社会地理学
「場所」に注目する、社会地理学・文化地理学
人文地理学にはさまざまな分野が存在しますが、現在のトレンドのひとつが「場所論」と言えます。場所論は人間と空間とのかかわりを重視した延長にあり、空間の意味や空間が産出する景観について扱っています。1950年代からは「人文主義地理学」と呼ばれる都市やジェンダーを扱う地理学も派生してきました。
そのような動向から都市社会学の近縁として社会地理学が形成され、また、文化人類学に空間概念を併せて文化地理学が形成されていきました。どちらの分野も、現在では「場所」に注目する地理学として展開されています。
昔流行(はや)った、都市の盛り場研究
最近興味があるのが、ボクがサポートしている新宿2丁目のフィールドワーカー(今春、首都大で博士号を取得しました)の研究です。50年近く前、都市地理学の一つの分野として、「ブラインドな地域」(都市の盛り場など)の研究が流行しました。ボクが住んでいる千葉市にも当時、日本有数の売買春街と呼ばれた「栄町(さかえちょう)」※があり、興味はあったのですが、臆病だったので調査は行いませんでした。
※千葉県を代表する風俗街であり、風俗店(ソープランド・店舗型ヘルス・ホテルヘルス・風俗案内所・デリヘル)などが軒を連ねる。アジア系の風俗店や飲食店も集中している。韓国系が多くコリア・タウン色も強い。
戦前に千葉市随一の繁華街であった中央区栄町を中心に、かつては旧千葉駅(現在の千葉市民会館付近)と千葉県庁舎をはじめとする官庁街を結ぶ中間に当たり、付近には旧京成千葉駅(中央公園が駅跡地)もあったことから千葉県庁を結ぶ現・栄町通りがメインストリートとなっていた。
しかし、戦後の都市整備に伴い、両千葉駅が移転したことで新駅周辺に商業集積が移動。バブル期の栄町周辺は、キャバレーや120店舗ほどのソープランド、多数のフィリピンパブがあったことから風俗店が軒を連ねる歓楽街へと変貌した。現在はホテルヘルスやデリヘルの人気から、風俗街としての規模は小さくなりつつある。(千葉市栄町 Wikipediaより)
地理学会でも筑波大の院生がレポート
一昨年の日本地理学会筑波大学大会で筑波大の院生が関東地方の売買春街についてのレポートを発表し、関東地方の売買春街で一番大きいのは土浦駅西側の地域と報告していました。ボクが「どのような背景で成立しているのか」と質問すると「筑波研究学園都市への出張者が利用しているようだ」と答えてくれました。日本全体では大阪市「みなみ」の南にある飛田(とびた)新地※地区と言われています。
※飛田新地
この土地に遊郭ができたのはおよそ100年前のこと。それ以前にあった「難波新地乙部遊郭」がミナミの大火によって全焼したため、1918(大正7)年に、大阪府公認の遊郭として誕生した。
…大阪大空襲の被害を免れた戦後も、関西地区最大の赤線地帯として大いににぎわった。58(昭和33)年に売春防止法が施行され、この商売が非合法なものになって以降もしぶとく生き残ってきたが、この時、飛田新地は各店舗が結束して「飛田新地料理組合」を発足させ、風俗店ではなく”料亭”として営業を続けることにしている。(宝島社「ルポ禁断の日本地図」より)
コビッド19パンデミック前には、海外、特に中国人旅行者の利用客が多かったと言います。
なお、この「住みたい習志野」ブログでも、こんなサイト(Deepランド)が紹介されていました。
これはスゴい!女子大生が大久保をディープに探検 - 住みたい習志野
Deepランド
室町時代に公認された「遊女屋」
日本では、売買春が古くから「産業化」されていました。室町時代には「遊女」は制度化され公認されました。税も徴収されサービス業としての地位を獲得し、遊女屋は宿屋も営んで、女性独立のさきがけとなっていました。その後、遊郭や花街と呼ばれる、一種のテーマパークのような場所ができました。このような遊郭や花街が現在の売買春街の起源となっていることがほとんどです。※
※足利幕府は、12代将軍足利義晴の時、幕府の財政が窮迫し、どこからでも税金をとろうとの方針を立て、「傾城局」という遊女屋を扱う役所を新設し、進んで遊女屋営業の鑑札を与えて税金を取立てた。1人の遊女に年間15貫文の課税であった。(金一勉「遊女・からゆき・慰安婦の系譜」より)
江戸時代の遊女たちの生涯が想像を絶する辛さだった
敗戦後流行した歌謡曲「星の流れに」
この歌、最初は「こんな女に誰がした」というタイトルでしたが、GHQ(アメリカ占領軍)から「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、題名を「星の流れに」と変更して発売されました。
この歌を歌った菊池章子さんは「こんな女に誰がした、の”誰”、それは”戦争”です」と話しておられたそうです。
赤線廃止「ある女性の手記」より
千葉市の栄町は、千葉駅の移転に伴い、駅前繁華街のあとにできた風俗エリアだった
ボクが住む千葉市にあった大きな売買春街の「栄町」も、今ではすっかりさびれて、かつての「ソープランド(トルコ風呂)街」もほとんどが更地となっています。一昨年、千葉駅からの帰り道に栄町を抜けようと通った「ハミングロード」と名づけられたかつてのメインストリートも、めっきり営業している店が減っていました。その中に以前美容院だった場所にチョッと高級そうな焼き鳥店が開店していて、入店してみました。お店をやっているのは、まだ30代の若い店長で、聞いてみると「かつての栄町は知らないので、親に『栄町で店をやって大丈夫か』と心配されました」と教えてくれました。50年ほど前、ボクが高校生の頃には夕方、千葉駅からおじさんの川が栄町に向かって流れていました。その後、AIDS(HIV感染)が問題となると、利用客が激減して、買売春の拠点であったソープランドも多くが廃業しました。40年程前にはコリアンタウンに変貌してコリアンクラブなどが増えていきました。しかし現在では飲食店は減り、街は衰退しています。
この栄町は、国鉄の千葉駅(現・JR東千葉駅)が60年ほど前に現在の位置に移動して、駅前の繁華街が寂れたので、千葉県が旧駅前地区に風俗街を指定して、売買春を産業として誘致したスタイルの新興売買春街でした。
戦争を経て生まれた風俗街!千葉県「栄町」の色街物語を辿ってみた!!
現在でも続いている、飛田新地(大阪)や吉原(浅草)
元遊郭などの歴史ある売買春街は現在でも続いているところ(大阪の飛田新地や東京の吉原など)もあります。
(飛田新地の歴史)
(吉原の歴史)
チョッと横道にそれましたが、大阪市立大学の加藤政洋さんの「大阪」という本を読んで、日本の売買春街についてお勉強しました。
みなさんがお勉強した、「地理」よりも多くのテーマが地理学の対象となっていることに気付いていただけるとうれしいです。世の中のほとんどのことが地理の対象になります。世の中が新しくなっていくと、地理で扱うテーマも増えていきます。場所や空間は常に変容してアップデートされていくので、地理学のトレンドも変化していきます。お楽しみはこれからも続きます。(近)
(編集部より)
今回の論考は、「売買春」をあくまで「地理学」の対象として考察して頂いたものです。女性に多くの苦しみと犠牲を強いる「性の商品化」が決して許されるものでないことは、言うまでもありません。
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