隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1469.藁の楯

2014年05月30日 | 警察小説
藁の楯
読 了 日 2014/05/20
著  者 木内一裕
出 版 社 講談社
形  態 文庫
ページ数 335
発 行 日 2007/10/16
I S B N 978-4-06-275846-8

 

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放のミステリードラマを時々録画しているが、DVDに残す際にはCF部分を編集してカットする。録画機器の方で自動的にカットする機能はあるのだが、近頃は本編とCFの区別ができないことあるので、終わってから手作業で編集をすることになる。面倒な作業だが、見ながらコマーシャル部分を飛ばすのでは気が散るので、どうしても前もってカットしておくのは僕にとって必須の作業だ。
その際によく見られたのが本書を原作とした映画の予告編だった。ここには載せてないが帯の写真同様の俳優・大沢たかお氏が拳銃を構えているところなど、カット(切断)するところだから短いカットしか見られなかったので、過激なストーリーを想像させるシーンにどんな映画か警察ミステリーかな?というくらいの認識だった。
ついこの前という感じだが、映画が公開されてからもう1年以上がたっていることがわかり、僕の体内時計というか体内カレンダーが、次第にその速度を増している感じだ。そんなことを感じている間に、もうその映画が日テレで今日(5月30日)放送されるという番組表を見て、最近はテレビ公開も早くなったものだと、ちょっと驚いている。

 

 

本は少し前に読み終わっているから、今晩放送される映画を録画しておいて、後で昼間に見ようと思う。
録画しておいて昼間見るというのは、夜遅くまで見ていると眠くなるのと、途中で入るコマーシャル・メッセージ(CM)が煩わしいという理由だ。CMは番組提供のスポンサーの広告だと分かってはいるが、あまり関心のない商品の広告を見せられることに、時として降らすとれ^しょんを感じることさえある。
以前会社勤めをしている頃は、そうしたCMで新商品の状況を確認することも、仕事の一つであったこともあるのだが、現役を退いてからはとんと興味が亡くなった。いや、たまには興味を惹かれることもあることはあるのだが、なにしろわずかな年金頼りのつましい生活環境の中では、そうした商品を買うことさえままならないから、自然と広告さえも敬遠したくなるというものだ。

 

 

かし、いくら孫娘を誘拐して殺されたからと言って、その犯人に10億円もの懸賞金をかけるという、破天荒な設定に驚くと同時に彼の怒りのすさまじさに引いてしまう。
作家の描く犯人のキャラクターの憎々しさは、そうした設定でさえ当然のことだと感じさせるほどだが、一方の引退後も国政に隠然たる影響力を及ぼすほどの、元大物政治家にも嫌悪感を覚えてしまうのは、僕が極々平凡な市井人である証拠か。 いつか、NHK・Eテレで放送されている「らららクラシック」という音楽バラエティ番組で、ピアニストで作曲家の加羽沢美濃氏と二人でMCを務めている石田衣良氏が言っていたが、作家は悪人を描くとき、「その人物が講じるいろいろとえげつない手段を考えるのが楽しい」というような意味のことを言っていたことがあった。あ、いや番組が違ったかな、そうだ石田氏がBSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」にゲスト出演した時の話だった。
そういえば、特にミステリーでは優秀な警察官や名探偵を描くと同時に、卑劣きわまる極悪人や、陰惨な殺人を犯す犯人をも描くわけで、ストーリーとしてもその両方がいるから成り立つともいえるのだ。

そうは言うものの、このストーリーでは究極の立場や環境におかれた人間が、どんな行動に出るのかという問題も取り上げて、あるいは問いかけている感じもする。今晩の映画で、それらがどんな映像になっているのか、明日見るのが楽しみだ。

 

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1468.ジャンプ

2014年05月28日 | サスペンス
ジャンプ
読 了 日 2014/05/17
著  者 佐藤正午
出 版 社 光文社
形  態 文庫
ページ数 360
発 行 日 2002/10/20
I S B N 4-334-73386-7

 

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変わらず僕のものぐさは、どこかで紹介された本のタイトルだけしかメモしてないから、どこで誰がどんな風に紹介していたのか、いざこうしてその本を読んだときに、ここでその出典を紹介できないでいる。
その時になって次からはちゃんと書いておこう、などと思うのだがなぜそんな些細なことがいざとなると実行できないのだろう?まったく。
ただ、今度の場合は、本書が紹介されていたわけではなく、著者の「Y」という作品が紹介されていたことが頭にあって、たまたまBOOKOFFの108円の文庫棚で、同じ著者の本書を見てなんとなく読んでみたいと思ったのだ。
初めての作家の場合は、たとえ108円の本であっても、普通は結構買おうか買うまいかと迷うが、今回は誰かの紹介がおもしろそうだったのか、すんなりと読んでみようと思った。書いている内に少し思い出した。
このブログでたびたび登場する、おなじみBSイレブンは「宮崎美子のすずらん本屋堂」で、ゲストの作家(名前は思い出せない)がお薦めの本として佐藤正午著「Y」というタイトルを紹介していたのだった。佐藤正午氏についてはそこここで見て名前だけは知っていたが、どんな作品を書くのは知らなかった。
だが一文字のYというタイトルと佐藤正午氏に興味を持ち、いつか読んでみたいと思ったのだ。

 

 

僕はこのブログで時々ミステリーと銘打たれていない本を読んで、ここに書いている。それでも変なこじつけではなく、僕はすべてミステリーとして読んでいるつもりでいる。一つでも謎があれば、あるいは謎めいたエピソードがあればミステリーだと言ってもいいだろう、そう考えてはいるが中にはいくらそう思おうとしても、全くミステリーと言えない本もある。
そんなときは僕がミステリー以外の本を読むことに対する心のミステリーと言ったこじつけを考える。何もそんなことを考える必要はないのだが、これからもいろいろとたくさんの本を読んでいく中で、そうしたミステリーではない本もいくつか入ってくるだろうときの、ややこしい言い訳を先に書いた。
人によってはミステリーの原型はすでに出切っているという。現在世に出ているミステリーはすべてその変形だというのだが・・・・。
僕はそんなことから、本書も読み方によっては「幻の女」探しの変形パターンではないかという感じがしないでもないが、何より語りが素晴らしい。いやもちろんストーリーの展開も良い。

 

 

かな手がかりを追って、謎の解明に向かっていくと、行く先々で新たな謎が浮き上がってくる。そうしたストーリーは過去にも読んだような気もするが、先述のように語り口の上手さが、そうした展開を見せるたびワクワクさせるのだ。
だが、この物語のすごいところは、なんて書いてしまってはネタ晴らしになりかねない。僕は女性の強さというのか、ドライな考え方と言えばいいのか、とにかく予想外のその結末に首をひねった。
予定調和でないところにこのストーリーの神髄があるのか、そんな感じがしたのだ。作者は意識してそうした図式、例えば弱い男と強い女と言った具合だ、そういうものが狙いだったのか?そんな単純なことかどうかはわからない。しかし、伏線も見事に効いたミステリーだともいえる作品だ。
と言ったようなことで、僕はいつか「Y」という作品も読むことになるだろう、多分。

 

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1467.東京バンドワゴン オール・ユー・ニード・イズ・ラブ

2014年05月26日 | ホームドラマ
東京バンドワゴン
オール・ユー・ニード・イズ・ラブ
読 了 日 2014/05/03
著  者 小路幸也
出 版 社 集英社
形  態 単行本
ページ数 299
発 行 日 2014/04/30
I S B N 978-4-08-771557-6

 

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1回4月末に刊行される人気シリーズの最新刊だ。ドラマになったものは全編DVDに収めてあり、途中まで見たかぎりでは、まずまずの出来ではないかと感じた。いつも言うようにドラマと原作は別の作品として見た方が、精神的にもいいということで、割り切ってみているからか、多少イメージが違っていてもそれほど抵抗感はない。
僕はドラマを見ていて不思議な感じがしたのは、原作を読んでいるときは、堀田家の人物がかなり明確に区別されていて、その違いが判るのだがドラマでは、それがやや不明瞭と感じるのがよく分からないところなのだ。
それに小説の方では、亡くなった堀田サチの柔らかくすべてを包み込むような語りが、心地よくて彼女が実在の人物でないことや、語り手となっていることが、今ではこの物語の絶対条件となっていることとして、重要な要素だと思われるのだ。 残念ながらドラマではその辺のところがちょっと物足りない気もしたが、仕方がないだろう。作者もいつも同じ形態では読者に飽きられると思っての事か?どうかはわからないが、ときに他の人物を語り手としたりすることもある。
でも僕はやはりこの堀田サチの語りが一番好きだ。ドラマでは加賀まりこ氏(彼女を呼ぶ時もこんな呼び方の年代になってしまったのが何か不思議な感じだ。僕の中ではまだ野獣会のコケティッシュな感じのはつらつとしたお嬢さんのイメージが強いのだ)が扮した堀田サチは、その昔ならイメージとしては、さながら京塚昌子さんだったろう。もう彼女を知っている人もそう多くはないだろうが。いや、そんなことはないか。彼女が亡くなったのが1994年だから、それほど昔の事でもないから、まだ多くの人の記憶に残っているはずだ。それにしても享年64歳は若い死だったね。
そのお母さん然としたたたずまいを、このストーリーを読んでいるときに懐かしく思い出す。

 

 

毎回巻末に、“あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビへ”という著者の言葉が記されているが、このストーリーをもとに、先だってのドラマの世に短期間(1クール)でなく、NHKの朝ドラのようにせめて半年くらい続くドラマにしてほしいと思うが。
できればやはりNHKがいいだろう。今は優秀な脚本家も多いから、そのくらいのドラマタイズは可能なのではないか。もっと言えば、このストーリーは1冊が四季に分けて1年を通した物語になっているのだから、昔TBSで放送していたような、「肝っ玉母さん」とか、「ありがとう」、あるいは「女と味噌汁」のように、長丁場のドラマが見たいものだ。
本書のシリーズを読んでいると、著者のいうようにその昔のお茶の間向けのドラマが全盛だった頃、そう、ドラマが全盛というよりはテレビの全盛時代と言った方がいいか。とにかく今のように娯楽が多様化して、インターネットも発達した時代しか知らない人には想像もできない時代、貧乏だったが人のつながりが実感できた時代を懐かしく感じるのだ。

だからと言って僕はその時代に帰りたいと思っているわけではない。こうした良き時代?の懐かしく思える時代の人々の暮らしを彷彿させるドラマを読んで、その雰囲気に浸りたいと思っているだけだ。

 

 

は変わる。つい先だって僕は長年務めた社会福祉法人薄光会の役員を辞任したい旨を、正式に理事長に伝えた後、任期中を振り返ってみて、結局自分は何をしてきたのだろうと、ほんの少し虚しい気分になった。
というのも、その前のワンマン理事長の時代を懐かしく思う気持ちがわいてきて、僕が役員をしてきたことで、何一つよくなったということを見いだせないでいるからだ。僕が実質的にその任を解かれるのはまだ少し先の事だが、多分その後も何も変わらずに時は流れていくのだろう。
ただ、今は10年余り務めて何事もなしえなかったことや、それを虚しいと思う気持ちが早く胸の内から去ってほしいと願うばかりだ。
ところで前回も少し書いたが、僕が辞任を申し出たことで、理事長からは後任の人選について考えるようにとのことだったが、その件について先ほど事務局のK氏に電話したところ、施設長会という会議で監事の人選について議題に上っているということなので、まずは一安心だ。
考えてみると、本当は後任の人選にまで僕が口を出すのは、越権行為ではないかとも思っていたところだったのだ。
息子が入所している施設を運営する法人だから、役員を辞めても全く無縁になることはないが、12月からはしばらくは何も考えずに過ごすことができるだろう。

 

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1466.デビル・イン・ヘブン

2014年05月24日 | サスペンス
デビル・イン・ヘブン
読 了 日 2014/04/28
著  者 河合莞爾
出 版 社 祥伝社
形  態 単行本
ページ数 423
発 行 日 2013/12/20
I S B N 978-4-396-63430-8

 

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日は朝10時から富津市湊にある、社会福祉法人薄光会の介護施設「太陽(“ひ”と読ませる)のしずく」(ここに一応本部事務所を置いている)で定例の評議員会、理事会が開催された。
午前中と言っても12時過ぎまで続いたが、評議員会が行われ、昼食をはさんで午後理事会となった。
この場で僕の担当する監事監査報告で配布・使用する監査報告書の作成にだいぶ苦労して、事務局あてに送っておいたのだが、残念ながら出席者に配るのが間に合わず、おまけに今年は僕のパワーポイント(Microsoftのプレゼン用ソフト)を使ったプレゼン用のデータも作らなかったので、自分用の報告書だけで説明するという、何ともしまらない報告となった。
それはともかくとして、薄光会には一応本部という名前はあるのだが、専任の部員がいるわけではないから、全体的な事務処理能力はないに等しい。そのために会議用の資料が当日配られることや、あらかじめ送付された資料の訂正資料が、これまた当日に配られるということが多く、何とかならないものかと思うが・・・。
そうしたことに厳しい会社で仕事をしていた僕にとっては、何とも言い難い不快な気分に陥る。

 

 

そういう場面にぶつかることが嫌で、というわけでは決してないが、会議の始まる前に僕は理事長に11月の任期いっぱいで、監事職を辞任したい旨の申し入れをした。その件に関してはもう何度かここにも書いてきたが、僕の役職に対する意欲の減退がその原因だ。
いやいや続けたのでは組織にとっても、自分自身にも悪い影響を与えかねないから、辞めることが一番の解決策だという結論に至ったのだ。理事長からは後任の人選を依頼されたが、近頃は―ここ数年の事だが―保護者の動向にとんと無頓着になっていたし、新しい人はほとんど知らないといった状況なので、事務局のK氏にお願いしようかと考えている。
今考えられる監事職に適任と言えば、理事のMKさんくらいだ。その件に関しては帰宅後、理事長宛てに監査報告書の冊子を送るついでに、手紙を添えておいたのだが、理事長の理解を得たいものだ。

 

 

国の悪魔なんていうわけのわからないタイトルと、壮大な物語を思わせる表紙のデザインが、僕の興味をひいて読んでみたいという気にさせた。著者の河合莞爾氏は、2012年、「デッドマン」という作品で第32回横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューした作家だそうで、初めての出会いである。
前にもどこかで書いたと思うが、僕は一時期「横溝正史ミステリ大賞」なる文学賞に疑問を抱いたことがあり、敬遠していたことがあった。芥川賞や直木賞と言った伝統ある文学賞でも、当然のことながら選考委員は変わるから、その時々によって受賞作品の傾向が変わることはどうしても避けられない現象だろう。
しかしだからと言って、選者の好みがあからさまに影響を与えるようでは、読者としては戸惑ってしまうのではないか。そんなことを僕は同賞に感じたことがあったのだが、今では歳をとったせいもあるだろうが、割合そうしたことにも寛大になったらしい。別に僕は歳とともに丸くなりたいとも思わないが、自然とそうなることは仕方がない。
それでも近頃はミステリーに限らず、出版業界が不況と言われることが影響しているのか、文学賞なるものが増えた。そうした文学賞を一つの読書の指針としている平々凡々たる僕などは、どれを参考にしていいのかわからなくなるほどだ。

 

 

それは置いて、最近横溝正史ミステリ大賞の受賞作品を何冊か読んで、どうやら僕の偏見?も解消されたようで、またこの過去の受賞作も探してみようかと思っていた矢先だったから、この本に出会ったのは渡りに船?のような感じだった。ほんの少しばかり諺の趣意とちがうみたいだが、まあ固いこと言わずに。
それと、過ぎたゴールデンウィークに最中にBOOKOFFで20%引きのバーゲンセールが開催されていて、そんなことはめったにないことだからとばかりに、本書を含め3冊ほど買い入れたのだ。
またまた悪い癖が出て、読むのも追いつかないのに新たに買い入れるのは愚の骨頂と、思いながらの事だった。安い食材を求めてスーパーのバーゲンセールに殺到する主婦を笑えない。
喉につかえた魚の小骨のごとく、気になっていた監事監査報告書が一段落したためか、ようやく平常心が戻ってきたみたいだ。と言ってもまだ積極的に横溝正史ミステリ大賞を追いかけてみようという気にはならない。賞が多くて追いかけ切れないということもあるが、専門家の意見などももう少し見てみたい。

本書も最近読んだものと同様、近未来の世界を舞台とするストーリーだ。
ギャンブル好きの読者には興味深い話が盛りだくさんだ。東京はお台場の先に埋め立てた島をカジノ特区とするという話で、一大歓楽街が誕生するのだ。オリンピックの開催とカジノができて、多くの外国人観光客を呼び寄せようというのだが。
ギャンブルに身を持ち崩した老人が次々といなくなるという不思議な事件が続発することを誰も気づかない。
その裏に隠された壮大な陰謀が・・・・。

 

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1465.コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

2014年05月22日 | サスペンス
コスモスの影にはいつも誰かが隠れている
読 了 日 2014/05/22
著  者 藤原新也
出 版 社 河出書房新社
形  態 文庫
ページ数 243
発 行 日 2012/6/20
ISBN 978-4-309-41153-8

 

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しい本を見つけるのは、時々ここに書いているように、テレビの書評番組が多いのだが、たまに読んだ本の後ろにその出版社の簡単な目録が掲載されていることがある。
そうした中から気になるタイトルがあると、タイトルを書き留めておくなり、あるいはAmazonで探したりする。
このタイトルをそうした河出書房新社の目録で見て、何かミステリアスなタイトルにぜひ読んでみたいという感じを抱いた。そして手にした文庫は僕の予想をはるかに超える感動を僕にもたらした。
文庫のカバー折り返しにある紹介によれば、著者は写真家であり作家だという。
表紙のコスモスが咲く草原の写真は、タイトルにふさわしくその陰に誰かが隠れているような雰囲気を漂わすが、作者の作品だ。
上の本のデータにあるように、この本は今(5月22日)読み終わったばかりだ。僕がそうして読み終わった本をリアルタイムでここに書くことはめったにないことなのだが、実は今読み終わったといっても、この本は下記のように短い短編(変な言い方だが、243ページの中に14篇も収められていることを見ればその短さがわかるだろう)で構成されたものなので、他の本を読みながら合間に少しずつ読んでいたのだ。

 

 

最近はあまりそういうことはなかったのだが、僕の読書は昼夜通して読み進むということはなく、時々休んでは他の事をやるといった読み方で、時にはこのような短編を一つ読むといったこともよくやった。
以前は木更津市の図書館に立ち寄った時など、気になった短編集を1篇だけ読んで、何日かしてまた行ったときにまた1篇というように、何日もかけて1冊を読むということも、何度となくやったことがある。
本書のように短いストーリーは短い時間で読めるから、そうした読み方に適しているのだ。
ところがその短い1篇のストーリーたちは、短い時間に読み終わった時に、思わずため息が出るほどの感動を覚えるものばかりで、中には声を出して泣きたくなるようなものさえあった。すべてのストーリーは一人称で書かれているため、もしかしたら著者の体験したノンフィクションなのかと思えるが、ノンフィクションとはどこにも書いてないから、やはりフィクションなんだろうが、内容と言いその語り口と言いは真実の出来事と言っても信じられるほどの、まるで人生の一こまを切り取ったようなストーリーが胸を打つのだ。
巻末の著者のあとがきを見たら、著者のところにも、このストーリーはフィクションか、ノンフィクションかという問い合わせがあるそうだ。

 

 

れっぽい僕は2-3日たてば内容も感動も忘れかねないから、その余韻の残っている内にと思い、珍しく読み終わって直ぐにここに書いているというわけだ。下表のそれぞれのタイトルだけを見ても、その内容が分かるようなものもあるが、そう、全く想像するような内容そのものなのだ。
人生とは全く思いもよらぬ展開を示すこともあって、大概の人にとってはままならぬものだが、出会いがわずかな幸せを感じさせた後に、予想もしなかった不幸をもたらすなど、胸を打つ物語はまるで宝石のような感覚を持たせて、いつまでも胸に抱いていたいと思わせる。
暗いニュースの多い今の世の中だが、決して幸せなストーリーが詰まっているというわけではないこの短編集は、それでも心を洗ってくれるような読後感をもたらして愛おしい。

 

収録作
# タイトル
1 尾瀬に死す
2 コスモスの影にはいつも誰かが隠れている
3 海辺のトメさんとクビワノゼロ
4 ツインカップ
5 車窓の向こうの人生
6 あじさいのころ
7 カハタレバナ
8 さすらいのオルゴール
9 街の喧騒に埋もれて消えるくらい小さくてかけがえのないもの
10 トウキョウアリガト
11 世界でたったひとつの手帳に書かれていること
12 六十二本と二十一本のバラ
13 運命は風に吹かれる花びらのよう
14 夏のかたみ

 

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1464.致死量未満の殺人

2014年05月20日 | 本格
致死量未満の殺人
読 了 日 2014/04/25
著  者 三沢陽一
出 版 社 早川書房
形  態 単行本
ページ数 331
発 行 日 2013/10/25
I S B N 978-4-15-209411-7

 

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日(5月19日)ようやく監事監査報告書を曲がりなりにも仕上げて、自署、捺印したものを薄光会の事務局に郵送した。監事は僕の他にもう一人いて、彼は僕の息子に近いような年齢で、まだ若くおまけに親の代から続く税理士事務所を経営しているいわば本職だ。
彼とコンビを組むようになって2期4年目を迎えた。彼に一切合切を任しても全く支障はないのだが、なにしろ現業を抱えているから、定例の理事会などにも欠席がちで、今のところコミュニケーションもままならない状態で、それがちょっと引っかかるところだ。
今月24日に行われる評議員会・理事会における監査報告も、僕が主体で行わなければと考えているが、いつまでもそうした状態が続けられるわけではないから、おまけに僕は11月に任期が切れるのを待って辞任するつもりでいるから、以降は彼が主体となって業務を遂行することになるだろう。
そんなことで、全く気乗りのしなかった監査報告書の作成だったのに加え、従来監査報告はマイクロソフトのパワーポイント(プレゼンテーション用のソフト)を使って、結構工夫を凝らしたプレゼンを作ったのだが、今回はそんな気も起らず口頭の発表だけにするつもりだ。

 

 

しかし何事にも言えることだが、「面倒くさいな」とか「いやだなあ」とか思い始めると、作業は進まずいい成果も期待できない。もともとあまりよくない頭脳は余計に働かなくなって、アイディも浮かばない。
フィギュアスケートの浅田真央選手が活動を休止して、大学生活に戻って休養に充てるという記者会見を行った。NHKテレビのニュースを見ながら、彼女のようなアスリートの内面はわからないが、僕は大変な努力と研鑽の上に華麗な演技があるのだろうと、華やかさの裏側を想像した。 どこかの政治家の暴言がどのような影響を与えたのかはわからないが、某氏は自分の発言が当人だけでなく周囲に及ぼす影響に想像ができなかったのだろう。
想像力のない人間に創造的なことはできないと言われるが、その通りだと感じる。
またまた何の話していたのか分からなくなって話が飛んでしまった。

 

 

書もAxnミステリーの番組の一つ「早川書房ブックリエ」で、発売された(2013年)10月にアガサ・クリスティ賞の授賞式の模様と、受賞者三沢陽一氏へのインタビューが放送された。
この番組はいわば早川書房の宣伝番組で、ベテラン編集者たちを本のソムリエという意味で、ブックリエと呼んで、毎回選ばれたブックリエ自身が携わった本の紹介をする15分番組だ。だがこの番組で作家が顔を出すことはめったになく、このような自社の主催するアガサ・クリスティ賞の授賞式の模様を公開するのも初めてではないだろうか。
いや、第2回の「カンパニュラの銀翼」(中里有香著)が受賞した時にも、放送したかな?受賞者の中里有香氏の顔も覚えているが、彼女は他の番組に出ていたのか?物忘れの激しい僕の記憶はどれもこれもごっちゃになっているようだ。
話を戻して、とにかく僕は放送を見ていて、“雪の山荘を舞台に”などという解説を聞いて、興味を持ったのだ。ミステリーのお決まりの舞台でどんな殺人劇が演じられるのかと、読んでみたいと思った。それに、タイトルからすると毒殺のようだが、意味がよく分からないところにも興味がわく。

アガサ・クリスティ女史の作品には、しばしば毒殺のシーンが出てくるから、この作品もそういった意味ではオマージュと言ったところかなかなか面白そうではないか。
そんなことを思いながら読み始めると、なんと間もなく犯人と名乗る男がその女友達に、自分が犯人だと告白を始めたのだ。なんだこれは倒叙推理物なのか?と驚くが読みやすい文体を先へと読み進める。

「長い告白の後に続く衝撃の真実が・・・」などというキャッチコピーのような文句が浮かぶが、実はこのストーリーは単なる倒叙推理ではないのだ。ネタをばらすわけではないが、フーダニットもハウダニットも併せ持つ本格ミステリーである。 僕は第2回の受賞作はまだ読んでないのだが、いずれ読もうと思うほどこのアガサ・クリスティ賞には、僕にかつてのサントリーミステリー大賞を彷彿させるほどの思いを持たせる何かがある。
第1回受賞者の森晶麿氏が描くところの、黒猫シリーズもすでに第4作が発表されており、僕はまだ2作しか読んでないので、後の2作を楽しみにしている。

 

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1463.一千兆円の身代金

2014年05月18日 | サスペンス
一千兆円の身代金
読 了 日 2014/04/22
著  者 八木圭一
出 版 社 宝島社
形  態 単行本
ページ数 349
発 行 日 2014/01/24
I S B N 978-4-8002-2050-9

 

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近に迫った社会福祉法人薄光会の評議員会、理事会に必要な監事監査報告書をよそに、本を読んだり、ブログの記事を書いたりしてていいのか、と頭の中でもう一人の僕は言うが、そんなことは聞こえないふりをしながらどうでもいいことを優先する。いや、このブログがどうでもいいというわけではないのだが、優先すべきは他にあるということだ。
若いころからの悪い癖で、切羽詰まるまでやるべきことを放っておくということを、時々僕はやるのだ。もう限られた時刻が迫るというときに、パソコンのソリティアを繰り返しやったり、数独パズルに夢中になったり、と、どういう神経なのだろうと、後になれば思うのだがこうしたことは理屈では割り切れないもののようだ。
特に今年の監事監査報告には全く気乗りがせず、毎日ワードを立ち上げて少し書いては休み、少し書いてまた休み、を繰り返して一向にらちがあかない。、残すところあと5日という時になっても、まだぐずぐずしていて、どうなるのだろう。

 

 

「俺はいったい何をやっているんだろう」
そうした思いがいつの頃からか僕の中に生まれて、時々頭をもたげるのだが、バカボンのパパじゃないが、 「これでいいのだ」となってしまって、相変わらずのバカを繰り返すこととなる。

そんなことにお構いなく、僕は今本当に面白い本を読んでいる。そんなことも仕事が進まない一つの要因である。呑気にこんなことを書いているが、本当は本を読んでいるときは監査報告書が気になり、監査報告書に向かっているときは本が気になる、ということでどちらも楽しんだり集中したりすることができないから、どちらか一方にすべきなのだ。
組織論では役職の兼任をすべきでないと説いているが、どちらも中途半端になるからだ。聖徳太子でもない限り、あっちもこっちも満足にはできないということだが、僕ら凡人はできる限り一点集中主義で行くのがまあ無難なところだろう。
と言ったところで、この記事をアップしたらすぐに監査報告書を仕上げてしまおう。そうでないと、折角の面白い本も落ち着いても楽しめない。

 

 

xnミステリーの「BOOK倶楽部」で「このミステリーがすごい!」大賞受賞作として本書が紹介されていた。大森望氏だったか?杉江松恋氏だったか?忘れたが、簡単な説明があったが、その時はあまりにも突飛なタイトルにさして興味を惹かれることもなかったが、他のところでもいくつかの紹介記事が出ているのを見て、衝撃的なタイトルの中身が誘拐劇を描いたものということで、それではとようやく読む気になった。

毎年暮れが間近になるとテレビ・新聞の報道が、翌年度の予算組の話題でにぎわってくる。残念ながらもう何年も続く財政赤字は膨らむばかりで、国債の発行額が天文学的な数字になっても、僕ら庶民はあまり驚かなくなった。
国民一人当たりの借金が何百万円などという話にも、実感がわかないというのが本音だろう。
だが、そんな状況を憂う人物がいた。彼は、引退したにもかかわらず、依然として政界に大きな影響力を示す元大物政治家の孫を誘拐するのだ。そして彼が要求するのがタイトルなのだが・・・・。
新聞各社、テレビ局に誘拐の事実を知らせるという、劇場型誘拐劇はどういう展開を示すのか。しかし彼の本当の目的は???

 

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1462.ビブリア古書堂の事件手帖5

2014年05月16日 | 本格
ビブリア古書堂の事件手帖5
栞子さんと繋がりの時
読 了 日 2014/04/24
著  者 三上延
出 版 社 アスキー・メディアワークス
形  態 文庫
ページ数 307
発 行 日 2014/01/24
ISBN 978-4-04-866226-0

 

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新の遅れを取り戻そうとするばかりに、わけのわからない事を書いていたのでは、数少ないとはいえ読んでくださる読者の方に申し訳ない。そうは思いながらも、貧乏性の僕はいつも何かに追いかけられているように、このブログにさえ義務感を感じてしまうから、どうでもいいようなことを長々書くことになる。
もっとも僕のブログの記事はもともと毒にも薬にもならないもので、こういう本を読んだというだけの事だから、今更といった感じで・・・などという言い訳を書くのは何度目になるか。

その昔、更に古い時代の名作探偵小説を探して、神田の古書店街を歩いたころは、その時を逃すと二度と手にすることが難しかった時代で、そんなころの記憶がいまだに僕の頭を支配しているらしく、いつか読まなければと思う本を、買う癖はなかなか治らない。
その点貧乏な僕が買える限度はたかが知れているから、それほど心配することはないのだが、問題はその後だ。積みあがった本に読まなければという義務感を感じてしまうことなのだ。
だから、いつものんびりと読書を楽しもう、と思いながらも心の奥底には、やり残したものを抱えている気があり、なんとなく落ち着かない日々を過ごすことになるのが、先述のごとく生来の貧乏性のせいだろう。

 

 

ジャスコ木更津店の2階にある未来屋書店、国道16号線沿いの精文館書店、アピタ2階のくまざわ書店、僕がよく行く新刊書店の三店だ。いや木更津市にある大型書店はこの三店くらいだろうと思う。いずれもチェーン展開している書店だ。
このうち未来屋書店はイオングループのチェーン店舗で、くまざわ書店は確かユニーのグループ店だったと思う。ケーヨーというホームセンターをチェーン展開する会社に在籍していた頃、セミナーで「衰退する業種と台頭する業態」といったテーマで叩き込まれた理論が、当時はなかなか頭に入らなかったのに、今頃になって思い出すのが記憶というものの不可思議なところだ。
その当時先行き衰退していく業種の一つに数えられていたのが本屋だ。業種とは主力商品の名前で呼ばれる店舗で、本屋、薬局、米屋等々で、そうした業種店は大きなチェーン店の傘下に入るか、あるいはSCのテナントとなってチェーン展開することが生き残る方法だ、と言われた。
振り返るとすべての業種店が言われたような状況に陥っているとは言えないものの、古くからの商店が次々撤退してシャッター商店街となっている状況が、チェーンストア理論の予測を肯定しているものだろう。
そして、先のチェーンストアグループに所属する書店が、ショッピングセンターの集客力によって支えられているという状況なのだろう。未来屋書店やくまざわ書店を訪れるたびに、そんなことが頭をよぎり資本主義経済の効率とか、その裏にある非情さのようなものまで思いが至る。アレ、何の話をしようとしたのかわからなくなった。

 

 

済的にあまり余裕のない生活を送る僕は、新刊書店で本を買うことはめったにないのだが、たまには書店の賑わいや新刊の品揃えなどが気になって、見に行くことがある。
当たり前のことだが、古書店の賑わいとは違い華やかな感じがするのは、僕の気のせいではないだろう。そこで本を購うことはなくとも、単行本の棚や平台に積みあがった本を見たり、新たに文庫になったものを見たり、とウインドショッピングらしきことでも結構楽しめる。
とはいうものの買えればもっと楽しいことは言うまでもなく、で、とうとう持っていたギフト券(500円)に98円を足して、この本を買ってしまった。僕はお金を持たせれば使ってしまわないと気がすまない、まるで抑えの効かない幼子と同じだ。それでもお金を出して本を買うのは2ヶ月ぶりくらいか?
この本を最後にまた、数ヶ月は図書館の本を利用するつもりだ。図書館も木更津市立図書館だけでなく、隣街の君津や袖ヶ浦の図書館をうまく利用すれば、まれに新刊でも借りられることがあるから、ネットでの検索を欠かせないのだ。

 

 

ラマにもなったこのシリーズは本書でもう5冊目となった。作者の三上延氏は先達てもBSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」に登場して、その健在ぶりを示しながら、旺盛な執筆活動をもうかがわせる。
僕はこの新刊を読みながら、原作の栞子さんとは少しイメージが違うが、剛力彩芽さんという若い女優さんが演じた栞子さんにも共感が持てたことに思いをはせた。
同じ俳優とスタッフで、続編のドラマが製作されないかという期待を持つが、それはちょっと無理かな。最近の映画やテレビドラマは、その後のDVD化による収益さえも考えて作られているらしく、厳しいスケジュールのもとに管理されるらしいが、それにしては番組表などを見ると、民放の連続ドラマなどに、しばしば見られるのが放送回数未定という表示だ。まさか視聴率の低迷による中途打ち切りを視野に入れてるとか!
民放テレビ局のスポンサーへの配慮は何物にも勝る、ということの一つの表れかとも感じられるのは僕の偏見か?

巻末では例によって著者のあとがきに、この後もまだシリーズがもう少し続くことが書かれている。僕などはもう少しと言わず、長く続くことを願っているが、何事にも終わりが来るのは必定で、それが少しでも先になることを願うばかりだ。

 

収録作(全編書き下ろし)
# タイトル
プロローグ リチャード・ブローティガン「愛のゆくえ」(新潮文庫)
第一話 「彷書月刊」(弘隆社・彷徨社)
第二話 手塚治虫「ブラック・ジャック」(秋田書店)
第三話 寺山修司「われに五月を」(作品社)
エピローグ リチャード・ブローティガン「愛のゆくえ」(新潮文庫)

 

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1461.切り裂きジャックの告白

2014年05月14日 | サスペンス
切り裂きジャックの告白
読 了 日 2014/04/21
著  者 中山七里
出 版 社 角川書店
形  態 単行本
ページ数 334
発 行 日 2013/04/13
I S B N 978-4-04-110440-8

 

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くほどのスピードで話題作、問題作を発表し続ける著者のエネルギーはどこから出てくるのだろう?と、そのバイタリティあふれる執筆活動にただただ畏敬の念を覚えるばかりだ。
この人の作品はとにかく全部を読んでみたいと思わせる最右翼の作家なのだが、アメリカのハリウッド映画-ここ何年かの彼の国で製作される映画のサスペンス、アクションシーンに留まることを知らぬエフェクト効果を盛り込むように、我が国の小説世界にも影響を与えているのか、ダイナミックなストーリーを展開させる内容が多くなっているような気がする。
そうしたことから、ちょっとやそっとで驚かなくなっている視聴者や読者を「アッ!」と言わせるような映画やドラマ、そして小説を生み出そうとするクリエイターの苦心も思いやられる。
しかし一方では、かなり前に台頭してきた“日常の謎派”と呼ばれるミステリーが多くの読者の支持を得ていることも見逃せない。もちろん僕もそうした物語も好きで、いくつかのシリーズの新作を待ちわびて、読んではいる。

 

 

最近はテレビドラマ化や映画化の影響が大で、本の売れ行きが大きく左右されるということもあって、作者の方も映像化を狙ってキャラクター造形や、ストーリー構成を考えるのだろうと思うが、作家へのインタビューを見ていると、中には絶対に映像化が無理なストーリー構成を考えて書くという作者もいるようだ。
そういえば、秦建日子氏の女性刑事・雪平夏見を主人公とした「推理小説」も、そんな映像化不可能を狙って書いたものだったらしいが、逆にテレビ局はドラマ化により、ドラマ・原作双方をヒットさせた。 読者の楽しみ方も千差万別で、読書の楽しみ方も一つではないから、僕はあまり興味はないのだが、ライト・ノベルと言われる読み物も一方では売れ行きを伸ばしているらしい。

そんな中で著者の作品世界は、いずれも予断を許さない結末を迎えて、読者の予想を覆す何層にも張り巡らされた伏線とともに、仕掛けを施しており、次はどんな世界を見せてくれるのかという期待を持たせるのだ。
僕はこの著者を評して、職人作家だという見方をするが、もちろんそれは褒め言葉であって、出版各社のベテラン編集者の依頼に、どんな形であろうとそれに報いる成果を形にできるという意味である。
本書はタイトルが示すように、昔イギリスで起きた未解決事件、娼婦連続殺人の犯人を称する切り裂きジャック(Jack the Ripper)をタイトルに使っていることから、それに似た猟奇殺人が描かれることが想像でき、読んでみると内容もその通りなのだが、根底には臓器移植という社会問題が流れており、単なるサイコサスペンスに終わらせていない。

 

 

編では前に読んだ短編集で活躍する警視庁捜査一課の刑事・犬養隼人を登場させており、この刑事が登場するストーリーがシリーズの形を作り続けるのか、期待が持てるところだ。
ひも状のもので絞殺されたうえ、すべての内臓を持ち去られるという、前代未聞の猟奇殺人が続く中、被害者のつながりも、臓器を持ち去るという犯人の目的も判明せず、警察の捜査は混迷を極める。古にイギリスはロンドンで起こった切り裂きジャック事件の模倣犯かとも思われる事件は、見事なほどの解剖手腕から、医師か病院関係者かとも思われたが、全くの手掛かりが残されていない。
臓器を持ち去るところから、臓器売買も考えられたが、それらしい闇の動きも全く見えない。
少し前に似たようなシチュエーションのストーリーを読んだばかりだが、この作者のストーリーは前述のごとく、一筋縄ではいかないところが特徴で、毎回異なる世界を描いて僕を夢中にさせる。

 

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1460.人間の尊厳と八百メートル

2014年05月12日 | 短編集
人間の尊厳と八百メートル
読 了 日 2014/04/16
著  者 深水黎一郎
出 版 社 東京創元社
形  態 文庫
ページ数 233
発 行 日 2014/02/21
ISBN 978-4-488-40412-3

 

上の著者名をクリックすると、著者のページへ移動します。

 

学めいたタイトルが気になっていた。前にも書いたが僕は意味深なタイトルに惹かれて、読んでみようと思うことが過去に見何度かあって、大概の場合はそれらの本が僕の好みとあっていたのは偶然とは良いながら、そうしたことに幸せな感じを抱いていた。
面白い本との出合いは思うほど簡単ではないから、これと思った本が面白く読めたときは、最高の幸せを感じる時なのだ。若いころと違って年老いた今では、そんな読書で感じることのできる安上がりな、身の丈に合った幸せがありがたい。

 

 

本書のタイトルがどんな意味を持つのだろうと、期待を持って読み始めた。此の作品は2011年、第64回日本推理作家協会賞の短編部門を受賞したように、短編である。中盤で若しかしたらと思わせる展開になって、結末を予想すると見事に裏切られる。というよりは「ウーン」なるほどこう来たか!と納得させられる。
こういう作品の傾向か、と思って次を読むとこれがまたぜんぜん違う雰囲気を持っているのだ。
下の表に見られるごとく、5編の短編で構成される短編集なのだが、正確には二つ目の「北欧二題」が短いストーリーが二題あるので、6篇といえるかもしれない。
それぞれのストーリーは、いずれも同じような傾向のものは無く、長編ならどんな物語を語るのだろうと思わせる。

 

 

にとっては初めての作家なので、本当は長編を読みたかったのだが、気になるタイトルがたまたま短編集だったということで、仕方が無い。
しかし、いろいろと想像させて、他のストーリーも読んでみたいと思わせて、楽しみである。
特に最終話の「蜜月旅行 LUNE DE MIEL」にいたっては表題作同様、途中で結末が予定調和か、と思わせたりしてなかなか凝ったところも見せるのだ。

 

初出
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 人間の尊厳と八百メートル ミステリーズ! 41号 2010年6月
2 北欧二題 ミステリーズ! 47号 2011年6月
3 特別警戒態勢 書き下ろし  
4 完全犯罪
あるいは善人の見えない牙
ミステリイオールスターッズ 2010年9月
5 蜜月旅行 LUNE DE MIEL メフィスト(小説現代増刊号) 2008年5月

 

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1459.誰がための刃

2014年05月10日 | サスペンス
誰がための刃
読 了 日 201/04/16
著  者 知念実希人
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 600
発 行 日 2012/04/25
I S B N 978-4-06-217602-6

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

ばらくブログの更新を怠ってしまった。3日に1冊くらいは読もうと思えばできないことはないのだが、書くとなると簡単ではない。だから一度休んでしまうと、今日は書こう、明日こそ書こうなどと思っている内に、1週間や10日はあっという間に過ぎてしまう。
そんなことでもう旧聞になってしまったが、4月27日の日曜日に母の四十九日の法要で、いすみ市大原に行ってきた。先月18日の突然の母の死は全く予想もしていなかったことなので、僕をはじめとする兄弟姉妹4人に少なからず驚きをもたらした。これといった病気もなかったので、100歳くらいまで生きるよ、などと話し合ったいたからなおさらだった。
カミさんが十数年来のリウマチで遠出が無理だから、僕は娘を伴って行った。菩提寺・瀧泉寺(旧大原町貝須賀にある)の僧侶の話で、戒名を二名並べて記すこともできるということで、父と母の戒名を並べて掘ってもらった新しい位牌や、白木の位牌、写真額などを持って瀧泉寺に12時半過ぎに集まった。午後1時から寺の本堂と墓前での法要は2時に無事終わった。
帰り道ファミリーレストランに寄って、ささやかな会食をしてから、母が一人暮らしをしていた家に帰った。
家は借家で母亡き後は誰も住むことはないのだが、まだ家財道具が結構残っており、妹たちが時々来ては後片付けをしている。家賃も安く大家さんも親切なので、片付けが終わるまでもうしばらく借りておくことにしている。
だが、あと数か月でこの家を大家さんに返すと、大原には墓参りをする時しか行くことはなくなり、ゆっくりくつろぐ場所もなくなる。年とともに過去が少しずつ消えていくようで寂しいが、これも仕方がないことだ。

 

 

 

ブログの更新が遅れているのは、今月(5月)1日から2日にかけて、社会福祉法人薄光会(僕はこの法人の監事を務めている)の監事監査があって、その報告書を作っているせいもある。24日に行われる評議員会・理事会において監査報告書をもとに監査報告を発表しなければならないので、いささか憂鬱な毎日を送っているところなのだ。
いつもはもう少しスムーズに書けたのだが、今年はいろいろあって面倒だと思う気持ちが強く、遅々として筆が進まない。
前回書いたように、一度辞めたいという気持ちを持ったためかもしれない。監査そのものはどうにか心の動揺を抑えて終わらすことができたのだが、やはり気持ちの奥底ではこれ以上続けることは無理だという思いがあって、いくらかでも僕を買ってくれている理事長や励ましをいただいたMK(ミエコ)さんには申し訳ないが、任期いっぱい務めたら辞任したい。
このところ何度かブログのまくらがこんなことばかりで書いていても面白くないから、読む方だってつまらないだろう。この辺で終わりにしよう。

 

 

書は前にいすみ市を訪れた際、古書店・ブックセンターあずまで見つけたものだ。もうこの店に行くこともめったにないだろうと思うと、なんとなく感慨深いものがある。初老のおかみさんや、あまり商売熱心とも見えない若い息子とも、顔なじみになったので少し残念な気もする。
普段はあまり見ない単行本の棚に、見かけない作家の名前を見て手に取ったのが本書だ。どんな作家なのだろうと奥付を見ると、本書で「ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」を受賞したとある。僕はそれを見て、不思議な縁を感じた。同じ賞を受賞した「バイリンガル」(高林さわ著 光文社刊)を前に読んでいるからだ。
あまりメジャーとは言えない文学賞の受賞作に偶然めぐり合うなど、これは今後もこの賞に注目していく必要があるかな、などと思った。
著者は現役の内科医のようだ。僕はこの読書記録に何度となく書いてきたが、医療、医学をテーマにしたミステリーが好んで、当初はアメリカのメディカル・ミステリーの大御所ともいえるロビン・クック氏の作品をはじめとして、多くの海外の医療小説を読んできた。その後国内にも現役の医師がミステリーを発表して、次々とミステリー文学賞を受賞してきた。さらにはそれらの作品がドラマや映画にもなるという現象が起こった。

 

 

それらの現象が示す如く、そうした多くの兼業作家たちの生み出す作品は、高い水準を保っており、僕にすればあまりに多くの作品を追いかけ切れずに、うれしい悲鳴といったところなのだ。 だが、本書は医師がその知識を縦横に駆使した医療が主題とするものではなく、どちらかと言えばアクション主体の冒険物語と言った方がいいかもしれない。もちろんその中に医療に関するエピソードも入っているのだが、連続する猟奇殺人を追う警察と、死を宣告された外科医・岬雄貴を主人公としたストーリーである。 たくさんのメディカル・サスペンスを読んでいる割に、僕はその辺の知識が豊富なわけではなく、本書の主人公が末期癌の身体をおして、ハードなアクションを最後まで続けるそんな体力があるのだろうか?というような疑問も湧くが、しかし小説とはいえその精神力に感動する。

 

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