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習志野歴史散歩:袖ヶ浦東小学校のSLは大正生まれのドイツ製

2020-07-03 00:06:54 | 歴史

袖ヶ浦東小学校のSLは大正生まれのドイツ製

袖ヶ浦東小学校の校庭に、一台の小型蒸気機関車が置かれています。以前あった説明板には、つぎのように来歴が書かれていたはずです。

町の皆さん、僕はSL「NUS2」号です。

 僕はドイツ生まれです。大正13年(1924)、ベルリン近郊シュラハテンゼーにあったオーレンシュタイン・ウント・コッペル社の工場で「製造番号10775」として生まれました。日本レールという会社が東京のオットー・ライマース商会を通じて発注したのです。日本に来た僕は、茨城鉄道に勤めることになりました。

 茨城鉄道では「3号機」という名前をもらい、常磐線赤塚駅から御前山までを走っていました。昭和19年(1944)には、茨城から遠く離れた熊本県の鹿本鉄道に貸し出されたこともあります。戦争が終って昭和23年(1948)にまた茨城に戻りましたが、茨城鉄道は既にほかの鉄道会社と統合されて「茨城交通茨城線」と名前が変わっていたため、僕も新たに「茨城交通14号機」と呼ばれるようになりました。

 やがて茨城交通も電車やバスの時代になってしまい、昭和26年(1951)、僕は千葉市の川崎製鉄に引き取られました。この時「NUS2」という今の名前をもらったのです。蘇我駅から製鉄所構内まで、毎日資材の運搬に頑張りました。しかし、それも後輩のディーゼル機関車に役目を譲る日がきました。

 こうして僕は習志野市にもらわれ、皆さんのところで余生を過ごしているわけです。これからもよろしくね!

 

間もなく100歳を迎えるのですね。

川崎製鉄 NUS 2 | 日本にある蒸気機関車

ドイツ、コッペル社が造った値打ちもの

 シュラハテンゼーというのはベルリンの南西、現在はベルリン市シュテーグリッツ=ツェーレンドルフ区にある湖の名前です。

 また、オーレンシュタイン・ウント・コッペル社とは、1876年(明治9)、ベンノ・オーレンシュタインとアルトゥール・コッペルの二人が設立した鉄道車両製造会社です。特に優秀な小型機関車の製造で知られ、「コッペル」はこうした豆機関車の代名詞となっています。1981年には鉄道車両部門から撤退し、現在は建設機械製造などを手がけているそうです。
(下の画像をクリックすると、コッペル社の情報がご覧になれます)

 

 

 

 

日本では、茨城でデビュー

 さて、かつてこの機関車が走っていた茨城鉄道ですが、説明にあるように常磐線の赤塚駅から東茨城郡御前山(現在は城里町)までの16駅、25キロを走っていた鉄道で、昭和2年(1927)に全線開業しています。昭和41年(1966)に石塚・御前山間、続いて昭和46年(1971)には残る区間も廃止となりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E4%BA%A4%E9%80%9A%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%B7%9A

九州、熊本でも走っていた

 次に鹿本鉄道(かもとてつどう)ですが、鹿児島本線植木駅から山鹿駅(現在は山鹿市)まで20キロ、17の駅を結んでいました。戦後は「山鹿温泉鉄道」と改称され、昭和40年(1965)に廃止されています。

鹿本鉄道 | 九州ヘリテージ フィールドノート

 もし茨城や熊本で、この袖ヶ浦東小学校の機関車が引く客車に乗ったことがあるという方がいるとすれば、もはやかなりご高齢でしょうね。

習志野市にドイツ製1台、千葉市に日本製3台のSLがあるんだね

 「鉄は国家なり」。川崎製鉄千葉製鉄所は戦後復興のシンボルでした。その構内の引き込み線を走る機関車として、NUS2号も日本の経済成長を支えました。この時、一緒に川崎製鉄で使われていた小型機関車は、他にも残されています。

NUS5号 千葉公園(千葉市中央区) 川崎車両兵庫工場製

NUS6号 菰池公園(千葉市中央区)   〃

NUS7号 稲岸公園(千葉市稲毛区)   〃

研究家の方によれば製鉄所にはNUS14号まであったそうですが、上の3両は戦後、千葉製鉄所用に川崎車両が作ったもので、ドイツ製ではないそうです。

http://www2.u-netsurf.ne.jp/~tetumiya/kikansyaSL-3.htm
http://yfuruya.html.xdomain.jp/page2-4-13.htm

ただの遊具じゃない、こんな「お宝」が習志野にあるの知らなかった

 こうしてみるとこのNUS2号、習志野の地を走っていたわけではないから、ただの遊具みたいなものだと考えるのは早計ですね。日本の近代史を駆け抜けてきた機関車が、子どもらに囲まれながら余生を送っている。そう思うのは感傷でしょうか。

 放課後、校門から出てきた子どもらに思い切って「この機関車、ドイツ製なんだよ。知ってる?」と話しかけてみましたが、先生からは何も聞かされていないようでした。ちょっともったいないですね。

 昔は、きっとこんな感じで走っていたんでしょうね。

(ニート太公望)


(編集部より)
 習志野市大久保で保管されていた「騎兵連隊の時計」を船橋市が展示、という動画があります

 習志野市には他市のような郷土資料保存施設がないので、お隣の船橋市がこうして習志野市の文化財を保管してくれていることに感謝したいと思います。「文教住宅都市」をかかげる習志野市に、そういう施設がないのは残念ですが…

 「習志野歴史散歩」を読んでから、習志野市が歴史と文化財の宝庫であることに改めて気づかされた方も多いのではないでしょうか?
 船橋市のように、歴史と文化財を「市民の共有財産」として大事にする習志野市になる日が来るといいですね。

<お詫びとお礼>
「このページ、何か変。時計の動画のあと、長~い余白になってまた鹿本鉄道???」というコメントを頂きましたので、訂正させていただきました。ご不便をおかけしたことをお詫び申し上げます。コメントでのご指摘に感謝いたします。

 

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コメント (3)
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