かばん屋の相続 | ||
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読 了 日 | 2013/08/23 | |
著 者 | 池井戸潤 | |
出 版 社 | 文藝春秋 | |
形 態 | 文庫 | |
ページ数 | 290 | |
発 行 日 | 2011/04/10 | |
ISBN | 978-4-16-772805-2 |
者の作品は1年ぶり、16冊目となる。
2011年に「下町ロケット」(僕はまだ未読)で、第145回直木賞を受賞した後、そっちこっちマスコミに引っ張りまわされていたような感じを受けたが、もう落ちついたようだ。しかし、今度は作品が書店の店頭を賑わせている。
「オレたちバブル入行組」、「オレたち花のバブル組」を基にした民法のテレビドラマ(半沢直樹)、その前のNHKの「七つの会議」など続けざまの映像化の影響もあってか、書店は著者の作品が旧作から新作まで、所狭しと並んでいる状態だ。古くからのファンとしてはまことに喜ばしく、同慶の至りである。
江戸川乱歩賞受賞作の「果つる底なき」から、僕は銀行ミステリー、あるいは金融ミステリーの作者として、作品を読み継いできたが、そうしたジャンルにとらわれることなく、池井戸氏は「空飛ぶタイヤ」、「鉄の骨」をはじめとする企業、社会問題にも切り込んだ作品を発表して、次々と新しい読者を獲得してきた。
僕ははるか昔、小さな私企業で経理事務職を務めていたことから、銀行取引にも関わりを持って、特に貸付担当者とは会う機会も多かった。弱小企業の弱みに付け込むような貸付係にぶつかるようなことはなかったが、設定された根抵当権の限度ぎりぎりの中で、運転資金を回していた状況は、決して楽ではなく、頭を下げる機会も多かった。
それでも今考えれば、片田舎の銀行取引はそれほど緊迫した状況もなく、小説に現れるような悲惨な事態に陥ることもなかった。日本が高度経済成長時代に入るずっと以前のことだ。
僕が著者の金融ミステリーに惹かれるのは、自身の経験したことと通ずるところもあり、読んでいて胸の痛くなるような切羽詰った状況と、それを何とか打開しようとする企業側にたった目線で見ようとする行員の活躍だ。銀行と言うどちらかと言えば、外見から受けるイメージとは逆の、閉鎖的な組織の中で顧客側に立つ行員と、経営サイドに立つ上役との争いが描かれることが多い。
手形決済のための当座預金の不足額を埋めるタイムリミットなど、多少なりとも経験した者は、そんな状況を描写するストーリーの展開がフィクションとは思えなくなるのだ。
策が追いつかず倒産したはずの会社経営者を、10年後に偶然見かけた当時の担当者だった行員が、突き止めた真相とは?裕福そうに見える元・経営者に何が起こったのか。(十年目のクリスマス)を始め、少し長めの表題作・かばん屋の相続までいずれも短編ならではの切れ味の鋭い味わいを見せている。
特に此の中では、悲惨な状況を回避して、努力が報いられると言う結末を迎える話もあり、やりきれない思いが癒される。
著者は銀行勤めを退いた後、執筆の傍ら中小企業をはじめとする、企業向けの経営コンサルタント業を行ってきたから、そうした経験も活かされているのではないかと思う。
# | タイトル | 発行月・号 |
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1 | 十年目のクリスマス | 2005年12月号 |
2 | セールストーク | 2006年7月号 |
3 | 手形の行方 | 2006年11月号 |
4 | 芥のごとく | 2007年3月号 |
5 | 妻の元カレ | 2007年12月号 |
6 | かばん屋の相続 | 2008年9月号 |
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