平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

自分探しの旅に終止符

2011-10-26 17:51:18 | 説教要旨

(先週の説教要旨) 2011年10月23日 主日礼拝宣教 杉野省治牧師

 「自分探しの旅に終止符」 出エジプト記3章1-12節      
 
 モーセがしゅうとエトロの羊の群れを飼っていた時、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。ここで、モーセは不思議な現象を目撃する。柴が燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセはそこで「道をそれて」(3節)、その不思議な光景を見に行く。実は、神さまがモーセを呼び出すために、この不思議な光景を見せたのである。
 
 モーセは、ヘブライ人でありながらエジプト人として育てられた自分の生い立ちに苦悩していた。そして逃亡した異郷の地ミディアンにあっては寄留者であったモーセは、自分が何者かわからない破れと虚無感を抱えながら自分の世界に閉じこもっていた。神は自分の世界に閉じこもっているモーセをその「道」からそれさせた(3、4節)。「モーセよ、モーセよ」と彼に語りかける神の声によって、彼は本当の自分自身を発見することになるのである。
 
 さらに外からの聖なる神の迫まりは続く。7節以下で神は、モーセに御自分を現わされた。その現わされかたは、民の苦しみを見、叫びを聞き、痛みを知って(7節)、そして降って行き、救い出し、導き上げられる(8節)、という神の姿であり、神が苦しみ、叫ぶ人間のところに出てこられるということだった。つまり、モーセに柴の炎の中から現れた神は、民の痛みを御自分の中に包み込まれる神であり、神と人間の間の深淵を自ら降られることによって埋められて、民のただ中に住まわれ、苦難の中にいる民を救い、自ら民を導かれる神であることを自ら示されたのである。神は、高い所から苦しむ民を見下ろして眺めているお方ではないのである。
 
 神は、このようにしてモーセに自らを現わして、モーセを呼び出し、用いられようとされた。しかし、かつてエジプトで同胞一人も救うこともできなかったモーセは、どうして民全体を救うことができるだろうか、「わたしは何者でしょう」と神に問うた。そこには、モーセのかつての挫折体験によって自分の存在意義を見出せなくなった悲痛な叫びが響いている。
 
 モーセは何とかして辞退しようとするが、神は「わたしは必ずあなたと共にいる」ことを約束して、モーセを手放そうとはされない。神はモーセの弱さも無念さもすべてご存知である。しかも、今度は孤立無援の中で一人戦うのではない。神がモーセと共にいて、モーセを通してイスラエルの民を救出されるのである。

 このような聖なる神の迫まりによって、モーセは「イスラエルの人々をエジプトから連れ出す」(10節)という新たな使命を示された。モーセは、外からの聖なる神の迫まりによって、自分探しの旅に終止符を打つことができ、神のしもべとしてのアイデンティティと自分自身の人生の課題を自覚させられていったのである。
 
 このようにモーセの神からの召命を見ていくと、それは愛の呼びかけであり、自縛からの解放でもあったことがわかる。矛盾だらけの、不合理で不条理と思われることばかりの社会でがんじがらめに縛られ、身動きとれなくなっていることからの解放である。信仰の歩みとは、自分探しの旅に終止符を打つことではないか。なぜなら新しくされた本当の自分自身の姿、本来の生き方が神との出会いの中で、御言葉との出会いの中で示されていくからである。そして新しくされた歩みには必ず「あなたと共にいる」と約束された神が共に歩んでくださるのである。同行二人。神との旅の始まり。

丹沢ホームと私

2011-10-24 12:11:17 | 牧師室だより

牧師室だより 2011年10月23日 丹沢ホームと私

 先日の体育の日(10月10日・月)に教会の人たちと丹沢ホームを訪れ、秋の丹沢の散策を楽しみました。私にとって久しぶりの訪問でした。私は学生時代に世田谷区の経堂バプテスト教会で中村三郎牧師よりバプテスマを受けました。その中村三郎先生が丹沢ホームを始められた中村芳男先生の弟さんで、その縁で経堂教会は毎年のように修養会や夏期学校などで丹沢ホームを利用していました。ですから私にとって楽しい思い出がいっぱいあるところです。

 その後、私が牧師になり、3年前平塚教会に赴任したところ、なんと平塚教会が丹沢ホームと深い縁のあることを知りました。二代目牧師川上直之先生、三代目牧師天野和男先生とも丹沢ホーム出身の先生なのです。

 では丹沢ホームと創設者中村芳男先生の紹介をしましょう。中村芳男先生は戦前からの熱心なキリスト者で、東京の成増で伝道されていました。戦後の混乱期の1947年(昭和22年)、戦災によって家や生活の場を失った人々を見過ごすことができず、そうした人々の生活の場を探していた時に、神奈川県の丹沢の札掛に当時無住になっていた札掛山の家を県の斡旋で求め、「丹沢ホーム」という名称を掲げ、奥さんと共に生活を始められました。

 大人や青年もいましたが、戦災孤児たちも大勢世話をされたのでした。炭焼き、木材の伐採などの山仕事で生計を立てておられましたが、経済的には厳しかったと先生から聞いたことがあります。当時、札掛は電気も電話もなく奥深い山の中の孤立した生活でした。

 その後、1949年に農村伝道を目指し、秦野市で伝道開始。丹沢ホームから山仕事で使っていたトラック(当時はめずらしかった。日本バプテスト連盟からの支援で購入)で出かけ、秦野の町で路傍伝道をされ、その恵みの実が大秦野教会である。中村先生は1951年~58年まで牧会された。その後先生は環境問題、自然保護に取り組み、全国に先駆け丹沢自然保護協会を設立された。その後、全国自然保護連合が誕生し、初代理事長を務められた自然保護運動の先駆者でした。

不思議な光景

2011-10-22 13:47:40 | 
枯れてから1カ月以上たつ。忙しくしていて、種を取り、
かたずけようと思いながらそのままに。
ある日、ポツンと一輪咲いている。生きている。
しばし眺めていると不思議な感覚に襲われてきた。
気持ちの整理もつかないので、花壇の整理もそのままです。

津波のすさまじさ

2011-10-21 11:13:50 | 風景
先日(10月4日~7日)、岩手県大槌町に震災ボランティアに行って来た。
その時、見た釜石港岸壁に乗り上げた大型貨物船。近づいて見上げた時、
巨大な鉄の塊に圧倒された。改めて津波のすさまじい破壊力に言葉を失った。
その大型貨物船が7か月ぶりに海に戻されたという記事が昨日の朝日新聞夕刊に載っていた。記事によると全長約100m、4724トンの大型貨物船(アジアシンフォニー)。貨物船は停泊中に津波に遭い、船首が防潮堤を突き破って脇の道路まではみ出した。
これがその様子。

熱く語る樋口健二氏

2011-10-18 13:21:26 | サポーティングハウスひだまり
21011年10月15日(土)14時~16時30分 ひらつか市民活動センター会議室
樋口健二氏講演会「被爆労働者の実態を語る」
熱心な参加者を前に熱く語る樋口氏。
「事実から真実を語る写真を撮り続けた」と樋口氏。
闇から闇へと消される原発被曝労働者を40年にわたって撮り続けた
樋口氏の貴重な体験を聞く。決して表には出てこない闇の世界だと言う。

平塚バプテスト教会信仰告白(試案) 3 イエス・キリスト

2011-10-18 11:59:40 | 牧師室だより

牧師室だより 2011年10月16日 平塚バプテスト教会信仰告白(試案) 3 イエス・キリスト

私たちは、イエス・キリストは、神の子として、み旨に従って人となられ、神の国の福音を宣べ伝え、すべての人間の罪の贖いと救いのために、十字架につけられ、3日目に死よりよみがえられ、それによって、罪と死を克服し、私たちの主となられた、と信じます。

 「2 神」のところで、「私たちの信仰は、単純に、イエス・キリストのみを信じる信仰です。まず、イエス・キリストが真の神である、と告白されねばなりません」と書きましたが、そのイエス・キリストとはどのようなお方であるか、そして、私たち人間にどのように関わって下さったのかを短く告白したのが上記のものである。

 父なる神を啓示し、人間に対して真の神として出会われるキリストは、子なる神です。キリストが子なる神といわれるのは、キリストが父のみ心に従うことによってです。子の従順は、十字架と復活を頂点とするキリストの生涯に示されています。そして、この生涯の歴史で起こったことは、罪人の救いです。

 最も高きにおられた方(罪なき方)が最も低き(この罪深い世)に下って来て下さいました。それによって、罪の深みの根本状況が克服されるためです。罪なき方が本来罪人である者が架かるべき十字架に架かり、贖いとなられたことです。

 そして、最も深い深み(死の世界)に下られた方が、神によって、最も高きに挙げられました(死への勝利、復活)。それによって、キリストが教会の主、さらに全世界の主と告白されるためであります。

 このように告白した私たちは、キリストにあってはじめて、失われていた人間性を回復し、また積極的に神と人とに仕えていく真の人生を打ち立てていくことが出来るのです。

 <余録>「キリスト」というのは「救い主」という意味を持つギリシア語で、へブル語で「メシア」と言います。そして「メシア」は「油注がれた者」が原意です。なぜ、油注がれた者がメシアなのでしょう。民を導く王や大祭司の任職式、就任式で、油が裾まで流れる如く、すべての民に恩恵が及ぶというところから来たようです。ですから、イエス・キリストと呼ぶことは「イエスは救い主」と信仰告白していることになります。