平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

和解とは?

2011-03-31 11:01:02 | 説教要旨

(先週の説教要旨) 2011年3月27日 主日礼拝宣教  杉野省治牧師

 「和解とは?」 創世記45章1-15節
       
 和解とは何でしょうか?辞書で調べると、「対立して争っていたものが、仲直りすること」とある。

 今朝の聖書の箇所は、ヨセフと兄弟たちとの和解の物語である。ヨセフは自分が兄たちによってエジプトへ売られたのは、神が、神の民であり、「祝福の源」(12:2)であるヤコブ一族の命を救うため(45:5)であった、これは兄たちの仕業ではなく神ご自身の御手の働きだと言い、兄たちと和解する。このヨセフの言葉は、信仰の本質を見事に現わしている。

 ヨセフはなぜ兄たちを赦せたのか?ヨセフはなぜ兄たちと和解できたのか?それはヨセフが赦したからではない。神が赦されたからである。神が愛をもって執り成してくださっていたからである。そのことにヨセフは信仰によって気づかされたのである。だから和解できたのである。そこに神の愛がある。

 それは私たちが歴史を通して働く神を信じる、ということである。一切の出来事を究極的には神が支配なさっているものとして信じることである。すなわち、他人が私たちにした呪い、非難、裏切り、その他さまざまな悪意も、そして、逆に、私たちが他人にした呪い、非難、裏切り、その他さまざまな悪意も、その背後には私たちの弱さや愚かさ、罪深さを超えて、神の愛の御手が働いていることを信じることである。気づかされていくことである。そこに罪の告白もなされていく。

 私たちに起きた一つひとつの出来事、人の目には悲惨な出来事であっても、神の御言葉を聞き続けることが大事。神は私たちの命を救うことを望んでおられる。「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです」とヨセフは告白する。神は私たちの命を救うことを望んでおられるのである。

 神の恵みは十分、足りている。だから、たとえ、今の状況が私の目には、呪いであり、暗闇であろうとも、神の恵みを信じて、生きてゆける。愛の神が究極的にはすべてを益とされ、命の救いにしてくださる。苦難と逆境の時は、神に心の底から祈りながら、喜びと順境の時は神を賛美しながら主の手にすがってゆけるのである。今日私たちがこの地、この場所に立たされているのは、神が私たちをここに遣わされたからだ、と前向きに受け取ることができる。神を信じるということは、神のなされることはすべてよし、として、呪いも苦難も喜びも悲しみも一切の出来事を受けとめつつ、隣人との間に神の和解を実現することである。愛の神の御心は、あなたとあなたの家族、隣人の命を救い、「大いなる救いに至らせる」(7節)ことなのだから。

 主イエスの十字架の愛は、自分と同じく、他人や隣人にも注がれているのだから、他人や隣人と和解してゆこう、私の人生は恵みの人生、恩寵あふれる人生なのだから、と新しい確信に立つことができる。今レント(受難節)の時。主イエスの十字架の赦しと復活の希望に生きていこう。