隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1121.アイリッシュ短編集1 晩餐後の物語

2010年11月30日 | 短編集
アイリッシュ短編集1 晩餐後の物語
AFTER DINNER STORY & other stories
読了日 2011/11/24
著 者 ウイリアム・アイリッシュ
William Irish
訳 者 宇野利奏
出版社 東京創元社
形 態 文庫
ページ数 355
発行日 0972/03/10
ISBN 4-488-12003-2

 

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行日は1972年(昭和47年)となっているが、この本はそれより14年もあとに出された新版で、当初のものと違ってサブタイトルも付されている。
東京創元社から発刊されたアイリッシュ短編集、6分冊の1冊で、8編の短編が収録されている。前にも書いていることだが、僕は若いころの一時期このウイリアム・アイリッシュ氏の作品にはまって、早川書房のポケット・ミステリーや、創元推理文庫などをずいぶんと買って読んだ。
サスペンスの詩人などと呼ばれる著者の作品は、独特の哀愁を帯びた作品も多く、日本人の読者のファンも多いというのもうなずける話だ。特に僕が惹かれるのは、アイリッシュ氏の時代の古き良きアメリカの雰囲気が出ている短編だ。アーリー・アメリカンなどという言い方もされる。
そういえば、また少し話がそれるが、かつてファミリー・レストランチェーンのスカイラークが展開していた店舗の一つにイエスタデイという、いかにもアーリー・アメリカンを彷彿させる外観や雰囲気をもつ店舗があった。その頃ケーヨーに在籍していた僕は今は亡き親友のK氏と、よく昼食時やティータイムに利用していた。よく行っていた千葉市の店はいつの間にか無くなっていたが、客層に合わなかったのだろうか?
アーリー・アメリカンという言葉で少し昔の思い出がよみがえった。

 

本書の作品群のなかでは、そうした雰囲気を現すのは3番目の「階下(した)で待ってて」だ。
著者の代表作「幻の女」や、その他の作品でもよく見られるシチュエーションの人探しのストーリーで、こうした短編に著者の特徴ともいえるエッセンスが凝縮されているような気がする。
ウイリアム・アイリッシュ氏の作品は、いろいろな形のミステリーを形成しているが(中には氏の作品は純粋なミステリーとは言えない、などと言う人もあるらしい)時々本格ミステリーともいうべきものもあって、面白い。この中では「盛装した死体」がそれに当たる、と僕は思っているが、どちらかと言えば倒叙ミステリーか?
表題ともなっている最初の「晩餐後の物語」などは、ヒッチコック劇場を思わせるような作品で、テレビドラマにしたら面白いかもしれない。
日本の吉原を舞台とした「ヨシワラ殺人事件」は、期待していたほどではなかったが、この時代の日本を舞台とした作品では、妙な日本観はなく抵抗なく読める。

 

 

の読書は、これといった傾向はなく乱読だから、思いついた時に未読の棚から引っ張り出して読むということで、あっちこっち飛ぶ。ちょっと前からめったに読まなくなった翻訳ものに手を出すようになって少しずつ読んでいるが、これもいつまで続くか心もとない。
これから先、読んでおかなくてはと、半ば義務感を伴ったものが古典的な名作群なのだが、頭の中では今さらという感もあって、なかなか手が出ないのが現状だ。古くから著名人によって(とくに推理作家の)挙げられている海外の探偵小説(ミステリー)ベストテンなどは、ぜひ読みたいと思っている。
一つには、若いころに憧れていたこともあって、代表的なものはいくつかその当時読んではいるのだが、せっかくこうして、記録として残せる環境にあるのだから、読んで一言でも添えておきたい。

 

収録作と原題
# タイトル 原題
1 晩餐後の物語 After Dinner Stories
2 遺贈 Bequest
3 階下で待ってて Finger of Doom(Wait for Me Downstairs)
4 金髪ごろし Blode Beauty Siain
5 射的の名手 Dead Shot
6 三文作家 Penny-a-Wonder
7 盛装した死体 The Body of a Well-Dressed Woman
8 ヨシワラ殺人事件 The Hunted




1120.大病院が震える日

2010年11月27日 | メディカル
大病院が震える日
読了日 2010/11/21
著 者 門田泰明
出版社 徳間書店
形 態 文庫
ページ数 325
発行日 1998/03/15
ISBN 4-19-890852-4

 

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に読んだ著者の「白い野望」が面白かったので、他に同様のメディカル・サスペンスを読んでみたいと思っていた。
前回の「警察庁から来た男」と一緒に、いすみ市の古書店で見かけたので買ってきた。前の作品を面白く読んだという割には、著者のことをよく調べて見ようともしなかったのだが、本書のカバーの見返しに著者が、結構病院関連の作品を書いていることが紹介されていた。
また、古書店で気をつけて見てみよう。
こうした病院を舞台としたメディカル・サスペンスの奔りともいうべき、山崎豊子氏の「白い巨塔」はこのブログにはないが、その昔テレビドラマ化された頃(1967年)続編まで読んでいる。僕がこの読書記録を始めた頃に、パトリシア・コーンウェル女史の「検屍官シリーズ」を契機として医療関連の作品に惹かれたのも、もとはと言えば「白い巨塔」に感動したことに要因があるのかもしれない。
それほど大病を患ったこともないから、病院にはあまり縁があるとも思えないのだが、なぜかメディカル・サスペンスやメディカル・ミステリーに惹かれる。近年、インフォームド・コンセントが提唱されて、特に医療行為の上での医師と患者の間でのコミュニケーションを円滑にするということの重要性が叫ばれて、以前と比べれば大分医師と患者の距離が縮まったかに見えるが、それでもまだ我々一般の者には解りにくいのが医療や病院・医師の内側である。

 

 

著者の門田泰明氏がこのような医療に関連した小説を書くようになったのは、自身の親族の病気が元となったようだ。それにしても医療関係者でもない著者が多くの関連作品を発表していることに、驚きを禁じ得ない。
どこで読んだか、あるいは見たか記憶の外だが、以前医学界を非難した作品を発表した作家が、その筋から脅迫めいた批判を受けるということが有ったようだ。今ではそのようなことはないと思うが、後ろ暗いことのある医師や病院も中にはないとも限らないから、こうした作品が偶然にも痛いところを突いていることがあるかもしれない。
本書では、主人公が誠に清廉潔白を絵にかいたような、しかも抜群の技術をもった医師である。それに敵対する側がその親族であるという特殊な事情があるとはいえ、一つのパターンともいえる両者の確執がからむ病院内の戦いは、周囲の人間をも巻き込んでサスペンスを感じさせる展開を見せる。

 

 

 

台は首都圏に十二の病院を展開する誠心会病院。理事長は創設者の現台宗八郎。
その中核である東京中央病院で、消化器外科部長を務め、病院のスタッフたちを始め、患者からも人望の厚い村瀬信彦が、このストーリーの主人公である。彼はかつて現台宗八郎がが手をつけた看護師の私生児で、苦学をして今の地位を掴んだのだが、医大の学費を父である現台宗八郎に援助してもらったことに恩義を感じて、意見の食い違いがありながらも、誠心会を離れずにいる。
特に、宗八郎の息子で、脳外科部長の尚治は副院長の野田と手を組んで、何かと村瀬と衝突を繰り返している。
副院長の野田は、誠心会の創設当時からの現台宗八郎の片腕として、誠心会の発展に寄与してきたという自負があり、「医は仁術」を実践する村瀬信彦を快く思っていなかった。
そんな中で、関西からライバルの京清会病院の理事長が野田の抱き込みを画策してきた。

多様なストーリーの展開は、孤高の主人公に危機的状況をもたらすかに思える中、終盤の収束部分を迎えるのだが…。
多少の説明不足が感じられるものの、僕はこうした展開が好きなのであまり気にならない。他の作品も読んでみようという気にさせられる。

 

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1119.警察庁から来た男

2010年11月24日 | 警察小説
警察庁から来た男
読 了 日 2010/11/18
著  者 佐々木譲
出 版 社 角川春樹事務所
形  態 文庫
ページ数 346
発 行 日 2008/5/18
ISBN 978-4-7584-3339-6

 

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月初めに読んだ「笑う警官」のシリーズだ。
僕は「笑う警官」を読んだ後、映画化されていることを知って見ようと思っていたのだが、どこかで垣間見た一映画ファンの酷評で、どうしようかと迷ってしまい、まだ見ていない。
普段は他の人の批評などあまり気にしないのだが、何故かわからないがちょっと引いてしまったのだ。
映像化されたものと原作の小説は別作品だということは、いつも感じていることなので、そのこと自体は気にしてないのだから、まあいつかDVDをレンタルしてみて見ようとは考えている。
そんなことを思いながら、たまたまいすみ市に一人暮らしをしているおふくろを訪ねた時、いつも寄る古書店で本書を見かけて、他にも気になる文庫数冊と共に買い求めた。

 

 

今回の舞台は北海道警察本部で、前作で胸のすく活躍を見せた札幌大通署の佐伯刑事や、小島百合巡査も登場する。そして、前作で事件の渦中の人であった津久井刑事もその存在を示す。

北海道の歓楽街・薄野周辺と思われる交番に二人の女性が飛び込んできた。女性人権会議ジャパン札幌事務所の酒巻純子という女性が、タイから売られて来た少女を救おうとして、暴力団員から追われて、交番に駆け付けたのだが、交番の巡査が呼んだのは少女の身元保証人だという男だった。だが、酒巻純子が見ると、男は自分たちを追ってきた暴力団員だった。

ビルの5階にあるバーの非常階段から男が落下して死亡するという事件が起こる。バーはどうやら暴力バーのようだったが、事故死ということで片づけられた。
不可解な様相を示す冒頭の二つのエピソードによって、物語の幕が切って落とされる。これらのエピソードは、後に重大な意味を持つことになるのだが…。

 

 

ReadingRabit12

 

イトルが示すように、北海道警察本部の生活安全部に警察庁からの監察が入る。警察庁から乗り込んできたのは、キャリアの監察官・藤川警視正と、種田主査だ。
北海道警察本部で出迎えたのは本部長の奥野と秘書課長の広畑。彼らは藤川らを懐柔するために夜の接待に導くのだが、監察官・藤川が協力を要請したのは「笑う警官」で、百条委員会で裏金問題について証言した津久井刑事だった。

一方、札幌大通署の佐伯刑事たちは、ホテルでの部屋荒らし事件の捜査を進めていた。荒らされた部屋の客は、暴力バーの非常階段から落ちて死んだ男の父親だった。父親はどうしても息子の死を事故だとは思わず、殺されたのだと信じており警察に再調査を依頼に来ていたのだ。

津久井刑事の協力による藤川監察官の綿密な調査にもかかわらず、北海道警察生安部には不審な点はなにも出てこなかった。
だが、どこかがおかしい、と藤川の勘は示していた。

今回は前作の「笑う警官」の時のように、タイムリミットはないのだが、タイ国との間の国際問題にまで発展しかねない問題もあり、佐伯刑事たちの捜査と、藤川監察官の調査が次第に交錯していくさまが、スリリングに描かれて、胸を躍らせる。

よく敵役にされるキャリア警察官の権威と、一介の刑事の協力が隠された事実を明らかにしていく過程が、前作同様のカタルシスを感じさせる。本書だけで十分その面白さは伝わるのだが、北海道警を舞台にした物語はまだこの後も続くようだ。通して読むことにより面白さもより増すようだ。

 

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1118.背表紙は歌う

2010年11月21日 | 図書
背表紙は歌う
読了日 2010/11/15
著者 大崎梢
出版社 東京創元社
形態 単行本
ページ数 244
発行日 2010/09/15
ISBN 978-4-488-02536-6

 

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レニアム症候群?での興奮状態を収めるために選んだのは、2008年8月に読んだ「平台はお待ちかね」の続編だ。続編と言ってもどちらも出版社の営業社員・井辻智紀の営業活動を描いた連作集なので、ストーリー自体が続いているわけではない。
書店員だった著者がその経験を活かして処女作「配達あかずきん」をもってデビューしたのが2006年だから、もうすでに5年が経過した。
その間、著者は精力的な執筆活動で、多くの作品を発表している。
書店関連だけではなく、中には学生の頃ファンだったという横溝正史へのオマージュのような作品(片耳うさぎ)もあって、幅を広げている。

 

 

僕がこの作者の書店関連の作品に興味を抱いて、好感をもって迎えるのにはわけがある。
以前にも少しふれたが、僕は昭和59年7月末で、それまで15年間勤めた会社、株式会社ケーヨーを退職した。同僚だった仲間と3人で郊外型書店のチェーン経営を目指すために、会社を興すことにしたからだ。
それまでの主力であった石油販売業から、黎明期のホームセンターへの転換を図り、一部上場企業へと躍進したケーヨーで、チェーン店の経営について知識の習得と、経験を積んだ末の決断であった。元々は学習参考書や、進学雑誌で著名の出版社に勤めていた、リーダー株のK氏の発案である。
昭和59年の末に、当時はまだ珍しかったビデオレンタル店を併設した郊外型の書店、第1号店を茂原市に出店したのを皮切りに、1年半ほどで10店ほどを急速に展開した。僕は残念ながら意見の食い違いなどの理由から、1年半ほどで職を辞してまたサラリーマン生活に戻った。その後バブル崩壊後の景気悪化が病を悪化させたかのように、K氏は50歳代の半ばでこの世を去った。

 

 

 

社での僕の業務は経理財務担当の役員だったが、進展のオープンに際しては雑務もこなし、新刊の受け入れや、返本の手伝いもした。何より広い駐車場を備え、明るい店内にビデオレンタルのコーナーをもつ書店は、物珍しさもあって連日の来客は活況を呈した。大崎梢氏の作品中にも描かれているように、大事な業務の一つに客注があり、新規の事業の中では重要な位置を占めていた。
多店舗展開を目指していたから、品ぞろえは回転の速い雑誌・文庫が主体で、ハードカバーや専門書はごく一部に限られていたこともあり、それなりに客注も増えていった。そうなると悲しいかなまだ実績のない新規店への、取次からの入荷を待っていたのでは顧客を待たせることになる。
そこで、僕たちは手分けをして、近隣の大書店へ買出しに出向くのだ。もちろんそんなことをしていたら全くの赤字である。しかし、そうしたことが客へのサービスとして欠かせなかったという、新店の事情だった。

わずかな経験だったが、著者の作品を読んで、当時の苦労ともいえない思いが、懐かしく呼びおこされる。
本書のように中小の出版社の営業マンが来店して、話をしたことも遠い昔のこととして、次第に記憶から消え去ろうとしている。

 

初出(ミステリーズ!)一覧
タイトル No. 発行月
ビターな挑戦者 vol.37 2009年10月
新刊ナイト vol.38 2009年12月
背表紙は歌う vol.39 2010年2月
君と僕との待機会 vol.40 2010年4月
プロモーション・クイズ   書き下ろし

 

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1117.ミレニアム 眠れる獅子と狂卓の騎士

2010年11月18日 | サスペンス

 

ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士
LUFTSLOTTET SOM SPRANGDES
読了日 2010/11/13
著 者 スティーグ・ラーソン
Stieg Larsson
訳 者 ヘレンハルメ美穂/岩澤雅利
出版社 早川書房
形 態 単行本
ページ数 494(上)
473(下)
発行日 2009/07/15
ISBN 978-4-15-209048-5(上)
978-4-15-209049-2(下)

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よいよシリーズ最後となった。前作の終わりで書いたように、冒頭は前作のラストシーンからの続きだ。と言ったってまだ読んでない方のために詳しくは書けないのが残念。
簡単に言ってしまえば第二部と第三部は繋がった長いストーリーだとも言えるかもしれない。
とにかく詳細はどうあれ、前作ラストで瀕死の重傷を負ったリスベット・サランデルの手術場面から始まるのである。リスベットが救急車で運ばれたのは、サールグレンスカ大学病院だった。手術を担当するのは、その道の権威であるアンデルス・ヨナソン外傷科医長。緊張感の漂う手術の結果、どうやらリスベットは生命の危険からは一応脱したようだ。ところがこの大学病院にはリスベットとともに運び込まれたもう一人の重要人物がいた。アレクサンデル・ザラチェンコという犯罪組織の黒幕だ。
この男こそ前作でフリー・ジャーナリストのダグ・スヴェンソンが追っていた謎の人物なのである。
調子に乗ってあまり書いていくと、ネタバレにもなりこれから読む人の興をそぐことになりかねない。



総体的に感ずることは、第一部から、この第三部に至るまでに、ミステリーのあらゆるカテゴリーが含まれている、ということだ。
例えばこの第三部では、特に後半に示される法廷の裁判シーンである。それほど長くはない法廷の場面なのだが、胸のすくような、それまでにあった数々の不条理と思える出来事が、一挙に吹き飛ばされるような痛快ささえ覚える。
僕はこれまでここに書いてきたように、アメリカのE.S.ガードナー氏のペリー・メイスン・シリーズに愛着を持って多くの作品を読んできたが、シリーズの売り物であるスリルに満ちた法定シーンに劣らない裁判の進行を見せているのだ。
ついでのことに、この裁判で弁護士を務めるのは、ミカエル・ブルムクヴィストの妹・アニカ・ジャンニーニ。彼女は刑事弁護士ではないということで断るのだが、ミカエルのたっての望みで引き受けることになる。
ミカエルの作戦通り、あるいは思惑に沿って裁判は進められるのだが…。




回はミカエル・ブルムクヴィストが、従来全くと言っていいほど信頼を置いてなかった公安警察からの依頼で、協力をすることになる、ということもあって思いもかけぬ余禄もあって、なかなか忙しいミカエルである。
また、リスベット・サランデルについてあまり書かなかったが、彼女がこの第三部でも主役であることは間違いない。彼女について書き始めるとネタバレになる恐れがあるから書けないのだ。
だが、このシリーズの中でリスベットが幼いころから、数学に関しての理解度が高かったことを回想したり、「フェルマーの最終定理」について考察するところもあり、彼女の頭脳の高さを表す場面が興味を惹く。そうしたことが彼女をコンピュータの知識に長けていることに繋がってもいるのだろう。
また、映像記憶力をもつという設定にもなっているところは、森博嗣氏のS&Mシリーズの西之園萌絵を連想させて、そうした点も僕が強く惹かれるところだ。



巻末の訳者・ヘレンハルメ美穂氏のあとがきによれば、どうやら急死した著者のスティーグ・ラーソン氏はこれに続く第4部も書き始めていたらしい。そう言われればこの第三部でも、まだ明かされてないエピソードが残っており、続きがあったということも納得できる。
三部作をスティーグ・ラーソン氏と共にこのシリーズの執筆に携わっていたエヴァ・ガブリエルソン氏とラーソン氏の遺族である父親と弟との間で、未完の遺作について相続権が争われていたらしいが、エヴァ・ガブリエルソン氏が後を書き継ぐということで和解されたようだ。まだ、その程度のことしか解ってないが、ラーソン氏はどの辺までシリーズを続けるつもりだったのか?興味は尽きない。
スウェーデンにはびこる犯罪の追及に、小説という形で世に問うた作品の続きは、再び世界を沸かせるだろうか?

ほんの束の間、僕もスウェーデンの興奮の事件の渦中に巻き込まれたようだ。


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1116.ミレニアム 火と戯れる女

2010年11月15日 | サスペンス

 

ミレニアム 火と戯れる女
MILLENNIUM FLICKAN SOM LEKTE MED ELDE
読了日 2010/11/09
著 者 スティーグ・ラーソン
Stieg Larsson
訳 者 ヘレンハルメ美穂/山田美明
出版社 早川書房
形 態 単行本
ページ数 462(上)
452(下)
発行日 2009/04/15
ISBN 978-4-15-209019-5(上)
978-4-15-209020-1(下)

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リーズ3部作の1作目「ドラゴン・タトゥーの女」を読み、間に1冊入れて読んだ後、どうしても第二部、第三部が気になって落ち着かない気分なので、といっても買ってしまうだけの余裕もないから、図書館を検索する。
だが、木更津、君津共に貸し出し中だ。念のために千葉よりの隣町、袖ヶ浦市の図書館を検索すると、中央図書館が貸出可になっている。
こういうこともあるので、いろいろ探してみるものだ。11月5日に開館を待って袖ヶ浦市の中央図書館に車で出向いた。実はこんなこともあろうかと、中央図書館の場所はかなり前に車でドライブがてら確かめておいたのだ。
カウンターで資料利用券を作ってもらい、初めてなので若い女性の館員に該当の図書の場所を案内してもらって借りだした。第二部の上下巻だけにしようと思ったが、2週間の期間があるから4冊くらいは楽にこなせるだろうと思い、この際だからと第三部も借りてきた・・・。
あとで、木更津市立図書館へは予約の取り消しをしておかなくては・・・・。




袖ヶ浦市中央図書館

第一部の「ドラゴン・タトゥーの女」を読んだ後、しばらくその余韻が胸に残るような感覚を抱いており、その大きな要因は、リスベット・サランデルという天才ハッカーにあるのだということを改めて感じた。
第二部の本書は第一部にもまして、スリリングな展開を見せるのだが、そのリスベット・サランデルが主役である。
また、ほんの少しわき道にそれるが、この三部作はすべて映画化か、ドラマ化されているらしいが、僕が見た第一部の「ドラゴン・タトゥーの女」は、axnミステリーで4回に分けられて放送された。どうやらテレビドラマではないらしい。映画化されたものをテレビ用に再編集したものか?
そういえば、axnミステリーで完全版とうたってあるのは、映画公開用に時間調整のためカットされた部分もドラマで再現された、ということなのだろうか?




一部の巻末にある訳者ヘレンハルメ美穂氏の解説によれば、第二部、第三部ともにドラマ化されているということなので、この第二部を読みながらも、それが気になってネットを検索したところ、本書第二部の映画(多分これもドラマと同様か?)をまだ上映しているところが見つかった。東京六本木の“シネマート六本木”という映画館で、11月7日から12日まで上映しているとのことだった。
見たいという気持ちはやまやまなれど、もう少し近いところ(千葉市あたり)だったら、見に行けたが時間的な制限や経済的な面からも、あきらめざるを得なかった。データベースを見ると、第二部、第三部ともにDVD化されているようだが、残念ながら発売もレンタルもまだ先のようだ。
が、昨日終わったaxnミステリーのドラマ最終回を見ていたら、終わった後、この第二部のドラマが来春放送の予定だという嬉しいニュースが入った。それなら無理して映画館に足を運ぶこともない。
このシリーズの主人公たちとある意味同じように、僕はこうと思うと他のことが目に入らなくなる。僕の場合はそれがいつも裏目に出て、あまりいい結果を生むことがないので、欠点と言っていいだろう。



回はこのシリーズに夢中になって、若いころなら迷わず全冊購入して自分のものにしてから読んだのだろう、と思うが、幸か不幸か今の状態ではそんなことは無理だから、こうして図書館で借りてきて読むののだが…。
しかしそれほど惹きつけられるシリーズの魅力とはなんだろう?
その要因の一つとして登場人物の魅力を上げたが、少なくも第二部までの底辺に流れる作品の狙いは、この国の持つ負の要因の一つ、女性への暴力に対する警告だろうか?第一部のタイトルに使われた「女性を憎む男たち」というテーマはこの第二部まで続いているようだ。
第二部は波乱の物語であった第一部から1年後の世界が描かれる。ミカエルと共に事件解明に協力したリスベット・サランデルは、海外旅行を楽しんでいた。
一方、雑誌「ミレニアム」編集部に戻ったミカエル・ブルムクヴィストが、追いかけるテーマは彼の所へフリージャーナリストのダグ・スヴェンソンから持ち込まれた、人身売買と、それに絡まる売買春である。
ダグ・スヴェンソンはバルト海を隔てた海外からの人身売買と、それに関連した強制売買春について、綿密な取材をしており、ミレニアムでの出版を希望してミカエルを訪ねてきた。ミカエルはその取材もとが確かなことを確認すると、出版に意欲的な姿勢で臨んだのだが・・・・。
そして、リスベット・サランデルの後見人であるピュルマン弁護士は、リスベットから思いも書けない仕返し(詳細は第一部に)をされたことを根に持って、復讐を誓っていた。そして彼が頼みの綱としたのは、リスベットの過去から、彼女をいちばん憎んでいる人物だった。

そうした状況がそれぞれ進む中で、ダグ・スヴェンソンと彼の婚約者が殺害されるという事件が没発する。なおかつ、現場に残された状況からリスベット・サランデルに殺人の容疑がかけられる。
さらに今回は、そのリスベット・サランデルの出生の秘密と、波乱にとんだ幼少時の過去とが明かされる。
そうしたサスペンスあふれる展開を見せる第二部だが、何といってもクライマックスは…???
この第二部の終盤は憎らしいことに、第三部の冒頭に続くことになっているのだ。


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1115.苦い血

2010年11月12日 | サスペンス
苦い血
読了日 2010/11/04
著 者 祐未みらの
出版社 講談社
形 態 単行本
ページ数 310
発行日 1997/10/30
ISBN 4-06-208943-2

 

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の前の「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」を読んだ後、しばらくその余韻が残って、気の抜けたような状態が続いた。
早いところ他の本へと移ろうか、それとも三部作の二番目(「ミレニアム 火と戯れる女」)にしようか、と迷っていた。
と言っても僕は第二部第三部と持っているわけではないから、一応第一部の「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」を読んでいるうちに、木更津市立図書館に第二部の購読予約をしておいたのだが、何時になるかわからないので、買ってしまおうか?とか・・・。
そんな気の迷いが生じたのは、ミレニアム症候群か?

そんな時は気になっている作家の本を読むに限る。前もってAmazonで探しておいた著者の2冊の単行本の内の1冊、本書を読み始めた。所々で映し出される主人公の過去が、その母親との絆を示す描写で、斎藤澪氏の「この子の七つのお祝いに」を連想する。
もちろんシチュエーションは全く違うのだが、幼少期の体験が成人になってからの行動の根底をなすといったところが、全く違った物語を連想させたのだ。
幼い少女期の悲惨な出来事が、この場合はプラスに働いて、主人公の上昇志向?とは少し違うが、経済的に不安のない人生を得るために、あらゆる努力をする中国人の若い女性が描かれる。
ストーリーはそうした女性と、その周辺に繋がりを持つ人たちの動きが大半を占め、途中までは底辺にいた女性のシンデレラ物語かとも思ってしまうのだが、もちろんそれでけでは終わらない。

 

 

今ではアンナ・フォンと名乗る麗珊(らいしゃん)は、幼い時に母と共に小さなゴムボートで返還直前の香港へと渡って来た。文化大革命で、父を失った彼女たちが中華人民共和国を捨てて、苦労して渡ったそこも、母と小さな娘が楽に暮らしていける環境ではなかった。
二人の生活に基盤は母の娼婦としての収入だった。だが、麗珊が18歳になった時、その母が病に斃れ、麗珊は生活費や母の治療を得るために旺角(もんこっく:娼婦の集まる歓楽街)で、母と同じ運命をたどることに…。
なんとかしてそんな生活と、香港から逃れたいと願う彼女のもとに、かつて同じ仲間から思いがけない話を聞かされる。
マダム・クォンが金持ちの日本人を仲介してくれるという話だった。

 

 

 

者の作品は、前に最新作(と言っても1999年の作品だが)である超大作のミステリー・ロマンを読んでいるが、これはその2年前の作品である。
本書のいろいろと盛り込まれている割にいささか底が浅くなっている感じがしないでもない。主人公に絡まる重要な人物たちの要素も、もう少し掘り下げてもいいのではないかという気もする。
終盤の展開が唐突といった感じがぬぐえないのは、僕の偏った見方なのかもしれないが…。

 

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1114.ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女

2010年11月09日 | サスペンス
ミレニアム ドラゴンタトゥーの女
MILLENNIUM MAN SOM HATAR KVINNOR
読了日 2010/11/01
著 者 スティーグ・ラーソン
Stieg Larsson
訳 者 ヘレンハルメ美穂/岩澤雅利
出版社 早川書房
形 態 単行本
ページ数 379(上)
438(下)
発行日 2008/12/15
ISBN 978-4-15-208983-0(上)
978-4-15-208984-7(下)

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更津市郊外のかずさアカデミアパークにある財団法人かずさディー・エヌ・エー研究所では、昨年(2009年)から、開所記念としての講演会を実施している。
同所ではそのほかに年数回一般向けに無料で公開講座を実施しており、僕は開所記念講演も公開講座もその都度、ホームページから申し込んで、受講をしている。難解な話もあるがいろいろと知らない話が聴けるということに、知的好奇心を満足させている。
それというのも高校時代のクラスメイトがかずさディー・エヌ・エー研究所の理事をしていることもあって、その都度彼と逢って旧交を温めるということも、目的の一つとしているからだ。東大卒で理学博士の彼は、本来ならば僕らとは遠い存在なのだが、クラスメイトということで気軽に接している。

前置きが長くなったが、その彼から先日図書カードのプレゼントがあって、ありがたく頂戴した。
プレゼントのいきさつについては長くなるので、また別の機会に書くとして、すぐに頭に浮かんだのは本書のことだった。
実は、10月18日から本書を原作としたスウェーデン制作のドラマが始まって、社会現象とまでなった世界のベストセラーである作品がどんなドラマになったのか期待して見始めたのだが、4回のうち半分を見た時点で、どうしても原作を先に読んでおきたいという欲求が高まった。
そんなところへの図書カードだったから、渡りに船?少し意味合いが違うか。貧乏暮しにとってありがたいプレゼントだったというわけだ。



ところで、本書を読もうとしたきっかけが、スカパーのaxnミステリーというチャンネルで放送の始まったドラマであることは既に書いた。連続4回の半分を見た時点で、あまりにも衝撃的な内容にこれ以上見たら、多分原作を読む楽しみが損なわれるのではないかという危惧を抱いたのだ。
そこで僕はこの前の「バートラム・ホテルにて」を読み終わる前に、本やタウンに注文を出して、近くの未来屋書店を受け取り場所として指定した。本やタウンを利用するのは2度目だ。
ミステリー読書を始めて、もう11年を過ぎたというのに、相変わらず僕の情報網は頼りなく、こうした世界のベストセラーについてもドラマが始まってようやく気がつくという始末だ。それでも幸いにして読めたのだから良しとしなければ…。

スウェーデンのミステリーと言えばマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー夫妻の「マルティンベック・シリーズ」が有名で、ドラマや映画にもなっているが、僕は何冊か持っているにもかかわらずまだ未読である。
ドラマは以前NHKで何作か放送されたときに見ており、アメリカで制作された映画(「笑う警官」を原作として「マシンガン・パニック」というタイトルでウォルター・マッソー主演で制作された)も、当時劇場で観た他、後に何度かテレビでも放映された。
僕が知っているのは、大体がテレビドラマで見たものくらいだから、たかが知れている。ごく最近では、スェーデン警察・クルトヴァランダーというドラマがaxnミステリーで放送されていた。
遥か遠くの北欧の国スウェーデンについてはよく知らないのだが、本書の第一部から第四部までの扉で繰り返されるその国の女性への男性からの暴力についての記述が痛ましい。
副題の、というかミレニアムというタイトルで著された3部作の一番目の作品である本書のタイトルが「ドラゴンタトゥーの女」というのだが、オリジナルタイトルはMAN SOM HATAR KVINNORで、スウェーデン語は解らないが、「女を憎む男たち」という意味だそうだ。それほどに男性の暴力に被害をこうむる女性が多いのかと驚く。




て、冒頭エピローグで、本書の主人公である雑誌編集者・ミカエル・ブルムクヴィストは、名誉棄損で訴えられた裁判での有罪判決が下される。ミカエルが自分の主宰する雑誌「ミレニアム」に載せた、大物実業家ハンス=エリック・ヴェンネルストレムの暴露記事が、事実と異なるということから、ヴェンネルストレムから反対に名誉棄損で告訴されていたのだ。
法廷において、ミカエルが一言の弁解もせずに判決を受け入れたことについての説明は、終盤になってミカエル自身から語られるのだが、判決をもとに彼はしばらく「ミレニアム」の編集から身を引く決意をする。
そんな彼の所へ、かつてはスウェーデン屈指の実業家で、現在は第一線から退いているヘンリック・ヴァンゲルから奇妙な仕事の依頼をされる。
それこそが本書のメインテーマである、姿を現さない殺人事件の解明という難問だった。

新興のライバル会社の台頭で、下降線をたどりつつあるヴァンゲル・グループだが、衰えたとはいえまだまだその勢力はスウェーデンの経済界に影響を及ぼす存在だった。引退してもなおヴァンゲル家の当主に変わりはないヘンリック・ヴァンゲルの依頼とは、40年前にボスニア湾に浮かぶヘーデビー島から忽然と姿を消したヘンリックの姪、ハリエッタ・ヴァンゲルの捜査だった。
ヘンリックはハリエッタはヴァンゲル一族の中の誰かに殺されたと信じていたが、彼は40年間、あらゆる手段を講じてその真実を追い求めてきたのだが、80歳を迎えて、どうしても存命中に納得する答えが欲しかったのである。



和訳のタイトルが「ドラゴン・タトゥーの女」となっているように、この物語には事件の解明を担うミカエル・ブルムクヴィストの他に、彼と共に真実の解明に協力するもうひとりのメイン・パーソナリティがいる。
リスベット・サランデルという若い女性なのだが、そっちこっちにピアスをつけ、痩せて小さく、一見十代の少女かとも思われる外見とは裏腹に、超人的なコンピュータ知識を持つ天才ハッカーであると同時に、的確な調査能力を身に付けていた。彼女がその「ドラゴン・タトゥーの女」なのだ。
少女時代からの体験が、人と話し合うといったコミュニケーションを極端に不得手にしており、人を全く信用しないといった性格などが、嫌われる要因となっているリスベットだが、ストーリーが進むにつれて、次第に魅力的に見えてくる不思議な感覚をもたらす。

のストーリーの中で、英米のジャズや、ミステリーについて登場人物たちが読んだり聞いたりする場面がいくつかある。例えば、トミー・ドーシー(米のビッグバンドリーダー)、ジョン・コレトレーン(米のジャズ・サックス奏者)とか、チュニジアの夜(ジャズの名曲)といった音楽に関する記述や、スー・グラフトンのミステリーとか、ヴァル・マクダーミドの「殺しの儀式」などといった引用があって、興味深い。
海外の音楽や、書物が入ってくることは我が国の事情を省みても何の不思議はないのだが、この国でもそうした英米の文化が少なからぬ影響を与えているのかという思いに駆られた。
ところで、ヘーデビー島というのはボスニア湾に面するヘーデスタという町と橋でつながった小島で、ヴァンゲル一族がそこで暮らしている。
40年前に本土と島を結ぶ橋の中央でタンクローリーと乗用車の衝突事故が発生、本土との交通が遮断された。言わば島はその時大きな密室状態となっていたのだが、そんなときにハリエッタ・ヴァンゲルが姿を消したのである。

ミステリー的な要素のみならず、スウェーデンという特有の国柄や環境を背景に、あらゆるエンターテインメントを盛り込み、読む者をとらえて離さない。世界的なベストセラーとなったことにも、素直にうなずける。 だが、悲しいことにミレニアム・シリーズ3部作は、著者スティーグ・ラーソンの処女作で、かつ遺作ともなったのだ。彼はこの大成功を実感することなく、2004年11月に心筋梗塞のため、50歳という若さで亡くなった。


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1113.バートラム・ホテルにて

2010年11月06日 | 本格
バートラム・ホテルにて
AT BERTRAM'S HOTEL
読了日 2010/10/20
著 者 アガサ・クリスティ
Agatha Christie
訳 者 乾信一郎
出版社 早川書房
形 態 新書
ページ数 258
発行日 1972/09/10
ASIN B000J91FIS

 

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は亡き英国の名女優、ジョーン・ヒクソン主演のドラマでもう何度となく見ており、今更という感じがしないでもないが、あの古き良き時代の英国といった雰囲気がよく出ているドラマの出所を確かめたくて、読み始めた。
解説によれば、本書はアガサ・クリスティ女史の71番目の作品だそうだ。読み進めて、ホテルの雰囲気などを表す表現は、老いて?からの作品という感じがするのは。そうと知ったからか?
ファンの間でもジョーン・ヒクソン女史のドラマは原作のミス・マープルにいちばん近いという評価で、ドラマそのものも原作に忠実に作られているといわれている。それでも、原作を読んでみれば、やはりドラマと原作は別作品であるというしかない。

 

 

ここでのミス・マープルはまるで脇役のような感じで、出番は少ない。
その辺がドラマとは違うところで、映画やドラマは見せることが主体で、どうしたって映像を見せなければ意味がないので、小説とは異なるのは仕方がないが、ドラマでウェクスフォード警部でおなじみのジョージ・ベイカー扮するデイビー主任警部は脇役だが、原作ではあたかも主役のような印象で、終盤で見せ場を作るミス・マープルが脇役の感がある。
古き良き時代の英国の雰囲気を維持するには、設備のメンテナンスや、人件費だけでも相当の経費がかかるだろうと思われるわりに、それほどの上客がいるとも思えないところから、主任警部はホテルの経営状態に疑問を持つ。同様にミス・マープルも子供の頃来た時とまるで同じく見えるホテルだが、どこかに不自然さを感じる。

 

 

 

テルの中のゆったりとした時の流れと、外の世界で起きる事件との落差の描写が良い。
全く無関係と思われる事柄が、最後になって収斂していくところは作品の見せ場?(読ませどころか)なのだが、それまでの所々に張り巡らされた伏線ともいうべきエピソードが素晴らしい。
足で捜査するスコットランドヤードの主任警部とは、対極的に安楽椅子探偵のミス・マープルの推理が明かされる終盤は見事。

 

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1112.本陣殺人事件

2010年11月03日 | 本格
本陣殺人事件
読了日 2010/10/15
著 者 横溝正史
出版社 角川書店
形 態 文庫
ページ数 407
発行日 1973/04/30
ISBN 4-04-130408-3

 

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ことに依ったら中学生の時かもしれない。その頃は探偵小説の機械的なトリックに興味を持っていたころで、本書の中のそれに驚いたことだけを覚えている。
東映映画の「三本指の男」を見ていたにもかかわらず、本を読んだときは映画のことは忘れて驚いた。もっとも、片岡千恵蔵氏扮する二丁拳銃の金田一耕助は、原作とはある意味全く異質の物語でもあったから、その他の「獄門島」や、「八つ墓村」、「悪魔が来たりて笛を吹く」、「犬神家の謎 悪魔は踊る」、「三つ首等」に至るまで、スリラー活劇としてそれはそれで、楽しんでみたのだが…。
だが、その後昭和50年(1975年)にATGで制作された「本陣殺人事件」は、中尾彬氏の金田一は現代風ではあったが、内容はほぼ原作を曲げることなく作られており、ミステリー映画となっていた。映画の話はこのくらいで。

 

 

この作品は昭和21年の作品で、戦時中禁止されていた探偵小説に創作意欲を燃やしていた横溝正史氏が、戦後初めて本格探偵小説を手がけたものだという。その辺の事情については、エッセイ集の「横溝正史の世界」や、「真説金田一耕助」などに詳しい。
先に書いたようにこの中では、とかく機械的なトリックに目が行きがちで、僕も若いころ読んだときは、そこに興味を惹かれたのだが、今また読み返してみれば、本格ミステリーにふさわしく、終盤に至るまでに数々の伏線が張り巡らされており、なるほどと思わせるものが多々ある。
僕はこのブログの中で、昔読んだミステリーの名作は出来るだけ再読するように心がけているので、これからもいくつかは金田一シリーズを読むことになると思うが、結末が解っていても名作と言われるものは、再読であっても読むに堪えるものが多い。
今も書いたようにどこにどのような伏線が張られていたか、あるいは誰がどんなことを云っていたのかといったことも、よく理解出来て楽しい。僕の頭からすれば、2回読んでちょうどいいのかもしれない。

 

 

 

ころで、本書には表題作のほかに80ページほどの中編「車井戸はなぜ軋る」と、長編「黒猫亭事件」が収録されている。この2編も僕は若い時に読んでいるのだが、その1篇「車井戸はなぜ軋る」に金田一耕助が噛んでいることはすっかり忘れており、彼の名前が出てきて驚いた。
僕の昔の記憶のあいまいさについては、毎度書いていることなのだが…。
それでも僕がこの作品の金田一の登場に記憶がないのは無理もない。事件は金田一がかかわった時には既にほかの人物によって解明されていたのだから。ストーリーの語りの形式が、安楽椅子探偵の形を少し変えたというような展開で、興味深い。横溝正史氏のような巨匠でも、否、巨匠だからこそいろいろな形を試みたのかもしれない。

もう一つの「黒猫亭事件」は、古谷一行氏の金田一でおなじみのドラマにもなっており、大筋ではドラマが原作どおりなのだが、小説の中で語られる微妙な点については、やはりドラマとは少し味わいが変わってくるのは仕方がないか。
この中では、金田一が探偵小説の分類上、彼の記録者Y氏が欲しがっていた事件だというくだりがあって・・・。もちろんY氏とは横溝正史氏のことだ。作者と作中の名探偵の交流があることを示しているのだが、故市川崑監督が「病院坂の首縊りの家」などで、作者の横溝正史氏を担ぎ出したことを連想する。
それも、もう昔の話となりつつある。時の経つのは速く“平成も22年となった今、昭和も遠くなりにけりか!”

さて、昨日(11月2日)が僕の誕生日だったので、この読書記録もまる11年を過ぎたことになる。いよいよ今日から12年目に入るのだが、のんびりと読書ライフを楽しもうとする反面、僕の中ではまだ読むべき本はたくさんあるから、できるだけ多くの本を読むことに励もうとする気持ちと二分される。
どちらにしても、まだ当分はこのブログを書いていくことになるのだろう。

 

収録作
# タイトル
1 本陣殺人事件
2 車井戸はなぜ軋(きし)る
3 黒猫亭事件

 

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