隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1425.烏女

2013年12月29日 | サスペンス
烏女
読 了 日 2013/12/12
著  者 海月ルイ
出 版 社 双葉社
形  態 単行本
ページ数 323
発 行 日 2003/12/20
ISBN 4-575-23487-7

 

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年もいよいよ残すところ、今日を含めて3日となった。毎年この時期になると、何か遣り残したことがあるのではないかと、心中穏やかではなくなる。役立たずの年寄りにそんなことは何もないのだが、生来の貧乏性のためだろう。いつも何かに追い立てられているような気になるのだ。
それと言うのも、実は押し詰まった27日の1昨日になって、ヤフオクにCDと処分せずに残してあったサイン本を出品したのだ。CDはその前にBOOKOFFで幾らくらいで売れるだろうかと、持って行ったら11枚で950円だと言う。僕は内心まあそんなものだろうと、売らずに持ち帰ってネットオークションに出すことにしたのだ。
サイン本のほうは、東京創元社のネット販売でポツポツと買っておいたものが7冊ほどあったので、こちらははなからBOOKOFFでは値段がつかないだろうと思い、同じくネットに出品することにしていた。
BOOKOFFなどでの処分は買い取り価格は安いが、まとめて処分できるのがメリットだ。ネット販売では高く売れるが、一度には売れないからどちら良いかは、そのときの判断だ。

 

 

と言うようなこともあって、押し詰まってから出品したものだから、2―3落札の通知などもあり、慌ててメール便で発送手続きなどをしている状態なのだ。
クロネコメール便は近くの7イレブンで済むが、ゆうメールは近くの特定郵便局は閉まっているから、少し離れた本局まで行く必要があって、少しばかりせわしない思いをしている。明けてからゆっくりやればよかったと、後悔しても遅い。

以前ネット販売に入れ込んでいた頃は、もう少し手際がよかったのだが、しばらくやってなかったので、要領が悪くなった。歳をとったせいもあるのだろう。
歳のせいといえば、近頃は割りと得意だと思っていた数独を解くのに、かなりの時間を要するようになった。頭の回転はもともと速い方ではないが、気力の衰えが脳の働きにも影響するのか?体の動きにもそれは現れる。イメージと少しずつずれて行くような気がして、心もとない。
何の話をしてるのかわからなくなってきた。今年最後の無駄話だ。

 

 

分しばらくぶりの著者の作品だと思って、記録をたどったら前回「京都祇園迷宮事件」を読んだのは、2011年の12月だった。2年ぶりとなる本書はホラーを思わせるようなタイトルと表紙だ。
僕の中では「サスペンスの名手」という認識を著者に対して持っているから、このタイトルと表紙の絵には少々違和感があった。そのため、実はこの本はかなり前に買ってあったにもかかわらず、読むのが遅くなっていたのだ。(と、思っているが、単に僕の気まぐれと言える)
そこいら辺が読書人としては、有ってはならないところなのだが、まあ、これも僕の性分だから仕方がないか?
自分では意識してないが、僕の中にはいろいろと拘りがあるようで、人に対してはそれほどでもない(と自分では思っている)が、自分に対しては拘りというより変なところで完全主義なのかもしれない。

著者の海月ルイ氏は「子盗り」で、もうかなり前になくなったサントリーミステリー大賞の大賞と読者賞をダブル受賞した。2002年のことだから、もう10年以上前のことだ。
感情移入の激しい僕はその「子盗り」を読んで、胸の痛くなるような不安感に襲われて、サスペンス作家として海月氏を強く意識するようになった。だが、僕が好きになる女性作家には寡作な人も多く、海月氏の作品もそれほど多くはないのだ。
多分此の作品で、僕は氏の作品を全部読んでしまったのではないだろうか?
本作は期待したほどのサスペンス性はなかったが、会談めいた部分もあって、それなりに楽しんで読んだ。 子育てや主婦業をこなしながらの著作は楽ではないだろうが、また胸の痛くなるようなサスペンスを期待している。

ここに書くのも今年はこれで最後になった。年々1年の過ぎるのが早く感じられるようになっている。来年はどんな年になるのだろう?
僕のつたない文を読んで下さった皆さん、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えになってください。そして、また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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1424.再会

2013年12月26日 | 本格
再会
読 了 日 2013/12/09
著  者 横関大
出 版 社 講談社
形  態 文庫
ページ数 407
発 行 日 2012/08/10
ISBN 978-4-06-277347-8

 

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戸川乱歩賞受賞作にはその制定時期からリアルタイムで接してきたから、全作読もうという気持ちはあるのだが、読書量には限度があってそう思うようには行かない。今になって思うのは、もう少し早くから始めるのだったということだ。
仕事にかこつけて、「退職したらゆっくりと読もう」と思っていたが、読書の時間など作ろうと思えば、何とでもなるのだ、と今になって考えても遅い。「まあ、そうあせらずにゆっくりのんびり、行きましょうよ。」 と、時々そんなふうに自分に言い聞かせないと、楽しみの読書が苦しみに変わってしまいかねない。

しかし、近頃は何事に対しても、以前と比べて根気がなくなってきて、歳をとったという思いが頭をもたげるようになった。

ちょっと余分なことを話すと、根気は集中と持続が繋がったもので、ちょっと意味合いは違うが、サラリーマン現役の頃、仕事に専念する、集中する―これを英語で、Concentraationというが、3S+1C(Standardization.Simplification.Specialization+Concentraation)のCだ。「耳にたこ・・」と言うくらいに叩き込まれたと言う感じだった。しかし、時の経過は、そうしたことも次第に体の中から消えつつあるのかと、感慨深いものがある。

つい先日このブログのプロフィールの自画像のイラストを変えようと、デジタルカメラのセルフタイマーを使って、顔写真を撮った。そしてその見事なほどの老人ぶりに、少なからずショックを受けたことは前に「かもめのジョナサン」のところでも書いたが、実は顔だけではなく気力・体力すべての面で、衰え始めているから、ほんの少しずつだが先月あたりから、部屋でもできる腹筋運動とか腕立て伏せなどをやっている。
まあ、気慰め程度だが・・・。
気持ちの若さは持ちつつも、外見も中身も確実に変化しつつあることを、残念ながら意識せざるを得ない。

 

 

本書は今月(12月)5日―6日にいすみ市大原のお袋を尋ねた際に、例によって国道128号沿いにある、ブックセンターあずまで買い求めたものだ。できるだけ古書店には顔を出さないよう心がけているのだが、いや、嫁もしない本を次々と買って、積んでおくのはあまりいい趣味とはいえないばかりか、豊かでない懐具合を余計に悪くするのだが。
しかし、余所に出かけたときくらいは良いだろうと、自分に都合のよい理屈をつけては古書店に立ち寄るのだ。
それでもこうやって、直ぐに読めれば言うことはないのだが・・・。

偶然見かけた本書は昨年(2012年)発行の文庫だが、2010年度の受賞のようだ。つい先だってブログの文学賞などのインデックスデータを更新したので、ちょっとした調べものには重宝する。
僕のブログを読んでくださっている方には申し訳ないが、このブログの半分以上の目的は自分のためのデータベースの構築なのだ。もうただでさえ忘れっぽくなっている僕は、この読書記録が唯一日記のようなもので、いつどんな本を読んだかが判るだけでも、結構役に立つ。

 

 

学校時代の仲良し四人組が埋めたタイムカプセルには、23年前の事件が深く係っていた。
そして、彼らの間で未解決だったその時の事件が、再び持ち上がってきたのは、岩本万季子の息子・正樹の万引き事件が始まりだった。スーパー・フレッシュサクマの店長・佐久間秀之からの電話で呼び出された万季子は事件をもみ消す代わりに、30万円を要求される。万季子は分かれた夫・圭介に相談したが、佐久間の要求はエスカレートして、万季子の身体を要求してきたのだ。
そして、圭介と万季子が訪れた佐久間は部屋で殺害されていた。

殺人事件に使われた凶器・拳銃は、23年前の事件に使われたもので、タイムカプセルに埋められていたものだった。それがきっかけでっかけで、四人組は23年ぶりで再び会うことになる。
四人しか知らないタイムカプセルから、誰が拳銃を持ち出したのか?

 

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1423.一応の推定

2013年12月23日 | 本格
一応の推定
読 了 日 2013/12/06
著  者 広川純
出 版 社 文藝春秋
形  態 単行本
ページ数 282
発 行 日 2006/06/10
ISBN 4-16-325140-5

 

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書は2006年、第13回松本清張賞を受賞した作品だが、それとは関わりなく先だって近くのBOOKOFFで何気なく105円の単行本の棚を見ていて見つけたものだ。スコット・トゥロー氏の「推定無罪」を読んで間もなかったから、この似たようなタイトルはどんな意味なのだろうと興味が湧いて手に取った。 帰ってからブログのデータを見て初めて松本清張賞の受賞作であることを知った。受賞作のデータを記録した際に、タイトルも作者名も見てはいたのだろうが、気にしてなければ記憶には残らないものだ。

今まで、できるだけミステリー文学賞の受賞作を読もうと思ってきたが、近頃やたらと文学賞が増えていくようで、とても追いかけきれるものではない。先日も同じ様なことをどこかで書いたナ・・・。
だが、たまたま受賞作と知らずに読んで、面白かったときはやはり受賞作だけあって傑作だ、と感心したりすることもあり、時々は受賞作を当たるのも良いかな、などと勝手なことを思うのが読者と言うものだ。

しかし、先述のごとく近頃はミステリー文学賞も増えて、地方独自の賞が有ったりして(先だって読んだばかりの「バイリンガル」がそうだ)、いまに作家は誰しもが何らかの賞の受賞者になるのではないか、そんなことも考えてしまう。
まあ、それでも多くの読者に受け入れられる傑作が生まれるのは結構なことで、僕などは大いに歓迎したいところだ。

 

 

特にこの松本清張賞については、他の賞とは少し趣の違った感じを受ける。どんな風にと言われると困るが、最初にこの賞を意識した横山秀夫氏の「動機」、「陰の季節」や、ごく最近読んだ山口恵以子氏の「月下上海」など、僕は好みの作品をいくつか見つけて、時々はチェックする必要を感じているのだ。

本書は2006年の受賞作だから、すでに7年、いやもうすぐ発行後8年を経過する。そんな時間の経過を経て僕にとって新しい傑作を見つけたと言うことが、宝籤にでも当たったような感じがするのだ。いや、まだ僕は宝籤に当たったことはないから、そのように想像するだけだが・・・。

ミステリーの世界では、古今あらゆる職種の探偵が登場して、もう出尽くしたのではないか、などと言われることもあるが、いやまだまだ新しい探偵が出てくる可能性はあるのだろう。
著者の広川純氏はかつて保険調査員の仕事をしていたということで、その体験と知識が本書の元となっているようだ。本書の主人公・村越務は長谷川保険調査事務所に勤めて、まもなく定年を迎えるベテラン調査員だ。僕は、昭和62年の暮れに業務に必要上、日本損害保険協会の普通資格(第M149390号)を取っているが、保険の調査は保険会社が行うものだとばかり思っていた。
本書を読んで、保険調査事務所という組織があって、保険会社の依頼で調査を行うと言うことを始めて知り、世の中にはまだまだ知らない世界があり、ミステリー小説の世界にも、新しい探偵が登場する可能性を感じたのである。

 

 

て気になるタイトルの意味合いは、本文中でなく最初にエピグラムのような形(このように関東に出てくる注釈のような形を何と呼ぶのだろうか?)でその説明文が載っている。
保険加入者が死んで、それが自殺の可能性もあるとき、物証はないが確たる自殺と思われる状況証拠により、一応自殺と推定できる、と言うことで保険会社は保険金の支払いを免除されると言うことらしい。
そのような疑いのある案件の調査に当たるのが、村越務調査員で、まるで刑事のような地道な足を使った調査が、克明に描かれる。

オーソドックスなストーリーの進展は、やはりタイトルが示すごとく、調べていくほどに自殺を示す状況が明らかになっていく。さすがの村越調査員も保険会社の担当が力説する自殺に傾かざるを得ない状況に。
しかし、何故本文中でなく冒頭に「一応の推定」が説明されたのか?そこにもミステリーが!?

 

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1422.生者の行進

2013年12月20日 | 青春ミステリー
生者の行進
読 了 日 2013/12/05
著  者 石野晶
出 版 社 早川書房
形  態 文庫
ページ数 345
発 行 日 2012/06/15
ISBN 978-4-15-031066-0

 

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から気になっていた本だ。と言っても、昨年この本が出た頃何処かの書評番組か何かで紹介されたのを見ての話だ。多分この本はBOOKOFFなどにあまり出回らないのではないか?と思っていた。
僕のそういう当たって欲しくない勘は、残念ながら当たるのだ。一年以上が過ぎても僕の行動範囲内のBOOKOFFで見かけることはない。見かけないとなると、余計に読みたくなるのが人情だ。いや、単なる僕だけの思いか?
Amazonで検索すると1円出品があった。他に欲しいと思っていたパソコンソフト「Fireworks」の参考書が2円で出ていたから、2冊まとめて注文した。FireworksはPDFでおなじみのAdobe社が出しているWebデザインのソフトだ。
Adobe社からは写真編集ソフトとしてよく知られている「Photoshop」や、イラスト作成ソフト「Illustrator」が、プロの間でも使われており、頻繁にアップデートを重ねているから、少し前のバージョンの参考書などは安く買えるのだ。

ただし、Amazonのシステムは送料として一律250円が加算されることになっており、1円の本は実質251円となる。いつもBOOKOFFで105円の本しか買わない僕としては、少々高い買い物だがそれでも世間一般の常識から言えば、安い買い物と言えるだろう。
経済状態の豊かでない僕はこうしたネット販売に随分助けられてきた。

 

 

ところで、このハヤカワ文庫はタテのサイズが他の文庫より少し長くなっており、文庫カバーを掛けようと思ったら入らない。読んだ後、きれいな状態で処分したいので、僕は読むときにいつもカバーを掛けて読む。
余分なことだが、以前アルバイトで千葉三越の文具売り場で働いていた時に、レイメイという会社が出している皮の文庫カバーを買っておいたので、いつもそれを使っているのだが、本書にそれを掛けようと思っても入らなくて、サイズが違うことに気づいたのだ。
そこで、今度は布のカバーなら少し余裕があるのではないかと、UCCコーヒーのポイントで交換した文庫カバーに入れたらちょうどよく収まった。こだわらなくとも、カバーを掛けたかったら紙でも間に合うのに、変なところにこだわりを持つものだと、後になって思うのだがこれも性分だから仕方がない。

本書を読み終わったのは12月5日で、これを書いている今日12月15日で、すでに10日も経っているから内容のほとんどは忘れている。いつものことだが、強いてその理由を挙げれば、もうこの本の後3冊も読み終わっており、4冊目を読み始めているからだ。
そこで忘れても良いように、僕は読書用のノートにメモを残すようにしている。
このミステリー読書を始めた頃は、ブログに書こうなどということはまったく考えてなかったから、大学ノートに読み終わった日付、本のタイトルと著者名、それに数行の簡単な感想などしか残してなかった。中には日付とタイトルだけと言う超簡単なメモもあり、それらを後で、ブログに移す際に苦労した。
読書に何冊を読もうなどと目標を立てるのは、本来の読書のあり方からすれば―そんなものがあるとすればの話しだ―少し外れているのかもしれない。何となれば、楽しみのはずの読書がいつしか義務感を負い、読むことだけに先を急ぐことになって、楽しむこともできなくなるのは本末転倒だ。

 

 

けない、またまた余分な話が長くなった。
先の話のように、僕はどんどん読んで、2―3冊前に読んだ本の内容は忘れていくが、少なくとも読んでいる間は楽しみながら読んでいるから、それはそれでいいのだが・・・。

本書は、島田隼人と言う高校生が主人公の、青春ミステリーだ。
彼には、幼い頃から従妹の藤原冬子がいつも身近にいた。冬子は持って生まれたその美貌が、幼い頃から威力を発揮していた。そのため女の子達はその美しさに圧倒されて、彼女の周りには寄ってこなかったから、冬子に女の友達は一人もできなかった。隼人は冬子より一つ年上だが、冬子はまるで姉のように振る舞い、隼人に対して主導権を握っていた。まるでトラブルメーカーよろしく振舞う彼女を、受け入れる隼人と冬子に、どんな過去が会ったのか?
そんな冬子が中学生になって、初めて女の子の友達ができた。そして、まるで支配者のようだった隼人に対しての態度が一変する。

ざっと前半のあらすじを極々簡単に紹介するとそういうことになる。ストーリーは二部構成になっており、思いもよらなかった出来事が交錯して、もやもやと感じていた謎が解き明かされる終盤に感動の場面が待っていた。
青春ミステリーとは言いながら、少し重いところもあって、明るく爽やかとは行かないが、後半部分で複雑な謎が絡み合ったストーリーが、展開してサスペンスとしても本格ミステリーとしても面白く読める。

 

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1421.消えた受賞作

2013年12月17日 | アンソロジー
消えた受賞作 直木賞編
読 了 日 2013/12/02
編  者 川口則弘
出 版 社 メディアファクトリー
形  態 単行本
ページ数 334
発 行 日 2004/07/06
ISBN 4-8401-1110-3

 

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い立ってここ一週間ほど、ブログのインデックスを見直していたら、江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞など、新しいデータが登録していないことに気づき、更新作業を開始した。一つやると他も気になって、次々とやることになって、一日中パソコンの前に座ることが続いている。
その中で直木賞が、途中第30回くらいからしかないので、ネットで調べて第1回からのデータを乗せることにした。僕はこのブログのデータをすべてHTML(Webサイト用の言語)で、バックアップを取っているのだが、始めた頃のデータを見ると、かなり省略されたデータもあって、時々それらのデータも一旦Dreamweaberに移して、HTMLの正確な様式に直している。
DreamweaberというのはWebサイトを作るためのソフトで、よく知られたホームページビルダーと同じような機能を持つソフトだ。前にはホームページビルダーを使ったこともあるが、今ではこちらの方に慣れたので、専らDreamweaberを愛用している。

僕の使っているBroachというNTTぷららのブログサービスでは、HTMLのBody部分だけを書けば、Header部分を省略しても問題なくWeb画面に表示されるのだが、万一プロバイダーのサーバー故障などによる、データ消失などの事故が起こらないとも限らないから、正式なHTML形式を残すように心がけている。
さらに、HTMLでいくつかのテンプレートを作り、必要なデータを流し込むことで、ブログを簡単にアップロードできるようにもしている。

 

 

2007年4月から読書記録をブログにアップロードしてきたが、1999年から書き溜めた膨大なデータを、Webサイトの知識の何もないところから始めたから、今の形にするまでたくさんの人の助けを借りてきた。
中でも、同じBroachのブロガーだったハンドルネーム“Mild7”さんにはいろいろご教授を願った。僕よりは少し若かったと思うが、それでもかなりご年配の方だった。にもかかわらず、豊富な知識をお持ちで、ずいぶん助けられたが、後に彼はBroach から他のプロバイダーに乗り換えられたようで、最近はトンとその名前を見なくなった。
他にもネット上ではたくさんのアドバイスをもらえるサイトもあって、高度なテクニック―例えばプログラミング等の―を学びたければ、“もーぐ”というサイトがある。以前VB(VisualBasic)でのプログラム作成の折に大変お世話になった。
そういうことで、僕は見よう見真似で少しずつHTML(ハイパー・テキスト・マークアップ・ランッゲージ)を学習することになった。以前学んだBASICによるプログラミングよりは易しく、何よりOfficeに備わっているメモ帳に書いて、直ぐにIE(インターネット・エクスプローラー)で、確認できるところが手軽でいい。 そんなこんなで、70の手習いでも何とかものになったという話しだ。

 

 

線して話の先が見えなくなった。
第1回からの直木賞受賞作のデータを更新している中で、昭和25年上半期の第23回受賞作に、小山いと子氏の「執行猶予」があることに気づいた。当時の僕はまだ小学5年生だったから、直木賞など知る由もなかったが、ずっと後の彼女の活躍については人生相談などで、その名を知るようになる。

 

小山氏がこうしたミステリーを書いているとは知らずにいたから、彼女の作品を読む機会に恵まれずにいた。
今頃になって、直木賞受賞作にその名を見つけて、急にその作品を読まなければという気になった。
そこで近隣三市の図書館を検索したが見当たらなく、Amazonを検索すると図のような文庫(早川書房刊)があったが、古書ではあるがとても僕が手を出せるような価格ではなく、仕方なく此の作品が収録されていると言う「消えた直木賞」を、君津市の図書館で借りてきた。

本書には

 

収録タイトル
# タイトル 著者
1 天正女合戦 海音寺潮五郎
2 雲南守備兵 木村荘十
3 蛾と笹舟 森荘已池
4 山畑 同上
5 ニューギニア山岳戦 岡田誠三
6 刺青 富田常雄
7 同上
8 執行猶予 小山いと子
9 藤井重雄

 

以上のように七人の作者による9編が治められているが、今回の目的は「執行猶予」だから、僕は「執行猶予」のみを読んで(贅沢な読み方だが)、図書館に返した。

 

 

僕の先入観からか、ミステリー小説とはあまり関わりのないと思っていた作家が、ミステリー作品らしきものを書いているのを知ると、読みたくなるのだ。多分それは昔江戸川乱歩氏が、探偵雑誌「宝石」の編集に乗り出した頃、文芸作家にミステリーを書くことを勧めていたことが、頭の隅に残っているからかも知れない。
小山いと子氏のこの作品は、昭和25年という戦後まもなくの時期にかかれたもので、当時の時代背景も描写されて、そうした混沌としていた時代を過ごしてきた僕にしてみれば、なんとも言えない思いが蘇る。

 

事だった君塚一清が検事の給料だけでは女房子供を養っていけないと、弁護士になって数々の事件を手がけて、やがてその手腕が買われて大手企業の顧問弁護士となる。配給制度だった食糧事情の悪い時代に、横行したのは闇屋と呼ばれる業者が、主食の米を裏で流通させていた。
勿論そうした闇米を買うことは違法だから、そうした闇で流通している食糧は一切口にしないと言って、栄養失調(もうこの言葉も死語ではないか)で倒れた検事がニュースになったのもこの頃だ。

タイトルの「執行猶予」は君塚弁護士が、難しい被告の弁護をして執行猶予に持ち込む、と言う意味も有るのだが、もう一つ最後に示される重要な意味も有るのだ。

本書の編者、川口氏についても書こうと思っていたが、長くなったのでまたいずれかの機会にしよう。

 

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1420.聖女の救済

2013年12月14日 | 本格
聖女の救済
読 了 日 2013/12/02
著  者 東野圭吾
出 版 社 文藝春秋
形  態 単行本
ページ数 375
発 行 日 2008/10/25
ISBN 978-4-16-327610-6

 

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頃はあまり取り上げなかったが、僕は毎週金曜日の午後10時からの、BSイレブン「宮崎美子のすずらん本屋堂」を欠かさず見ている。つい先ごろ見た回ではゲストに直木賞作家・村山由佳氏を招いて、最新刊「天使の柩」とそのシリーズ作品について、MCの宮崎氏と話が弾んでいた。

もうすっかりMCぶりが板についた宮崎美子氏は、インタビューの内容もつぼを心得た進行で、作家とのコミュニケーションもスムーズだ。そういえば宮崎美子氏は熊本大学出の才媛だった。常連のコメンテーターや再出演の作家などとのアットホームな雰囲気は、見ていて楽しい。

この回は他に人気作家の中山七里氏も、発掘良本と言うコーナーでお勧め本や、自身の最新刊を紹介するなど、二度目の出演と言うことで、打ち解けた感じをかもしていた。
早いものでこの番組もそろそろ3年になるのではないかな?こんな楽しい番組は長く続いて欲しいものだ、と見終わって感じたので改めて紹介した。

 

 

さて七月に読んだ「禁断の魔術」と順序が逆になったが、独立した話だからまったく支障はない。著者の作品、特にこのガリレオシリーズは、人気が高いらしく文庫がなかなかBOOKOFFの105円の棚に並ばないから、105円になったら読もうと思っていた。

ところが先日市内のBOOKOFFで、単行本の105円の棚に本書が並んでいるのを見かけて、買ってきた。
いや、近頃メガネの度数が合わなくなってきて、文庫の小さな文字より単行本の方が読みやすいと思っていたところだったから、なんだか得をしたような幸せな気分になった。
僕の身の丈にあった幸せとはそんな安上がりで、身近に感じられるものなのだ。安上がりに済まそうと思えば、刑事コロンボを見習って、もっと図書館を利用すればいいのだ。と言っても何のことだかご存知でない方もいるだろう。僕が刑事コロンボのどのエピソードを引き合いに出しているか、紹介しておこう。

先のシリーズ45本のうち、第6シリーズ(町田暁雄氏の「刑事コロンボ読本」では第7期となっているが、僕のNHK放送時の担当者のメモでは第6次となっている)の「死者のメッセージ」という、女流ミステリー作家の犯罪を描いたエピソードがある。アガサ・クリスティ女史を思わせるような、ミステリー作家・アビゲイル・ミッチェルが、海難事故で死んだ姪の死因は、その夫・エドモンドの仕業とにらみ、金庫室に閉じ込めて殺害すると言う復讐のストーリーだ。
ミッチェルの新作本が出ると、いつも一番に図書館で予約をするという話を、コロンボがミッチェルに話すシーンがあるのだ。本を買うのでなく図書館で借りると言うのが、いかにもコロンボらしくて、記憶に残っている。

このエピソードも、ファンの間では「秒読みの殺人」同様、女性の犯人と言うこともあって、評価はいまいちだが、僕は好きだ。僕の天邪鬼な性格のせいか?
余分な話がだいぶ長くなった。

 

 

ところで、本書は「容疑者Xの献身」に続いての長編ストーリーだ。
そして僕は「容疑者Xの献身」同様あるいはそれ以上の面白さを感じながら読んだのだ。

学の物理学研究室にいながら、同期で刑事になった草薙の依頼を受けて、警察捜査にアドバイスを繰り返し、ガリレオの異名を持つ湯川学の科学の目は、不可思議な犯罪の真相を見抜く力をも、持ち合わせている。
のみならず、このガリレオの魅力は人間観察の鋭さという点にもあるのだ。物理学者という立場から、物事を冷静な目で見通すと言うことが冷たい印象を与えるが、実はその底に人の心の動きも理解する、暖かさを持ち合わせているところが、多くのファンの心を惹き付けるのだろうと思っている。
今回は楽屋落ちとも見える福山雅治氏のCDが聞こえたりする場面もあって、このシリーズが多くのファンを摑みながら、長く続いていることへのサービス?も提供している。

女性を子供を生む機械のような感覚を持つ――男が亜ヒ酸を盛られて死亡する、というのが、今回の事件だ。草薙刑事の後輩として配属されてきた、若い女性刑事・内海薫は、殺された真柴義孝の妻・綾音を端から疑っていたが、彼女は夫が死亡した時刻には、遠く離れた北海道だった。
湯川がこの女性刑事の目の付け所や、捜査方針、ものの考え方などに共感を覚えるかのごとき言動を示し、好意的に接するところも今回の読みどころだ。
だが、ガリレオをしても、「これは、完全犯罪だ!」と言わしめるほどの事件は、はたして解決できるのか、足を使う内海刑事と、科学の目を使う湯川ガリレオの追及は遅々として進まず、苦難の道を歩むのだ。

 

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1419.かもめのジョナサン

2013年12月12日 | ファンタジー
かもめのジョナサン
JONATHAN LIVINGSTON SEAGULL
読了日 2013/11/28
著 者 リチャード・バック
Richard Bach
訳 者 五木寛之
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 140
発行日 1977/05/30
ISBN 4-10-215901-0

 

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ログのプロフィールの自画像のイラストをしばらくぶりに描き変えた。
イラストを描くために改めてデジカメで自分を撮った。僕はその画像をパソコンに移して見て、その見るからに老人と言った風情に驚いた。過ぎた11月2日の誕生日で、74歳を迎えた僕は老人には違いないのだが、普段はあまり意識していなかった自分の顔が、これほど年老いた顔になっていることに、いささかながらがっくりした。「写真は嘘をつかない」などというが、まったくその通りだ。
気持ちの上ではまだまだ若さが残っていると思っていただけに、その落差に驚いたと言うわけだ、まあ、歳相応の顔になったと思って納得するしかない。これからは、そんな驚きを味合わないために、年一回はプロフィールの画像を描き換えようか。

昔を思い起こした前回の余韻が残った、と言うほどのことでもないが、僕が千葉市の京葉産業と言う会社の営業マンだった(ことによったらもっと前の事務職だった頃かもしれない)頃だが、はっきりした時期は忘れた。
この本(単行本の方だ)が出たのと相前後してナンセンスクイズが流行った。会社の近くにアートサロンと言うスナックがあって、(多分今でもあるのではないか?)税理士だったか会計士だったか(覚えてないが)のご主人と、その奥方が運営していた。(音大を出た声楽家の奥方はずっと後に離婚してしまったが・・・)
4-5階建てのビルの1階部分は半分駐車場となっており、2階部分が店だった。県庁の直ぐ近くと言う地の利もあって、ランチタイムや五時以降のオフタイムには、サラリーマンと思しき人種で賑わいを見せていた。
僕も会社の近くだったから、ランチを食べに行ったり、終業後の夜1杯飲みに出かけたりした。
しばらくして、3階部分にテナントとして、麻雀クラブが開店したので、後にそこによく出入りするようになった。
名前は忘れたが若い物腰の柔らかな店主もメンバーがそろわないときに誘ったりして、週に2―3回は行ってたかな。麻雀をしながら、「カモメが3羽飛んでいました。一番後ろがかもめのジョナサンです。前の2羽は何と言う名前でしょう?」などというナンセンスクイズを口にして、のんきなものだった。
他にも「かもめの団体さんが飛んでいます。そのうちの1羽はかもめのジョナサンです。他のカモメはなんと言うのでしょうか?」なんていうのもあった。とにかくナンセンスクイズによく引き合いに出されたのがこの「カモメのジョナサン」だった。
「カモメのジョナサン」を題材にしたクイズはもっとたくさんあったはずだが、時の流れと共に僕の記憶も薄れていった。

 

 

だからと言うわけでもないが、この物語を読む前からもう読んでしまったような、何とはなしに知っているような感覚を持ってしまった。

そういうことはこの「かもめのジョナサン」に限らず、人々のうわさや世間の評判、あるいはメディアの批評などを見聞きしているうちに、あたかも自分も知っているような気になることはよくあることだ。
つい先だって、ナンセンスクイズが頭をよぎり、本書のことを思い出して、ずっと以前に買ってあった本書を引っ張り出して改めて読んでみた。

 

 

もめのジョナサンの正式な名前(と言うのもおかしな話だが)は、ジョナサン・リヴィングストンという。
彼―話の進み具合からも名前からも男性、すなわち雄だろう―は、他のカモメたちとは一線を画す独特の思いを持って、生きている。“孤高のかもめ”と言ったところか。
このかもめの人生?を描いたストーリーが一時期話題になって、もてはやされたのはやはりジョナサンというかもめの生き方を、自分の人生に置き換えたからだろうか?直木賞作家にして、多くの多彩な著作を著している五木寛之氏が翻訳を手がけたことも、話題をさらった原因かもしれないが。
勿論僕もその一人で、ナンセンスクイズばかりが僕の興味を惹いたわけではない(なんて言い訳する必要もないのにバカだね)。

 

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1418.油断!

2013年12月08日 | 経済
油断!
読 了 日 2013/11/25
著  者 堺屋太一
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫
ページ数 331
発 行 日 1978/03/25
ISBN 4-16-719301-9

 

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書を買って読んだのは、1988年だから25年前のことだ。
当時49歳だった僕は若いとはいえないが、それでも今と比べれば格段に若かった。著者が此の作品を発表したのはそれよりさらに13年も前の1975年、昭和50年のことだ。1973年の第一次石油ショックの後を受けて書かれたものだろう、とばかり思っていたらこれはその当時来るべき近未来を予測?した物語だった。

ちょうど転職したての僕が勤めた会社・京葉産業株式会社は、千葉県内に十数か所の直営給油所を持ち、加えて数十箇所の販売先に卸し業を営む石油販売会社だった。1973年に起こった石油ショックは、会社のトップ以下幹部社員どころか、現場の社員に到るまで大きな衝撃だった。
そして、その影響は甚大で少なくない被害を及ぼし、先行きに大きな不安を残したのである。
販売先に対する営業部門に所属していた僕は、地方の給油所に思うように軽油等の供給を行えず、販売先の店主から「俺のところを潰す気か!」などという罵声を浴びたこともあった。トイレットペーパーの買占めなどの人々の狂奔、物価の高騰の記憶はいまだに消え去ってはいない(はずだ)。

 

 

それはともかく、会社のトップは石油業の先行きの危うさを危惧して、進むべき道の方向転換を決意した。
企業として参加していたコンサルタントグループの総帥・A氏の指導を受けて、アメリカで誕生して成長過程にあった業態、HI産業(ホーム・インプルーブメント)に目を向けたのだ。
現在ホームセンターD2を全国展開している、株式会社ケーヨーへの転換点である。当時のトップの一人だった今は亡き岡本氏は常々、「石油はメジャー(国際石油資本)が握っている限り、一企業の努力の及ばない範囲だ」と言っていたから、マーチャンダイジング(商品開発の原材料から末端の消費に到るまでの流れを統括して設計デザインすること―日本リテイリングセンターの定義による)によるチェーン展開の可能な新しい業態への転換は、渡りに船だったろう。「災い転じて福・・・」と言ったところか?それは後の結果が示す。

そんな、はるか昔を思い起こさせる本書を、改めて読んでみようと思ったのは、温故知新と言うわけでもないが、やはり年をとって昔を思い起こす心境からか。僕が外房の町大原から千葉市中央に本社屋を持つ京葉産業へと転職したのは、そうした時代、高度成長時代の幕開けを間近に控えた昭和45年のことだった。

 

 

分話が逸れた。いや、そうでもないか。
昔から「喉もと過ぎれば暑さを忘する」といわれるように、危機は遭遇した時点で始めて実感が湧くものだ。石油に限らず、食料にしてもその多くを海外からの輸入に頼るわが国の脆弱性はその頃と少しも変わっていないのだ。
再度の政権交代により、TPP(環太平洋パートナーシップ:Trans Pacific Paartnersip)への参加交渉が早まって、輸出入の環境はどう変わるのだろう? などと僕が心配しても始まらない。われわれ庶民に何が出来るだろう!?
2年前の大震災から受けた教訓が、災害に備えての避難経路の確認から、防災用品の確保、わずかな日数に備えての食材の備蓄?といったことだけか。

本書に理学博士の鬼登佐和子という若い女性が登場する。中東の産油国の間で争いが激化し、戦争にまで発展して、わが国の石油輸入量が3割になった時に、300万人の死者が出ると言う、冷静な予測をするのがこの女性だ。それはあらゆる場合の綿密なデータを下に、計算された予測であることを示している。
浮かれる?社会に一石を投じた本書は、すでにその多くのところを忘れ去っていた僕を、また不安の底に引きずり下ろした。

 

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1417.窓の外は向日葵の畑

2013年12月07日 | 青春ミステリー
窓の外は向日葵の畑
読 了 日 2013/11/22
著  者 樋口有介
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫
ページ数 383
発 行 日 2013/01/10
ISBN 978-4-16-753109-6

 

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日、6日といすみ市大原で一人暮らしを続けるお袋を一晩泊まりで訪ねていたため、いつもより少し間があいた。
以前は大原に行く際はノートパソコンを持参していたのだが、ここ1年ほどはパソコンを持ち歩くのが億劫になっている。ポケットWi-fiなる便利なものもあり、近頃はどこでもネット接続が簡単になっているにもかかわらず、反比例してだんだん不精になっていくのは困ったものだ。
お袋は、それほど急激にと言うほどではないものの、わずかずつ記憶、体力の衰えが進んで、一人でできることが少なくなっていく。それでも一般に言われる認知症ほどではなく、子供たちの顔を忘れると言うことはないから、その点は安心している。
今回は「今日は12月の何日?」と聞かれて、それでも12月だと言うことは判っているのだな、と思いながら「今日は12月5日だよ」と、応える。「困ったものだね、何日かもわからなくなって」と、お袋は笑う。
判らなくなっていることや、物事を忘れてしまう、と言うことを自分で認識しているところが、認知症と違うところで、これも一つの安心材料だが・・・・。

 

 

読書記録、つまりこのブログの記録をたどると、2005年には著者の作品を集中的に読んだことが判る。何とその数18冊にも及ぶ。一人の作家の作品を1年の間に18冊も読むということはそうそうあることではない。
その後は現在までの8年で8冊しか読んでないのだから、その年は相当入れ込んでいたことが判る。
どこかで同じようなことを書いたかも知れないが、著者の作品には青春と暑い真夏がよく似合っている。迎合するわけではないが、若い頃は僕も夏が好きだった。(年を経たいまでは暑さも寒さも苦手になってきたが)海辺の町で育ったから、海水浴場へと毎年訪れる大勢の人の賑わいが好きだった。
勤めの関係で千葉市に越してからも、幼い子供を連れて毎年大原の海岸に出かけたものだ。夏季休暇を終えて出勤すると、僕の真っ黒に焼けた顔を見て、驚く同僚たちのことも今は遠い思い出だ。

そんな夏が好きな反面、秋はどちらかといえば嫌いだった。いや秋が嫌いと言うわけではなく、夏から秋への季節の移り変わりの時期が嫌だった。
まだ大原に住んでいた頃に、越路吹雪氏が夫君(内藤法美氏)の作曲による「誰もいない海」を発表して、ヒットした。間借りの我が家にも東京から何組もの従兄弟たちがやってきて、ひと時のにぎやかさを奏して後、潮の引くように帰った後の寂しさは、越路氏の歌の通りで、まったく僕の心境を謳ったものだという感じがした。
ずっと後になって、同じ秋の物悲しさ、青春のひと時を謳った詩が阿久悠氏によって書かれ、岩崎宏美さんの歌唱でヒットした。「思秋期」と言う曲だ。歌い手の岩崎嬢(当時)が多分18歳のときにレコーディングしたのではなかったか?この中で“♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・・”と言うくだりがある。
彼女にとっては、その当時よりも今の方がその歌詞に近い情感を持って謳えるのではないかと思われる。 僕にとっての青春は、決してはなやかでも歌にするほどのものでもなく、暑い夏と青い海のにぎやかさの思い出がわずかに心をざわめかせる程度だ。

 

 

ばらくぶりの著者の作品だ。著者にしては珍しく、ファンタジックなところもあって、ラストは先に書いた夏から秋へとの、季節の移り変わりを思わせる切なさが泣かせる。

高校の部活で、江戸文化研究会に所属する僕、青葉樹(あおばしげる)が主人公だ。彼の父・青葉完一は元刑事で「馬鹿につける久寿利」なる怪しげな物を作ってネット販売を生業としながら、売れないハードボイルド小説を書いている変わり者だ。そんな彼に愛想を尽かした女房(つまり樹の母親だ)は別れて、実家に帰ってしまった。 そういう状況から、「あれ、何処かで聞いたような話だな?」と思い返したら、そう、デビュー作の「ぼくとぼくらの夏」と同じなのだ。
さて、部活の部長である、先輩の高原明日奈が突如として行方不明になるという事件から話は始まる。
クラブの顧問である若く美しい女教師・若宮沙智子先生、明日なの父で高校の理事長、そして樹の幼馴染だがすでに死んでいる(つまり幽霊だ)二木真夏(ふたつぎまなつ)などが、川沿いの東京下町を舞台にストーリーを進展させる。安心してその進捗状況を追いかけることのできる僕の好きな物語だ。

 

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1416.TOKYO BLACKOUT

2013年12月02日 | パニック
TOKYO BLACKOUT
読 了 日 2013/11/18
著  者 福田和代
出 版 社 東京創元社
形  態 文庫
ページ数 460
発 行 日 2011/08/12
ISBN 978-4-488-41711-6

 

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年この月になると、1年の過ぎる早さを実感する。自宅にいる分には静かな住宅街なので、ジングルベルのメロディなども聞こえないから、あわただしさも感じないが、それでも何かじっとしていてはいけないような気分になるのは、やはり年の暮れと言う時期のせいだろう。
今年は珍しくまだ年賀はがきを買ってない。デザインは前もってペイントとオートシェイプでイラストを描いておいたから、はがきを買えば直ぐに印刷できると言うことで、のんびり構えている。
僕が自作のイラストで年賀状を作るようになったのは、2008年(平成20年)分からで、ちょうどその年の干支が始まりのねずみだった。以来、丑、寅、卯、辰、巳、来年は午と、主としてワードのオートシェイプを使って、イラストを描く様にしている。
60~70枚程度出すから、あて先の氏名だけは手書きで、あとはプリントで済ます。昔は朴(ほう)木の板など使って版画を作ったりしたものだが、大昔のこととなった。なにやらきな臭い社会情勢だが、どうやら1年無事に過ごせそうだ。

今年6月に著者の「怪物」がドラマ化されて、日テレ系列で放送された。僕はそれまで著者の福田和代氏をまったく知らなかったが、話題のドラマということと、主演の佐藤浩市氏や向井理氏の演技にも興味があったから、期待して観た。
原作のあるドラマは出来るだけ見るようにしているが、量産されるドラマを追いかけるのは当然無理だから、番組表を見て興味のあるものだけに限られる。それも最近夜の落ち着いた時間は読書に当てるようにしているから、ドラマは録画したものを昼間見るようにしている。
だが、この録画と言う曲者はいつでも見られると言う気持ちが、見ないで貯めてしまうことにつながって、尚いけないことに、DVDなどという昔のビデオテープに比べて、格段に省スペースのデバイスは、溜めて置くのに都合がよく、溜まる一方なのだ。まあ、それは僕の心がけ次第なので、誰に文句を言う筋合いのものではないが・・・・。

 

 

ドラマ「怪物」の内容は僕の好みではなかったが、原作者に興味を持った。
例によってBOOKOFFの105円の文庫棚を見ていたら、本書が目に付いて買って来た。巻末に掲載された著作リストを見ると、著者はすでに13冊もの作品を発表していることを知り、僕の知らない作者がたくさんいることを改めて知る。

タイトルからいわゆるパニック・ストーリーが類推できるように、本書は大都会東京をターゲットにした、電力供給を遮断すると言うテロの話だ。まだ若くてたまには映画館にも通っていた頃は、一時期パニック映画に嵌ったことがあって、「ポセイドン・アドヴェンチャー」を始め、「エアポート75」などのシリーズ、あるいは「大地震」や「タワーリング・インフェルノ」など片端から―といっても年代が違うが―見てきた。
最近はパニック映画などと銘打たなくても、凄まじいカーアクション等の映像が差し挟まれ、大概のことには 驚かなくなってしまったが。なんだかどんどんエスカレートする映画の中のエフェクト・シーンはどこまで行くのだろうと心配になる。

 

 

書はしかし、その大停電の中で人々がどう対応するのかと言った話ではない。つまり、タイトルから想像できる内容とは少しばかり異なるところが読み終わって、あえて作者がこのタイトルを選んだのだと僕には思えるのだ。ちょっとややこしい言い方になった。
この中では当然のことながら、電力の供給がどのような仕組みになっているのか、作者も取材や調査をしたのだろう。実に詳しい内容が状況の進展に伴ってわかる仕組みになっている。
東北の大震災による福島の原子力発電所の事故が、様々な教訓を残して今尚新たな問題が次々と起こっている。それに伴う計画停電によるわずらわしさはまだ記憶に新しい。

僕たちは毎日の生活の中で、ごく当たり前のように強いて意識をせずに電気を使っている。
このようなストーリーを読むと、悪意を持った者が社会をパニックに陥れる可能性を想像して、底知れぬ恐怖を感じる。

 

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