隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1859.ありあまる殺人

2018年05月28日 | リーガル
ありあまる殺人
The Case of Too Many Murders
読了日 2018/05/28
著 者 トマス・チャステイン
Thomas Chastain
訳 者 田中融二
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1560
ページ数 209
発行日 1990/12/15
ISBN 4-15-001560-0

 

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書の発行日が1990年だから、僕が買ったのはその1年後くらいだっただろう。いつかぺリイ・メイスン・シリーズの合間に読んでみようと思って買ったもので、この読書記録を始めるずっと前のことだ。
多分このころはあまり本を読んでなかった時代だ。まだ現役で、業務に関する本以外は読まなかったと思う。何しろ厳しい会社で、月に1冊は指定の本の中から選んで、その読後感や業務に取り入れられること、あるいは参考になった点などの、レポートの提出が義務付けられていた。
経費削減には厳しかったが、社員教育には惜しまず投資して、外部の経営コンサルタントのグループに所属して、次々と幹部職員をセミナーに参加させた。その恩恵にあずかって僕も二度アメリカ西部のセミナーに参加した。
そのコンサルタントグループのアメリカ西部セミナーも、もちろん帰国後レポートの提出がコンサルタント側と、会社の双方に義務付けられていた。二度目の時に出したレポートが、コンサルタントグループが発行している機関誌・経営情報に採用されて、その機関誌1冊と何某かの原稿料をもらった。
会社からはもう一人同僚が採用されて、二人のレポートは後に、社内報にも転載されるなど、初めてということもあり、しばらくは鼻が高かった。

 

 

その経営コンサルタントグループの総帥A氏はもう多分亡くなっているだろう。僕がセミナーに参加しているころは、所属しているコンサルタントに、優秀な人物が結構多くいて、まだ大手スーパーのダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、西友等々、セミナーの都度今とは異なるチェーンストア群の経営者たちも参加していて、先述のアメリカセミナーの折には、たまたま一緒だったダイエーの中内功氏に、会場で話しかけたことも懐かしい。
バブルがはじけた後の、デパートや大手スーパーの再編成があり、勢力地図が大幅に書き換えられて、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」と言った感じを持ったのは僕だけか?
もう自分には関わりの無いことだと思っても、いや、時代の流れの厳しさを思っても、何か一抹の寂しさを感じるのはなぜか?今頃昔のことを懐かしむのは、単なる年寄りのノスタルジックだろう。
いくら思っても事態は元に戻ることは無いから、先に進むしかないのだが、たまには物思いにふけるのも、僕にとっては心の内を癒すのに効果的なのだ。

 

 

週、月、水、金に配達の荷物が届けられて、翌日の火、木、土に配達する、と言うのが通常の僕のパターンなのだが、今朝、届いた荷が少し多めだったので、その半分くらいを午前中に済ませてしまおうと、カミさんを近くのスーパーに送ったその足で、配達に回った。
1時間くらいで終わるだろうと思ったのだが、分かり難い個所があったり、1件は昼休みで閉まっていて、生憎そこはポストがないため後回しにすることになったりして、存外時間がかかってカミさんを迎えに行ったのが12時半になった。
分かり難かった2か所は、ネットで地図を検索して昼食後に配達する。
会社から渡された動態地図は最新のものだから、そこに載ってないところはネットでも探すことは出来ないのだが、問題は配達物の住所・氏名と配達先の表札の違う場合なのだ。たいがいは番地があっていれば名前が違っても、ポストに投函してよいことになっているが、それでも念のためチャイムを押して、氏名の人物が在住するか確認する。
そう言ったところに、この仕事の難しさがあるわけだ。そして、別の言い方をすれば、楽しさを見出すこともできるのだ。

自画自賛の話が大分長くなった。本書はアメリカの推理作家・トマス・チャステイン氏が1985年に、NBCが「新・弁護士ペリイ・メイスン」として、ドラマ・ペリイ・メイスン・シリーズを復活させたことに刺激を受けて、ドラマのヒットがまだペリイ・メイスンが人々に受け入れられることを確認。そして、小説でもメイスンを復活させようと、試みたものだ。 巻末にそうした経緯や、ガードナー未亡人もこのストーリーを激賞したとある。
さらに、チャステイン氏は本書が書かれた翌年、1990年にはシリーズ第2弾、『The Case of The Burning Bequest』(燃え尽きた遺産とでも訳すのか?)を発表している。早川書房がその翻訳を出版しているかどうかは知らないが、できたらそちらも読んでみたいと思っているが、この辺で一旦ペリイ・メイスンの世界から退くことにしよう。

 

 

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1858.叫ぶ燕

2018年05月26日 | 短編集
叫ぶ燕
The Case of The Crying Swallow
読了日 2018/05/26
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1270
ページ数 194
発行日 1976/10/31
分類番号 0297-112700-6942

 

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日から今日にかけて、パソコンの不具合でWindows10が起動せず、NEC121(ワアンツーワン)コンタクトセンターの担当者との電話のやり取りに、つい先ほどまで「アアでもない、コウでもない」とやっていたが、システムの回復の画面も降りーっずしたような状態だ。
NECの担当者は月曜日に再度電話をくれるということで、本日の相談は終わりにしたところ、システムの回復画面が1時間半ほど後に動き出した。だが、結局のところシステムの復元は途中でエラーが発生して、できなかったのだ、
ところがその画面を閉じると、パソコンは自動的に電源を入れた時の状態になり、なんとWindows10が起動したのだ。何と言ったらいいのか。パソコンの気まぐれと言うか、まるでからかわれているような感じだが、月曜の午前中にNECの担当者からの電話を待って、再度不具合について講義っを受けることにしよう。
とりあえず、無事pそこんが動いているうちにと、この記事を書いているところだ。
昨日は午前中に、NPOひかりの総会に出席して、平成29年度の事業活動の報告及び、今年度の予算案、事業予定なども聞いて、どうなることかと心細かった設立時と比べれば、被後見人も大幅に増えて、外部からパート職員を雇えるところまでになったようだ。メデタシ、メデタシと言ったところか。

 

ヤフオクで入手したガードナー氏の死後編纂された中編集。巻末の「ガードナーのパルプ・マガジン時代」と題された小文によれば、ガードナー氏の死後、本書を含めて3冊の中短編集が出版されたとのこと。
今のところ僕は、ぺリイ・メイスン・シリーズ以外にあまり興味はないから、もし本書以外にもメイスンが登場するのであれば読んでみたいと思っている。しかし、それについては詳しいことが書かれていないため、多分、メイスンが登場するのは本書の最初の1篇だけなのだろう。
数年前までは何時かはペリイ・メイスン物を全部読んでみよう、と考えていたが、こんなに早く長編全作を読み通すことが出来るとは考えてもいなかった。僕の欲張りな性格は、それでもなおかつどこかにもっと隠れたメイスン作品があるのではないか?などと言う思いを持たせているのだ。
本書にも僕は大いなる期待を持って臨んだのだが、ぺリイ・メイスは残念ながら最初1篇だけに登場、あとは別の主人公だった。まあ、そんな僕の望みが最初から無理なことだとは思っていたが、それでも読みたいと思うのが熱烈なファン心理だ。
実を言うと、昨年10月から読み始めた長編の中に、それ以前に読んだものを間違えて、と言うか夢中だったから前に読んでいるにもかかわらず、2編も再読してしまったのだ。もちろんこのブログには書いてない。
そうしたことが有るから、読んだ冊数を間違えたりしたのかもしれない。前に何度か書いたことに、女優の日色ともゑさんのお父さんが、前に読んだ本を買ってくることが有ると言っていたが、僕は買わなかったものの、全く初めて読むような感覚で、2冊も読んだということは、読んだそばから忘れてしまうという、特技?のためだろう。

 

日は、メール便配達の業務が今までに一番多く、9時から初めて1時近くまでかかった。最初の時と同じくらいの時間だが、あの時はたった15件で、初めてのこともあって、随分無駄な走りをしたことが、時間のかかった要因だ。
それに比べて本日の案件は96件と多かったが、以前と比べればはるかに効率よく回ることが出来て、と言ってもまだまだ改善の余地はたくさんあるのだが、それでも少しずつ地理も頭に入って、無駄な動きは少なくなっている。
願わくばもう少し単価の高い物件が欲しいところだ。まあ、時間から見てそれほどきつい仕事ではないから、あまり欲張ったことは言えないが、そのうちそうした仕事も来るだろうと期待している。

 

収録作と原題
# タイトル 原題
1 叫ぶ燕 The Case of the Crying Swallow
2 キャンディ・キッド The Candy Kid
3 消えた死体 The Vanishing Corpse
4 気乗りのしない証人 The Affair of The Reluctant Witness

 

 

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1857.囲いの中の女

2018年05月22日 | ユーモア
囲いのなかの女
The Case of The Fenced-in Woman
読了日 2018/05/22
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1209
ページ数 217
発行日 1976/03/15 3版
ISBN 4-15-001209-1

 

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は、と言ってもたかが4~50年前のことだ。若い人から見たら、相当の古い昔だが、年寄りの僕からしたら、若い頃のことだからそれほど昔とは思えないのだ。
そう、その頃は、古い本を探すのは結構骨の折れることだった。探偵小説に目覚めたばかりの僕は、その魅力にはまって、愚かにもその面白さを極めてみようなどと、今にして思えばできもしないことを夢見たものだった。
そこで、たまに行く東京は神田の古書店街を、時間の許す限りぶらついて、これと思う本を探したものだった。
と言ったって、僕が買えるのはせいぜい1冊か2冊で、それだって相当の無理をしたものだ。 貧乏な家庭で家業の手伝いの状況だから、懐具合は知れたものだ。昼食代を節約した小遣いがそうした本代に代わっていくのは、当時当たり前のことで、だから僕の身体は小さく細いのだろうと、今頃考えてもせんないことだ。 
だが、今の世の中インターネットの時代は、本に限らず欲しいものがネットで探せるだけでなく、即購えるということが便利の反面、危険でもある。僕のようにいい歳をしたものでも、悪い奴に引っかかるのでなくても、自らを貶めてしまいかねない世の中だから、気をつける必要がある。
便利さはもろ刃の剣で、良いことと悪いことが表裏一体だ。
話が少しずれてしまった。本書は、著者ガードナー氏が亡くなった後、見つかった2作のうちの1作で、そうした本も訳なく手に入る世の中だということを書くために、かなり余分な話になった。

 

 

どこでどう間違えたか、例によって僕のお粗末な頭は、計算違いをしたようで、本書が通算82冊目のペリイ・メイスン・シリーズだ。著者ガードナー氏の死後、ほぼ出版できる状態で見つかった二編のぺリイ・メイスン・シリーズの原稿の内の一編が本書の原稿だったのだ。
途中で何度か、現在何冊を読んだのかを記録してきたが、終盤になるまでその計算が、間違っていることに気付かなかった。
まあ、そんなことは僕にとって、日常茶飯のことなのだが、今もってどこでどうミスったのか、分からないことの方が重要なことだ。しかし、そんなことはどうでもいいじゃないか、と言う僕も一方に居て、そうしたところが僕の短所でも長所でもあるのだ。
後でブログに記載した著者のページで、もう一度間違いがないか確認するとして、この問題は良しとしよう。
それにしても「為せば成る」の言葉通り、僕にすれば良くできたと思える、シリーズ長編の全冊読破だ。こんなことは誰もほめてくれないから、自分で認めるしかない。興味のある方は、ブログの各記事の下方にある、著者検索のボタンをクリックして、「カ」を選択すれば、“E・S・ガードナー”が見つかるから、詳細がわかるだろう。

 

 

書を読み終わった今月(5月)初旬は、13日に行われた天羽支部会に、配布した会報の記事が、まだ埋まって無かったため、一日中それにかかりきりだった。そこでブログの更新もままならない状態で、3日に一度の更新日も頭からすっぽり抜けてしまって、1週間以上も空けてしまったのだ。
いつも同じことを思うのだが、ブログが抜けようが、間が空いてしまおうが、何ら不都合なことは無く、誰に迷惑をかけることもない。しかし、僕の中ではなんとなく納得のいかない、わだかまりのようなものが胸にあって、精神衛生上良くないから多少の無理をすると言うことになる。
こうした状況から何とか抜け出せないものかとも思うが、来年の11月2日、誕生日で80歳を迎えたら、そしてその時、この読書記録が2,000冊になっていたら、何とか抜け出す方法も見つかるだろう(か?)。

自慢にも何にもならないが、まだ現役でサラリーマンを務めていたころは、当たり前のことだが、今よりずっと若かったから、物覚えも記憶力も少しはましだった。パソコンのプログラミングについても、ちょっとした情熱を傾けたいから、業務に関連したプログラムを、師匠ともいえる当時名古屋に住んでいた、経営コンサルタントに送ったら、「商業化を目指したら」と言われたこともあったのだ。
テレビで仮想通貨の追跡などと言う番組を見ていて、その頃を思い出して、またプログラミングを勉強しなおすか、などと言う思いが湧いてくるが、それとは別に、何もかもが面倒だという思いも片方にあって、複雑な心境になるといった具合だ。

これを書いている現在5月13日の21時20分、軒を打つ雨音が一段と激しく、洪水注意報が出ているところもあり、大変な状況だ。我が家の位置している住宅地は、かつて山林だったので町全体から見たら、かなりの高台のため、水害には無縁だが、大雨のたびに水害の恐怖にさらされる人々のことを思うと、心穏やかではない。

一つの目標を達成したにしては、大した感慨もないが何か次の目標を考えようか。

 

 

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1856.すばらしいペテン

2018年05月20日 | リーガル
すばらしいペテン
The Case of The Fabulous Fake
読了日 2018/05/20
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1240
ページ数 198
発行日 1975/04/15
分類番号 0297-112400-6942

 

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象情報によれば、前線の南下に伴って―6℃の上空の寒気が下りて来たというので、まるで季節がガラッと変化したような、乾いて冷たい空気が漂っている。からりと晴れた青空を見せながらも、まるで初春が戻ってきたようだ。
朝食前に居間の雨戸を開けるため外に出て、その少し寒いような空気に触れて、目が覚めたという感じだ。先日、夕刻の庭にいた娘が、外壁に這っていたヤモリを見つけて、「雨戸の開け閉めは外からにして」というのだ。
ヤモリを脅かすといけないから、という理由だ。家を守るというヤモリを思ってのことだ。我が家の位置するところは、山を切り開いた住宅地で、以前は夏になると、朝、玄関先にカブト虫やセミが転がっていることも多かった。庭には鶯やメジロなども来て、美しい鳴き声を競っていたが、もう30年以上も前の話だ。
今では毎日娘が撒く餌に30羽以上もの雀が、時にはつがいと思われるキジバトも来て、餌をついばむ。
昨日の蒸し暑さが嘘のような、からりと晴れあがって、少し冷たい風の吹く気持ちの良い朝は、何か幸せを運んでくるような予感をさせる。
昨日のテレビ中継で見た、英国王室のロイヤルウェディングを見たせいか、そんな気がするのだ。

 

 

著者・E・S・ガードナー氏の生前に刊行されたシリーズ最後の作品だ。1969年に刊行され、翌1970年にガードナー氏は永遠の眠りについたのである。
だが、その後未刊行の原稿、それも推敲の必要がなく、すぐにでも出版できるほどの原稿2編が見つかったという。そしてそれらは1972年、1973年に1冊ずつ刊行されたのが、81番目の『囲いのなか中の女』と、『延期された殺人』だった。
それにしても作家の死後、途中まで書かれた、いわゆる未完の原稿が発見されるという話は良く聞くが、刊行に支障のないほどの完全な原稿が、それも2編もあったというのは驚きだ、いかにも多作家のE・S・ガードナー氏らしい、と思われる出来事ではないか。
とまあ、知ったかぶりして書いたが、みな他からの受け売りだ。
累計で、81冊目を読んでいるにもかかわらず、僕はもっともっとペリイ・メイスンの物語が読みたいと思っている。ファンの心理とはそうした物だろうと、もっともらしく思うのだが、本当に何冊読んでも飽きないのがこのシリーズなのだ。
しかも、そのシリーズ長編82冊をすべて蔵書として揃えることも、どうやらあと1冊でかなうことになった。簡単なことではなかったが、努力というほどのこともなく、全部揃えることが出来たのは、ヤフオク出品者の良心的な価格での出品によるところも大きい。
だが、ヤフオクへの入札では、何度か大きなミスもあって、もう少し楽にできたところを、いささかの遠回りをしたこともあって、多少の苦労も伴った。

 

 

この次22日に出稿予定の最後の1冊『囲いのなかの女』も、既に1週間ほど前に読み終わっているから、82冊読破の祝杯をあげたいところだが、やはりそれは次回に取っておこう。
これほどのシリーズ大作を読み終わった後に、さあ今度は何を読もうかと迷うところだが、実は何冊か関連本を読む予定が詰まっており、問題はその後なのだ。しばらく海外ミステリーが続いたから、国内ミステリー、それも前から読みやいと思っていたシリーズ物、あるいは馴染みの作家の新作か、などと胸は膨らむが、どれもいまいちピンと来ないでいる。
あまりの大作に掛かりきりだった後遺症か?まさかね。
それともしばらくお休みするか?

 

 

回の82編読破の時を待たずして、そんなことを悩んでも始まらないではないか!
もう一人の僕のお叱りを受けてしまった。長い時間僕は自分の部屋で、パソコンを操作することが多いから、あまり声に出すことは無いが、胸の内で独り言ちながらいろいろと考えたり、こうした文章を書いたりするのだ。
そして時には、もう一人の僕を登場させるというわけだ。

どうしても名前を明かさない20代のブロンドの髪が美しい依頼人だ。後にわかった名前は、ダイアナ・ダグラスと言って、受付のガーティの言うことには、カバンの中はぎっしりとつっまった100ドル札の束があったというのだ。
女性からの連絡には「三十六、二十四、三十六」というコードを使うという。そしてその後、そのコードが新聞広告に現れたのだった。そして思いもよらぬ殺人事件へと発展する。

 

 

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1855.うかつなキューピッド

2018年05月18日 | リーガル
うかつなキューピッド
The Case of The Careless Cupid
読了日 2018/05/18
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1092
ページ数 205
発行日 1976/03/31 再版
BSIN 4-15-001092-7

 

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月13日に行われた支部会用の会報作りに追われて、ブログの更新を1週間余り怠ってしまったから、それを埋めるのが大変だ。何回か1日おきに記事を書くつもりなのだが、これが言うほど簡単ではない。
たかが年寄りが書く駄文ではあっても、一応は人に読んでもらうためには、余りお粗末なものも書けないから、と言いながら大した文章は今までも書いてないが。毒にも薬にもならない文章でも、それなりに苦労はしているのだ。(などと誰に恩を着せているのだ!)と、僕の中のもう一人に怒られた。
僕のうっかり頭が、どこかで数え間違って、今、シリーズ何冊目だという記述が、あてにならなくなったが、本書は10月21日より前に読んだ12冊を加えて、70冊目となるはずだ。
ということは、残すところ「すばらしいぺテン」と「囲いの中の女」の2冊で、めでたく長編82冊を読み終えるところまできた。10月21日の「恐ろしい玩具」からは、58冊を続けざまに読んできたが、何と延々7カ月になろうとしている。僕にしては大した努力で、よくも飽きずにここまで続けられたものだと、まあ、それほどのことではないか。
それでもずっと以前に歳をとって翻訳小説を読むことに、体力を消耗するだの、名前を憶えていられないなどと、書いたことが有るが、そうした状況を克服できたのは、やはりストーリーの面白さだろう。

 

 

午前中は少し湿度は高かったが、良く晴れていい天気だと思っていたら、夕方になって雲が厚くなってきた。今夜から明日朝にかけて雨が本降りになるそうだ。そんな気象情報から、本来なら明日に配達する予定のメール便を、午前中に済ませておいた。
3月から始めたメール便配達の仕事も、3カ月が過ぎて、ますますその面白さというか、仕事のし甲斐を感じている。それと共に仕事のできる幸せも感じている。現役を退いてから既に10年以上たつから、もう仕事にはあり付けないだろうと思っていたが、何でも挑戦はしてみるものだ。
いや、挑戦そのものは何度もしたのだが、少し遅すぎたきらいがあって、たいがいの所は年齢で(多分それが一番の落とされる要因ではないかと思っている)不採用になってきたからだ。それでもあきらめ無かったのが良かったのか、たまたま運が良かったのか、稼ぎは誠に少ないが、それでも収入を得られることに感謝している。
たかがメール便の配達だが、やってみると僕にとってはしばらくぶりの仕事だから、余計にそう思うのかもしれないが、なかなか奥深いところもあって、工夫次第でもっと面白くなるのではないかと、思っているところっだ。

 

 

回の依頼人は50代の婦人で、セルマ・アンソンという名前だ。
その依頼内容を示す場面は、冒頭の2ページに明らかだ。アパートメントホテルの食堂で、食後のコーヒーを飲み終えて、豪華なロビーを出ようとしたところで、後ろからきた男に向かって、啖呵を切ったのだ。
「今度自分の行き先で、見かけたら、顔を打つ!」と。
そう言うと男は、「その時は損害賠償を請求する」と言って立ち去った、というのである。彼女は心配になって、メイスンに相談を持ち掛けたのだった。
彼女は夫の死によって受け取った保険金、10万ドルを元手に投資をして、50万ドルにも増やしていたのだが、夫は事故死ではなく、彼女によって毒殺されたとの噂により、保険会社の調査が始まり、同時に警察も動き出した。
そんな状況の中、セルマ・アンソンが失踪してしまった。失踪は容疑者となる一番の要因だが、そんな依頼人を探すことが先ずはメイスンの仕事だ。例によって不利な状況を覆し依頼人の無実は証明されるのか?

ヤフオクで、パソコンの再セットアップメディアを手に入れて、NECコンタクトセンターの指導の下、再セットアップに取り掛かったが、途中でエラーとなり再セットアップが出来ない。やはり修理に出さないとだめらしい。
また、7月には天羽支部会が控えており、それまでに会報を作らなければならないのに、修理に出している暇はないのだ。どうしよう!!??

 

 

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1854.美人コンテストの女王

2018年05月16日 | リーガル
美人コンテストの女王
The Case of The Queenly Contestant
読了日 2018/05/16
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1011
ページ数 181
発行日 1986/04/15 4版
BSIN 4-15-001011-0

 

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は、何やらのアレルギー症状で、ここ2週間弱くしゃみと鼻水に悩まされてきたが、今日あたりから回復に向かっているようだ。毎年同じ時期に、と言っても覚えているわけではないから、正確には同時期かどうかは不明だ。が、止まらない鼻水に悩まされていることは確かだ。
一度耳鼻咽喉科を受診した際に、アレルギー性の鼻炎だと診断された。だが、僕の場合一日中部屋にこもりきりでも、また、雨の日であろうと、症状が変化することは無く、時々車で他所に出掛けた時に症状が泊まることもあるから、アレルギーだという診断にも、疑問っを持っているのだ。
人間の体の仕組みは複雑でわからないことも多いが、一つだけ僕が自信のあるのは、自然治癒力の確かさだ。1週間ほど前に立っていたああ椅子の上から降りようとして、バランスを崩して転げ落ち、背中とわき腹っを痛めたことを書いたが、少しせき込んだだけでも飛び上がる程痛かった症状も、大方治まってきた。
本来はそうした自己診断は、あまりいいことではなく医師の診断を仰ぐに越したことは無いのだが、特に僕のように後期高齢者にとっては、大事に至ることもあるから・・・・。

とここまではこの本を読んだ4月19日に書いたもので、現在はどうやら治まっているが、時々振りかえすこともあり、まだ油断は出来ない。

 

 

この前の回にパソコンを再セットアップをしようと、NECの直販センターで、再セットアップ用のメディアディスクを買おうとしたら、1万何某かの価格を見て、驚いたことを書いた。そこでヤフオクを探したら、もっとずっと安く出品されているのを見て、安心して入札したところだ。
最近はNECに限らず、先日もMicrosoftにちょっとした質問を投げかけたら、契約をしていないことを理由に軽くあしらわれてしまった。要するに門前払いだったのだ。いつのころからこうしたITメーカーは金取主義に陥ってしまったのだろう。僕のような貧乏人は、パソコンも使うなということか、そう思って嘆かわしく思うのは僻みか?

さて、今回メイスンの事務所を訪れたのは、約束の無いエレン・アデアと名乗る女性だった。
彼女の法律相談というのは、プライバシーに関することだったが、彼女は18歳の時、中西部のある都市で美人コンテストに優勝した。しかしその直後、彼女は妊娠していることがわかったのだ。彼女は身を隠した。
そして、20年後の今、その地方の新聞が20年前の美人コンテストの女王のその後を、記事にしようとしていた。それを阻止してほしい、というのが相談の内容だった。だが、彼女は何かメイスンに打ち明けられない事情があり、途中でメイスンを解約するのだった。
だが、メイスンとすれば、そんな隠された秘密に引っ込んではいられないのだ。

 

 

の中には、訳の分からない人間もいて、新潟県の少女殺害・死体遺棄事件は、容疑者も逮捕されて捜査も進んでいるようだが、こうした子供が犠牲となる事件を聞くたび、見るたびに、子供の父親としてはなんともやりきれない思いで、胸が痛む。
僕の子供、下の息子は知的障害者で、グループホームに入所しており、年齢も今年6月の誕生日で51歳となり、上の娘は53歳になるにも関わらず、僕の気持ちの中のある部分では、やはり子供なのだ。
だから、テレビで小さな子供が交通事故で命を失うといった報道を観れば、我が娘・息子は壮年に達しているのに、我が事のように悲しい。なんで小さな子供が、犠牲となる事件が多いのだろう。
何かが、どこかで、狂っているような気がしてならない。

僕は、ロバート・ブラウニングの「春の朝」という詩が好きだ。
時は春、日は朝(あした)、朝は7時・・・・とすすんで、 すべて世は事も無し。で終わるこの詩のように、神が空にしろ示すなら、平和な世の中にしてほしいものだ。

 

 

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1853.悩むウェイトレス

2018年05月14日 | リーガル
悩むウェイトレス
The Case of The Worried Waitress
読了日 2018/05/10
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 川口正吉
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1019
ページ数 189
発行日 1986/11/15 4版
BSIN 4-15-000847-7

 

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々回、「もの憂げな恋人」のところで、僕がこのシリーズの長編82作をすべて蔵書としたくて、方々探していることを書いた。その折、”日本の古本屋”という組織が、比較的安価でしかもきれいな本を出品している、ということについても書いた。
本来なら、ネットで探すだけでなく、足を使って街の古本屋を探して歩けば、掘り出し物が見つかる可能性もあるのだが、今の僕の貧乏生活の中では、そうそう交通費に出費することもままならないから、どうしてもネットを頼りとしてしまうのだ。
それほどの困窮生活なら、何もシリーズ全作を揃えるなどということをしなければいいのだが、そこは、一度思い込んだら何としても成し遂げたいと思うのが人情というものだ。
それに困難を乗り越えてこそ、成し遂げた時の達成感も大きいのだ、というほどのことでもないが、”思うことは成せる”とも言うではないか。しかし、先述のようにただ揃えればいいということだけではなく、できる限り安価に、しかもできるだけきれいな本を揃えたいというのだから、簡単ではない。
僕の身勝手な思いは、人が聞いたらバカではないか!と思われるだろう。その通りバカな話には違いない。が、僕にすれば逆にそれだからこそ成し遂げたいという気持ちが高まるのだ。

 

 

昨日、5月13日は息子が入所している、社会福祉法人薄光会の運営するグループホームの利用者の、保護者・家族の会天羽支部会が開催された。
この会合は年に4回開かれるのだが、5月の会合は年度の最初の会合だ。もう何度も同じことを書いているが、僕はその天羽支部の副支部長をしており、その上、会報の作成を担っている。
僕の面倒なことを先延ばしするという、悪い癖がたたって、ぎりぎりになってパソコンの具合が悪くなった。表紙のプリントに不具合が出て、まともに印刷できなくなってしまったのだ。そうしたパソコンの不具合は、少し前からあってこのブログの下書きともいえる、Wordのファイルが表示できなくなったのは、もう1カ月ほど前だったか。
なんだか訳の分からないものが表示されて、使い物にならなくなったのだ。一時はそれが元通りきれいな画面い戻ることもあったのだが、その後は何度再起動しようが、全く直らなくなった。
そこで、パソコンの再インストールで、初期の状態に戻そうと思ったら、Windows10にOSをアップグレードしてあるので、再インストール用のメディアが必要だという。NECのサイトで購入しようと思ったら、何と1万円以上もするではないか。
ということで僕は今途方に暮れているところだ。

 

 

羽支部会は朝10時に始まり、今回の司会・進行役を仰せつかった僕は、会の議事次第に従って、買いを進める。支部の役員は支部長、副支部長、会計、会計監査の4人で、支部会の2週間ほど前に、事前打ち合わせ会を行うのだが、前回と今回の2回続けて僕は欠席だった。
前々回は四どころのない用事があってのことだったが、今回の事前打ち合わせは全くの話、僕のうっかりミスからだった。僕は部屋に備え付けの大きなカレンダーに、その月のスケジュール(というほどのものではないが)予定を書き込んであるのだが、肝心の打ち合わせ会を一日遅らせて書き込んであったから、気づいたら終わっていたというお粗末だった。認知症予備軍と言われるゆえんだ。
今も(もう午後9時近くになるが)大学ノートのメモを見ながら、メモ帳のHTMLテンプレートにこの文章を書いているのだが、前述のようないろいろなアクシデントの末の、訳の分からない記事をしたためている。何とかパソコンを正常な状態に戻したい!!

 

 

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1852.向こうみずな離婚者

2018年05月01日 | リーガル
向こうみずな離婚者
The Case of The Daring Divorcee
読了日 2018/05/01
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス847
ページ数 239
発行日 1986/11/15 4版
BSIN 4-15-000847-7

 

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夏を通り越して真夏日の所まであるといった、気象状況が続いている。僕のあまり当てにならない記憶では、初めてのことではないだろうか?
先ほどまで、このブログの元であるWordのファイルが、どうしたわけか壊れていて、何かわけのわからない表示になっており、ネットでの質問コーナーに問い合わせするなど、パニック状態だったのだが、昨日念のためにOS(Windows10)を入れなおしておいたら、今になって治っていることがわかった。
但し、動作が遅く、それも全く信じられないほどの遅さなのだ。何とかブログへの投稿が終わったら、メーカーに問合わせするなり、解決策を見出さなければならない。全くパソコンの不具合は、骨が折れる。
折角このぺリイ・メイスン・シリーズも順調に読み進んでいる最中だから、僕にストレスを溜め込まないでほしいが、なかなかコンピュータに関する限りは、ハードにしてもソフトにしても、やっかいなことこの上ない。
しかし今の時代パソコンなしの生活に戻ることも、したくはないし。

 

 

さすがのぺリイ・メイスン・シリーズに対する僕の情熱も、メール便配達という仕事を得てからは、ほんの少しではあるが、薄れたような気もする。
何年ぶりかで報酬を得る仕事に対して、向ける情熱にとられたのか。
前回の「もの憂げな恋人」は、3月27日から読み始めたもので、およそ2週間も掛かって、読み終えた。もうこのシリーズを読み始めてから、6カ月目に入っている。仕事にその情熱を少し取られているとはいえ、全作読もうという心構えがなくなったわけではなく、5月中旬のブログへの投稿で終わるまでは、予定通り順調に進んでいる。
僕は自分のことながら、このシリーズ読破が後の読書に、どのような影響を与えるのかが、少し心配でもあり楽しみでもある。
こんなに数十冊も翻訳小説を続けて読んだのは初めてのことで、国内ミステリーへの評価も少し変わるのだろうか?といったような疑問もあるが、またすぐに前と同様の独署生活に戻ってしまうのだろう、というような気もして、そうした少し先の自分の変化に期待もしているのだ。

 

 

ころで、このシリーズ長編82作を蔵書として、手元に置きたいという件については、前回も少し書いたが、購入先によっては古本でありながら、新品同様の本が来ることが有る。、と言ってもかなり前の時代の出版物だから、経年の変化―小口のやけであるとか―は致し方ないにしても、きれいな表紙やビニールカバーの透明度とか、掛けられた帯の状態など、誰かに読まれたという形跡が全く見当たらない本が、手に入ったときは嬉しいものだ。
図書館で借りた本が、時折水濡れ跡や、食べ物による汚れ、煙草の灰などが入っていることもあって、その都度僕は、腹立たしい気持ちになり、大いなるフラストレーションを抱えたものだ。
本書は多分、“日本の古本屋”に登録している書店で、買ったものだと思うが、先に挙げたようなきれいな状態で、そういう状態のきれいな本を読んだときは、ストーリーも一段と面白く感じる、というようなことは無いが気分がいいことは確かだ。
新古品などという言葉があり、展示品などで人手に渡って無いものが、中古品として市場に出回ることが有り、そうした本だけで蔵書を揃えたいものだが、まあ、そんな贅沢を言っても無理だろうから、できるだけいい状態の本が揃うことを願っている。

 

 

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