平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

平和のつくりかた

2016-05-30 17:27:28 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年5月29日 平和のつくりかた

 5月8日のこの欄に、『平和のつくりかた』というブックレットを紹介した。日本バプテスト連盟の「平和宣言推進プロジェクト」から発行された、大変やさしく書かれたもので、内容的にも深いものがある。子どもたちとも読み合い分かち合ってほしい。

 教会に10部ほど連盟から送られてきたので、会堂の後ろに置いておくので、読みたい方はどうぞお持ちください。100円のカンパをいただければ連盟へ送金します。追加を要望したら、増刷したので来月には届けるということである。

 本の題が「平和のつくりかた」。日本語としてこなれない言い方であるが、ストレートで面白い。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」(口語訳マタイ5章9節)からの連想であろうか。あるいは『戦争のつくりかた』(りぼん・ぷろじぇくと制作)という絵本が2004年に出版され好評であるが、それをまねたのかもしれない。

 絵本『戦争のつくりかた』は、決して空想にもとづく作り話ではない。2003年と2004年に相次いで成立した有事関連法をはじめ、すでに施行されている法律や政令、審査中の法案、国会答弁の内容などをひとつひとつ丹念に読み解いた上でつむいだ「日本のひとつの未来像」を示している。その際、素人の曲解がないか、法律家の冷静で厳しい目を通してもらうことにも心を配った、と制作者は語っている。

 アニメーション映像も作られており、昨年の11月の連盟総会で視聴した。残念ながらこの本やアニメーションで予言された未来は、12年たった今、着実に現実となりつつある。私たちに残された時間はもうあまりない。それでも、まだ道は残されている。私たちが気づき、変えていくことの出来る未来がきっとある。今こそ「平和をつくり出す」働きが求められている。『平和のつくりかた』は参考になるだろう。

炊き出しから思うこと

2016-05-24 12:16:42 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年5月22日 炊き出しから思うこと

 教会の中庭でホームレス支援のための炊き出しを始めて丸4年になります。今まで多くの教会や支援者たちの理解と協力をいただいて続けてくることができました。感謝です。月一回ですが楽しみにして来られています。会食者は10~18名といったところでしょうか。

 当日はテーブルやイスの出し入れ、調理の手伝いなど、みんな積極的かつ自主的にしてくださるので、私はただ座っておしゃべりしているだけです。時に相談事もありますが、一緒に食べるだけです。そんなゆるやかなつながりですが大事にしたいと思います。

 高齢者の居場所づくりを、と始めた「サロン虹」の活動もメインは食事です。一緒に食べる。それが楽しいのです。イエス様も度々弟子たちや時には会衆(罪人と言われていた人たちや貧しい人々、異邦人たち)と食事をされました。それは神の国が一緒に飯を食うことから始まることを端的に示しています。

 前にも紹介した韓国の詩人、金芝河の詩。彼は、60年代の民主化闘争(朴独裁政権批判)により、獄中につながれました。しかし、韓国の「民衆神学」に強い影響を与えました。もう一度味わってみましょう。

 飯が天です
 天を独りでは支えられぬように
 飯はたがいに分かち合って食べるもの
 飯が天です
 天の星を共に見るように
 飯はみんなで一緒に食べるもの
 飯が天です
 飯が口に入るとき
 天を身体に迎えます
 飯が天です
 ああ 飯は
 みんながたがいに分かち食べるもの

 私たちの教会でも毎週、礼拝後昼食会をします。愛餐会と呼んでいる教会もあります。なぜ大切にして行っているのでしょう。それは飯が天だからです。神の国のこの地上での先取り、ひな形だからです。主の晩餐の原型です。神の国の宣教を担う教会にとって宣教の原点を示しているのです。どの食事会も同じように大切にしたいと思います。

熊本地震支援について

2016-05-16 10:17:17 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年5月15日 熊本地震支援について

 4月14日前震(震度7)、16日本震(震度7)、1ヶ月たっても続く余震。その間、度々の豪雨と強風。復旧、復興の意欲をそぐ状況。そのような情報を聞くたびに心痛める思いである。

 先週行われた全国地方連合連絡協議会に出席して、南九州連合の方から聞いた話だが、熊本の人たちは、漠然とではあるが(心理的なもの)、阿蘇山の爆発、川内原子力発電所の事故の不安を持っているそうです。確かに科学的には確率の小さなことではあるが、そういう精神状況になっているとのことであった。そこに住んでいる者でないとわからない感覚であろう。

 祈りつつ、できる支援をしていきたいと思います。その支援だが、現地の状況は刻々と変わっていくので、被災者の思いとニーズに合わせて支援していくことが求められます。南九州連合の支援窓口のM先生から次のようなメールが届いています。「この度は、震災に見舞われた熊本を憶え、多くの祈りと支援を感謝します。震災から2週間が経ち、被災地の状況は緊急支援から次の段階へ移っています。まだ物資の支援を必要としている場所もありますが、南九州地方連合内の諸教会では現段階においては物資の支援は必要としていない状況です。現地の教会はこの2週間ノンストップで動いてきました。その中でまだ地震は続いています。今は心身ともに疲労困憊の状態です。これから南九州地方連合の教会に対する支援をお考えの方にお願いです。支援に関する問い合わせや支援の予定については、先日もお願いしたように南九州地方連合の窓口であるMの方にお願いできないでしょうか。現地の教会は問い合わせを受けることにも疲れ、ストレスを感じている状況もあるようです。そういったストレス軽減のためにも窓口を設けましたので、ご活用いただければ感謝です」。

 教会では被災地支援募金を始めました。第一次締め切り5月末。協力をお願いします。復興には長期間かかると言われています。忘れず、祈り続け、支援をしていきたいと思います。

平和をつくり出すのは対話

2016-05-09 16:06:19 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年5月8日 平和をつくり出すのは対話

 今まで何度も平和をつくり出すには「対話」が欠かせない大切なものだとこの欄でも書いてきた。以前、ある集会で吉高叶先生(日本バプテスト連盟常務理事)が、平和を構築していくには「対話力」が必須だと語られた。そして憲法9条に関連して、紛争の解決を武力でもってしないのだから、私たちには対話の道しか残されていないのだ、とも言われた(2014年2月16日)。

 その大切な対話を難しくしてしまうものとして、渡辺祐子先生(明治学院大学教授)はあるシンポジウムで、相手にレッテルを貼ることだと言われる。それは、対話どころか存在そのものを排除しようとすると指摘された。さらにレッテル貼りに人間観の貧しさと同時に硬直性を感じるという。その「精神のこわばり」(精神科医・野田正彰氏)を持っている人は、自分と異なる見解を持つ人、出自の違う人、宗教的背景が異なる人との間に対話が生まれる可能性が極めて低い、と言われた。対話の回路を自ら断ってしまうことになるからである(2014年3月2日)。

 また、加藤誠先生(大井バプテスト教会牧師)はある集会で、日本の社会全体の「対話力」が落ちている。自分の関心や世界に閉じこもり、「異見」を許容できない社会になり、一人ひとりの「孤立」が深まっている、と指摘された(2014年2月16日)。

 今回、日本バプテスト連盟の「平和宣言推進プロジェクト」から『平和のつくりかた』という、大変やさしく書かれた冊子は発行された。その中に、「対話は、自分が思っていることを相手に伝え、また相手の思いや考えを聞くことです。そうした対話を通して、お互いを知り合うことができるだけではなく、お互いに変わり、お互いに新たにされることがおこされていきます」とあった(4p)。対話を通して変わり、新たにされる。私たちは、「変わる、新たにされる」ことを恐れている「精神のこわばり」に陥っているのではないか、と思わされた。「対話」の努力、「対話」を培う教育・訓練をしてこなかったツケは大きい。今からでも遅くはない、対話をはじめるしかない、と思わされた5月3日憲法記念日であった。

春が来たと思ったら・・・

2016-05-03 06:58:17 | 牧師室だより

牧師室だより 2016年5月1日 春が来たと思ったら・・・

 この4月、K教会からM教会に転任されたH先生から、近況のお葉書をいただいた。書き出しに「♪春が来た♪」とあった。しかし、春が来たと思ったら、もう5月。「♪夏も近づき八十八夜♪」の季節である。

 そのように月日の経つのは早いもので、4月の初め、花見の話題で盛り上がっているうちに、ゆっくり花見をする機会を今年も逸し、今は葉桜。そうこうするうちに、14日、突然の「熊本地震」。被災地の方、特に熊本・大分の教会・伝道所のことが気がかりで情報を集める。祈りつつ支援募金を始める。

 4月を振り返ってみた。12日に連盟の「全国連合会長協議会」の打ち合わせでS教会へ(今回、神奈川が司会ということで)。はじめてS教会を訪問。S教会の会堂は平塚教会と同じボォーリス社の設計でよく似ている。幼稚園を併設していて敷地も広いところも同じ(2年前閉園)。

 21日、月一回の炊き出しも終わり、やれやれと仕事をしていたら、夕方突然(いつものことだが)シェルター利用の依頼。あわただしく受け入れ準備。利用者は26日まで滞在。その間、24日連合総会。準備に追われた1ケ月だったが、活発な質問・意見も出て、神奈川連合の元気な様子が見て取れて感謝。

 そして、なんとその総会の最中に教会員のK姉の訃報の一報が携帯に。会長として中座はできず、同席していた教会員に連絡を取ってもらう。夕方、翌日とご遺族と葬儀社との打ち合わせ。28日告別式が感謝のうちに終わる。翌日からゴールデンウィークが始まり、台風の孫たちがやって来て連泊。

 反省と教訓。備えあれば患いなし。天災は完全に防ぎようがない。そこで「防災」ではなく「減災」という考えが生まれた。少しでも被害を減らそうという考えである。備えておくことはないか周囲を今一度見渡す。家具の固定が必要か。もう一つの教訓。仕事は早めに、余裕をもって片づけておく。これがなかなか難しいが心がけていきたい。