隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1924.矢上教授の十二支考

2019年08月29日 | 学園ミステリー
矢上教授の十二支考
読了日 2019/08/29
著 者 森谷明子
出版社 祥伝社
形 態 単行本
ページ数 251
発行日 2018/08/20
ISBN 978-4-396-63351-0

 

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月24日、カミさんの誘いで、アカデミアパークに娘と3人で行ってきた。
アカデミアホールで行われた、かずさジュニアオーケストラの第21回定期演奏会の視聴が目的だ。現役を退いてから、こうした演奏会に行くことなど、絶えて久しかったから、期待して出かけた。
カミさんは高校時代、コーラス部に在籍していたことから、音楽に関心が高く、内外の楽曲にも詳しかった。その辺の知識に乏しかった僕は、新しく聞く曲について、しばしば彼女に曲名を訊ねたものだった。結婚前に、当時来日したアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの公演が行われた、サンケイホールに一緒に行ったことも、今となっては半世紀以上も前で、懐かしさだけがよみがえる。話がそれた。
かずさジュニアオーケストラなどという楽団が、存在することすら知らなかったのだが、毎日のようにポスティングされる、チラシに載っていた広告をカミさんが見つけたものだった。

開演は午後2時だが、開場が1時半ということで早めに昼食を済ませ、12時半ごろ家を出た。
日曜日ということもあり、会場は相当混雑すると思っていたら、ことのほかすいており、警備員の誘導に従って一番上の駐車場に車を止める。 アカデミアホールには以前、高校時代の同級生がかずさディーエヌエー研究所の役員を務めていたころ、たびたび研究発表会などに訪れていたのだが、彼が退官して後は全く訪れることもなくなっていた。
僕が訪れていたのはいつも広い会議室だったので、音楽を聴くためのホールがあることなど知らなかったが、当時からこうしたホールがあったのだろうか?
受付で入場料を支払って、ホールに入る。真ん中の列、中ほどの左端に席をとる。間もなく開演5分前のブザーが鳴って、着席を促され客席が徐々に埋まるが、かなりの空席が目立つ。

 

 

プログラムによれば、かずさジュニアオーケストラは、小学校1年生から大学1年生までの男女で構成されており、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスなどの弦楽器が40名、フルート、クラリネット、オーボエ、ホルンの木管楽器が10名、トランペット他の金管楽器が8名、パーカッションに7名、ハープ1名と、総計66名で構成されている。
まずは開会を宣言するトランペットとホルンによる、「オリンピック東京大会ファンファーレ」が鳴り響く。と言ってもこれは1964年の東京大会のものだ。続いて同大会の「オリンピックマーチ」が、オーケストラにより演奏される。ホールの音響効果は抜群で、ホール全体に鳴り響いてウキウキさせるが、何しろジュニアオーケストラだ、ずいぶん練習を重ねたのだろうが、わずかに金管楽器のずれが感じられるには、仕方がないか。
続いて、ヘンリー・マンシーニの「ピンク・パンサー」が演奏される。デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズの映画が公開されたのは、1964年のことだった。映画の中で流れたこの曲は、大ヒットしてラジオで随分流れていたが、今の若い人たちには無縁かもしれない。

その後、アンサンブルコーナーということで、弦楽器、管楽器といった楽器ごとの演奏が行われて、第二部はオーケストラによる「セントポール組曲」、そして、最後は音楽物語「カルメン」が、小学6年生の女子の語りで「闘牛士」を始めとする各曲が次々に演奏されて、盛り上がる。
アンコールはお馴染みの「ラデツキー行進曲」で締める。多少の拙さを感じることはあっても、懸命の演奏は多くの観客の感動を呼び起こしたに違いない。我々3人も入場料以上の満足感を得て、帰ってきた。

 

 

017年2月に読んだ『矢上教授の午後』は、タイトルに惹かれて図書館で借りたものだった。
高校卒の僕は何と今頃になって、大学生活へのほのかな憧れを持つようになった(このことについては、いろいろな記事で書いているが・・・・)。こうしたタイトルに惹かれるのも、そうした憧れが根底にあるからだろう。10年ほど前で終わってしまった?が、卒業した高校のクラス会が毎年行われており、多くとも20人程度しか集まらなかった会合だが、昭和33年3月の卒業ということから、「33会」と名付けられたクラス会は、東大卒のI氏を会長に、千葉市在住のT氏夫妻を主な幹事として、有志を招集した。
在校当時、その言動に対してあまり気にすることはなかったが、卒業後クラス会に参加するようになってからは、神戸大学の教授となり、退官後は千葉県木更津市のアカデミアパーク、ディーエヌエー研究所の、常務理事を務めたI氏と、親しく付き合うようになって、彼を尊敬するようになった。

だが、今考えれば、それも彼と話すことにより、僕が成し得なかったキャンパス生活の、一部分だけにでも近づきたかった、という理由だろうか?と、そんな風に思っている。
60年以上も前の青春を悔やんでも致し方のないことは、十分すぎるほどわかってはいるが、僕は同じ年代の大学生活を送った彼らと話すことによって、キャンパス生活のにおいだけでも、分かち合いたかった。
だが、なんといっても僕は自分の選んだ道を、そうしたことで悔いることはしていない。ただただ仄かな憧れを持つだけだ。

 

 

暑い雲の隙間から、時折陽が差して蒸し暑さを感じさせる。気圧の動きやその配置によって、不安定な気象状況を示している。ことによると当地方にも、激しい雨を降らすのか?
九州北部の大雨による被害は、テレビの放送で惨憺たる現状を物語っているが、専門家によれば佐賀地方の川は、平地で高低差が少ないことから、大雨による反乱と堤防の決壊が起こりやすいということだ。
それが分かっていながら、事前の対策が行われていないのは、どういうことだろう?
いや、対策は行われていても、今回のような従来経験したことのない、降雨量には如何ともし難いか?

 

 

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1923.片思いレシピ

2019年08月18日 | 青春ミステリー
片思いレシピ
読了日 2019/08/18
著 者 樋口有介
出版社 東京創元社
形 態 単行本
ページ数 239
発行日 2011/04/25
ISBN 978-4-488-02475-8

 

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なり前のことなので正確なことは覚えていないが、東京創元社が樋口有介氏の作品をすべて―過去の作品を含めて―刊行することになって、それに対して樋口氏は、「作家冥利に尽きる」という旨の談話を発表していた。
どこかでそんな記事を読んで、氏のファンである僕は、樋口氏の作品を評価した東京創元社に対して、好ましい感じを持った。
古いデータをたどってみると、2005年に最初の『ぼくと、ぼくらの夏』から、一昨年に読んだ『捨て猫という名前の猫』まで、著者の作品は28冊を読んでいる。本書で29冊目となるから、好きな作家の内でもかなり多く読んでいる方だろう。
樋口氏の独特の語り口に、ハードボイルドに登場する私立探偵の、ストイックな性格を表すような感じを受け、それを好ましく感じると同時に、ちょっとひねた少年の青春の雰囲気を味わうのだ。
そういえば、樋口氏の作品を評して、「夏がよく似合う」という人がいた。僕も同様の感じを抱いていたから、その評価を言い得ていると思った。

 

 

本書は好評のシリーズ、“柚木草平”シリーズの番外編で、彼の娘・加奈子を主人公とするストーリーだ。
草平の、意に反して美女に絡まれる仕事ぶりなどに、反感する妻と別居中の草平は、定期的に娘の加奈子に付き合うという生活だが、その加奈子嬢は小学生とは思えないような口利きで、しばしば彼を悩ます存在だ。
そんな娘の活躍を陰で支えながら、事件解決に一役買っている柚木草平と、娘・加奈子の鮮やかな事件解決の物語は、シリーズの持ち味を備えつつ、青春ミステリーを整えている。

大型の台風が過ぎ去って回復した天候は、朝から強い日差しを放しながら、これでもかと言わんばかりに、年寄りの身を傷めつける。テレビの気象情報によれば、この異常とも思える暑さは、まだ当分続くようだ。 扇風機の風量を少し強めにしてあるが、生暖かい風は涼しさを感じさせることなく、首を左右に振りながら、うんざりしたような動きを見せている。
テレビでは毎日、熱中症に気を付けるよう、呼びかけているのに、それでも全国では毎日のように、熱中症による死者の発生を伝えている。

 

 

んな報道を見聞きするたびに思うのだが、世間の人々は思うほどテレビを見ていないのだろう。
年寄りをだまして金を奪う詐欺事件も、後を絶つことはなく、むしろ次第に巧妙化する傾向さえ見え隠れしている。
カミさんに言わせれば、僕などもそんな詐欺事件に引っかかること間違いなしだという。
まあ、せいぜいそんなことのないよう気を付けよう。だが、幸か不幸か、我が家には詐欺で持っていかれるような金はないから、はなから心配ないか!

 

 

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1922.東京バンドワゴン アンド・アイ・ラブ・ハー

2019年08月15日 | ホームドラマ

                                            

東京バンドワゴン
アンド・アイ・ラブ・ハー
読 了 日 2019/07/15
著  者 小路幸也
出 版 社 集英社
形  態 単行本
ページ数 292
発 行 日 2019/04/30
ISBN 978-4-08-775446-9

 

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年4月に新刊が刊行され、古い缶の文庫化が実施されるという、定型のサイクルが続いている。
いつもその時期になると、心待ちにしているのだが、いろいろ雑多な事情から、今年は忘れていた。しかし、こうして読み始めれば、おなじみの懐かしいメンバーと出逢えることに、楽しい話題ばかりでなく、悲しい別れもあるが、遠くなった昭和の時代がよみがえって、下町の雰囲気にどっぷりと浸かることになる。
シリーズ最新作は早14作目となった。2作目からサブタイトルに、ビートルズの曲名が付けられて、一層郷愁といった思いを呼び起こす。
そんな時、昭和という時代も、古き良き時代といった形容が、似合う時代になったかと感じて、改めて自分の歳を認識するのだ。
しかし考えようによっては、古き良き時代というのは、必ずしも今という時に満足していないから、過去を懐かしく思うのかもしれない、そんな思いも胸の内をよぎって、僕のように、後悔することばっかりの過去だと、古き良き時代などは小説やドラマの中だけに存在するものだ、手の届かぬものへのいらだたしさも若干。
ということで、このシリーズは読むだけで、そんな古き良き時代を、自分のものにできるのだ。

 

 

この世の人ではなく、古書店「東京バンドワゴン」の店主、堀田勘一のおかみさんだった堀田サチ。
彼女の語りでこのストーリーは展開する。僕はこの堀田サチの語り口に、昔、日本のお母さんといった風情をかもしていた、女優の京塚昌子氏を思い浮かべるのだ。
毎回、物語の最後に記される“あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ”、というフレーズに込められた、作者の思いを見るたびに、僕もそのころ見たたくさんのテレビドラマを、思い浮かべて、また見たいドラマも数多くあることに気付くのだ。
なんだかこのシリーズになると、いつも同じことを書いているみたいだ。それというのも、読み旅に同じ思いを抱くからだろう、などと言い訳にもならないか。

 

 

い雲の合間から陽が差し始めて、ほんの少し涼しいと思っていたら、またしも熱い気配が部屋に漂う。ほんの2-3度温度が下がっても、それほど涼しいわけではないが、このところ台風の影響か?朝晩わずかではあるが、温度が下がっていくらか、ほんの少し涼しさを感じる。

しかし、本日もこの分では暑い一日となるのだろう。
お盆休みと台風の襲来が重なった西日本では、空の便や新幹線の運行変更などで、大変だ。我が地方は幸いにして、台風の直接の被害は免れそうだ。それでもやたらに高い湿度で、一層の厚さを感じることには、閉口する。
読書の進み具合も遅々として、頭にも入りにくい。夏の蒸し暑さは毎年の事ながら、骨身にこたえる。

ブログのアクセスカウンターを正常に戻そうと思いながら、なかなか手につかず。何もかも暑さのせいにしたって、仕方がないが、それでもアクセス解析を見ると、毎日100名を超える訪問者があることが分かる。
半分以上はロボットだろうとは思うが、アクセス数がブログを更新する励みになることは確かだから、早く正常な形に戻したい。

 

 

収録作
# タイトル
ペンもカメラも相見互い
孫にも一緒の花道か
桜咲かすかその道の
アンド・アイ・ラブ・ハー

 

 

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1921.黒猫のいない夜のディストピア

2019年08月11日 | 本格
黒猫のいない夜のディストピア
読 了 日 2019/07/14
著  者 森晶麿
出 版 社 早川書房
形  態 単行本
ページ数 314
発 行 日 2018/12/15
ISBN 978-4-15-209823-8

 

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烈な暑さの続く中、甲子園では高校球児たちのこちらも熱い戦いが続いている。千葉県からは習志野高校が代表として第1戦を勝ち抜いている。僕はプロ野球にはさほどの関心はないが、この夏の高校野球には、ドラマを感じて故郷代表以外にも、その戦いぶりに心を奪われている。
スポーツ観戦には何故気持ちを高める要素が、あるのだろうと思いながらも、筋書きのないドラマに酔いしれる。
AIG全英女子オープンを制した、渋野日向子プロの凱旋試合でもある、LPGA北海道meijiカップも、本日最終日を迎えて、その結果が期待される。
僕の贔屓は鈴木愛選手だが、今年のLPGAは、黄金世代と言われる若い選手たちの活躍が目覚ましく、特に渋野選手の急成長ぶりが注目される。
昨年プロテスト合格という、短いキャリアの中、5月のワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップで初優勝、7月の資生堂 アネッサ レディスオープンで、早くも2勝目を挙げるという快挙を成し遂げての、全英女子オープンへの参加だった。
42年ぶり樋口久子プロに続く2人目のワールドメジャー制覇は、海外の報道陣から“スマイリング・シンデレラ”と呼ばれて、試合中のその実力と笑顔がともに賞賛された。

 

 

木更津市立図書館で借りていた『平凡な革命家の食卓』を返しに行って、続けて樋口有介氏の作品を読もうと思い、『少女の時間』を借りようと書棚を見たが見当たらない。パソコンで検索すると、「カウンターでお聞きください」というメッセージだ。
係員に行って書庫から出してもらい、森晶麿氏のコーナーにあった本書を一緒に借りてきた。
著者の森晶麿氏は、ご存じのように早川書房が主宰する、アガサ・クリスティ賞の第1回の受賞者で、その受賞作『黒猫の遊歩、あるいは美学講義』に続くシリーズ作品を、書き続けている。本作はその最新作だ。
僕は第1作を読んで、若くして教授の椅子を獲得した、通称・黒猫と、その付き人に任命?された“わたし”のコンビに魅せられた。
そしてシリーズ作品を読み継いでいるが、本書でシリーズは7作目となり、さらには本書から新たな展開となっている。

 

 

年前まで、いや、今からすればおよそ10年前まで、僕の卒業した千葉県立大多喜高等学校の、クラス会「33会」が毎年1回実施されていた。昭和33年卒業ということと、第1回の集まりに33名の参加を見たことからも、33会と名付けられたクラス会は、東大卒のI氏を会長として、気の合った仲間が集うクラス会として、思いのほか長続きした。
だが、そんな仲間も今年で80歳を迎えるから、もう、クラス会が召集されることもないだろう。
クラス会に集まるメンバーのうち、多くの男性諸氏は大卒で、僕は時折彼らの大学時代を、羨ましく思うことがあった。いや、その学歴云々ということではなく、その時代のキャンパス生活の経験に、今更どうにもならない自身の同時代の、経験を重ね合わせたものだ。
そうしたことも、このシリーズを面白く読む要素の一つになっているのだろう。長く続くことを願うばかりだ。

 

 

 

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1920.少女の時間

2019年08月10日 | ハードボイルド
少女の時間
読了日 2019/07/11
著 者 樋口有介
出版社 東京創元社
形 態 単行本
ページ数 303
発行日 2016/01/08
ISBN 978-4-488-02548-1

 

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の読書日記は、あまりあてにならない僕の読書能力や、スランプといった数々の要因から、ある時は週に3回程度、時には月に1-2回、またある時は半年も間が空いて、読者の方にはまことに申し訳ないと思うが、年寄りの凡人のことだからと、ご勘弁願いたい。
前に書いたことを忘れて、何度も同じこと書いたりすることも、ままあるから、たまに前のデータをたどってみるのだが、このように量が多くなると、それもままならない。
椎間板ヘルニアの影響で、一時期左足の痛みで、歩行も困難な状態だったのが、整形外科のドクターの勧めで、ブロック注射を打ったのが、6月22日だった。はじめての経験で、ブロック注射なるものがどんなものなのか、知らなかったのだが、俯せの姿勢で腰の左あたりに、まず麻酔注射が打たれ、その後骨にあたるような感じの注射が打たれた。
看護師に「しばらく休んでいてください」と言われ、そのまま横になっていたが、1時間もしただろうか、看護師に付き添われて、ドクターの部屋に向かったのだが、足に力が入らず思わずよろける始末だ。
そんな体験は初めてだったが、まだ麻酔が利いているからのことらしかった。
ドクターからは「これでしばらく様子を見ることにしましょう」と言われ、処方された痛み止めと張り薬を2週間分、薬局でもらって帰宅。

 

 

ブロック注射を打ったばかりだというのに、メール便配達という僕の仕事は、待ってくれない。
毎月、決まった時期に大手の機関誌の配達があって、22日はその一つの大量の荷物が、来ているのだ。
その荷物をエッチラオッチラと、二階に上げてから番地ごとに区分けしてから、配達順に並べ替えノートに名称を写し取る。更には、バーコードリーダーでデータを読み取るのだ。
そうした作業は配達前の僕の大事な作業で、スムーズな配達のために欠かせない仕事なのだ。まだ痛む足をかばいながらの作業が終わると、配達の仕事に移る。足の痛みは相変わらずで、注射もあまり効かなかったのかと思いながら、配達を終了する。
そんな状態が薬の切れる2週間ほど続いたが、気が付くといつの間にか痛みはなくなり、歩行にも支障がなくなっていた。

 

 

うした経緯で現在に至っているが、ネットで調べると、注射の効力は短いと1週間ほどで消えるということもあるようだ。僕の場合はそんなことはなく、もう1か月半以上にもなるが全く痛みは発生せず、快適な日を送っていることに、感謝の日々だ。
それにしても毎日、猛暑日のニュースを見聞きすることに、ウンザリだが、憂鬱な足の痛みからの解放されたことで、考え様によっては、僕のやる気のない日々にわずかの光明がさす気分だ。

東京創元社からのメールマガジンによれば、本書が好評発売中ということだから、最新作かと思って図書館に行ったら、ご覧のように3年も前の発売だった。メルマガは文庫の広告だったか!?と、今頃気が付いても遅いが、いずれにしても未読であるから、何の不都合もない。
著者の作品の中でも特に気に入っている、元警視庁刑事で現在はフリーのルポライターとして、というより私立探偵の様相を示す、柚木草平シリーズは読書の楽しみを倍加させる。

前回の記録“1918”から“1920”へと一つ飛ばしてしまうが、1919番の記事は、都合により少し遅れて書くことにする。

 

 

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1918.山手線謎日和

2019年08月08日 | 短編集
山手線謎日和
読了日 2019/08/05
著 者 知野みさき
出版社 角川春樹事務所
形 態 文庫
ページ数 237
発行日 2017/12/18
ISBN 978-4-7584-4137-7

 

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回の『フェルメールの街』の巻末にあった広告で、本書を知りAmazonで購入した。広告で知った本もたまには面白い本があるから、ためらわずに買ったのだが、ミステリーと思っていたらラブストーリーだった。
否、ラブストーリーとも言えないか。
結論から言えば外れだった。決して駄作というわけではない。単に僕の好みに合わなかったというだけだ。
社員十数人という小さな出版社に勤務する、主人公の折川イズミが、五反田の駅で遭遇した事件で、偶然出会った男・和泉伶史と、その後も出逢うことになり、本人たちとの思惑とは異なる眼で見られることになる、という展開が、僕にラブストーリーと思わせたのだ。
感情移入が出来なかっただけのことだ。普通は気に入らなくとも、読み進むうちに気にならなくなるものだが、この作品では最後までもう一人の、サブキャラクターともいうべき人物とともに、素直に受け入れることが出来なかったのだ。
折川イズミは女性で、その相手の和泉伶史・こちらは叔父の遺産を受け継いで、と言っても莫大なものではなく、贅沢をしなければ何とか働かずに暮らしていける、という程度の遺産だ。
サブキャラと言ったが、僕はこちらのほうがメインキャラクターという感じがしている。
折川イズミがミステリーと感じていることに、何らかの解決を見出す役目を和泉伶史が負う。そんな展開なのだが、和泉伶史は終日、山手線の電車の中での読書を趣味としていて、そのための乗車券を買っている、という変なおじさん、ではなく中年なのだ。

 

 

 

長く読書をしていると、たまに僕の体調不良により、本の内容にかかわらずつまらないと思うこともある。以前、腹立たしいほどに、気に入らなかった本を読み直した折、つまらないどころか面白く読めたことがあり、体調不良の時には読書も控えたほうがいいという結論に達したのだ。
もしかしたら本書も時がたって、もう一度読み返したら面白く読めるかもしれない。と言うことで外れというのは、僕個人の思いだということ。

人生は悲しいほど短く儚い、そんな残り少ない僕の人生の時間だから、出来れば面白くない本は敬遠したい。そう思いながらも、自分にとって面白い本とはどんなものだろうと、思い返すもそれがなかなか難しい問題で、確たる定義がないことが悩ましい。
過去に読んだ本の傾向を見ても、それは広範囲にまたがっていて、カテゴリー的に言っても多岐にわたっているのが現状だ。

 

 

くAmazonで古書を購入するが、その購入履歴によって、おすすめ本を紹介してくれる中に、たまに僕が見落としている面白そうな本が紹介される。Amazonのシステムがどうなっているのかは分からないが、時には煩わしいと思うこともあるが、なかなかよくできたシステムだと思うことの方が多い。
だから、ここ数年は本探しを専らAmazonに頼っているのが現状だ。僕が買うのはいわゆる古本で、送料を加えても300円から500円といった価格のものばかりだ。昔を考えれば、それはとてつもなく便利で、ついBOOKOFFなどに出かけることも、少なくなる。
外出する手間もなく、手ごろな出費でほしい本が手に入るのだから、便利に使うのもむべなるかな、である。
だが、そうして手に入れた本が、思いのほか好みではなかった、というのはちょっと悲しい。

ここで、コーヒーを飲みたくなって、階下に降りてドリップポットで湯を沸かし、沸騰した湯を珈琲茶碗に注ぎ、1分待ってから茶碗の湯を捨てて、サーバーを茶碗にセットして、ポットのお湯をまわしながら注ぐ。
夏の暑い時期だから、コーヒー茶碗を暖めなくてもいいのではないか?とも思うが、これは一種の儀式のようなもので、暑くても寒くても同様の手間を惜しまずに実行するのが、僕のやり方なのだ。
僕は夏でも珈琲はホットで飲むから、以上のような手間を1杯ごとにかける。たまにそうした手間が面倒になることもあるが、おいしいコーヒーを飲むための手間は、仕方がないと考えている。
最近、喫茶店とかカフェに行かないのは、懐具合もあるけれど、自分で淹れたコーヒーが一番だと考えることで、満足している。皆さん、おいしいコーヒーを飲んでいますか?

 

収録作
# タイトル
1 五反田駅事件
2 高田馬場駅事件
3 上野駅事件

 

 

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1917.フェルメールの街

2019年08月07日 | 絵画
フェルメールの街
読了日 2019/07/05
著 者 櫻部由美子
出版社 角川春樹事務所
形 態 文庫
ページ数 330
発行日 2018/09/18
ISBN 978-4-7584-4202-2

 

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ェルメール、この名を見聞きしただけで心が躍るのはなぜだろう?その名を冠した作品は数えきれないほど、出版されていることから、僕だけではなく多くの人々がフェルメールに、またはその作品に関心を寄せていることは確かだ。
フェルメールの作品は日本人好みだといわれているが、日本人だけではないことは、海外でも同様に彼の名前を使った作品が、小説が、画集が、評論が多く出版されていることが、その証しだ。
僕はいつごろからフェルメールという画家に興味を持ったのか、確たる時期は覚えていないが、多分一時期熱狂的ともいえる、ブームが始まったころではないかと思う。
テレビでの特集番組を見てからだと思うが、確かではない。そして、望月諒子氏の『大絵画展』なども、そのきっかけを強めたのではないか?

人が何かを好きになるのに、それらしき理由はいらない。「一目惚れ」という言葉があるように、人の脳は一瞬で対象物を見抜く力を持っている、もっともそれはしばしば見当違いのこともあるのだが・・・・。
僕の場合もどうやら「一目惚れ」だったのではないかと思っている。
絵画に特別の思いや、決して詳しくはないのだが、印象派の代表ともいえるルノワールやモネの絵を、理屈抜きで好きだ。フェルメールの絵を良いと思うのも同様なのだ。

 

 

こういう本を読んで、フェルメールという画家が、若き日にどのような経緯で作品を描いたのか?どういう生活の中で、絵画が生まれたのか、環境はどのようなものだったのか?そうしたことを知ることにより、また一味違った作品への思いがわくのだろう。

元来僕は作者の日常生活とか、その環境などに思いを馳せることはない。
小説や絵画に限らず、作家はその作品によって評価されるべきなのだろう。そうはいっても、僕のような凡人はついつい、その私生活や交友動向に興味を惹かれてしまいがちだ。そのいい例がテレビのバラエティ番組だろう。そこに引っ張り出される俳優やタレントなどは、引きも切らないから、彼らも考えようによっては、一市民で生活のためもあるだろうから、そうした愚にもつかない番組だろうが、視聴者を引き寄せるためには、致し方がないと考えているのかもしれない。

何の話か分からなくなってきた。

 

 

から身を焦がすような暑さが続く毎日で、頭も働かなくなっているから、ということばかりでなく、いつも言うように少しは加齢による、認知機能の衰えか? それでも、今日は一仕事終えてきたところだ。朝の涼しいうちにと思っていたが、前述の如く朝と言わず夕と言わず、ちっとも涼しくならないことに、いささかうんざりしている。

本書はネットで何の気なしに、フェルメールがタイトルに含まれる本を検索して、その内の3冊をAmazon で買った1冊だ。前述のように、フェルメールがタイトルに含まれる本は多数あり、タイトルに含まれないが、関連する本も多くあり、そのうち気が向いたら、そうした本も読みたいと思っている。
そんな風に僕の欲求は霧も際限もなく広がっていく。そんなことを考えている場合じゃないだろう!などという思いも一方にあるが、あまり時間も残ってないだろう人生だ。足の向くまま気の向くままだ。

 

 

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1916.完全犯罪研究室

2019年08月04日 | 本格
完全犯罪研究室
読 了 日 2019/07/02
著  者 由良三郎
出 版 社 集英社
形  態 文庫
ページ数 295
発 行 日 1995/08/25
ISBN 4-08-748371-1

 

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きな作家が多くいるということは、それだけ読書の楽しみが増えるということだ、と思っているが、逆の見方をすれば、読書の方向が定まらないともいえるから、もっとも僕の方向の定まらないのは、自身の気まぐれによるもので、別にもっともらしい理由を付ける必要はないのだが…。
夏だから暑い毎日が続くことは仕方がないが、にもかかわらず僕の日常は熱中症にもならず、比較的健康に過ごしている。そうは言ってもこの暑さは年寄りの身に応える。エアコンのない僕の部屋だが、開け放した窓からたまには涼しい風も入って来るから、扇風機の風だけでも少しの時間なら過ごせる。
我慢できなくなると、たまに階下の部屋のエアコンの涼しさを味わいに降りて、また二階に戻る。最近はその階段の上り下りだけでも、結構なエネルギーを消費する気がしているが、運動不足を補えると考えて、頻繁に繰り返している。

 

 

現在は廃止されてしまったが、昔、サントリー・ミステリー大賞なるミステリー文学賞があった。前回読んだ樋口有介氏や、この由良三郎氏も、その文学賞出身の作家だ。
当時僕は寿屋という社名がサントリーに変わったことなどを含め、近代的なものを思わせる社風に惹かれていた。サントリーには山口瞳氏や同期の開高健氏、柳原良平氏などもいて、モダンなテレビコマーシャルの映像などにも、興味をひかれたものだった。
アンクルトリスなどと呼ばれた、イラストは柳原良平氏のもので、宇津井健氏らのCMとともにヒットした。
その頃のことを思うと、僕個人の日常は決して幸せとは言えない状況だったが、“古き良き時代”などという言葉が浮かび、それは良いことだけが思い出として残るからだろう。
そんなどうでもいいことを思い出すということで、僕は時々由良三郎氏の作品を読みたくなることがあるのだ。

 

 

日は、近くのオートバックスで、ブレーキパッドの交換に行ってきた。前々日タイヤ交換の際ブレーキパッドの摩耗が見つかったことにより、交換を余儀なくされたのだ。
メール便配達という仕事を持っているから、まだ車は必需品で手放すわけにはいかない。それにしてもいろいろと、維持費はかかるものだ。来年2月にはまた車検が待っているから、数万円あるいは10万円弱の金が飛んでゆく。貧乏暮らしの僕には気の遠くなる話だ。

最近ペーパードリップでのコーヒーを淹れることすら面倒になって、時々コーヒーメーカーを買おうかなどという思いがわく。しかし、それとて後の器具の洗浄や後始末などを考えれば、やはりペーパードリップは、一番簡単で旨いコーヒーの淹れ方だと、思い直すのだ。
近くには“スターバックス”や“コメダ珈琲店”などといったカフェもあり、前を通るとそれなりに賑わっていることが窺える。昔は喫茶店が僕の行動範囲にいくつか入っていたものだ。会社勤めの頃は、勤務時間中にもかかわらず仲間と、無為な時間を過ごすこともまれではなかった。 今になって思えば、ずいぶん贅沢な時間を過ごしたものだと思うが、あれも人生の一部分だと、自分に都合の良い解釈をしている。

さて、コーヒーでも飲もうか。

 

 

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1915.平凡な革命家の食卓

2019年08月03日 | サスペンス
平凡な革命家の食卓
読了日 2019/06/20
著 者 樋口有介
出版社 祥伝社
形 態 単行本
ページ数 309
発行日 2018/04/20
ISBN 978-4-396-63543-5

 

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きな作家の作品は一つ読むと、次々と読みたくなるのだが、そうはいっても作品は無限にあるわけではないから、すぐに読み切ってしまわぬよう、少しずつ読む。
しかし、そんなことをしなくても、僕の読む能力を考えれば、そうそう全部の作品を読み切れるわけはないので、心配は無用だ。分かってはいるが持ち前の貧乏性は、そんなおかしな注意を払うのだ。

ところで、2年前に社会福祉法人薄光会の、運営協議員を仰せつかっていたのだが、2年の任期を終えて今年で退任することになった。法人の事務局長からメールでその旨の通知があった。
少し前に保護者・家族の会天羽支部の役員も辞任したので、薄光会関連の仕事は全くなくなった。11月で80歳を迎えるということで、そうした役職は辞めたいと、日ごろから考えていたので、僕としてはまことにありがたいことなのだが、正直、少し寂しい気もするのはどうしたことか。

 

 

最近は何事においても、面倒だという気持ちが働いて、歳を取るということの心身共に、衰えを感じているから、このブログへの書き込みも不定期となって、気の向くままとなっている。 いや、気の向くままというのは正確ではない。気の向くままに書けなくなっているのだから。ここに書くのはだいぶ先の話だが、現在僕が呼んでいる本は、原田マハ氏の『暗幕のゲルニカ』だ。段組みは1段ながら、357ページという長編で、印象としては大作だ。 樋口有介氏の作品とは一味も二味も異なる内容だが、僕はどちらも甲乙つけがたいと感じながら読んでいる。 何のかんの言いながらも、この『平凡な革命家の食卓』以降、10数冊を読み終わっているのに、なかなかここに書くこともままならない現実を、どうしたらいいのだろう?

 

 

年2月の車検まで何とか持たそうと思っていた前輪のタイヤが、ワイヤーがはみ出すまでに至って、いよいよ交換を迫られたので、近くのオートバックスに行って交換を依頼した。昔の知り合いが一人いるので、車に関してはこのオートバックスを依頼している。 取付料込みで2万数千円を払って、交換作業が始まったら前輪のブレーキシューが、擦り減って無くなっているということだ。そこでまた1万何某かが必要になる。今、車はなにかと必要だから、相応の出費は仕方がないが、貧乏暮らしの中、誠に痛いことだ。 何年か先、免許証返納に至るまで大事に乗らなければ・・・・。

 

 

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