平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

平塚湘南七夕の準備

2015-06-29 07:46:52 | 平塚案内
湘南平塚最大のイベント「七夕」がいよいよ始まる。
7月3日(金)~5日(日)
祭りの準備も進んでいる。明日、明後日と一気に街は七夕モードになるだろう。
一度は見に来るのもいいけど、それ以上ではないな。
子どもは単純に楽しみだろうし、若者は騒ぎたいだけだろうし。
商店街は儲けたいだろうし、駅前以外のところは意外と白けてるところが面白い。

ホルモン力?

2015-06-29 07:23:10 | 牧師室だより

牧師室だより 2015年6月28日 ホルモン力?

 先々週に、幸福度を上げる話を書いた。今週は「ホルモン力」を高めて快適な生活を、である。朝日新聞土曜版(6月13日)によると、46歳で乳がんを経験したタレントの山田邦子さんは、「ホルモン力」に注意した生活で体調を取り戻した、とあった。

 「ホルモン力」とは、心身ともリラックスして、楽しいと感じているときに、いいホルモンがたくさん分泌されるという考え方だそうです。「ホルモン焼きを食べて、元気になろう」という次元の話ではないらしい。

 慶応大医学部の伊藤裕教授によると、ホルモン力を高めるキーワードは「楽食、楽動、楽眠、楽話」だ。「快食、快眠、快便」は健康のバロメーターと聞いたことはあるが「楽食、……」とは、聞きなれない造語である。「ホルモン力」をつける生活術としての4つの「楽」とは何か。

 まず「楽食」とは、空腹を感じる、わくわくして食べる、規則正しく食べる、夜中は食べないなど。特段目新しいことはないが、空腹を感じるにはやはり体を動かさないといけない。そこで「楽動」。運動で血の巡りをよくする、毎日30分ぐらい歩く、ぬるめのお湯につかるなど、血行を良くするのがポイントである。

 三つ目の「楽眠」。同じ時間に寝て起きる、暗くして寝る、昼寝をするなど。早寝早起き、朝日を浴びる、は私の健康法。最近は昼寝を取り入れた。昼寝の効果は抜群らしいと聞いたからだ。最近、学校や企業なども「お昼寝タイム」を取り入れているところが増えているという。

 最後に「楽話」。なるべく多くの人と握手をする、愚痴を思いっきり言ってみる、ペットをかわいがる、三日坊主を恐れず何でも挑戦するなど。ポイントは「誰かとともに生きている」という実感を持つこと。するとオキシトシンと呼ばれる愛情をつかさどるホルモンが脳の下垂体から分泌される、という。神と隣人と共に生き、愛する。

いやしてくださるキリスト

2015-06-27 11:30:05 | 説教要旨

(先週の説教要旨) 2015年6月21日 伝道礼拝宣教 杉野省治牧師

 「いやしてくださるキリスト」 ヨハネによる福音書5章1-9節
            
 主イエスはその地上のお働きの中で多くの病人を癒された。今日のみ言葉の中にも38年間病気であった人が癒されたと記されている。主イエスが癒しをなさったのには、どういう意味が込められていたのだろうか。

 エルサレムの「羊の門」の傍らに「ベトザタ」という名の池があった。「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(3節)と記されている。その人々の中に38年も病気で苦しんでいた人がいた。その人自身の言葉によると、そんなに長くそこにいたのは「水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいない」からである。

 38年間病気であった人は水に入ることができなかった。しかし、彼は池の水ではなく、主イエスの出会いの中で癒されている。「イエスは、その人が横たわっているのを見た」(6節)とある。そして「もう長い間病気であるのを知って」と記されている。そして「『良くなりたいか』と言われた」というのである。主イエスはこの人を「見て」「知って」「言われました」。向こうからの出会いがあり、語りかけられた。そこから癒しが起こった。水ではなかった。

 病人自身は健康になることをもうすっかり諦めていたかもしれない。「わたしを池の中に入れてくれる人がいない」のである。それはこの人自身の病気の問題だけでなく、この人の周囲、世の中の問題でもある。周囲の人の無関心や愛の限界を表しているだろう。私たちも他者に対し、あるいは家族の中でも、配慮することに疲れ、諦めを抱くことがないわけではない。人間の病はその人個人の問題というだけでなく、人間関係の表現でもある。個人が健やかになることと、その人の人間関係が直されることとは結びついている。個人の救いと社会の救いを完全に切り離すことはできない。しかし周囲の無関心の中にあっても、主イエスの眼差しが向けられ、主の配慮がこの人を支え、主の語りかけがこの人を立ち上がらせた。

 私たちは今日、礼拝に呼び集められた。病気を抱えながら、この場におられる方もいると思う。私たちの生は、病を抱えた生でもある。また死は避けがたいのであって、私たちの生は死を含んだ生である。病と関係なく、また死を除外して生を生きているのではない。病を持ち、死を含んだ生を生きている。しかしその生の中で、私たちは、病と死を抱えながら、主イエス・キリストとの交わりに生かされている。主イエスとの交わりに生かされていることで、病と死はもはやどうにもならない恐怖の原因ではなくなっている。主が共にいてくださることで私たちの病も死も変えられた。それが癒されているということはないだろうか。新しい一週間も、主イエスを私たちの主と告白して、主イエスとの交わりに生かされ続けたいと思う。

ちょっと待って、その回答

2015-06-22 14:24:59 | 牧師室だより

牧師室だより 2015年6月21日 ちょっと待って、その回答

 思わず「ちょっと待って、その回答!」と叫んでしまった。私の愛読する朝日新聞の土曜版の身の上相談の回答欄。回答者は評論家の岡田斗司夫氏。相談は19歳の女性から「罪悪感のなさに悩みます」。

 回答者は冒頭から「日本人の大半は特定の宗教を信じていません。年末にはクリスマス、年始の初詣。家族が死んだらお坊さんを呼んで葬式をあげて、結婚式は教会。こんな無節操な私たちとは違い、世界の大多数の人たちは宗教を、つまり神様を信じています。」と回答のキーワードに「宗教」を持ち出した。

 多神論の日本人が「無節操」かどうかは異論のあるところだが、大筋書いてあることは事実だろう。次がいけない。「神様のせいで人類は悲惨な戦争を何度も経験しました。」ちょっと待ってである。なに、戦争は神様のせいだと。この人、何もわかってない。戦争は人間の罪のせいでしょう。戦争は人間の欲望のぶつかり合いでしょうが…。神様のせいなんかにするな!

 「いまもなお、宗教の対立で中東では紛争が絶えませんし、インドでは身分差別が当たり前です。」岡田さん、こんなこと書いていたら、世界中から笑われますよ。紛争も身分差別もみんな人間がつくりだしたものですよ。宗教や神、仏のせいにしないでね。神様、怒っちゃうよ。

 「しかし、神様を信じることにはメリットもあります。『道徳的になれる』というメリットです。」この人、どこまで宗教オンチなの。神様を都合のいいように利用するのは「信仰」と違う。

 さらに「神を信じてる人たちなら、あなたのような悩み方はしません」ときた。皆さん、そう思いますか?信仰してても「罪悪感のなさに悩みますよ」、岡田さん。

 こういう回答を反面教師という。しっかり学びましょう。宗教とは何か、信仰とは何か、人間とは何か、神とは何か、なぜ戦争が起こるのか、なぜ人は罪に悩むのか。どう生きるのか。聖書はなんといってるか。

キリストは教会の体

2015-06-19 10:38:15 | 説教要旨

(先週の説教要旨) 2015年6月14日 主日礼拝宣教 杉野省治牧師

 「キリストは教会の体」 ヨハネによる福音書2章13-22節            
 
 主イエスは、エルサレムの神殿で犠牲にささげる動物を売る者、両替をする者を鞭打ち、台をひっくり返して追い出された。動物犠牲は定められた神殿儀式であり、捧げる貨幣はユダヤ貨幣に決められていて、外国貨幣は禁じられていた。これに便乗して利をむさぼる商売が成り立っていたのである。激しいほどの行為によって主イエスが求められたのは、神殿とは何かということ。
 
 主イエスが「父の家を商売の家とするな」と言われ、ヨハネが「イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである」(2:21)と解説を加えている。ここから伺えることは、主イエスはご自身の体としての神殿、つまり教会の本来のあり方を損ねるようなことがあってはならないと言われているのである。私たちは、しばしば教会の外側に表れた見かけの美しさや、粗末さ、教会が大きい小さい、時には人々が醸し出す雰囲気などに囚われがち。改めて、宮清めの出来事が、教会はキリストの体であるとの認識を土台としていることを知るなら、キリストは教会から何を排除しようとされるのかを見極めなければならないだろう。

 主イエスが神殿の境内で商売する者たちを縄の鞭をふるって追い出しておられるのを見て、17節「弟子たちは、『あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす』と書いてあるのを思い出した」と書かれている。これは詩編69:10から引用。「神に仕える熱心さがわたしを滅ぼす」という意味。この詩編のみ言葉は、新しい意味を持って、弟子たちに響き、思い出されたのだろう。

 ご自身の父なる神が礼拝される場所で商売する者たちへの怒りは、主の熱心から生まれている。それが結局は主イエスご自身を食い尽くすことになる。主の十字架を招いた。

 真の神殿はそこでは十字架と復活の私の体だと宣言なさるお方がいらっしゃる。ゆえに「霊と真理をもって」礼拝することだけが求められる。旧約の中に、イエス・キリストの言葉の中に、そのことをはっきりと語っている言葉をいくつも見出すことができる。そのような対応を求める宗教は、「私が神のために何をしたか」を問う宗教ではない。そうではなく、「神が私のために何をしてくださったか」、この一点に尽きる。恵みの宗教である。私のために、そして人類のために、十字架にかかってくださった救い主。その救い主を死から甦らされた父なる神、「三日で建て直す」神殿。そのことだけが説かれる。そのような無償の恵みをいただいた者の信仰的な応答のありよう、それが「霊と真理をもって」する礼拝である。そのための場はキリストご自身である。キリストの十字架と復活の希望に生きる礼拝をささげよう。

幸福度を上げるために  

2015-06-16 16:27:12 | 牧師室だより

牧師室だより 2015年6月14日 幸福度を上げるために  

 幸せだと感じることが多いと寿命が延びる。先日、早朝にウトウトしながらラジオを聞いているとそう言っているが聞こえてきた。なになにと聞き耳を立てて聞き始めると……。

 NHKラジオの「健康ライフ」という朝5時30分台の番組。「“幸福度”と寿命」というテーマで、予防医学研究者の石川善樹さんがゲストで話していた。拾い読みならぬ、拾い聞きだが聞き取ったことを紹介してみたい。

 幸せだと感じることが多いと寿命が延びると言われている。だから「幸福度」を上げようとなる。昔は、心がけだとか、考え方を変えればいいと言っていたが、実際はなかなか難しい。そこで最近は、環境や行動を変えることで幸福度を上げることが比較的容易にできると言われるようになった。例えば、ウソでいいから笑ってみる、下ばかり向かないで胸を張って上を見るようにする、ガッツポーズをしてみるとかである。部屋の模様替えをする、化粧や髪形や服装を変えてみる、というのも幸福度を上げることにつながりそうだ。昔、校内暴力で荒れた状況を立て直した学校のスローガンは「環境は人をつくる。その環境は人がつくる」であった。

 さらに驚いたことに国を挙げて幸福度を上げることを提唱している国があるという。英国である。幸福度を上げるために有効な5つのことを勧めている。1、運動をする。脳内に何とかいう成分が分泌して幸せ感が高まるという。2、感謝する。それも手紙とかではなく、面と向かって感謝の言葉を伝えるといい。3、人とつながる。できるだけ多くの人と関係を持つ。そして人のために汗を流す。4、新しいことを学ぶ。確かに学ぶことは成長と視野が広がり、幸福度が上がりそうだ。5、人に与える。「受けるより与えるのが幸いである」と聖書にもある。

 確かにすぐできる、そしてあまりお金がかからない。幸せは不幸に比べて、人から人へと伝わりやすいそうだ。幸せを呼ぶ男ならぬ、幸せを運ぶ人になろう。

 「ひだまり」の近況報告  

2015-06-08 11:32:47 | 牧師室だより

牧師室だより 2015年6月7日 「ひだまり」の近況報告  

 社会的に弱い立場にある人たちへ生活の改善や自立のための支援などを行うことを目的とする「サポーティングハウスひだまり」が代官町のアパートを借りて活動を始めたのが6年前。はじめは手探り状態であったが、皆さんのご協力のおかげで一定の成果を上げることが出来ました。

 居宅設定ができた方は40人を越え、食事会の開催、ひだまり農園の野菜作り・販売、生活相談、追悼集会、講演会など、諸活動も行ってきました。仲間が平塚市でホームレス支援の活動を始めてから13年になります。現在ホームレスの方の数は半数ほどになっています。生活保護を受けた方、亡くなられた方などが主な理由と考えられます。それと連動してシェルターとしての「ひだまり」の利用者もかなり減少しました。今までは利用者からの利用料(多くは生活保護費より)と皆さんからの会費、寄付で運営してきましたが、月5万円の家賃負担が難しくなってきました。そこで活動の拠点であった「ひだまり」の賃貸契約を5月で解約し、今後は当教会の教育館を緊急シェルターとして活用することにしました。

 また、ひだまり農園も中心的に農作業をされていた方がやめることになり、本当に残念ですが7月で閉園することになりました。今までひだまり農園の野菜を楽しみにして購入していただいた方、本当にありがとうございました。

 現在もホームレスに限らず様々な生活相談が寄せられています。ホームレス、DV、依存症、精神障害など家族関係が複雑に関係し解決が難しい問題などの相談が増えてきています。私たちもすべてに対応できるほどの力はありませんが、支援してくださる方のお力と長年の運動のネットワーク、行政との協力関係など最大限活用して支援していきたいと願っています。生活相談、緊急シェルター、追悼集会、広報活動などはコツコツ続けていきます。今後ともご支援、ご指導をどうぞ宜しくお願いいたします。

続・牧会日誌

2015-06-02 10:19:02 | 牧師室だより

牧師室だより 2015年5月31日 続・牧会日誌

 今回は少し詳しく書くので一週間の前半のみ。

 24日(日)礼拝後、みんなで年に一度の除草作業。一時間弱の作業だったが、ごみ袋10個。お腹ペコペコで昼食会。今日は壮年会担当で、いつものレトルトカレー。女性会の野菜サラダと合わせていただく。野菜は「ひだまり農園」の有機野菜。皿洗いを手伝う。その後少し休んで、S兄宅へご飯を持って訪問。玄関で立ち話、近況を聞く。

 25日(月)月曜の朝はいつもの仕事が待っている。ごみ回収、ルンバ君の操作。実はその時、会堂内外の異常がないか点検することにしている。忘れ物、消灯忘れ、雨漏り、庭への不法投棄、窓・ドアの施錠などなど。次に郵便局と信用金庫回り。帰宅してやれやれだが、今日は湘南祈祷会が逗子第一教会である。10時半に車で出発。湘南祈祷会は、湘南地域にある5教会(藤沢、湘南台、港南めぐみ、逗子第一、平塚)の牧師・配偶者が集い、楽しい昼食の交わりと情報交換、そして祈り合う有志の会である。孤立しがちな牧会生活から解放されて、相互に祈り励まし合う大変有意義な会。今までどれだけ助けられたか。夕方帰宅後、久しく礼拝に来られてない教会員に特伝の案内もかねてハガキを出す。

 26日(火)朝から説教の準備。次主日の説教は本多先生だが、その次の説教の準備。まずは聖書精読と黙想と下調べ。これに時間がかかるが、ここで説教の良し悪しが決まる。だからここは「うん、うん」唸りながら産みの苦しみの作業。避けられない。先週、「脳みそが疲れる」と書いたがそのこと。夜は連合の社会部会。19時から湘南台教会で。8月平和集会について協議。10時過ぎ帰宅。

 27日(水)朝の祈祷会後、昼食を食べ訪問に出かける。老人ホームのM兄、特養老のS姉、入院加療中のI姉。訪問は気を使ったり移動するので確かに疲れるが、実は逆に元気をもらったりするから不思議。感謝である。