運んでいた。しかしヨセフはつかの間の幸せをつかんだと思っていたのに、主人ポティファルの妻の偽りの訴えによって地下の監獄へ投げ込まれた(39:1-23)。

 しかし、神は、ヨセフにエジプト王の給仕役と料理役、そしてエジプトの王ファラオの夢を解く能力を与えた。その結果、ファラオは、ヨセフをその国で王に次ぐ地位に就かせた。そのことを通して、神は、世界各地の人々と祝福の源であるヤコブの一族を救われるのである。

 ついに、今までひそかに人間の思いを超えて進んできた神の御業が明らかとなっていく。しかし、ここに至るまで、ヨセフにとってはつらい、暗闇と絶望の中でじっと耐えねばならない13年間(41:46)だった。兄たちから殺されそうになったり、無実の罪によって投獄されたりした。若きヨセフは13年間にわたって、この暗闇の試みの時に置かれたのである(40:15)。

 詩編105編には「主はこの地に飢饉を呼び、パンの備えをことごとく絶やされたが、あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。主は、人々が彼を卑しめて足枷をはめ、首に鉄の枷をはめることを許された主の仰せが彼を火で練り清め、御言葉が実現するときまで」(詩編105:16-19)と表現されている。ヨセフは諸国民の救いの器として、練り清められた謙虚な者とされたのである。神は、私たちが苦しむとき、共に居てくださり、その苦しみを超えて私たちを炉で練り清められた金銀のように輝くものとしてくださるのである。ここに希望がある。

 私たちは、信仰の歩みをする中で、「なぜこのようなことが自分に起こるのだろうか?」と深い疑念に陥ることがある。また、いくら考えても納得できない苦しみに襲われることもある。その不条理なことに、神は十字架のイエス・キリストを通して私たちにはっきりと示されたように、共に苦しんでいてくださるのである。そして、その苦しみを超えて、私たちは練り清められたものへと神に招かれていくのである。人々に救いをもたらす祝福の器として、御言葉を担うことができる謙虚な信仰者として成長へと招かれているのである(へブル12:1-12)。神は、新しい豊かな希望の人生をあなたに約束なさっておられる。