しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

違うだろ~っ?!

2017-07-01 00:10:20 | 主張
福島第一原発の事故の影響で旧東京電力の経営陣の責任を問う裁判が行われている。

被曝の犠牲になった住民は1人もおらず、亡くなった病院の患者とは寝たきりの高齢者であり

医師や病院職員によって置き去りにされたのが事実です。

逃げ遅れた住民がいないか見回った自衛隊により救助されたが

寒い中に身の回りの世話をする職員がいない状態で長時間放置され体調悪化したのが死因です。

災害時にどこかに責任を求めても何の解決にも至らないのではないでしょうか?

遺族が賠償金を受け取るのが目的の争いか?

こういう訴訟の多くは共産党系の弁護団が後押ししてる事が多い。

避難誘導が悪くて児童が犠牲になった大川小学校の教師に責任を求める訴訟も

なんかやりきれなくなってしまうのです。

「津波てんでんこ」で子供の犠牲が0だった釜石市と比べても

新興住宅地の若い親と代々その土地に暮らしてる若い親では格段に違っているものですから。


津波てんでんことは大きな地震の後には津波がやって来る

 周囲に親や大人がいなくても自分一人で高台に避難しろ!と生き延びるための教えです。

 また、子供を助けに自宅に向かう親の2次被害も防いでくれる。

 自分の子供はきっと高台に避難しているはずだと親も高台にある避難場所で子供と再会。

 これぞ、日本人らしい考えだと思います。


私も自腹で参加した福島の置き去り猫の救出活動も決して住民の責任は問わなかったのです。

止むにやまれずペットを置いて避難した事情を知っているからです。

それでも救出したペットを探そうともせず、避難所で受け取りを拒否した飼い主さんには複雑な気持ちになる。

辛い状況にあるのは皆同じなのです。

生きたペットに再会して、一緒に暮らす条件を模索するのが復興ではないのかな?


原発なんて誘致しなければ良かったとか、原発に反対する考えを持ち込んでいたのが共産党系の団体。

自宅に戻れる状況でも避難所暮らしを続けて東電の補償金を求め続ける生活と

半減した町の住民と町の復興に汗する毎日とではどちらが健全な精神状態だろうか?

誰でも分かる事です。

これが被災地の中でも福島独特の事情になっております。
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