隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1044.青斑猫

2009年12月30日 | サスペンス
青斑猫
読 了 日 2009/12/30
著  者 森下雨村
出 版 社 春陽堂
形  態 文庫
ページ数 386
発 行 日 1995/1/25
ISBN 4-394-39901-7

 

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下雨村氏が我が国の探偵小説開拓の草分けとも言える雑誌「新青年」の編集長を務めていた時期に、応募した原稿「二銭銅貨」などで、作家・江戸川乱歩が誕生したことは著名の事実だ。
そんなところからも森下氏は日本の探偵小説の父とも言われている。僕も高校に入学した頃に、いくつかの作品を読んでいるのだが、例によって記憶の彼方だ。
今回本書を読もうと思い立ったのは、4月に読んだ小酒井不木氏の「大雷雨夜の殺人」がきっかけだ。出版社の春陽堂はその昔、僕にとっては探偵小説の宝庫というような印象で、数々の探偵小説全集を出していたようだ。もちろん僕が春陽堂を知った高校生の頃よりずっと以前のことだ。神田の古書店街を歩く機会が多かった僕は、春陽堂の出版物を見つけてはなけなしの小遣いをはたいて買い求めた。角田喜久雄氏の「高木家の惨劇」で、名刑事・加賀美敬介を知ったのもその頃だ。
だから、今でも春陽堂の名前を見るだけで、探偵小説に夢中だった若き日を思い起こして、僅かながら心のざわめきを生じるのだ。

 

 

さて、タイトルの「青斑猫」は「あおはんみょう」と読み、都会生活ではあまりなじみのない名前だが、鞘翅目(こうちゅうもく)に属する昆虫の総称でかなりの数があるようだ。昔から毒を持つ虫として知られていたようだが、ここでは虫とは直接関係はなく、そのイメージをあることに例えているタイトルだ。
ストーリーの舞台は、昭和初期(発表されたのは昭和7年)の年代だからかなり昔の話で、文章・文体もそれなりに古さを感じるが、僕の歳からすれば差ほど違和感はなく読むことが出来る。
発端は内海耕太郎という青年が、奇妙な手紙を受け取ったことで、差出人の弁護士を訪ねるところから始まる。たずね当てた白山御殿町(文京区)の裏寂しい路地裏の事務所で弁護士は、叔父さんだという人物から依頼された事柄を話した。支度金のほかに週100円(推測すると今の10万円くらいか?)を貰えるという、棚から牡丹餅のようなうまい話は眉唾物だったが、彼には失うものなどないから、言われるとおりに信じた。
条件とされたホテル住まいと指定された服装は、浮浪生活の彼を青年紳士に変えた。
そしてある日、その伯父さんなる人物からの電話でホテルに横付けされた車に乗り込むと、隣の若い女性はなんと、胸に短剣を指されて絶命していたのだ。

 

 

頭・巻末の山前譲氏の解説にもあるように、ミステリーというよりはサスペンス活劇といった風情で進むストーリーで、あたかも昔のサイレント映画(文中にも出てくる活動写真という言い方がレトロで、面白い)で、弁士の説明を聞くような感覚を思い起こさせる。
この作品は前述の通り昭和7年頃に報知新聞に連載されたものらしいから、余計に頻繁に場面展開を繰り返すストーリーにも頷けるところだ。たまにはこうした昔の探偵小説を振り返ってみるのも良いのかも知れない。

 

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1043.蒼穹のかなたへ

2009年12月25日 | サスペンス
蒼穹のかなたへ
INTO THE BLUE
読了日 2009/12/24
著 者 ロバート・ゴダード
Robert Goddard
訳 者 加地美知子
出版社 文藝春秋
形 態 文庫
ページ数 409
394
発行日 1997/8/10
ISBN 4-16-725421-2
4-16-725422-0

 

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カパーのチャンネルの一つ、ミステリチャンネルのサイトに番組掲示板があって、熱心な視聴者の多様な意見が寄せられているので、時々見ている。この会社も不景気のあおりを受けたか、最近、もっぱらアメリカドラマを中心として放送するAXNというチャンネルに吸収合併されたらしく、AXNミステリーと名前を変えた。
その掲示板に寄せられた女性視聴者の書き込みで、ロバート・ゴダード氏の作品がドラマ化されているらしいことを知った。タイトルは書かれていなかったので、ネットで検索してみると、「INTO THE BLUE」というタイトルだと判る。そこで早速Bookoffで文庫を探すと、「蒼穹のかなたへ」と訳されてあった。
いつの日かドラマも見られるときが来るだろうことを願いながら、その時のために原作を先に呼んでおこうと思って上下巻を買ってきた。

 

最近は海外作品を読むことがトンと少なくなっているから、著者の作品も3作目となるが、実に4年ぶりのことだ。
この作品は解説によれば、1990年に発表されたもので、前に読んだ「さよならは言わないで(Take No Farewell)」の前に書かれたようだ。僕が前に読んだ作品は、これと「惜別の賦(Beyond Recall)」という1997年の作品で、両方共に悲劇の切なさを感じるストーリーだったから、ウイリアム・アイリッシュ氏の作風を連想したのだが、本書も主人公の目の前から突如姿を消した若い女性を探すというスタートだったので、形を変えた「幻の女」探しかと思って読み進めると、あるところまではそうなのだが・・・。

 

スタートの舞台は、ギリシャのロードス島。ロードス島といえば、アガサ・クリスティ女史のポワロにもロードスを舞台にしたエピソードがあるが、英国人にとってロードス島は、避暑地としての観光地なのだろうかと、余分なことを考えた。
中年のどちらかといえば落ちこぼれとも言える、ハリー(ハロルド)・バーネットという、ヴィラの管理人が主人公。かつてガレージを経営していた時に、従業員として働いていたアラン・ダイサートが、ヴィラのオーナー。彼は今、国防次官という職につく要人だが、ハリーとは友人関係を保っており、ハリーはダイサートの好意から今の職にありついたという経緯だ。
そのヴィラに、アラン・ダイサートの勧めで、病後の静養にやってきたのはヘザー・マレンダーという若い娘。
彼女には、クレアという姉がいてアラン・ダイサートの有能な秘書を勤めていたのだが、IRA(北アイルランド解放戦線)によるヨット爆破による犠牲者となって死亡していた。そのショックのためにしばらく精神科の医師の許に通っていた経緯があったのだ。
こうした事柄はストーリーが進むにつれて判明していくのだが、何しろ初っ端からそのヘザー・マレンダーが、ハリーの目の前から姿を消すというスタートで、サスペンスストーリーの典型を形作っている。

 

中まで読んでいて、少し驚かされたのは、主人公のハリーがギリシャのロードス島からはるばる故郷のイギリス本土へと帰った後のことだ。彼が街の豊かな繁栄に対して、戦時中の物資の少ない時や、物の配給時代に思いを馳せるところがある。僕の無知のせいかもしれないが、そうした戦時中や、配給という状況はわが日本だけかと思っていたから、いささか驚かされたという話だ。
よくある手法なのだが、表面的に見える事態とは全く違う正反対の事実が明らかになっていくというストーリーの進行は、特に海外作品に多く見られるような気がしているが、本書でも正にそうした状況が次第に鮮明となっていく。ほんの僅かずつではあるが、何かしらヒントとなる事柄が、どこからか、誰からかの情報により、明かされていくというのは、サスペンスストーリーの醍醐味だ。
ここ1ヶ月あまりは読書に関して心ここにあらずという感じだったが、本書の下巻に入ってやっと、本来の読書の楽しさを取り戻してきたようだ。

抽象的な言い方が続いたが、本書では上巻の途中まで読んだところで、もしこの人が事件の鍵を握る重要人物だったとしたら、とそういう考えがちらついていたが、僕の単なる偏見かとも思い、そうしたらこの作品は映像化に向いているかも・・・。 適当にミスディレクションらしきエピソードを配置しながら、ハリーにヘザー・マレンダー探しをさせるところは、「幻の女」の様相だが、下巻途中からはがらりと様相が変化する。と、こんなことは本当は書いてはいけないのかもしれない。しかしこのストーリーの本当のすごさは、スタート直後から複線とも言える重要なデータが示されているところだ。ドラマ化されたものも見てみたい気がするが、まあ、無理だろうな・・。

 

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1042.ユージニア

2009年12月20日 | クローズド
,align="center"ユージニア
読 了 日 2009/12/1
著    者 恩田陸
出 版 社 角川書店
形    態 文庫
ページ数 420
発 行 日 2008/8/25
ISBN 978-4-04-371002-7

 

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年ぶり22冊目の著者の作品である。「ピース」の樋口有介氏を始めとして2-3、しばらくぶりの作家が続いたような気がする。
本書はたまたま古書店で見つけた日本推理作家協会賞受賞作。といえば聞こえはいいが、どうということはない、安かったので買ったというだけだ。貧乏暮らしを楽しんでいると、何事においても価格の安いということが最優先課題となって、若い頃の多少の贅沢が懐かしくなる。「刑事コロンボ」に「死者のメッセージ」という1篇がある。
アビゲール・ミッチェルというアガサ・クリスティ女史を思わせるような、女流人気ミステリ作家を主人公としたエピソードである。この中で、ミッチェルの講演を聴きに行ったコロンボが、壇上のミッチェル女史からからかい半分に名指されて、聴衆に話しをする場面があり、即席にしてはコロンボの名講演が披露される。終わった後、ミッチェルの超高級車を運転させてもらったコロンボとミッチェルの間で、ちょこっと貧乏談義が繰り広げられる。
まあ、若い頃貧乏で苦労したが、今は成功して、押しも押されぬ人気作家となった、という経緯なのだが、僕の場合は、若いころも貧乏だったが、今も相変わらず、押しも押されぬ貧乏だという話だから、比べ物にはならないが、貧乏という言葉からちょっと連想した。
関係のない話は長くなる。

 

 

何かわけのわからないタイトルだが、人気作家だとか、受賞作だということで、タイトルに関係なく売れるのだろうな。この人の作品には、難解な、というか茫洋とした内容の作品がいくつかあって、そういうところが嫌いだという読者もいるようだ。
が、僕はこの作者の小説に限って、ちょっと理解し難い作品もあるが何か惹きつけられるものがあって、好きな作家のトップグループに入っている。

割と始めのほうに吉田健一氏の名前が出てくるが、こうした実在した人物の名が出るのは珍しい。若い人はなじみがないだろうが、講和条約を結んだ時の宰相・吉田茂氏の長男だ。選挙で大敗した前の総理・麻生太郎氏は吉田茂氏の孫だから、健一氏は麻生氏の伯父さんになるわけだ。

自家中毒症という言葉が出てくるが、ずいぶん長いこと忘れていた言葉だ。自閉症と、精神障害(知的障害)で18歳から施設暮らしを余儀なくされている息子が、まだ幼児の頃よく罹った病気で、切ない思い出だ。

 

 

理作家ともなれば、誰しもが常人とは違う頭の良さを持ち合わせているのだろうが、僕はこの作者には特別、頭脳明晰という形容を連想する。「頭がいいんだろうなア」

出だしがちょっとつまずいた感じだったが、すぐにワクワクする気持ちに切り替わっていった。「ワクワクする気持ち」と言葉にすると、陳腐な感じだが、僕はそうした思いを抱ける作品に出会えることが無上の喜びとなる。

天井の染みの話が出てくる。そう言えば僕も子供の頃天井の染みに何かの形をなぞらえたことは何度かあるが、怖いという思いはなかったような気がする。なんでも小説のネタになるんだな、という話。

事件が起こることが読者にはわかっていて、それを待つというのもドキドキして、登場人物たちが何も知らず普段どおりに振舞っている当たり前のことすら、余計に不安や切なさを呼び起こす、不思議な感覚だ。

登場人物たちがかわるがわるに証言していく形で、ストーリーは進んで行くのだが、ふと、この形は宮部みゆき氏の「理由」や、最近の作品では松井今朝子氏の「吉原手引き草」を連想させる。
その形は事件の様相と登場人物たちの人間性をも説明していくことになる。

普通は読み進むうちに概要がうすうすわかってくるのに、本書はどこに行き着くのか全く判らないだけでなく、いよいよ迷路に迷い込む、という感じだ。

もうじき読み終わるというときになって、僕は再びタイトルについて考える。

今回は、ここに書いたものを読んだだけでは何のことだか判らないだろう。これらは、僕が本を読んでいるときの読書ノートだ。このように僕は読んでいる途中で感じたことや、思いなどランダムに書き綴っていく。
そうしておかないと読んだそばから忘れていく感じなので、ブログへの文章を書くときに、もう一度ぱらぱらとページをめくって確かめる必要がある。
こんなメモを残しながら読むと、何とか作品への思いも書けるということなのだが・・・。
他の人にはよくわからないだろうが、僕の読書作法の一つをそのまま記してみた。(単なる手抜き?)

 

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1041.転生

2009年12月16日 | メディカル
転生
読 了 日 2009/11/28
著    者 仙川環
出 版 社 小学館
形    態 文庫
ページ数 271
発 行 日 2006/9/6
ISBN 4-06-182498-8

 

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のブログで何度も書いてきたことだが、その昔「♪少しまえなら憶えちゃいるが・・・。」という歌がありだいぶ流行ったが、僕はその少し前でも読んだ本について記憶があやふやになることはしょっちゅうだ。
だが3年も前になるのに、著者の前作「感染」については妙に導入部分で、不安な気持ちにさせられたことをよく憶えていた。衝撃的なスタートではあったが、読むものを不安にさせる要素があったのだ。ところが、本書を読み始めたとたん、またもや同様の感覚を味わったのだ。今回はまったく違う二つの事件がスタートで描写される。
著者は医師ではないのだが、大阪大学大学院で医学を学んでいるからか、今回の作品も医療サスペンスの部類だ。

 

 

東京で一流紙の記者だった深沢岬は、スキャンダルが元で今はフリーライターとなって、しがないミニコミ誌などに寄稿することで糊口をしのいでいる状態だった。そんなところへ最大の発行部数を誇るビジネス誌から寄稿の依頼があり、内心喜び勇んで待ち合わせ場所に赴けば、見知らぬ男がベビーカーに乗せた生後間もないと思われる乳飲み子を「これは君の子供だ」といって押し付けられるという羽目に陥った。
一方、小野田真(まこと)は危険を冒して協力した内職のミスが元で、殺されかかるが、逆に相手を殺してしまうという状況に陥る。
二つの事件は冒頭では、切羽詰った状況が描写されるだけで、そうなるに至った経緯は判明していないのだが、ストーリーの進行と共に顛末が判明していくのと同時に、どうやらその二つの事件はあるところで結びついていることもおぼろげながら、判ってくる。
一つは、深沢岬という女性記者が、官僚との不倫スキャンダルによって、閑職に異動させられたとき、相談に乗ってくれた同僚から、アメリカの大学で1年間のジャーナリズム講座を受講してはどうかという提案をされた。が、手持ちの金では資金不足。割の良いアルバイトはないかと探したところ、婦人関係の新薬開発のために協力者を求めている、という高い報酬の広告をネットで見つけた。病院で、担当の医師から不妊治療の研究のためという名目で,卵子の提供を求められ、違法を承知で応じたのだが・・・。

 

 

れが冒頭の赤子を押し付けられるという椿事の源なのだが、どうした経路をたどって、卵子の提供者である深沢岬にたどり着いたのか?

元・記者とはいえ、数々の謎を独力で追うという設定に、いささかの疑問を持ちながらも、また、彼女の不用意な行動が招いたという、ストーリー設定であることはわかっているものの、一流紙の新聞記者だった彼女が、あまりにも不注意だったのではないかと、納得できないところもあるが、読み進むにつれそんなことは忘れてストーリーに引き込まれる。
面白ければいいんだけれど・・・。

 

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1040.λに歯がない

2009年12月07日 | 本格
λに歯がない
読 了 日 2009/11/25
著    者 森博嗣
出 版 社 講談社
形    態 新書
ページ数 271
発 行 日 2006/9/6
ISBN 4-06-182498-8

 

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シリーズも5冊目となった。 このシリーズを読んでいると、理解の及ばないところが時々出てくる、という旨を以前書いたことがある。 だが本書は珍しく僕の頭にもすんなりと入ったようだ。
しかし、依然としてシリーズ全体に仕掛けがあるような気がすることに変わりはない。 まあ、1冊ずつ楽しみながら読めればそれで良いともいえるのだが・・・。
謎の探偵・赤柳初郎や、保呂草潤平までもがほんの少し顔を出して、その辺になるとどうもまた理解が及ばなくなるが、 先に書いたように全体とすればわかりやすいストーリーとなっている。
ごくまれに森ミステリィファンの書評などを目にすると、僕には到底及ばないような深い理解と洞察を示しているものがあったりして、 自分の理解力のなさを実感するので、出来るだけそういうものは見ないようにしているのだが・・。いやいや、マイペース、マイペース。

 

今回は、那古野市(名古屋市をモデルとした架空の都市?)郊外にある、T建設技術研究所内で発生した、事件を追うストーリーだ。
4人の男たちの他殺と思われる死体が発見されたT建設技術研究所は、C大学工学部建築学科の国枝桃子助教授が共同研究を行っている所だった。そうしたことから、山吹早月と海月及介が現場に居合わせた。
4人の死体はどれも拳銃で撃たれたと見られるものの、凶器の拳銃は現場周辺では発見されないこと、建物はセキュリティ装置が備わっていること、部屋にも施錠されていることで、他殺であることや、二重の密室であるといった不可思議な様相を示している。
さらに、男たちの死体からは全員、歯が抜かれているという猟奇的な犯罪を表していた。
捜査のため現場に現れたのは、山吹や海月の顔見知りである愛知県警捜査一課の近藤刑事。彼の、過去の密室という不可能犯罪に独自の論理的思考を示す、N大工学科の犀川助教授に助言を受けたい様子を見て、山吹は西之園萌絵に連絡を取る。
ざっとそうした経緯から、西之園を始めとする面々が事件の謎に関わることになるのだが・・・・。

 

書では、西之園萌絵が自身が死んでしまった夢を見る場面がある。 その描写がなんとなく判るような気がして、僕自身の年齢を実感する奇妙な感覚を味わう。 精神的なことかもしれないが、70歳を過ぎたということからか、死に1歩近づいたという気持ちがどこかにあるのか、最近になって時折一瞬ではあるが、怠惰などうでもいいという気持ちになることがある。 横道にそれた。

今回も紆余曲折を経て、犀川の明快な頭脳が示す事件の真相だが、海月及介との二人の名探偵が登場することに、なんともいえないちょっとした違和感のようなものが生じるのは、僕の先入観に毒されているのか?
珍しく事件解決に至る経過に現れた動機の、切ない思いが伝わってきて、僕はこうした話にも最近は泣かされてしまうのだ。

 

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