牧師室だより 2013年1月27日 時間は目薬
誰でも「死」が避けられないように、「時間」も誰に対しても平等です。だから、あとは「時間」をどう使うか、また「時間」にどう対応するかで、その人の生き方、人生が決まると言ってもいいでしょう。
物事はすべて時間のなかで推移します。そのなかで、いろいろなことが起こります。慎重に見据えるとか、注意深く見守るなどと言った言葉がありますが、それこそ時間の推移に任せてみようとする態度です。物事にはいくらジタバタしたところで、どうにもならないことがあるものです。
とはいえ、先のことが心配で不安に駆られ、やたらと手を回したり、動き回ったりして、かえって事態を複雑にしたり、悪化させることがあるものです。とくに抑うつ的な状態にあるときは、いろいろな心配事が頭の中を駆け巡り、それを早くなんとかしようと、電話をかけたり、手紙を書いたり、相談相手がすぐ応じてくれないと不安が高じたりするものです。待つことができません。
世の中には焦ってもどうしようもないことがあるものです。そんな時はしばらく我慢してじっとしているほうがよいのです。特に感情絡みの問題がある場合には、焦れば焦るほど問題解決が遠のきます。
人間の世界で起こる物事は、多くの場合、石や岩と違って、いつまでもそのままということがありません。なにごとであれ、事態は変化するものです。「時間が解決してくれる」と俗に言いますが、ひとつの真理です。
「時間は目薬」と言います。時間が物事を収束させる力を持っているからです。事態の変化を時間の中でじっと見据えていく冷静さが必要となることがたくさんあるものです。時には、年単位という長い時間がかかることがあるかもしれません。しかし時間は止まることがありません。焦っても、ひたすら待っても、時間は同じように過ぎていきます。その時間を待つ成熟性が時には求められます。