矢上教授の十二支考 | ||
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読了日 | 2019/08/29 | |
著 者 | 森谷明子 | |
出版社 | 祥伝社 | |
形 態 | 単行本 | |
ページ数 | 251 | |
発行日 | 2018/08/20 | |
ISBN | 978-4-396-63351-0 |
月24日、カミさんの誘いで、アカデミアパークに娘と3人で行ってきた。
アカデミアホールで行われた、かずさジュニアオーケストラの第21回定期演奏会の視聴が目的だ。現役を退いてから、こうした演奏会に行くことなど、絶えて久しかったから、期待して出かけた。
カミさんは高校時代、コーラス部に在籍していたことから、音楽に関心が高く、内外の楽曲にも詳しかった。その辺の知識に乏しかった僕は、新しく聞く曲について、しばしば彼女に曲名を訊ねたものだった。結婚前に、当時来日したアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの公演が行われた、サンケイホールに一緒に行ったことも、今となっては半世紀以上も前で、懐かしさだけがよみがえる。話がそれた。
かずさジュニアオーケストラなどという楽団が、存在することすら知らなかったのだが、毎日のようにポスティングされる、チラシに載っていた広告をカミさんが見つけたものだった。
開演は午後2時だが、開場が1時半ということで早めに昼食を済ませ、12時半ごろ家を出た。
日曜日ということもあり、会場は相当混雑すると思っていたら、ことのほかすいており、警備員の誘導に従って一番上の駐車場に車を止める。 アカデミアホールには以前、高校時代の同級生がかずさディーエヌエー研究所の役員を務めていたころ、たびたび研究発表会などに訪れていたのだが、彼が退官して後は全く訪れることもなくなっていた。
僕が訪れていたのはいつも広い会議室だったので、音楽を聴くためのホールがあることなど知らなかったが、当時からこうしたホールがあったのだろうか?
受付で入場料を支払って、ホールに入る。真ん中の列、中ほどの左端に席をとる。間もなく開演5分前のブザーが鳴って、着席を促され客席が徐々に埋まるが、かなりの空席が目立つ。
プログラムによれば、かずさジュニアオーケストラは、小学校1年生から大学1年生までの男女で構成されており、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスなどの弦楽器が40名、フルート、クラリネット、オーボエ、ホルンの木管楽器が10名、トランペット他の金管楽器が8名、パーカッションに7名、ハープ1名と、総計66名で構成されている。
まずは開会を宣言するトランペットとホルンによる、「オリンピック東京大会ファンファーレ」が鳴り響く。と言ってもこれは1964年の東京大会のものだ。続いて同大会の「オリンピックマーチ」が、オーケストラにより演奏される。ホールの音響効果は抜群で、ホール全体に鳴り響いてウキウキさせるが、何しろジュニアオーケストラだ、ずいぶん練習を重ねたのだろうが、わずかに金管楽器のずれが感じられるには、仕方がないか。
続いて、ヘンリー・マンシーニの「ピンク・パンサー」が演奏される。デヴィッド・ニーヴン、ピーター・セラーズの映画が公開されたのは、1964年のことだった。映画の中で流れたこの曲は、大ヒットしてラジオで随分流れていたが、今の若い人たちには無縁かもしれない。
その後、アンサンブルコーナーということで、弦楽器、管楽器といった楽器ごとの演奏が行われて、第二部はオーケストラによる「セントポール組曲」、そして、最後は音楽物語「カルメン」が、小学6年生の女子の語りで「闘牛士」を始めとする各曲が次々に演奏されて、盛り上がる。
アンコールはお馴染みの「ラデツキー行進曲」で締める。多少の拙さを感じることはあっても、懸命の演奏は多くの観客の感動を呼び起こしたに違いない。我々3人も入場料以上の満足感を得て、帰ってきた。
017年2月に読んだ『矢上教授の午後』は、タイトルに惹かれて図書館で借りたものだった。
高校卒の僕は何と今頃になって、大学生活へのほのかな憧れを持つようになった(このことについては、いろいろな記事で書いているが・・・・)。こうしたタイトルに惹かれるのも、そうした憧れが根底にあるからだろう。10年ほど前で終わってしまった?が、卒業した高校のクラス会が毎年行われており、多くとも20人程度しか集まらなかった会合だが、昭和33年3月の卒業ということから、「33会」と名付けられたクラス会は、東大卒のI氏を会長に、千葉市在住のT氏夫妻を主な幹事として、有志を招集した。
在校当時、その言動に対してあまり気にすることはなかったが、卒業後クラス会に参加するようになってからは、神戸大学の教授となり、退官後は千葉県木更津市のアカデミアパーク、ディーエヌエー研究所の、常務理事を務めたI氏と、親しく付き合うようになって、彼を尊敬するようになった。
だが、今考えれば、それも彼と話すことにより、僕が成し得なかったキャンパス生活の、一部分だけにでも近づきたかった、という理由だろうか?と、そんな風に思っている。
60年以上も前の青春を悔やんでも致し方のないことは、十分すぎるほどわかってはいるが、僕は同じ年代の大学生活を送った彼らと話すことによって、キャンパス生活のにおいだけでも、分かち合いたかった。
だが、なんといっても僕は自分の選んだ道を、そうしたことで悔いることはしていない。ただただ仄かな憧れを持つだけだ。
暑い雲の隙間から、時折陽が差して蒸し暑さを感じさせる。気圧の動きやその配置によって、不安定な気象状況を示している。ことによると当地方にも、激しい雨を降らすのか?
九州北部の大雨による被害は、テレビの放送で惨憺たる現状を物語っているが、専門家によれば佐賀地方の川は、平地で高低差が少ないことから、大雨による反乱と堤防の決壊が起こりやすいということだ。
それが分かっていながら、事前の対策が行われていないのは、どういうことだろう?
いや、対策は行われていても、今回のような従来経験したことのない、降雨量には如何ともし難いか?
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