しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

こういうニュースもある2

2015-04-16 05:44:20 | 主張
三重県四日市に公害資料館が完成したとニュースで伝えていた。

1960年代、日本は高度成長時代に入り

四日市には石油コンビナートが建設され街は大きく発展した。

しかし工場の煙突から排出される亜硫酸ガスがぜんそくを引き起こし

地域住民を苦しめる公害問題となってしまった。

地元の小学校では一日に6回のうがいを呼び掛けて

うち2回は薬を使ったうがいをするように徹底して

ぜんそくの予防に努めた。

今も苦しむぜんそく患者と支援してた語り部の高齢化を危惧して

当時の様子を伝える公害資料館がオープンした。

中日新聞のサイト

現在の中国も同じような状況に悩んでおります。


それに比べたら放射能汚染が心配で避難を続けている

福島の浜通りはどれほど安全なのでしょうか?

置き去りになった猫に被曝の影響は見られません!

いい加減、正しい情報を発信して一日も早い自宅での生活を

始めて欲しいものです。


私が福島支援を止めてしまった一番の理由が

猫のレスキューを続けるボランティアさんの多くが

脱原発を訴えて一匹残らず猫を救い出そうとしている事にある。

汚染地域にはニ度と住民は戻れないと決めつけた考え方が

近隣の住民から歓迎されていないように感じてた。

「にゃんこはうす」の在る南相馬市では南端の小高区を除いて

一時的な避難はしたものの震災前の生活を取り戻そうと頑張っている。

私が通っていた当時は隣の浪江町へは検問があって入れなかったのです。

検問のこちら側と向こう側にどんな違いがあるのだろうか?

当時のブログで何度も書いてきた事です。

はっきり言うと希望があるか無いかでしょう。

空気は繋がっているので国道6号線上に在る警察による検問が

無意味に思えたのです。


あの頃書けなかった事に

避難生活中の家の飼い犬や飼い猫が無事に保護されて

飼い主さんに連絡しても受け取りを拒否した人が存在してた事。

家族同然に暮らしていた猫の無事を喜ぶばかりか

仮設住宅では飼えないからと里親募集をして

日本各地に引き取られていったことは悲しい話です。

無事に救出された猫と一緒に暮らすために

内陸部に仕事と住まいを求めて東電の補償に頼らない生活に

踏み出せたのはごく僅かな人でしょう。

多くの方が原発のせいで人生が滅茶苦茶にされたと

東電を恨む考え方から抜け出せないでいるんだと思う。


私が強く訴えたいのは放射能による犠牲になった住民が一人も出無かったなら

ペットを置き去りにしてはならないというのを教訓にして欲しいのです!

日本各地の公害に苦しんだ街から福島再生のヒントを見つけ出して

前向きに取り組めば自宅に戻れる日はそう遠くないはず。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 仕事にならないざんすw | トップ | 司法が暴走している »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

主張」カテゴリの最新記事