隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

2078.家族

2022年04月25日 | リーガル

 

家族
読了日 2021/11/27
著 者 小杉健治
出版社 双葉社
形 態 単行本
ページ数 280
発行日 2009/05/17
ISBN 978-4-575-23658-3

 

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ばらくぶりの小杉健治氏の作品だ。好きなジャンルの一つであるリーガルサスペンスを多く手掛ける著者の作品が、僕を魅了して結構たくさん読んでいる。本書で25冊目となるから、一人の作家の作品を20冊以上読んでいるのは、それほど多くはないはずだ。
僕は惚れこむとその作家の作品を追求することが多く、続けて読むことはそれほどでもないが、機会があるたびにあるいは思い出す都度、読むことが多い。今はため込んだ本、大部分が積ン読になっている本の消化に夢中になっているから、続けて読むことはないが、出来るだけそんな中でも同じ作家の本を探しては読むことにしている。
読むつもりで買ったのに、読まずに積ン読になっているのはどういう訳か、確たる理由があるわけではない。自分の手許に有ればいつでも読めるということなのだが、目に余るほどの情報が絶えず身近にあって、買ってきた本より面白そうな本のタイトルが目に入り、思わずそっちの方に気を取られて買ってきた本は、忘れ去られる。
大部分はそんな所で積ン読本になってしまうのだ。

 

 

最近は小杉健治氏の作品は時代物が多く、リーガル作品は少なくなっているようで、なんとなく淋しい思いでいるが、考えてみれば(リーガル作品が)出てくるたびに読んでいるわけではないから、僕の我儘な考えかも知れない。
さて、本書はホームレスの男が盗みの目的で住宅に侵入し、老女を殺害した疑いで逮捕された、そんな所からスタートする。男は容疑を認め、裁判員裁判が始まるが、裁判員の一人である谷口みな子は殺害された老女の息子がホームレスに依頼した、嘱託殺人ではないかと言う疑いを持っていた。
ここで、裁判員制度について少し。この制度が実施されたのは平成21年5月からだ。一般市民が不当な扱いや自由や権利を奪われることを防止するために制定された制度で、選ばれた裁判員は裁判官とともに、有罪、無罪を決定し、有罪の場合はその量刑を考えるという仕組みだ。
無差別に選ばれる裁判員だが、仕事に不都合があったり家庭の事情により、裁判に参加することが難しい場合もあり、裁判員の選定も一筋縄ではいかないこともある。本書ではそのあたりも描かれて興味深い。

 

 

杉氏の作品だけでは無いのだが、公判の進み具合により次第に明らかになる、複雑な人間関係に胸が躍るほどの面白さを感じさせる。リーガルサスペンス―裁判劇の真骨頂がそこにあるのだ。本書では最初から事件の容疑者が犯行を自白しており、それが事実ではなく真犯人がほかにいるのではないかという疑いを持つのだが、話が進むにつれてその辺がどうも本当らしく思われてくる。
だが、事件の真相がもっと他の部分に有ることが・・・・。

話は違うが最近僕はテレビ番組を観ることが多くなり、夜更かしが多少多くなった。前にも少し触れたことがあるが、ビデオレコーダーが壊れたために、録画して翌日昼間に見る、ということが出来なくなったからだ。
その代わりリアルタイムでテレビを見ることが多くなって、録画しても観ることのないことが少なくなったのだ。そのうえ見ることに熱心になったことも確かで、気づくと夢中で観てることが多くなった。
そんな中でつい近頃始まったNHKの連続ドラマに嵌っている。辻堂ゆめ氏の『卒業タイムリミット』だ。1回15分という短いドラマだが、タイトルの如くタイムリミットに迫るストーリーだから、毎回ワクワクさせられながら観ている。
ドラマは予定では24回まであるそうなので、じっくりと観賞するつもりだ。

 

 

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2017.合唱 岬洋介の帰還

2021年05月06日 | リーガル
合唱 岬洋介の帰還
読了日 2020/11/02
著 者 中山七里
出版社 宝島社
形 態 単行本
ページ数 314
発行日 2020/05/01
ISBN 978-4-299-00418-5

 

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つからか宝島社のISBNが変わった。以前は978-4-の次は8002とか7966と、4桁の数字が並んでいたのが、ご覧のように299と3桁になっている。
僕はこの国際標準であるブックナンバーが、どのように定められているのかは知らないが、まあ、別にISBNによって面白さが変わる訳もないから、どうでもいいのだが、毎回ブックナンバーや発行日などを、本のデータとして書いているからちょっと気になったのだ。

さて、著者の原点ともいえるシリーズ作品の最新刊は、幼稚園の園児3名と、教師2名が薬物常習者によって、殺害されるという残酷で痛ましい事件からスタートする。 ここでちょっと、“幼稚園の教師”と書いたが、保育園と幼稚園の違いがそこいらにある。幼稚園では園児に対して教育が行われているのだ。そこで、幼稚園では教師となるのだそうだ。
だが、保育園の園児の親からは、教育的差別について、苦情が出ているということなのだが、国がどんな対応をするかは、今後の、問題だ。

 

 

 

それはさておいて、こちらの問題は少し趣が異なる。
事件の容疑者は事件の直前自ら薬物を注射しているのだ。担当検事の天生は、日本の刑法は第39条において、「心神喪失者を責任無能力として処罰せず・・・。」と定められていることから、容疑者の無実が確定することを防ぐため、苦悩するのだ。
その天生の救援に帰還したのがタイトル通り岬洋介だ。岬洋介は、「さよならドビュッシー」事件を始めとして、「おやすみラフマニノフ」、「いつまでもショパン」、「どこかでベート―ヴェン」等々、クラシック音楽シリーズともいえる事件でその持てる能力を生かして、難事件を解決している。
大学在学中に司法試験を突破していたのだが、彼は思うところがあって、司法の道には進まずなんと、音楽の道へと進んだのだった。

その件については、現職の検事である父親との葛藤があるのだが、ここでは省こう。

 

世界的なピアニストとして活躍する一方、犯罪難事件に向き合へば、大学時代からのその能力を発揮して、前述のごとく数々の難事件を解決してきた。
だが、今回は従来と異なる文字通りの難事件だった。学生時代からの友人が陥っている、刑法第39条の落し穴から無事救うことはできるのか?

 

 

ずかな肌寒さを感じさせていた霧雨が止んで、午後からはからりと晴れあがった青空の下、気温の上昇も半端なく、初夏の陽気を目いっぱい漂わせている。
地方によって人の流れもいろいろと変化しているが、相変わらず新型コロナウィルスの勢いは止まらない。いやそれどころか、感染者の増加の傾向を見せている地方さえある。我が木更津地方も、今や累計500人を超えてしまっている。
政府による緊急事態宣言の延長を望んでいる地方もあるから、まだまだ油断はできない状況だ。幸いにして、我が家はカミさんのお供で、食料品の買い出しに度々出かけているが、病気持ちの彼女が感染する気配はないから、安心している。
しかし、ウィルスは時も所も人も選ばない。いつ感染の災難に襲われるとも限らナイ。用心に越したことはナイ。いつまでこのナイナイ尽くしは続くのだろう?

 

 

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1963.検事の信義

2020年04月24日 | リーガル

 

 

検事の信義
読 了 日 2020/03/02
著  者 柚月裕子
出 版 社 宝島社
形  態 単行本
ページ数 253
発 行 日 2019/04/20
ISBN 978-4-04-106657-7

 

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013年発行の作品にしては、いまだに図書館で順番待ちをしなければ読めない、という人気作品だ。中山七里氏と並んで(といっても中山氏は柚月氏の2年後くらいのデビューだ)、著者の柚月裕子氏も「このミステリーがすごい!」大賞の受賞者で、発表する作品に読者が殺到するといった人気作家である。
特にこの佐方貞人検事のシリーズは、『検事の本懐』(2011年)、『検事の死命』(2013年)に続く作品で3作目となる人気シリーズだ。
いずれも佐方貞人という検事を主人公に据えた裁判劇だが、ただの裁判劇というより、人間ドラマと言ったほうがいいだろう。実は著者は受賞後の第1作で、『最後の証人』という傑作裁判ドラマを書いている。
僕は中学生の頃授業の一環で、裁判所を訪れたことがあるが、当時はさほど興味がなかったが、ガードナー氏のペリイ・メイスンのシリーズを読んでから、その面白さに裁判劇に興味を持つようになった。小杉健治氏の作品をよく読むのは、氏の裁判劇が裁判の進行はもとより、そこに現れる人間ドラマが興味深いからだ。
いやいや、それは僕の浅はかな知識不足がもたらす思いで、裁判となるからにはそこに様々な人間模様が絡まっていたからで、それらが裁判の進行とともに明らかになっていくのは、必然的なことなのだ。

 

 

政府の景気判断が11年ぶりとなる「悪化」という表現になった。
コロナウィルスの感染拡大による緊急事態宣言発出とともに、経済活動を始めとするあらゆる活動がストップしているから、当然の結果なのだろう。その「悪化」が人々にどのような影響をもたらすかは、すでに失業者の増加や、立ち行かなくなる企業の発生など、中小企業ばかりでなく、輸出入が滞れば大企業と雖も安穏としてはいられない。特に部品を海外からの輸入に依存している製造業は、もろに影響を被ることになる。
コロナウィルスとの闘いはどうなるのだろう?
千葉県では昨日(22日現在)で、コロナウィルス感染者が726人となり、死亡者は13人となった。僕の住む木更津市も、9人の感染者が発生している。
休校により学童を持つ保護者向けに支援金を支給するという、独自の地方自治体も現れて、事態は増々深刻さを呈している。

 

 

んな憂鬱なニュースの中、息子の入所しているグループホームから、保護者向けの定期便が届いた。介護給付費自己負担金の明細や、施設における利用者(知的障碍者)の活動報告などが、半年ごとに送られてくるのだ。
施設のある富津市は感染者の発生もなく、介護者も被介護者も至って健康的な毎日を送っているようだ。
社会福祉法人薄光会は、障碍者を持つ保護者たちが立ち上げたものだが、今ではそこで働く職員たちの努力で、理事長を始めとする役員もすべて職員が担っている。
いろいろと虐待などという問題の発生する施設も見聞きするが、我が薄光会に限って、そうした問題は皆無だ。職員たちの自らを律する働きによって、利用者やその保護者たちとも良好なコミュニケーションがとられている。
暗いニュースばかりの中に、そうした明るい話題が飛び込んで、ほっと一息だ。

 

初出
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 裁きを望む このミステリーがすごい!2015年版(宝島社) 2012年4月
2 業をおろす 「このミステリーがすごい!」大賞作家
書き下ろしBOOK
2012年8月
3 死命を賭ける「死命」刑事部編 「このミステリーがすごい!」大賞作家
書き下ろしBOOK
2013年8月
4 死命を決する「死命」公判部編 書き下ろし  

 

 

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1910.能面検事

2019年06月01日 | リーガル

  

能面検事
読了日 2019/05/26
著 者 中山七里
出版社 光文社
形 態 単行本
ページ数 287
発行日 2018/07/30
ISBN 978-4-433-91233-8

 

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津市の図書館で借りてきた3冊の内の2冊目。本書に限り一日で読了。著者の作品をこよなく愛し、どれもこれも面白く読むのだが、この作品は特に先行きが気になり、近ごろ読むのが遅くなってきたにもかかわらず、朝から晩までかかったが、一日で読み通した。
近ごろでは珍しいことだ。文学作品に夢中だった中学生の頃は別として、歳を取るに従い途中何度も休み休みしないと、読めないことが多いのだ。それが1日で読めたことに自分でも驚いている始末だ。
しかし、そんなことも幸せに感じて、読書はこれから先も僕のわずかな楽しみの一つとなって、長く続けられることを切に願っている。

このブログで過去に何度も80歳の時点で、2000冊読むことが目標だと書いてきた。
人生にはそうした目標を妨げる要因はいくつもあって、もっともそうした要因は、自ら作ってしまうことが多いのだが、僕の目標も昨年3月のパソコンの故障から、あっさりと達成不能となった。いや、80歳は今年11月2日以降、来年11月1日まであるから、頑張って読めば80歳の内に2000冊に達することが全くの不可能とは言えないかもしれない。

 

 

と、脳天気ともいえる僕の楽天的な性格をよく表している。あてにならないこともここに書いておけば、本当になるかもしれない、という全くの希望的観測だ。

話は変わるが今年の5月の気象は、気象庁が統計をとり始めてから初といった状況がいくつもあって、まるで真夏の様相を示していた。テレビの気象情報を見ていて、予報士の解説によれば、寒気ばかりでなく暖気も大陸からやってくることを初めて知った。
まあ、それを知ったところで何がどう変わるものではないし、そうした知識を活かすすべも持たない。
若い頃、ひとしきり雑学に興味を持って、そうした本も読んでいたから、テレビのクイズ番組に夢中だったこともあった。
だが、歳をとるに従い(最近は何かというとこの言葉が出てくるが)物覚えが悪くなり、逆に物忘れが多くなったから、たまに気が向いたときに見るテレビのクイズ番組を見ても、さっぱりわからないことだらけだ。
少し時間を掛ければわかることもあるのだが、わからないほうが圧倒的に多い。

 

 

大生のグループがそうした番組を盛り立てているが、彼らの博識に驚くと同時に、一方ではこの連中は将来何になるのだろうという心配もある。いや、全く大きなお世話だが、近ごろは東大卒の芸人も多く出てきて、テレビをにぎわしているから、僕が心配することではないか。
何を言いたかったのかわからなくなった。
今日から6月だから、梅雨入りも間近だ。また、暑い毎日が来るかと思うと、いささか憂鬱だ。それでなくとも、ヘルニアによる左足の痛みは相変わらずで、なんとも情けない毎日の上に到来する陽気に、今からどうしようと気に病んでいる。

タイトルの如くいかなる時も表情を変えないことから、”能面検事”と呼ばれる不破俊太郎一級検事は、自ら検察事務官の惣領美晴を従えて、難しい捜査に臨む。そして、彼の捜査は事件を解決できるかが物語の争点なのだが、どんでん返しの帝王が紡ぐストーリーは、その名に恥じることなく驚くべき真相を・・・・。

 


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1888.悪徳の輪舞曲(ロンド)

2019年02月18日 | リーガル

  

悪徳の輪舞曲(ロンド)
読了日 2019/01/29
著 者 中山七里
出版社 講談社
形 態 単行本
ページ数 276
発行日 2018/03/13
ISBN 978-4-06-220973-1

 

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子柴礼二弁護士シリーズの最新作だ(と思う)。このところ著者の作品も最新作を追いかけるのが難しい状況にあったため、誰が最新作かわからない状態だ。別に発表順に読まなくても、一向に差し支えないのだが、中山氏の作品はすべて読もうなどと思っているから、発表順に読まないと見落としがあるかもしれないことを恐れているのだ。
僕だけでなく誰しもが、自分と同時代に活躍する作家がいると思うが、僕の場合は中山七里氏がその一人で、その作風に魅せられて、全作読もうと思っている。てなこともここに何度も書いてはいるが、僕自身作品を読むたびに、その思いを新たにしている。
だが、そういう作家は、中山七里氏だけでなく、ほかにも何人かいるから、その作家の全作品を読もうということは、口で言うほど簡単ではない。特にその中に中山氏のような多作家がいると、なおさら難しくなるのだ。
つい最近僕は一大決心の下、アメリカの弁護士作家である、E・S・ガードナー氏のペリー・メイスンシリーズの長編全作を読んだことから、「為せば成る」などとも思っているが、この場合は新作がもう出てこないという状況だから、82作を読み終えることが出来たものだ。

先に書いたように僕と同時代の作家さんたちは、まだまだこれからたくさんの新作を書き続けていくわけだから、簡単ではないのだ。 だが、それだからこそ追いかけ甲斐があるというものだ。頑張って、いや楽しんで読み続けよう。

 

 

今日月曜日は、メール便配達の日で、朝8時過ぎに荷物が届いた。全部で61通と少なかったから、準備作業も10時前には終わった。それと今日はカミさんを10時に病院に連れて行ったので―彼女は月に2回ほど、掛かりつけの君津中央病院に通っている―そのあと、配達に回った。
4丁目と5丁目で61通だから、11時半には終わって、その足で僕は眼科医院に行く。
最近急に左目に黒い小さな粒々が飛んでいるように見え始めたのだ。以前にも一度そんなことがあったが、いつの間にか治っていたのであまり気にならなかったが、数日前から始まった今回は、数も多いし気になるので、眼科医に見てもらうことにした。
だが、ドクターの言うことには「飛蚊症で、心配することはありません」だった。まあ、心配はしてないが、読書の際にもちょっと気になるし、視線が動くたびに蚊も動くから、邪魔になる。

 

 

種類の薬が処方されて、薬剤師からは5分の間隔をあけて2種類の薬を、一日3回点眼するようにと説明を受ける。それで症状が軽くなればいいのだが、まだ昼、夜と2回しか差してないから、効果のほどは分からないが、飛ぶ蚊の数が減るか無くなればいいのだが、どうなることやら。
歳とともにいろいろ厄介なことが起きて、のんびりともさせてくれない。
今日のような暖かな陽気の日は、気分もいいから、愚痴はこのくらいにしておこう。何でもかんでも地球温暖化のせいにするわけにはいかないが、僕は例年の天気の具合を覚えてはいないけれど、このところの天候の移り変わりはどうも異常のような気がする。
2月は短いから、もうすぐ春はそこまで来ているのだろう。晴れた暖かな日が続けばいいなア。

 


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1862.それぞれの断崖

2018年12月31日 | リーガル
それぞれの断崖
読了日 2018/06/17
著 者 小杉健治
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 407
発行日 2001/04/25
ISBN 978-4-08-747310-0

 

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波のせいで朝起きる都度、今年一番の寒さを更新しているような感じだ。年寄りの身にはこの寒さが一段とこたえるのだ。日が昇ってくれば、僕の部屋には日が差すから、ストーブ要らずといった暖かさになるのだが・・・・。それまでの少しの間の我慢だ。
パソコンが直ってきてから、急に時間の進み具合が早くなったようだ。こうなってみると、何もせずにのんびりとした暮らしが懐かしくなるから、人間なんて(いや僕だけか)勝手なものだ。でも、パソコンが故障しなければ、11月2日の79歳の誕生日には、読書の1900冊が達成できていたはずなのだ。そんなことを言っても何もよくはならないのだが・・・・。ついつい愚痴が出てしまうのも、年寄りの証拠だな。
しかし、強い冬型の気圧配置による北陸から東北にかけての、日本海側の大雪はしばらく続きそうで、気の毒なことだ。それを思えば、少しくらいの寒さは我慢我慢、と思うがそれでも寒いものは寒いのだ。大晦日の今日の我が家は、恒例により昼にいつもの蕎麦屋に行って、年越しそばを食べる。以前、施設に入所している息子が、里帰りと称して帰ってきていたころは、家族4人で年越しそばを食べていたのだが、近ごろは彼の里帰りもなくなって、カミさんの具合が悪くなってからは、うちで蕎麦を茹でることもなくなった。

 

 

しばらくぶりにブログを始めたのだから、書くことはたくさんあるはずなのに、頭になにも浮かんでこないのはなぜだ。
まさか28日の、今年最後のメール便配達の途中で、転んだ後遺症で、頭が空っぽになったわけでもないだろうが・・・・。実はこのところ考えていることと体の反応が一致せず、バランス感覚というかひょっとしたことで、転びそうになることが多くなった。そして、とうとう配達の途中でわずかな歩道の凹凸に躓いて、転んだ。それも手も着いたのだが、間に合わず見事に顔から倒れたのだ。顔の右半分をついたものだから、メガネの右のレンズに2本のひびを入らせて、しかも頬に打撲と擦過傷だ。
わずかだが両手と右足に同じく擦過傷を負って、すぐ近くの病院に駆け込んだ。それでもまあ、大したケガではなかったから、両手に包帯、顔に絆創膏といういでたちで、とりあえず残りの配達を何とか済ませたが、今年最後の仕事は、散々な体たらくだった。

 

 

の本を読んでいた6月ごろは、本を読むことに時間が取れず、前回の「半七捕物帳(三)」も読み終わるのに、だいぶ日にちを要した。ブログに投稿するという目的がないと、読書への意気込みがそがれるようで、例によって僕の、目的と手段がごっちゃになっている証拠だ。いや、ごっちゃになっているのではなく、入れ替わってしまっているのだ。ブログはあくまでも読書の記録であって、目的でも手段でもないのだと、自分に言い聞かせても何やら納得していないようだ。困ったものだ。
本書を読み終わったときのメモを見ると、午前中に太陽のしずく(僕の息子が入所している施設を運営する社会福祉法人・薄光会の事業所の一つ)で、天羽支部会の事前打ち合わせ会があって、行ってきた。初めてこの記事を目にする方のために説明すると、天羽支部会というのは薄光会の施設を利用する障害者の保護者・家族の会の一つである。僕の息子はグループホームの一つ、あけぼの荘で生活しており、ホームはほかにも5か所あって、入所利用者と、太陽のしずくを利用する通所利用者、双方の保護者の集まりが天羽支部会ということだ。

長い間、ぺリイ・メイスン・シリーズに明け暮れていたからか、ほんの少し虚脱状態の感じだ。本を読むことに頭で内容を一応理解して入るものの、感覚として面白さが味わえていない気がするのはどうしてか?また以前のように物語に没頭できるまで、しばらくの時間がかかるのだろうか。

 

 

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1859.ありあまる殺人

2018年05月28日 | リーガル
ありあまる殺人
The Case of Too Many Murders
読了日 2018/05/28
著 者 トマス・チャステイン
Thomas Chastain
訳 者 田中融二
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1560
ページ数 209
発行日 1990/12/15
ISBN 4-15-001560-0

 

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書の発行日が1990年だから、僕が買ったのはその1年後くらいだっただろう。いつかぺリイ・メイスン・シリーズの合間に読んでみようと思って買ったもので、この読書記録を始めるずっと前のことだ。
多分このころはあまり本を読んでなかった時代だ。まだ現役で、業務に関する本以外は読まなかったと思う。何しろ厳しい会社で、月に1冊は指定の本の中から選んで、その読後感や業務に取り入れられること、あるいは参考になった点などの、レポートの提出が義務付けられていた。
経費削減には厳しかったが、社員教育には惜しまず投資して、外部の経営コンサルタントのグループに所属して、次々と幹部職員をセミナーに参加させた。その恩恵にあずかって僕も二度アメリカ西部のセミナーに参加した。
そのコンサルタントグループのアメリカ西部セミナーも、もちろん帰国後レポートの提出がコンサルタント側と、会社の双方に義務付けられていた。二度目の時に出したレポートが、コンサルタントグループが発行している機関誌・経営情報に採用されて、その機関誌1冊と何某かの原稿料をもらった。
会社からはもう一人同僚が採用されて、二人のレポートは後に、社内報にも転載されるなど、初めてということもあり、しばらくは鼻が高かった。

 

 

その経営コンサルタントグループの総帥A氏はもう多分亡くなっているだろう。僕がセミナーに参加しているころは、所属しているコンサルタントに、優秀な人物が結構多くいて、まだ大手スーパーのダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、西友等々、セミナーの都度今とは異なるチェーンストア群の経営者たちも参加していて、先述のアメリカセミナーの折には、たまたま一緒だったダイエーの中内功氏に、会場で話しかけたことも懐かしい。
バブルがはじけた後の、デパートや大手スーパーの再編成があり、勢力地図が大幅に書き換えられて、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」と言った感じを持ったのは僕だけか?
もう自分には関わりの無いことだと思っても、いや、時代の流れの厳しさを思っても、何か一抹の寂しさを感じるのはなぜか?今頃昔のことを懐かしむのは、単なる年寄りのノスタルジックだろう。
いくら思っても事態は元に戻ることは無いから、先に進むしかないのだが、たまには物思いにふけるのも、僕にとっては心の内を癒すのに効果的なのだ。

 

 

週、月、水、金に配達の荷物が届けられて、翌日の火、木、土に配達する、と言うのが通常の僕のパターンなのだが、今朝、届いた荷が少し多めだったので、その半分くらいを午前中に済ませてしまおうと、カミさんを近くのスーパーに送ったその足で、配達に回った。
1時間くらいで終わるだろうと思ったのだが、分かり難い個所があったり、1件は昼休みで閉まっていて、生憎そこはポストがないため後回しにすることになったりして、存外時間がかかってカミさんを迎えに行ったのが12時半になった。
分かり難かった2か所は、ネットで地図を検索して昼食後に配達する。
会社から渡された動態地図は最新のものだから、そこに載ってないところはネットでも探すことは出来ないのだが、問題は配達物の住所・氏名と配達先の表札の違う場合なのだ。たいがいは番地があっていれば名前が違っても、ポストに投函してよいことになっているが、それでも念のためチャイムを押して、氏名の人物が在住するか確認する。
そう言ったところに、この仕事の難しさがあるわけだ。そして、別の言い方をすれば、楽しさを見出すこともできるのだ。

自画自賛の話が大分長くなった。本書はアメリカの推理作家・トマス・チャステイン氏が1985年に、NBCが「新・弁護士ペリイ・メイスン」として、ドラマ・ペリイ・メイスン・シリーズを復活させたことに刺激を受けて、ドラマのヒットがまだペリイ・メイスンが人々に受け入れられることを確認。そして、小説でもメイスンを復活させようと、試みたものだ。 巻末にそうした経緯や、ガードナー未亡人もこのストーリーを激賞したとある。
さらに、チャステイン氏は本書が書かれた翌年、1990年にはシリーズ第2弾、『The Case of The Burning Bequest』(燃え尽きた遺産とでも訳すのか?)を発表している。早川書房がその翻訳を出版しているかどうかは知らないが、できたらそちらも読んでみたいと思っているが、この辺で一旦ペリイ・メイスンの世界から退くことにしよう。

 

 

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1856.すばらしいペテン

2018年05月20日 | リーガル
すばらしいペテン
The Case of The Fabulous Fake
読了日 2018/05/20
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1240
ページ数 198
発行日 1975/04/15
分類番号 0297-112400-6942

 

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象情報によれば、前線の南下に伴って―6℃の上空の寒気が下りて来たというので、まるで季節がガラッと変化したような、乾いて冷たい空気が漂っている。からりと晴れた青空を見せながらも、まるで初春が戻ってきたようだ。
朝食前に居間の雨戸を開けるため外に出て、その少し寒いような空気に触れて、目が覚めたという感じだ。先日、夕刻の庭にいた娘が、外壁に這っていたヤモリを見つけて、「雨戸の開け閉めは外からにして」というのだ。
ヤモリを脅かすといけないから、という理由だ。家を守るというヤモリを思ってのことだ。我が家の位置するところは、山を切り開いた住宅地で、以前は夏になると、朝、玄関先にカブト虫やセミが転がっていることも多かった。庭には鶯やメジロなども来て、美しい鳴き声を競っていたが、もう30年以上も前の話だ。
今では毎日娘が撒く餌に30羽以上もの雀が、時にはつがいと思われるキジバトも来て、餌をついばむ。
昨日の蒸し暑さが嘘のような、からりと晴れあがって、少し冷たい風の吹く気持ちの良い朝は、何か幸せを運んでくるような予感をさせる。
昨日のテレビ中継で見た、英国王室のロイヤルウェディングを見たせいか、そんな気がするのだ。

 

 

著者・E・S・ガードナー氏の生前に刊行されたシリーズ最後の作品だ。1969年に刊行され、翌1970年にガードナー氏は永遠の眠りについたのである。
だが、その後未刊行の原稿、それも推敲の必要がなく、すぐにでも出版できるほどの原稿2編が見つかったという。そしてそれらは1972年、1973年に1冊ずつ刊行されたのが、81番目の『囲いのなか中の女』と、『延期された殺人』だった。
それにしても作家の死後、途中まで書かれた、いわゆる未完の原稿が発見されるという話は良く聞くが、刊行に支障のないほどの完全な原稿が、それも2編もあったというのは驚きだ、いかにも多作家のE・S・ガードナー氏らしい、と思われる出来事ではないか。
とまあ、知ったかぶりして書いたが、みな他からの受け売りだ。
累計で、81冊目を読んでいるにもかかわらず、僕はもっともっとペリイ・メイスンの物語が読みたいと思っている。ファンの心理とはそうした物だろうと、もっともらしく思うのだが、本当に何冊読んでも飽きないのがこのシリーズなのだ。
しかも、そのシリーズ長編82冊をすべて蔵書として揃えることも、どうやらあと1冊でかなうことになった。簡単なことではなかったが、努力というほどのこともなく、全部揃えることが出来たのは、ヤフオク出品者の良心的な価格での出品によるところも大きい。
だが、ヤフオクへの入札では、何度か大きなミスもあって、もう少し楽にできたところを、いささかの遠回りをしたこともあって、多少の苦労も伴った。

 

 

この次22日に出稿予定の最後の1冊『囲いのなかの女』も、既に1週間ほど前に読み終わっているから、82冊読破の祝杯をあげたいところだが、やはりそれは次回に取っておこう。
これほどのシリーズ大作を読み終わった後に、さあ今度は何を読もうかと迷うところだが、実は何冊か関連本を読む予定が詰まっており、問題はその後なのだ。しばらく海外ミステリーが続いたから、国内ミステリー、それも前から読みやいと思っていたシリーズ物、あるいは馴染みの作家の新作か、などと胸は膨らむが、どれもいまいちピンと来ないでいる。
あまりの大作に掛かりきりだった後遺症か?まさかね。
それともしばらくお休みするか?

 

 

回の82編読破の時を待たずして、そんなことを悩んでも始まらないではないか!
もう一人の僕のお叱りを受けてしまった。長い時間僕は自分の部屋で、パソコンを操作することが多いから、あまり声に出すことは無いが、胸の内で独り言ちながらいろいろと考えたり、こうした文章を書いたりするのだ。
そして時には、もう一人の僕を登場させるというわけだ。

どうしても名前を明かさない20代のブロンドの髪が美しい依頼人だ。後にわかった名前は、ダイアナ・ダグラスと言って、受付のガーティの言うことには、カバンの中はぎっしりとつっまった100ドル札の束があったというのだ。
女性からの連絡には「三十六、二十四、三十六」というコードを使うという。そしてその後、そのコードが新聞広告に現れたのだった。そして思いもよらぬ殺人事件へと発展する。

 

 

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1855.うかつなキューピッド

2018年05月18日 | リーガル
うかつなキューピッド
The Case of The Careless Cupid
読了日 2018/05/18
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1092
ページ数 205
発行日 1976/03/31 再版
BSIN 4-15-001092-7

 

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月13日に行われた支部会用の会報作りに追われて、ブログの更新を1週間余り怠ってしまったから、それを埋めるのが大変だ。何回か1日おきに記事を書くつもりなのだが、これが言うほど簡単ではない。
たかが年寄りが書く駄文ではあっても、一応は人に読んでもらうためには、余りお粗末なものも書けないから、と言いながら大した文章は今までも書いてないが。毒にも薬にもならない文章でも、それなりに苦労はしているのだ。(などと誰に恩を着せているのだ!)と、僕の中のもう一人に怒られた。
僕のうっかり頭が、どこかで数え間違って、今、シリーズ何冊目だという記述が、あてにならなくなったが、本書は10月21日より前に読んだ12冊を加えて、70冊目となるはずだ。
ということは、残すところ「すばらしいぺテン」と「囲いの中の女」の2冊で、めでたく長編82冊を読み終えるところまできた。10月21日の「恐ろしい玩具」からは、58冊を続けざまに読んできたが、何と延々7カ月になろうとしている。僕にしては大した努力で、よくも飽きずにここまで続けられたものだと、まあ、それほどのことではないか。
それでもずっと以前に歳をとって翻訳小説を読むことに、体力を消耗するだの、名前を憶えていられないなどと、書いたことが有るが、そうした状況を克服できたのは、やはりストーリーの面白さだろう。

 

 

午前中は少し湿度は高かったが、良く晴れていい天気だと思っていたら、夕方になって雲が厚くなってきた。今夜から明日朝にかけて雨が本降りになるそうだ。そんな気象情報から、本来なら明日に配達する予定のメール便を、午前中に済ませておいた。
3月から始めたメール便配達の仕事も、3カ月が過ぎて、ますますその面白さというか、仕事のし甲斐を感じている。それと共に仕事のできる幸せも感じている。現役を退いてから既に10年以上たつから、もう仕事にはあり付けないだろうと思っていたが、何でも挑戦はしてみるものだ。
いや、挑戦そのものは何度もしたのだが、少し遅すぎたきらいがあって、たいがいの所は年齢で(多分それが一番の落とされる要因ではないかと思っている)不採用になってきたからだ。それでもあきらめ無かったのが良かったのか、たまたま運が良かったのか、稼ぎは誠に少ないが、それでも収入を得られることに感謝している。
たかがメール便の配達だが、やってみると僕にとってはしばらくぶりの仕事だから、余計にそう思うのかもしれないが、なかなか奥深いところもあって、工夫次第でもっと面白くなるのではないかと、思っているところっだ。

 

 

回の依頼人は50代の婦人で、セルマ・アンソンという名前だ。
その依頼内容を示す場面は、冒頭の2ページに明らかだ。アパートメントホテルの食堂で、食後のコーヒーを飲み終えて、豪華なロビーを出ようとしたところで、後ろからきた男に向かって、啖呵を切ったのだ。
「今度自分の行き先で、見かけたら、顔を打つ!」と。
そう言うと男は、「その時は損害賠償を請求する」と言って立ち去った、というのである。彼女は心配になって、メイスンに相談を持ち掛けたのだった。
彼女は夫の死によって受け取った保険金、10万ドルを元手に投資をして、50万ドルにも増やしていたのだが、夫は事故死ではなく、彼女によって毒殺されたとの噂により、保険会社の調査が始まり、同時に警察も動き出した。
そんな状況の中、セルマ・アンソンが失踪してしまった。失踪は容疑者となる一番の要因だが、そんな依頼人を探すことが先ずはメイスンの仕事だ。例によって不利な状況を覆し依頼人の無実は証明されるのか?

ヤフオクで、パソコンの再セットアップメディアを手に入れて、NECコンタクトセンターの指導の下、再セットアップに取り掛かったが、途中でエラーとなり再セットアップが出来ない。やはり修理に出さないとだめらしい。
また、7月には天羽支部会が控えており、それまでに会報を作らなければならないのに、修理に出している暇はないのだ。どうしよう!!??

 

 

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1854.美人コンテストの女王

2018年05月16日 | リーガル
美人コンテストの女王
The Case of The Queenly Contestant
読了日 2018/05/16
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1011
ページ数 181
発行日 1986/04/15 4版
BSIN 4-15-001011-0

 

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は、何やらのアレルギー症状で、ここ2週間弱くしゃみと鼻水に悩まされてきたが、今日あたりから回復に向かっているようだ。毎年同じ時期に、と言っても覚えているわけではないから、正確には同時期かどうかは不明だ。が、止まらない鼻水に悩まされていることは確かだ。
一度耳鼻咽喉科を受診した際に、アレルギー性の鼻炎だと診断された。だが、僕の場合一日中部屋にこもりきりでも、また、雨の日であろうと、症状が変化することは無く、時々車で他所に出掛けた時に症状が泊まることもあるから、アレルギーだという診断にも、疑問っを持っているのだ。
人間の体の仕組みは複雑でわからないことも多いが、一つだけ僕が自信のあるのは、自然治癒力の確かさだ。1週間ほど前に立っていたああ椅子の上から降りようとして、バランスを崩して転げ落ち、背中とわき腹っを痛めたことを書いたが、少しせき込んだだけでも飛び上がる程痛かった症状も、大方治まってきた。
本来はそうした自己診断は、あまりいいことではなく医師の診断を仰ぐに越したことは無いのだが、特に僕のように後期高齢者にとっては、大事に至ることもあるから・・・・。

とここまではこの本を読んだ4月19日に書いたもので、現在はどうやら治まっているが、時々振りかえすこともあり、まだ油断は出来ない。

 

 

この前の回にパソコンを再セットアップをしようと、NECの直販センターで、再セットアップ用のメディアディスクを買おうとしたら、1万何某かの価格を見て、驚いたことを書いた。そこでヤフオクを探したら、もっとずっと安く出品されているのを見て、安心して入札したところだ。
最近はNECに限らず、先日もMicrosoftにちょっとした質問を投げかけたら、契約をしていないことを理由に軽くあしらわれてしまった。要するに門前払いだったのだ。いつのころからこうしたITメーカーは金取主義に陥ってしまったのだろう。僕のような貧乏人は、パソコンも使うなということか、そう思って嘆かわしく思うのは僻みか?

さて、今回メイスンの事務所を訪れたのは、約束の無いエレン・アデアと名乗る女性だった。
彼女の法律相談というのは、プライバシーに関することだったが、彼女は18歳の時、中西部のある都市で美人コンテストに優勝した。しかしその直後、彼女は妊娠していることがわかったのだ。彼女は身を隠した。
そして、20年後の今、その地方の新聞が20年前の美人コンテストの女王のその後を、記事にしようとしていた。それを阻止してほしい、というのが相談の内容だった。だが、彼女は何かメイスンに打ち明けられない事情があり、途中でメイスンを解約するのだった。
だが、メイスンとすれば、そんな隠された秘密に引っ込んではいられないのだ。

 

 

の中には、訳の分からない人間もいて、新潟県の少女殺害・死体遺棄事件は、容疑者も逮捕されて捜査も進んでいるようだが、こうした子供が犠牲となる事件を聞くたび、見るたびに、子供の父親としてはなんともやりきれない思いで、胸が痛む。
僕の子供、下の息子は知的障害者で、グループホームに入所しており、年齢も今年6月の誕生日で51歳となり、上の娘は53歳になるにも関わらず、僕の気持ちの中のある部分では、やはり子供なのだ。
だから、テレビで小さな子供が交通事故で命を失うといった報道を観れば、我が娘・息子は壮年に達しているのに、我が事のように悲しい。なんで小さな子供が、犠牲となる事件が多いのだろう。
何かが、どこかで、狂っているような気がしてならない。

僕は、ロバート・ブラウニングの「春の朝」という詩が好きだ。
時は春、日は朝(あした)、朝は7時・・・・とすすんで、 すべて世は事も無し。で終わるこの詩のように、神が空にしろ示すなら、平和な世の中にしてほしいものだ。

 

 

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1853.悩むウェイトレス

2018年05月14日 | リーガル
悩むウェイトレス
The Case of The Worried Waitress
読了日 2018/05/10
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 川口正吉
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1019
ページ数 189
発行日 1986/11/15 4版
BSIN 4-15-000847-7

 

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々回、「もの憂げな恋人」のところで、僕がこのシリーズの長編82作をすべて蔵書としたくて、方々探していることを書いた。その折、”日本の古本屋”という組織が、比較的安価でしかもきれいな本を出品している、ということについても書いた。
本来なら、ネットで探すだけでなく、足を使って街の古本屋を探して歩けば、掘り出し物が見つかる可能性もあるのだが、今の僕の貧乏生活の中では、そうそう交通費に出費することもままならないから、どうしてもネットを頼りとしてしまうのだ。
それほどの困窮生活なら、何もシリーズ全作を揃えるなどということをしなければいいのだが、そこは、一度思い込んだら何としても成し遂げたいと思うのが人情というものだ。
それに困難を乗り越えてこそ、成し遂げた時の達成感も大きいのだ、というほどのことでもないが、”思うことは成せる”とも言うではないか。しかし、先述のようにただ揃えればいいということだけではなく、できる限り安価に、しかもできるだけきれいな本を揃えたいというのだから、簡単ではない。
僕の身勝手な思いは、人が聞いたらバカではないか!と思われるだろう。その通りバカな話には違いない。が、僕にすれば逆にそれだからこそ成し遂げたいという気持ちが高まるのだ。

 

 

昨日、5月13日は息子が入所している、社会福祉法人薄光会の運営するグループホームの利用者の、保護者・家族の会天羽支部会が開催された。
この会合は年に4回開かれるのだが、5月の会合は年度の最初の会合だ。もう何度も同じことを書いているが、僕はその天羽支部の副支部長をしており、その上、会報の作成を担っている。
僕の面倒なことを先延ばしするという、悪い癖がたたって、ぎりぎりになってパソコンの具合が悪くなった。表紙のプリントに不具合が出て、まともに印刷できなくなってしまったのだ。そうしたパソコンの不具合は、少し前からあってこのブログの下書きともいえる、Wordのファイルが表示できなくなったのは、もう1カ月ほど前だったか。
なんだか訳の分からないものが表示されて、使い物にならなくなったのだ。一時はそれが元通りきれいな画面い戻ることもあったのだが、その後は何度再起動しようが、全く直らなくなった。
そこで、パソコンの再インストールで、初期の状態に戻そうと思ったら、Windows10にOSをアップグレードしてあるので、再インストール用のメディアが必要だという。NECのサイトで購入しようと思ったら、何と1万円以上もするではないか。
ということで僕は今途方に暮れているところだ。

 

 

羽支部会は朝10時に始まり、今回の司会・進行役を仰せつかった僕は、会の議事次第に従って、買いを進める。支部の役員は支部長、副支部長、会計、会計監査の4人で、支部会の2週間ほど前に、事前打ち合わせ会を行うのだが、前回と今回の2回続けて僕は欠席だった。
前々回は四どころのない用事があってのことだったが、今回の事前打ち合わせは全くの話、僕のうっかりミスからだった。僕は部屋に備え付けの大きなカレンダーに、その月のスケジュール(というほどのものではないが)予定を書き込んであるのだが、肝心の打ち合わせ会を一日遅らせて書き込んであったから、気づいたら終わっていたというお粗末だった。認知症予備軍と言われるゆえんだ。
今も(もう午後9時近くになるが)大学ノートのメモを見ながら、メモ帳のHTMLテンプレートにこの文章を書いているのだが、前述のようないろいろなアクシデントの末の、訳の分からない記事をしたためている。何とかパソコンを正常な状態に戻したい!!

 

 

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1852.向こうみずな離婚者

2018年05月01日 | リーガル
向こうみずな離婚者
The Case of The Daring Divorcee
読了日 2018/05/01
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス847
ページ数 239
発行日 1986/11/15 4版
BSIN 4-15-000847-7

 

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夏を通り越して真夏日の所まであるといった、気象状況が続いている。僕のあまり当てにならない記憶では、初めてのことではないだろうか?
先ほどまで、このブログの元であるWordのファイルが、どうしたわけか壊れていて、何かわけのわからない表示になっており、ネットでの質問コーナーに問い合わせするなど、パニック状態だったのだが、昨日念のためにOS(Windows10)を入れなおしておいたら、今になって治っていることがわかった。
但し、動作が遅く、それも全く信じられないほどの遅さなのだ。何とかブログへの投稿が終わったら、メーカーに問合わせするなり、解決策を見出さなければならない。全くパソコンの不具合は、骨が折れる。
折角このぺリイ・メイスン・シリーズも順調に読み進んでいる最中だから、僕にストレスを溜め込まないでほしいが、なかなかコンピュータに関する限りは、ハードにしてもソフトにしても、やっかいなことこの上ない。
しかし今の時代パソコンなしの生活に戻ることも、したくはないし。

 

 

さすがのぺリイ・メイスン・シリーズに対する僕の情熱も、メール便配達という仕事を得てからは、ほんの少しではあるが、薄れたような気もする。
何年ぶりかで報酬を得る仕事に対して、向ける情熱にとられたのか。
前回の「もの憂げな恋人」は、3月27日から読み始めたもので、およそ2週間も掛かって、読み終えた。もうこのシリーズを読み始めてから、6カ月目に入っている。仕事にその情熱を少し取られているとはいえ、全作読もうという心構えがなくなったわけではなく、5月中旬のブログへの投稿で終わるまでは、予定通り順調に進んでいる。
僕は自分のことながら、このシリーズ読破が後の読書に、どのような影響を与えるのかが、少し心配でもあり楽しみでもある。
こんなに数十冊も翻訳小説を続けて読んだのは初めてのことで、国内ミステリーへの評価も少し変わるのだろうか?といったような疑問もあるが、またすぐに前と同様の独署生活に戻ってしまうのだろう、というような気もして、そうした少し先の自分の変化に期待もしているのだ。

 

 

ころで、このシリーズ長編82作を蔵書として、手元に置きたいという件については、前回も少し書いたが、購入先によっては古本でありながら、新品同様の本が来ることが有る。、と言ってもかなり前の時代の出版物だから、経年の変化―小口のやけであるとか―は致し方ないにしても、きれいな表紙やビニールカバーの透明度とか、掛けられた帯の状態など、誰かに読まれたという形跡が全く見当たらない本が、手に入ったときは嬉しいものだ。
図書館で借りた本が、時折水濡れ跡や、食べ物による汚れ、煙草の灰などが入っていることもあって、その都度僕は、腹立たしい気持ちになり、大いなるフラストレーションを抱えたものだ。
本書は多分、“日本の古本屋”に登録している書店で、買ったものだと思うが、先に挙げたようなきれいな状態で、そういう状態のきれいな本を読んだときは、ストーリーも一段と面白く感じる、というようなことは無いが気分がいいことは確かだ。
新古品などという言葉があり、展示品などで人手に渡って無いものが、中古品として市場に出回ることが有り、そうした本だけで蔵書を揃えたいものだが、まあ、そんな贅沢を言っても無理だろうから、できるだけいい状態の本が揃うことを願っている。

 

 

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1851.もの憂げな恋人

2018年04月28日 | リーガル
もの憂げな恋人
The Case of The Lazy Lover
読了日 2018/04/28
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 三樹青生
出版社 早川書房
形 態 ポケミス496
ページ数 266
発行日 1961/02/15 再版
BSIN 4-15-000496-X

 

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編82作を読み通そうという目標の途中で、その総てを蔵書として手に入れたい、という欲求が生じたことは、前に書いたとおりだ。だが、僅かな年金を頼りの暮らしをする僕は、できるだけ安く購いたいと思い、ヤフオクを始め、楽天やAmazonばかりでなく、「日本の古本屋」という古書店を統括する組織も、検索の対象とした。
だから当然読む順序もあちこち跳ぶわけだ。何しろ手に入るのは順番通りではないから、あちこち跳ぶがごとくだ。
前回がシリーズ22作目に対して、本書は53作目といった具合で、目まぐるしく変わるのだが、そんなことに関わりなくストーリーの面白さは何ら変わることなく、僕を楽しませてくれる。
この、日本の古本屋を検索すると、中には僕の買えそうな安い価格で出品しているところもあり、早速何冊か注文した。本書もそんな中の1冊である。

といったところで、昨日は韓国のムン大統領と、北朝鮮のキム・ジョンウン国務委員長の会談という、歴史的な出来事に、世界中が注目した(だろうと思う)。
これについてはいろいろと意見があるだろうが、僕は単純に喜ばしい出来事だと感じたのだ。

 

 

テレビの実況中継を見ていて、我がカミさんは「良かったね!」という。
全く僕もその通り良かったと思う。
微笑みを絶やさないキム・ジョンウン氏の顔を見ていて、今までの北朝鮮の姿勢は何だったのだろうと、思えるほどの変わりように、簡単に信頼できないような気もしていたが、時間がたつにつれ、とにかく民族の統一、朝鮮半島の非核化など、といったプラスの要件だけが頭を占めていき、当初のような僕とカミさんの意見となったわけだ。
近いうちに米朝首脳会談も予定されており、そちらも気になる大きな話題であるが、何とか世界平和への道筋となるよう、強く願うばかりだ。

北朝鮮と言えば我が国のみならず、多くの国に拉致被害を及ぼしている。非核化という大きな問題も、もちろん重要な課題であるが、拉致被害者の家族にとっては、自分たちの子供を始めとする家族を返して欲しいということの方が、優先課題だろう。
朝鮮半島が統一されるにも、問題は山とあるだろうが、とにもかくにも会談を1歩登ったことに間違いはないだろう。

 

 

ョーン・カービイという女性からの電話は、油性配給会社の社長・ジョン・ノースラップ・カービイという夫のことだった。彼女は夫と会って、彼の話を聞いてほしいというのだ。
やがてやってきたジョン・カービイの話によれば、料亭での会議が終わっての帰り道で、ガソリン罐を持って歩いている女と出会い、話を聞くとガス欠でストップした車のために、近くのガソリンスタンでガソリンを買って、車に戻るところだという。
そこで彼は女を車に乗せて、彼女の車まで送ることにしたが、どこまで行っても女の車は無かった。
車は誰かに盗まれたようだ。車の中にか姉やその他の物を置いたまま、ガソリン代だけをもって出たので、女は無一文だという。仕方がなく彼は、女に多少の金を与えホテルへ送ったが、翌日たっずねるとホテルの部屋はもぬけの空だった。 そんなジョン・カービイの話に、メイスンは興味を持ったのだった。

まるで違う話だが、このタイトルにある、“Scream(悲鳴の意味)”という単語から、米澤穂信氏の小市民シリーズの1冊を思い出した。シリーズ第1作の「氷菓」というタイトルに隠された、謎解きの一つだ、と言えば読んだ方にはお分かりだろう。

 

 

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1850.埋められた時計

2018年04月26日 | リーガル
埋められた時計
The Case of The Buried Clock
読了日 2018/04/26
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 中田耕治
出版社 早川書房
形 態 ポケミス514
ページ数 239
発行日 1990/12/31 6版
BSIN 4-15-000514-1

 

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に拘っているわけではないが、長いこと僕はブログの更新を、3日に一度と決めている。だが時には前回のようにうっかり忘れることもあって、そうした時はまたトータルで合うように、後の更新を早めたりする。
別にそんなことをしなくても、何ら変わることは無いのだが、僕の中の訳の分からない拘りのようなものが、そうした処理をさせるのだ。
ということで、今回と次回の記事は一日おきになる。次回1851番目を28日土曜日に投稿すれば、遅れを取り戻すことになる、というわけだ。

何やら石原裕次郎氏の歌や映画にもなった、「錆びたナイフ」を思わせるようなタイトルだ。
あちらの方は、♪砂山の砂を指で掘ってたら、真赤に錆びたジャックナイフが出てきたよ…、という石原慎太郎氏の作詞による歌だ。
こちらのタイトルにある「埋められた時計」には、事件の真相が隠された一つのキーとなっている。
銀行家・ヴィンサント・P・ブレインには、ミリセントとアデールという二人の娘がいて、ミリセントの夫であるジャック・ハーディスティが、問題の男だった。
ブレインはアデールの恋人・ハーリイ・レイマンドに思わぬ依頼をする。ブレインは彼の山荘に行ってほしいと、頼んだのだ。 草地に寝転んだハーリイの耳に、時計の音が聞こえ、そこを掘ると箱に入った目覚まし時計があった。
山荘に一晩泊ったハーリイは、翌朝そこにジャック・ハーディスティの死体を発見した。 事件の幕開きである。

 

 

今までにこのシリーズが書かれた時代の、カタカナ語やアメリカでは普通に使われている家具や道具の、日本語訳にその時代なりの面白さを感じて、紹介してきた。 本書には、“ロサンジュラス”とか、“ギャラージ”など、現在使われている“ロサンゼルス”、“ガレージ”と違う発音は、訳者の中田耕治氏の独自の言い方なのだろうか? ちょっと違和感があるが、僕は面白く感じている。
それほど昔でもないのだが、時代の流れは言葉の解釈や表現方法にも、変化がみられて、そうしたことにも面白さや楽しさを感じられるのが翻訳小説の楽しみでもあるのだろう。

この本を実際に読んだのは3月20日ごろだから1カ月前で、近頃は1冊読むのに数日をかけており、段々読了の日とブログへの投稿日が、近づいて来ている。
それでも、今日(4月26日)現在読んでいるのが、5月16日投稿予定なので、ブログ更新日が読了の日と一致するのはもう少し先になるだろう。

 

 

夏を思わせる陽気が続いて、今日は午前中の仕事が少し少なかったせいもあるが、9時40分には終わったから、その足で少し遠くのスーパー・ベイシアに行って、安いコーヒーを二袋仕入れてきた。
このブログへの投稿が終わったら、また、1杯分ずつ子袋に入れて、冷凍庫に保存する。
UCCのサイトで味を落とさない保存と、紹介されていた方法だ。それほど味にうるさい方ではないのだが、というより歳をとって味覚がどうも怪しくなっているようなのだ。
しかしながら、そうして手間をかけることで、おいしいコーヒーを飲んでいるという、一つの自己満足だがそれでもいいではないか。
若い頃、今よりずっと物がなくて貧乏だった頃に、将来金を稼ぐ時が来たら、ゆっくりコーヒーを飲みながら、ミステリーを読むような、生活がしたいものだと、夢見ていたことがそれほどたいしたことではなく、現実のものになっていることに、ささやかな幸せを感じているのだから。

 

 

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1848.美しい乞食

2018年04月19日 | リーガル
美しい乞食
The Case of The Beautiful Beggar
読了日 2018/04/19
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス1121
ページ数 241
発行日 1979/10/15 3版
BSIN 4-15-001121-4K

 

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在は“乞食”という言葉が差別用語となっているかと思ったら、僕の思い込みに過ぎなかったようだ。路上で物乞いをする人を指す言葉“乞食”は、もともとは仏教の言葉で、托鉢をすることを指して、こつじきともいうようなことを、ネットで知った。
このストーリーの中では、単に人から恵んでもらう意味で使われているのだが、僕が子供の頃の時代には、路上生活者を乞食と呼んでいたこともあり、何人かそういう人を見かけたが、時を経るにしたがって、見なくなったのは亡くなったか、あるいは他の土地に越したのか?
子供は目に見えないものに対しては、関心が向かない。70年以上も前のことだから、僕だってはっきり覚えているわけではないのだが、そうした人の中に初老の女性がいて、※※さんと名前で呼ばれていたことを思い出した。普通の暮らしをしていたら、顔立ちだって整っており、きれいなおばさんだったろう、と今になって思い起こす。そんな昔が渦を巻いて、頭と心の中を駆け巡るのは何だろう。

 

 

タイトルから思わぬ方向に記憶が蘇った。あの頃はどこも貧乏で暮らし向きも貧しかったから、そうした人に思いを寄せる余裕もなかった。いや、それは今だって大した違いはない。僕など自分のことで精いっぱいだから、人を思いやる気持ちなどないはずなのに、そんなどうしようもない昔に、思いを馳せるなど訳が分からない。
そんな時に、人間の脳の不思議さを感じさせるのだ。まだまだ脳の働きについて、科学的にも医学的にも、解明されていない部分が多いのだというから、僕などが逆立ちして考えたって、分かるはずもない。
しかし、分からないから良いこともあるのだろう。昔から知らぬが仏などともいうから。

というようなことはさておき、僕は時々、ペリイ・メイスンの依頼を受けて活動する、ポール・ドレイクの涙ぐましいまでの協力姿勢に、おもわず今流にいえば“ウルウル”することもある。
そうしたドレイク探偵の仕事ももちろん、ペリイ・メイスン一家の一員として、デラ・ストリートと共に評価されるべきだ。ペリイ・メイスンのように自ら外に出て、事件を捜査する弁護士はそうそうはいないだろうと思うが、そこはフィクションとしての面白さだ。
しかし、弁護士と言ったっていろいろなタイプがあるだろうから、メイスンのような弁護士に依頼したら、その手法に信頼を抱く人もそうはいないのではないか?現にこのシリーズをたくさん読んできたが、なぜ弁護士に依頼しながら、弁護士を信頼せずに自分勝手な行動をとるのだろうと、僕が物語の登場人物にフラストレーションを抱いたりっしても、どうなるものでもないのだが・・・・。
しかしそんな弁護士を窮地に追い込むような、依頼人の物分かりの悪さも含めて、一転真実を明らかにするメイスンの法廷での活躍が、それまでのモヤモヤを吹き飛ばす。

 

 

イトルの“美しい乞食”は、楽しかるべき外国旅行から帰国した途端、一文無しで家を追い出された、若い娘ダフネ・シェルビーが、メイスンの好意に対して「・・・わたし乞食にはなりたくありませんわ・・・」というセリフからきている。
旅行中に受け取った伯父からの手紙には、ダフネを思う伯父の緊急事態を思わせて、ペリイ・メイスンを訪ねて、彼と同行して同封の12万5千ドルの小切手を、現金化して保管してええもらう旨が、記されてあった。
だが、伯父の銀行口座には1セントもなかったのだ。彼は禁治産者の認定がされて、預金は別の口座に移されていた。
一体、ダフネの留守の間に何が起こったのだろうか?
途方に暮れるダフネの力になろうと、、メイスンはとりあえず彼女が生活に必要な金を渡そうとするのだが・・・・。

 

 

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