ηなのに夢のよう | ||
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読了日 | 2010/2/27 | |
著 者 | 森博嗣 | |
出版社 | 講談社 | |
形 態 | 新書 | |
ページ数 | 269 | |
発行日 | 2007/1/11 | |
ISBN | 978-4-06-182514-7 |
イトルにギリシャ文字が付けられたGシリーズというのがこのシリーズに付けられた名前だ。 6月の「φは壊れたね」から毎月1冊ずつ読もうと思っていて、 途中で抜けた月もあるので6冊目の本書まで8ヶ月となった。
シリーズは現在刊行されているのは、あと「目薬αで殺菌します」の1冊だけだ。そこでおしまいなのだろうか?気になるところだ。
森ミステリは各シリーズにまたがって登場する人物たちの関わりが興味深く、S&Mシリーズから読み続けてきたが、今回は登場人物の紹介に「瀬在丸紅子」の名前がある。どういう形で現れるのだろうと、読む前から期待が高まり、子供の頃味わったワクワクするような読書体験を思い出す。この感覚が読書を至福の時と感じる瞬間なのだが・・・果たして期待通りに進むのかどうか?
ところで、僕は村上春樹氏の「1Q84」を読んだ際に、比喩的表現が気になる旨を書いたのだが、考えてみれば森ミステリにもそうした表現が随所に出てくることに今更ながら再確認した。それでもこちらの方はなぜ、気にならないのだろう?
どちらもちょっと哲学的な様相を示すところも似ている感じだが、森ミステリの方はあくまでミステリの範疇に属する考え方だと、僕が割り切っているから気にならないのだろうか? 例えば森ミステリによく出てくるのが犯罪の動機に関する議論?だ。
行われてしまった犯罪に動機が示されることがなぜ必要なのかという疑問が提示される。警察の犯罪捜査などについてメディアの報道にも、「警察は容疑者の犯罪にいたった動機を解明している」という類のものがある。容疑者を送検するためには犯罪が行われたプロセスも重要なのだということから、その動機も重要視されるのだろうが、森ミステリで議論されるように動機がわかったところで何が解決するのだろうか?という疑問は解決されない。
なんだか僕まで巻き込まれそうなのでこの辺にしておこうか?せっかくの楽しい読書の気分が損なわれそうだ。いずれにしても、僕は余分なことを考えながら読めるような頭も持ち合わせていないのだから気にしなければいいのだが・・・。
て、楽しみにしていた「瀬在丸紅子」女史の登場は、彼女を含めた数人がヘリコプタ ーで比真加島へ飛ぶのだ。そこにはかつて真賀田四季が立てこもっていた真賀田研究所の建物が残っており、彼らはそこを見学するのだが・・・。
この辺は森ミステリの出発点である「すべてがFになる」に詳しい。他のシリーズを読んでいようとなかろうと、それぞれは独立した話のはずだから差し支えはないと思うが、それでもこうして他のシリーズの登場人物が出てきたり、はたまた舞台が出てきたりすれば読んでいたほうが何倍か面白く興味深く読めるだろう。
しかもだ、本書では事件の裏に真賀田四季の影か幻か?ちらちらと見え隠れするような雰囲気を漂わせている。思わせぶりなストーリー展開が気を持たせる。あまり書くと、これから読む人は興味半減するだろうから、この辺にしておこう。
そんなこんなで、僕はもう1冊の「目薬αで殺菌します」を続けて読まずにいられなくなったのだ。
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