助からないはずだったゆうちゃんが、医者になって帰ってきた−。今春から大学院生として神戸大病院小児科で診療する医師市川裕太さん(33)=神戸市灘区=は二十数年前、同じ病院で、重い腎臓病と悪性リンパ腫の両方と闘っていた。当時から市川さんを診る野津寛大・神戸大大学院教授(49)は「命に関わる病気を二つも抱え、絶望的な状況だった」と振り返る。しかし、わらにもすがる思いで投与した未承認薬が両方の病に劇的に効き、それが新しい治療法となって世界中の子どもたちの命を救っている。市川さんを巡る奇跡の物語を紹介する。(田中伸明)


◆先輩患者として

 「その薬、苦いやつやな。先生も飲んでるで」「採血を失敗されたん? そりゃ痛いし怒るわな」

 担当する小児科病棟で、市川さんは入院中の子どもたちに気さくに話しかける。自身と同様、腎臓病を患っている子が多い。医師として診療に打ち込みつつ、気持ちの分かる「お兄さん役」を務め、後輩たちの不安を受け止めている。

「こんなに元気で働けるようになるんですね」。てきぱきと動く市川さんを見て、親たちも笑顔になるという。市川さんは「入院していた頃はめっちゃつらかったけれど、誰かの役に立っているのなら病気になった意味があった」と話す。


◆二重の危機

 市川さんは小学3年の時、治療薬が効かない腎臓病「ステロイド抵抗性ネフローゼ症候群」(SRNS)と診断された。末期の腎不全になり、小6の時に母玲子さん(59)の腎臓の移植を受けたが、再び高濃度のタンパク尿が出た。SRNSが再発したのだ。

 不運は重なる。免疫を抑える薬の影響で「移植後リンパ球増殖症」(PTLD)になった。悪性リンパ腫の一種で、死亡率が高い怖い病気だ。市川さんは咽頭や大腸に多数の腫瘍ができ、出血が止まらなくなった。

 「このままでは、ゆうちゃんが死んでしまう」

 野津さんは、他の病気の治療薬「リツキシマブ」がPTLDに効いたという海外の症例報告を見つけ、上司の飯島一誠助手(65)=当時、前神戸大大学院教授、現兵庫県立こども病院長=に相談した。未承認の薬だったが、他に打つ手はない。飯島さんはこの薬に賭ける決断をした。

 異変は投与の直後から起きた。市川さんの口の中から、何かの組織がぼろぼろと出てきた。「何かまずいことが起きたのかと、正直びびりました」と野津さん。しかし、それははがれ落ちた腫瘍だった。「効くなんてレベルじゃない。完治してしまいました」


◆両方治った!

 「そういえば、腎臓はどうなったやろ」。危機的な状況を脱した市川さんに、野津さんが検査を実施すると、思いがけない結果が出る。尿のタンパクが消え、病状は劇的に改善していた。飯島さんに報告すると、「それはすごい。難治性ネフローゼ症候群の患者に使えるんじゃないか」。全く予想外の効能に、腎グループは色めき立った。

 飯島さんは、当時まだ珍しかった医師主導の治験(臨床試験)を目指すことを決める。手続きは煩雑だったが、期待通りの効能が実証された。2014年、リツキシマブは世界で初めて難治性ネフローゼ症候群の治療薬として承認される。著名な医学雑誌Lancet誌に掲載され、世界中で大きな反響を呼んだ。今やPTLDも含め、特効薬として広く使われている。

 一人の男の子を救った偶然を生かし切ることで、医療は一歩、進化の階段を上った。


◆夢の小児科医に

「自分と同じような病気の子どもたちを笑顔にしたい」。命を救われた市川さんは、医師になる決意をする。3浪の末、兵庫医科大の県費推薦枠に合格。県内の公立病院などで研修を積んだ後、今春に神戸大大学院へ。野津さんの下で、腎臓病の子を診療する夢をかなえた。

 市川さんは腎移植の影響で、免疫抑制剤を生涯、服用する必要がある。感染症のリスクは一般の人より高いが、新型コロナウイルスが感染拡大する中でも子どもたちと向き合ってきた。

 後期研修先の公立病院では、コロナ禍で学校生活のリズムが狂ったのを機に不登校になった子どもたちを診てきた。ストレスの影響で、登校時に腹痛を起こす子もいた。神戸大病院では、家族との面会が制限されて寂しい思いをする子どもたちを慰めている。

 2019年秋、初期研修先の病院で知り合った薬剤師と結婚し、2年後に男児を授かった。普通の生活を送り、元気に働けることの素晴らしさを、家族らとかみしめている。