平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

人生の意味の発見

2011-03-07 06:41:34 | 牧師室だより

牧師室だより 2011年3月6日 人生の意味の発見

 「人生に意味なんかあるのか」と、ある人は言います。しかし、有名な『夜と霧』を書いたビクトル・フランクルは「人は意味なくして生きることはできない」と言います。皆さんはどう思われますか。「そんなこと考えたこともない」でしょうか、はたまた「難しくてわかんない」でしょうか。

 フランクルは、人は生きるために意味を求めると言います。なにをするにも意味なくしては空しい気持ちが付きまといます。しかし彼は、自分の方から置かれた状況に向かって、いったいどのような意味があるのかと問いかけても、意味を発見することはないと言います。意味を発見するには、状況そのものが問いかけてくる声に耳を傾けなくてはならないと言うのです。状況そのものが主人公であって、その状態が語りかける声にじっと耳を傾けるのです。そうすると、そこを生き抜くための意味が見えるのです。

 しかし、私たちは一喜一憂という言葉があるように、ともすると「状況(出来事)」に舞い上がったり、落ち込んだりして、状況に振り回されてしまいやすいものです。どうすればいいのでしょうか。

 聖書に「軛(くびき)を負わされたなら/黙して、独り座っているがよい」(哀歌3:28)とあります。辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛(くびき)そのものが語る声に聞けと勧めています。私は、それは神の沈黙を聴くことと同じで難しいことだけれど、聞く意義はあると思います。

 そして、もし問題を抱えて辛い思いをするなら、その時こそ、新しい意味があることを発見していただきたい。そこから生きる勇気が出てくるに違いありません。

*ビクトル・フランクル(1905~1998)オーストリアの精神科医。ユダヤ人強制収容所での過酷な体験をもとに『夜と霧』を書き、そのなかで人は意味への意志を持つことを主張。
(この文章は賀来周一『気持ち整理&生き方発見』(キリスト教視聴覚センター発行 2004)の23~24頁「どのような経験にも意味がある」を参考にしました)