隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1801.瓜二つの娘

2017年11月29日 | リーガル
瓜二つの娘
The Case of The Duplicate Daughters
読了日 2017/11/26
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス620
ページ数 264
発行日 1973/10/15 4版
ISBN 4-15-000620-2

 

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み続けている「ぺリイ・メイスン・シリーズ」も本書で、14冊目となる。若く体力のあったころならいざ知らず、78歳になる今でもこれほど夢中になって、一つのシリーズを追い求めることが出来るなどとは、考えてもみなかったことだ。
それほど僕を惹きつけて止まない魅力が、このシリーズにはあるということだろう。
時々巻末に表れる訳者のあとがきや解説に見られるところでは、100冊以上のE・S・ガードナー氏の著作は、いずれも100万部以上の売れ行きだそうだ。もっとも、世界中で愛されて、現在も多くのファンを魅了しているから、その数字にも納得せざるを得ない。
と書いたところで僕はまたまた以前見たか聞いたことを思い出す。わが国の文学は言葉の難しさからか、世界への発信力が弱いということだ。そんな意味のことを以前聞いたことが有るが、毎年ノーベル賞の決まる時期になると、ノーベル文学賞の受賞の期待が集まるのが、わが国の作家でヨーロッパをはじめとする海外で人気を誇る、村上春樹氏だ。
過去に何度も噂に上ったが、その都度残念という声が挙がるばかりで、受賞には至っていないのは、前述のことが影響しているのだろうか?とも考えるが、川端康成氏や、大江健三郎氏の受賞という実績もあるから、一概にそうとも言えない、というような思いも芽生える。

 

 

そうした大きな賞にはある意味運とか、タイミングもあるのだろうか、素人の浅はかな思いだが、今年は日系イギリス人である、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞して、わが国でも大いに盛り上がったのは、つい先ごろのことだ。
作品の一つ「わたしを離さないで」が、わが国でもテレビドラマ化されて、話題となったがしばらくは書店も図書館も、著作の奪い合いが続くのではないかと思っている。
僕も「ぺリイ・メイスン・シリーズ」への熱が冷めたら、どれか1冊でもカズオ・イシグロ氏の著作を読んでみたいと思っているが、まだ少し先のことだろう。
さて、今回のシリーズは本国では1960年に刊行された、第62作目の作品だ。本書は1973年の発行だが、ご覧の通り4版で、初版は1961年ということだ。版権の取得のためか、あるいは翻訳のスピードの問題かは知らぬが、アメリカ本国で発刊されてからその年か翌年に、わが国で刊行されることも有れば、数年後になってから刊行されることもあり、そうした出版事情は時代によって変わるのだろうか?などということを思わせるのが、発行日だ。

 

 

うしたことによって、なんら面白さが変わるわけではないが、僕は、それも読書の楽しみの一つとしてとらえている。
シャーロキアン同様に、このシリーズでも82冊の法廷戦術の違いとか、依頼人の職業や男女別の分析とか、いろいろ調べている人もいるのではないかと思うが、僕は読んだそばから忘れてしまうから、そうしたことには無縁だ。
だから、ブログを簡易的なデータベースのような使い方をしており、1000冊読了の折行ったような、著者別の冊数とかの分析を2000冊の時にやってみようかと思っている。
それとて、別にどうこうということではない。自分の歩んできた読書の傾向を知って、なるほどと思うばかりで、どうにも閉まらない話だが、もともとこの読書は全く自分だけの楽しみで始めたことだから、それでよしとしているのだ。
今読み続けているこの「ぺリイ・メイスン・シリーズ」も、82冊の図書館の蔵書の有無を調べて表にしたりしているうちに、若しかしたら82冊全作を読み通すことも、強ち不可能ではないと思い始めている。
途中で僕の熱意が薄れないで継続することだけが不確定要素だから、それだけ気をつければ何とかなるのではないかと、楽観しているが僕のことだからあまり当てにはならない。
せいぜい、熱意が冷めないよう頑張ってみよう。

 

 

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1800.死のスカーフ

2017年11月26日 | リーガル
死のスカーフ
The Case of The Mythical Monkeys
読了日 2017/11/26
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 宇野利泰
出版社 早川書房
形 態 ポケミス529
ページ数 279
発行日 1976/10/15 7版
ASIN B000JAQSGQ

 

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書で、おおよそ1カ月の遅れながら、1800冊を読み終わった。今のところこれといった身体の故障もないから、80歳2000冊は何とかなるのではないかと、楽観している。しかし、僕の子供の頃は、80歳はおろか、70歳、いやいや60歳だって、結構年寄りだと思っていた。
ところが世界で有数の長寿国となったわが国では、年々平均寿命が延びて、今や女性が86年、男性は80年が0歳時における平均余命だという。(今回ネットで、平均寿命を調べていて、厚労省のページでこの「0歳時における平均余命」という言い方を知り、そのまま使った)
せいぜい頑張って(何を頑張ればいいのか知らないが、「食事や適度の運動など、いろいろあるだろう!」と、もう一人の僕が言う)、健康でいたいものだ。
ぺリイ・メイスン・シリーズもなんと13冊も読み続けてしまった。だが、まだあと2冊ポケミスがあるから、この際手持ちのシリーズ作品は読み切ってしまおうと考えている。そのあとはどうなるかわからないが、ことによったら、初期の作品も図書館を探して、しばらくは読み続けようか、などとも思っているが、他にも読みたい本は山とあって、どうなることやら。第59作目のペリイ・メイスンだ。

 

 

この読書記録を大学ノートに書いたメモをもとに、Wordへと書き直してそれをメモ帳で作った自作のテンプレートで、ブログに転載している。Wordのファイルは100冊分を一つのファイルとしているから、このNo.18のファイルはここで一区切りとなる。
100冊ずつのファイルが、18個となったわけだが、大学ノートの方は20冊以上となっている。Wordのファイルも、ブログのデータもあるのだから、ノートは捨ててしまってもいいのだが、やはり手書きのものはどうしても思い入れがあって、捨てる気になれないのだ。
これも僕の悪い癖の一つで、どうでもいいものを保存しておくのは、どこかハムスターなみだ。
いつか大掃除をして、断捨離を果たしたいという思いはある。それをいつやるかというのが今の僕の課題なのだ。まあ、いろいろ他から見ればくだらないものが多いのだが、いざ手放す、捨てる、ということになると、なぜかその後の日常を考えて、味気ない生活を想像してしまう。
そんなことはなく、今まで通りの暮らしが続くと思うのだが、暮らしが一変するという方向に、思いが行ってしまうのはどうしてだろう?

 

 

題の小説「やつを撃ちころせ」のヒットで、一躍ベスト・セラー作家となったモーヴィス・ナイルズ・ミードは、作品の映画化についての打ち合わせに、秘書のグラッディス・ドイルを山奥のサンミット・ホテルに行かせた。
目指す相手がモーヴィス・ミードの言ったのと異なる人物であったが、打ち合わせはスムーズに終わったものの、モーヴィス・ミードの書いてくれた地図はなく、道に迷った挙句泥沼にはまって車は動けなる始末だ。
雨の山道を歩いてたどり着いた山荘で、迎えてくれた男は気が進まぬ様子だったが、何とか頼み込んでその夜はそこで一夜を明かすことになった。
翌朝、彼女はそこに見知らぬ男の死体を発見したが、昨夜の男の姿はどこにも見えない。グラッディス・ドイルは、何かの陰謀に巻き込まれたのだろうか?恐怖小説のような状況を示しながら、ストーリーは展開する。

今日は知的障害者の息子が入所している「ケアホームあけぼの荘」を、運営する社会福祉法人薄光会の保護者・家族の会役員会があり、太陽(“ひ”と読ませる)のしずくに行ってきた。
役員会は各施設の支部会の支部長、副支部長で構成される会で、支部会と同様年に4回開催される。
今年最後の会合で従来は終了後昼食に弁当が配られるのだが、今回はミニ忘年会という形で、アルコール類は出ないが、富津市上総湊の宮島という小料理屋の座敷で、ほんの少しだけ贅沢な会食となった。
法人本部や役員会担当の豊岡光生園施設長・多田氏の骨折りで、役員会も少しずつ内容の濃い会合になっていくようで、参加委員の活発な意見も出て、実りある会合になっていくようだ。
最近めっきり年寄臭くなった僕は、そうしたことでの少し疲れが出て危うくブログの更新を忘れるところで、今午後9時過ぎにこれを書いている。年は取りたくない、と思ってもこればかりはどうしようもないことで、全く情けない限りだ。

 

 

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1799.大胆なおとり

2017年11月23日 | リーガル
大胆なおとり
The Case of The Daring Decoy
読了日 2017/11/23
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 中村能三
出版社 早川書房
形 態 ポケミス508
ページ数 223
発行日 1959/05/10
ASIN B000JAS4Q8

 

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日は自動車運転免許の更新のため、木更津警察署に行ってきた。3年前の前回までは、免許の更新は千葉市幕張の運転免許センターに行って、免許証の即日交付を受けていたのだが、面倒な気がしたことや、高齢者講習が免許有効日の後(12月8日)になるため、警察署に赴いたというわけだ。
必要書類に記入した後、カウンターに備え付けられた検査機で、視力検査を行ったところ、驚いたことに円の切れ目を応えるのに、見えづらくて四苦八苦した。検査官の女性は「メガネが合わなくなっているようですね。少し目を休めてからもう一度やってみましょう。」と言う。椅子に掛けて20分ほど待ったのち、名前を呼ばれて再度の検査をして、なんとか合格したからよかったものの、これでは3年後の更新は無理かな、と思い暗澹たる気分で帰ってきた。
僕の眼は右目が白内障で多少の視野狭窄があり、何年か前には緑内障のレーザー手術を行っている。
だが、遠くを見ることにかけては、全く不自由を感じないできたから、視力検査で引っかかるとは考えてもいなかった。免許の更新も80歳半ばまで、ことによったら90歳くらいまで大丈夫だと、楽観していたのだが、次回81歳の更新が不能の可能性もあることに、自信喪失で目の前が暗くなる。 眼科医の検査と診断を受けてみよう。

 

 

ぺリイ・メイスン・シリーズを読み続けること12冊目となった。一人の作家の作品を追い求めるのは、戸板康二氏の「中村雅楽」シリーズ以来だ。あれは2007年のことだから、10年ぶりのこととなる。
だが、今回のシリーズはまだここで終わりではなく、少なくともあと3冊は続くのだから、僕の読書記録の中でも最長となる。
別に自慢するほどのことではないが、自分の中ではよくも続いたものだと、驚くと同時に半ば呆れてもいるのだ。
さて、本作はシリーズ第54作目の作品だ。1959年初版の発行だから、ビニールカバーがかかっていないのは、3冊前に読んだ「転がるダイス」と同様だ。このポケミスの表紙のイラストは、どれもアブストラクトというような絵画―といっていいのだろうな―だが、時にはその一部分がストーリーの内容を表すような感じの時もあり、本書の表紙もよく見ていると、いかにもそのタイトルにふさわしいような気がしてくるのが不思議だ。
ごく初期の頃は、割と見てわかるイラストだったのが、いつからか全面的にアブストラクトになった。
つくづくと表紙を見ることはあまりないのだが、最近、というより歳をとったためか、一気に読み続けることが無くなって、途中で何度か休みを入れながら読むようになって、その都度表紙を見るので今回のように、表紙のイラストへ一言となった次第だ。

 

 

分でもよくわからないのだが、僕にはある種の拘りのようなものがあって―まあ誰しも多少の差はあれ、そうしたものの持ち合わせはあるようだが―僕は以前本の表紙で好き嫌いがあって、特に今の書店で見るように、様々なイラストで飾られた文庫の平積みを見ていると、若者向けだろうかアニメのキャラを思い起こさせるようで、とても読む気にならなかったことが多かった。
逆に、もの言いたげな表紙の絵に吸い寄せられるように、買い求めてしまうこともあり、そうした心理の動きが自身にも理解できないところなのだ。
そうして手に入れた文庫が、たまたま気に入った内容であったりしたら、若しかしたら僕は面白い本を探す能力に優れているのか?などと一人秘かに思ったりして、すぐに馬鹿じゃねえかと、自分自身に反論したりする。
いい歳をしてもなお、くだらないことを思ったり考えたりして、これまた、一人秘かに恥じ入ったりするのだ。
もう一つ本に関していえば、タイトルには特に嫌いなものはないが、時としてタイトルに惹かれて、買うことはこれまで何度もあって、そうした場合は内容も好みに合ったものが多かった。

そうしたことで今でも忘れず記憶に残っているのは、加納朋子氏の「ななつのこ」や、北森鴻氏の「狂乱廿四孝」、近藤史恵氏の「ねむりねずみ」、「二人道成寺」など数多くある。
過去のことは大概のことを忘れてしまう中、こうしたものが記憶に残っているのは、やはり物語が面白かったからだろうが、それだけではなく好みに合っていたから、ということがもう一つ大きな要因だろう。
面白く読んだ本だって数知れなくあるが、そうしたものをみな覚えているかと言えば、その時いくら面白く読んでも、忘れることはざらで―いや忘れることの方が多い。僕のメモリーのキャパシティが少ないこともあろうが、それだけではなく忘れることも必要なのだろう。
現に、今夢中になって読み続けているこのシリーズだって、最初の方の「恐ろしい玩具」や「重婚した夫」などほとんど忘れてしまった。
だから、次々と面白く読めるのだと、自分では勝手な理屈をつけて、読み続けているのだ。

 

 

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1798.駈け出した死体

2017年11月20日 | リーガル
駈け出した死体
The Case of The Runaway Corpse
読了日 2017/11/20
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 田中西二郎
出版社 早川書房
形 態 ポケミス341
ページ数 251
発行日 1975/10/15(7版)
ISBN 4-15-00009-2

 

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日、今年一番の冷え込みだとかいう、気象情報がテレビで伝えられているが、なるほど雲の合間から薄日が差してはいるものの、温度は上がらず10時を過ぎても寒さが続いている。
12月下旬から1月上旬の陽気だという。しかし、そう言われても僕は前年の今頃の陽気など覚えているはずもなく、気象予報士の言葉もあまり納得できないまま、初めてセーターを着た。
経費節減のためストーブもつけたり消したりで、部屋を暖める間もなく、いささか寒い部屋でこれを書いている。先ほど今朝のコーヒーは飲んでしまって、今はストーブも消してあるから、冷え性の両足先が冷たくなってきた。
仕方がないからまた、ストーブをつけた。そういえば昨日ストーブ用の灯油を買いに、行きつけのサービス・ステーションに行ったら、価格がリッター当たり2円上がっていた。18ℓが1,404円だったのが1,440になった。
ガソリンや灯油はいまや生活必需品だから、少しの値上げでも生活に響く。こんな庶民の生活状態を政府や役人は知る由もないだろうな。寒い!!

 

 

第44作目のぺリイ・メイスン・シリーズ。少し前にシリーズ作品を読むときには、できれば発行順に読んだ方が、時代の流れや主人公の環境変化なども、捉えることが出来て、などと思ったが今のところそうした心配は、どうも取り越し苦労だったみたいだ。
「恐ろしい玩具」から本書で10冊目となるメイスン弁護士シリーズだが、とびとびに読んでいるせいか、登場人物たちの環境変化などは全く感じさせず、時代の変遷による道具立てなどにも左程の変化も見られないのだ。
それより1作ごとに変化する事件の内容の、複雑極まる展開に心が躍るばかりで、あたかも読んでいる方も事件に巻き込まれるような感覚を抱いてしまう。
読書人としても各方面で活躍していた、俳優の児玉清氏はサスペンス小説が好きで、内外のすぐれた作品を発掘することにもその才能を生かしていた。生前、僕は彼の読書の傾向にも注目していたことが有り、参考にさせてもらったこともあった。
今頃になって児玉氏はこのシリーズも読んでいたのだろうかと、そんなことをふと思った。

 

 

け出した死体(Runawy Corpse)」とは奇抜なタイトルだが、それがこのストーリーの鍵となるところで、毎回のことながらぺリイ・メイスンが手掛ける事件には驚かされる。
ぺリイ・メイスンの事務所に現れた依頼人も、秘書のデラが言うところでは、「面白い二人組で、一人は二十八、九の鼠に似た夫人、もう一人は五十そこそこの猫に似た夫人」ということなのだ。
どうやら二人は母娘(おやこ)のように見えるが、話を聞くとそうではなく、どちらも亡くなったウィリアム・C・デラノという、鉱山大実業家の姻戚関係にあるセアラ・アンゼルと、マーナ・デヴンポートだった。
メイスンへの依頼の事件というのは、マーナの夫であるエドワード・デヴンポートが、妻のマーナが自分を殺そうと企んでいる、という内容の手紙を書いて、自分が死んだら地方検事か警察へ届けるようになっているらしい。
そんな話をセアラ・アンゼルはメイスンに訴えるのだった。

そして、間もなくメイスンはセアラ・アンゼルから、当のデヴンポートが死んだという電話を受ける。
だが事件はそこから始まる。死んだはずのエド・デヴンポートが、パジャマ姿で窓を乗り越え車で走り去ったという目撃情報が入ったのだ。

 

 

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1797.弱った蚊

2017年11月17日 | リーガル
弱った蚊
The Case of The Drowsy Mosquito
読了日 2017/11/17
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 ポケミス309
ページ数 213
発行日 1989/02/28(5版)
ISBN 4-15-00009-2

 

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在はあまり見かけなくなった蚊帳(かや)、僕の子供の頃は庶民の家では夏の必需品で、パタパタはたいてから中に入るという、蚊よけは欠かせないものだった。
今のようにエアコンだとか、密閉した建物と網戸が虫を寄せ付けないようになって、蚊帳もすっかりその姿を消した。このタイトルを見て、たまに蚊帳の中に入ってしまった蚊が、暗闇の中でプーンという音を立てることが有って、そうなると気になって眠れないから、明かりをつけて蚊をたたく。
だが敵もさるもの、そう簡単にはたたかせないから、蚊帳の中で鬼ごっこが始まるのだ。
このストーリーの中でも似たような場面が展開して、昔のことを思い出した。ぺリイ・メイスン・シリーズ、第23作目だ。
このポケミスは第5版で1989年(昭和最後の年で1カ月しかなかった64年だ)、いや、2月28日だから平成元年か、だが初版が発行されたのは1957年だ。昭和でいえば32年で、まだまだ戦後の雰囲気が残っていた時代である。
そして、著者・ガードナー氏も脂の乗った時代で、本書が本国アメリカで発行されたのが1943年で、その頃には年に数冊を発表していたという。

 

 

何か憑かれたような勢いで、順調にぺリイ・メイスン・シリーズを読み続けてきたが、前回の「転がるダイス」のところでは、自動車免許の更新に必要な高齢者講習の前の、認知機能検査を受けに行ったりして、読むのに少し時間がかかってしまった。
このシリーズを読み始める前は、翻訳小説は3日ほどの時間がかかっていたのに、読み始めてみれば長くて2日、早い時には丸1日で読み終わることもあり、それだけ先を急がせるようなストーリーの展開だったと言えるのだろう。
だが、このように愚にもつかない駄文だが、書くとなると1日や1日半もかかるから、いくら早く読めてもブログに投稿するのは、やはり3日に一度が限度だ。
目標としている数値に近づけるための、遅れを取り戻そうと馬鹿な頑張りを見せているが、そんなことをするよりじっくりと、ストーリーを楽しむことを考えたほうがよさそうなものだ。そうも思うのだが、一方で勢いに乗っている今こそ、たまっている積ン読本を消化するチャンスだという思いもあるのだ。
晩秋に入って、いくらか天候も秋らしくなって、朝晩は寒さを感じて冬の到来が近いことを予感させる。
これを書いている今は14日の火曜日だが、今日は朝から小雨模様で温度もさほど上がらず、少し肌寒い陽気だ。

 

 

リイ・メイスン・シリーズでは、種々雑多と言っていいほどいろんな依頼人が、メイスン事務所を訪れるから、対応するメイスンも大変だが、何より著者・ガードナー氏の多方面にわたる、知識の吸収に対する時間配分はどのようになっているのだろう、そんな思いに駆られる。
国内ミステリー作品の巻末に、よく参考文献などが記載されており、多い時には数十冊の文献や資料が載っている。そうした資料を基に過誤のないストーリーを組み立てているのだろうが、このシリーズのように刑事事件における法律の知識―まあ、これはもともと著者自身が弁護士であるからお手の物としても、今回の鉱山詐欺事件などの場合は、鉱山に関する資料調べも必要になるだろう。
そんなことは僕が心配することでもないが、例によって僕は、作家という仕事の大変さをこうしたストーリーからも想像したりする。
全く余分なことではあるが、僕にとってはそんな余分なことに思いが飛ぶのも、読書の楽しみとなっているのかもしれない。

 

 

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1796.転がるダイス

2017年11月14日 | リーガル
転がるダイス
The Case of The Rolling Bones
読了日 2017/11/14
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 田中融二
出版社 早川書房
形 態 ポケミス317
ページ数 235
発行日 1957/04/15
ASIN B000JAYF6G

 

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めて本書を手に取って、ビニールカバーがかかって無いことに気付き、発行日を確かめた。
ご覧のように1957年、ということは昭和32年だ。さらに裏表紙をめくると、そこには定価170円という表示もあり、時代の流れを感じる。暗い感じの表紙のアブストラクトはそれでも色鮮やかで、ビニールコーティングがなされており、手触りがいい。今まで読んできた僕の手元にあるポケミスを見ると、その時代により装丁や作りが、微妙に違うことに気付く。
このポケミスにビニールカバーが掛けられるようになったのは何時ごろからだろう?そんなことを考えながら、いろいろ時代の変遷を感じて、何か今昔の入り混じった感情が、複雑な思いを抱かせて少し気持ちが乱れる。シリーズ第15作目の作品は、本国では1939年の刊行だから昭和14年で、余分なことだが僕の生まれた年だ。

 

 

前にも聞いたことが有るのかもしれないが、ダイス、いわゆるサイコロを英語では、BONESと言うのかとタイトルで知った。昔は動物の骨で作ったのかもしれない。
ダイスといえば、昔、若い頃見た日活映画「南国土佐を後にして」を思い出す。1959年に大ヒットした、ペギー葉山女史のヒット曲をテーマとして、マイトガイ(当時の日活では、石原裕次郎氏のタフガイを始めとして、このような呼ばれ方をしていた)・小林旭氏を主演として映画化した作品だ。
ペギー葉山女史は今年4月に83歳で、肺炎のため惜しくも亡くなったが、この曲は抜群の売れ行きを示して、たくさんのファンに長く愛されている。
映画では、刑務所で聞いた「南国土佐を後にして」に感動して、出所後高知に戻った元ギャンブラーの譲司(小林旭)だが、奪われた恋人を取り返すため、再び東京に出る。そこで二度と手にしないと誓ったダイスだったが、大勝負に賭けるのだった。
これがもとで後に、小林旭氏のヒット作流れ者シリーズが生まれることになった。 まだ若かった馬鹿な僕はそのダイスさばきに憧れて、デパートでダイスカップを手に入れて、練習したことも気恥ずかしく思い起こすのだ。

 

 

て本書は、よくある富豪の老人の財産相続に関する騒動をテーマにしたストーリーだが、15作目の本作では、割と早い時期から法廷場面が飛び出して、メイスンの鋭い反対尋問に溜飲の下がる思いを抱かせる。
僕が読んだシリーズ作品の中のいくつかでは、法廷場面が出てこない作品もあったが、その法廷シーンも本書のように早い時期に出現したり、あるいは最後になったりと工夫が凝らされている、というかストーリーの展開によって変化するのだ。
また前にも書いたが、陪審員の居並ぶ大陪審ではなく、予備審問だけで終わるストーリーもいくつもあり、そうした内容の変化にも著者・ガードナー氏の思いを想像させる。
僕はこのペリイ・メイスン弁護士の、帽子の中から鳩を出す奇術師のような、検察側の主張をひっくり返す法廷戦術に魅惑されて、後々リーガル・ミステリーを追い求めることになる。
だが、シリーズ外の作品も合わせれば100冊以上の著作を残した、ガードナー氏をしのぐミステリー作家は、もう生まれないのではないだろうか。僕のように同じ作品を再読、三読と繰り返す読者が、これからも増えていくのだろう。
本書はタイトルのダイス、つまりはいかさまダイス―同じ目が出るようにおもりを閉じ込めたダイスだ―から、殺人事件の謎を追うストーリーだ。金鉱で財を成したオルデン・リーズと結婚しようとする女・エミリー・ミリカントを阻止しようとする一族を巡り、謎が交錯する。

 

 

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1795.ストリップ・ガールの馬

2017年11月11日 | リーガル
ストリップ・ガールの馬
The Case of The Fan-Dancer's Horse
読了日 2017/11/11
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 三樹青生
出版社 早川書房
形 態 ポケミス324
ページ数 244
発行日 1957/05/31
ISBN 4-15-000324-6

 

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リーズ第29作目。浅学な僕は、と断らなくともそんなことは、このブログを読めばよくわかることだろうが、ストリップという裸の踊りや肢体を見せる女性、つまりストリップ・ガールを、かの国ではFan-Dancer ということを、このタイトルで知った。
いや、前にも聞いたことが有るような、若しかしたら聞いていて忘れたのかもしれない。
現在もどこかにストリップ劇場はあるのだろうか? 世の中の娯楽の質が大きく変化して、多種多様の人々の要求はとどまることを知らず、テレビの番組編成も年々変化しているようだ。
諸外国に比べて、わが国の性への規律は遅れていると、一時期言われていたこともあったが、時代の変遷はそうしたことも忘れさせて、今に至っている。
いや、話がずれた。今回の事件はメイスンとデラがメキシコに近い砂漠地帯をドライブ中、彼らの目の前で時代がかった乗用車が道路をそれて、砂原に横転した。車からは歳をとったメキシコの女が這い出てきた。
どうやら片腕を怪我したようだ。メイスンは女を病院に連れて行こうとして、いろいろ聞くが言葉が通じないせいか要領を得ない。
まるで、メキシコ旅行でトラブルに出合ったコロンボ(刑事コロンボの「闘牛士の栄光」の一場面)と同様の騒ぎを思い出させる状況だ。物見高いメキシコ人たちが、事故の周りを取り囲んで、口々に言いたいことを言い合うめちゃくちゃな状況は、映画やドラマでよく見られるパターンだ。

 

 

そこへ駆けつけた男は国境地方で育ったことからメキシコ人と言葉が交わせる、ということで女の世話を任せたメイスンだが、車の中に人の持ち物らしきものが何もないことに気付く。念のためのトランクを開けてみると、そこにはイニシャルの入った駝鳥の羽の扇が一対、それとダンスシューズがあった。どうしてこんなぼろ車にこんなものがあるのだろうと、彼はそれらのものを持ち去った。
といったことから始まるストーリーは、メイスンとデラを持ち主のストリップ・ガールへと導いて、殺人事件へと発展させる。
事故車から取り出した舞扇―というのだろう―の持ち主は、ロイス・フェントンといって、大牧場主ジョン・カレンダーとの結婚により、引退してその名声と芸名を後輩のアイリーン・キルビイに、使用権―営業権か?―を譲ったのだった。
事務所に帰ったメイスンは事故現場の警察に、事故車にあった品物を預かっている旨を連絡した。翌日警察からは、どこからも事故の届け出はなく、横転した車は盗難車ということだった。

さらに、メイスンはその品物について、出した新聞広告を読んだ女性からの手紙を受け取るが、彼女は失ったものは馬だというのだ。例によって、その辺から話はややこしくなって、メイスンはがぜん興味津々となるのだ。

 

 

ころで、ぺリイ・メイスンと秘書のデラ・ストリートの関係は、どこまで行ってもつかず離れずといったことだと、思っていたのだが、僕は順不同に読んだものだから、どの辺からそうなったのかは分からないが、このところ読み続けている中で、メイスンがデラに結婚―というかプロポーズらしきことを言ったり、する場面があって、驚いた。
だから、若い頃読んだのはごく初期のものだけだったのだと、今更になって思った次第だ。
こうした男女のコンビが活躍するミステリー作品は、その後の作品に大きな影響を与えて、数々の名作、迷作を生んでいることは周知の事実だ。
こういうこともあるから、シリーズ作品は順序良く読んだ方がいいのだが、なかなかそうはいかない事情もあって、悩ましい限りだ。まあ、いずれは―といってもいつになるかは全く分からないが―全作読みたいと思っているので、二人の関係のプロセスもわかってくるだろう。
シリーズ作品をいろいろ読んでいると、ストーリーとは直接かかわりのないことにも、興味を惹かれて年表を作ったりするのだが、そうしたことはシャーロキアンと言われるシャーロック・ホームズ・ファンの間で、熱心に行われており、その活動が世界に広まっている。
若しかしたら、このぺリイ・メイスン・シリーズでも、ファンの間でそうしたことが行われていないとは言えないだろう。

 

 

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1794.嘲笑うゴリラ

2017年11月08日 | リーガル
嘲笑うゴリラ
The Case of The Grinning Gorilla
読了日 2017/11/08
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 峯岸久
出版社 早川書房
形 態 ポケミス285
ページ数 269
発行日 1956/11/30
分類番号 0297-102851-6942

 

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元にあるハヤカワ・ミステリ総解説目録1953年-1993年によれば、上記の通り1956年(昭和31年)の発行だ。僕は当時高校1年生だったが、その頃本書を読んだかどうかは記憶にない。シリーズ第40作目の作品だ。なんだかシリーズを読み続けることが、止まらなくなったようだ。
とにかく、蔵書にあるシリーズは読んでしまおう。それから後はまた考えよう。
60年以上も前のことだから、記憶にないのは当然だが、多分読んではいないだろう。「シャーロック・ホームズの冒険」を読んで、ようやく海外ミステリーに目覚めた頃だから、ペリー・メイスンの活躍に胸躍らせたのは、その2-3年後のことだろうと思う。
こうした古い本を読むとき、なんとも言えない懐かしさや青春といった、これといった苦労もない時代を思い出して、やるせない気持ちになるのはなぜだろう。
ポケミスの目録を引っ張り出したのは、本書の発行日を見ると1970年11月25日第4版となっているから、初版の発行日を調べようと、目録を紐解いたのだ。この目録を手に入れた頃は、平成5年で僕はミステリーを読んでいなかった頃だが、書店で見てまだサラリーマン現役で多少の小遣いはあったから、大枚?1000円也で購入したのだった。

 

 

 

自分でもよくわからないのだが、そうしたある種のこだわりを持って、本を買うということだったのが、大事な本を時には何も考えずに手放してしまうということを、何度もしている。
人は過ちを繰り返すとはいいながら、僕の場合は単純に馬鹿だから、としか言いようのないことなのだ。
その時々で、本の価値を認識していないからなのだ。処分してしまって、だいぶ時が過ぎてからそうしたことを知って、「しまった!」と思うのがいつものパターンだ。
もう一つは我が家の狭さも要因の一つで、それほど在庫を置けないということもある。まあ、本の重みで家が傾くといったようなことはまずないのだが、それでもいろいろガラクタと共に定期的に処分しないと、ゴミ屋敷になりかねないから、気をつけている。
さらにはカミさんの小言をあまり聞きたくないということもある。

 

 

は変わるが、僕は自分で食べたいものは―食事のことだ―自分で作るのだが、もう10年以上も前にジャスコ(今この名前のスーパーはイオンに代わってしまったが)で買った、チタニウムのフライパン使っている。
当時は新商品ということで、金属アレルギーも起さないとか、軽くて丈夫など数々の利点が挙げられて、評判になった。しかし、1個1万円以上もしたから、僕には無縁のものと思っていたら、ジャスコのバーゲン品の売れ残りが1個だけ、家庭用品の隅に置いてあって、店員のパートさんに値段を聞いたら分からなく、社員を呼んできた。
話を聞くと、もう資料がなくて価格もわからないと言い、逆に「いくらくらいだったですか?」と聞かれる始末だ。
「売れ残りだから1980円くらいか?」というと、「それじゃ980円でいかがですか?」というので即座に買ってきた。いや、当初は確か1万2千円くらいだったはずだ。
といったようなことで格安で手に入れたフライパンは、炒め物、フライや揚げ物、煮物と料理全般に活躍、便利に使っている。深型で中華鍋にも似て、炒め物の返しなどはお手の物だ。

 

 

前にもどこかで書いたかどうか、このフライパンについては、ちょっとした思い出がある。ラジオの番組だったと思うが、俳優の渡辺徹氏と、女優の本上まなみ氏の対談(だったかどうかは不明)の中で、話の内容から本上まなみ氏が新婚の頃だったのではないかと思う。
チタンのフライパンを店で見た本上氏は、「価格が1万5千円もするから、買おうかどうしようかと迷っている」というようなことを言った。すると渡辺徹氏は「なんだ、買えばいいじゃないか」という。
お互いに俳優稼業だから、金銭的には十分余裕があるから、例え1万5千円のフライパンだろうが、本上氏は経済的なことを言ったのではないのだ。
台所で普段使うフライパンに1万5千円もかけるのはいかがなものか、ということを言いたかったのだと思う。それが庶民感覚―いや主婦の矜持か―というものだろう。渡辺氏にはそうした庶民感覚がなくなっているのだと、僕はその時思って本上氏の思いを微笑ましく感じて、記憶にとどまっているのだ。
このフライパンを使っているとき、ふとそれを思い出す。

 

 

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1793.緑色の眼の女

2017年11月05日 | リーガル
緑色の眼の女
The Case of The Vagabond Virgin
読了日 2017/11/05
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 314
発行日 1980/11/30
ISDN 4-15-070222-5

 

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をとるということは、いろいろと面倒なこともついてくるということを実感する。先日、10月31日に、車の免許更新のための、認知機能検査をやってきた。3年前に続いて2度目のことだが、あまりいい気持ちのも のではない。
しかし、最近テレビなどのニュースでは、高齢者による思いがけない事故が頻発しており、多分ドライバー本人は正しい運転をしているものと、認識している人もいるのだろうと、同じ高齢者として残念に思う。
30分ほどで終わる簡単な検査だったが、10名弱の中で一人点数の低い人がいたようで、医師の診断を受けることの説明をされていた。気の毒な気もしたが、しかし事故を起こしてからでは遅い。
車の運転が必要だから、検査を受けにきているのだろうが、出来れば認知機能が衰えたならば、運転はしない方がいいだろう。ニュースを見聞きしていると、当事者が事故の重大性を認識していないこともあるという。
歳をとってからの事故処理は、保険会社が中に入っているとはいえ、大変なことに変わりはない。
当日はその認知機能検査だけで、別に高齢者講習を12月8日に受ける必要がある。眼の検査や、実地の運転技能の検査もあるが、そちらの方は、まあ何とかなるだろう。後3年の運転には、多少の手間と多少の出費は仕方がないだろう。

 

 

2-3日暖かく穏やかな日が続いているが、長くは続かないらしい。
寒くなると気になるのは血圧だ。少し前まで高めの血圧のために、通院していたのだが、降圧剤などを飲み続けても一向に改善するめども立たず、原因も明らかにならないので、勝手に通院と、薬の服用をやめてしまい8カ月が過ぎた。
血圧測定や体温の測定、排便などの記録は毎日欠かさずとっているが、血圧は近頃テレビなどでも話題になっている、血圧サージ(時として高い数値を示すことが有る)の傾向にあり、少し気になるところだが、高めの血圧のやっかいなところは、全く自覚症状のないことだ。
気をつけようがないのだ。
少しの運動や食事などに気をつけてはいるが、ピークの時から比べたら、体重も10kg以上も減って痩せているのに、なぜ血圧が高いのだろうと不思議に思う。

 

 

リーズ第42作目の作品。このシリーズには、よくも一筋縄ではとらえようもない、しかし魅力的な女が次々登場するのだ。ああ、これは前回の終わりの方で書いたことだった。
文庫の表紙は毎回深井国画伯の妖艶な美女が飾っているが、それは前述のごとくストーリーに登場するキャラクターを見事に表している。
ポケミスの表紙のアブストラクトとは一線を画して、紳士諸氏のほのかな美女を手に入れたい、という欲望を満たすかのようだ。
いよいよ手持ちのシリーズの文庫は、これが最後だ。
前にも少し触れたが、このシリーズの文庫は、深井国画伯のイラストがカバーを飾っているが、イラストのような妖艶な美女の話ではない。そこのところが少し残念?な気もするが、いやいや、この美女のお父さんが本作では問題の人なのだ。 かつて、良からぬことで手にした金をもとに、財を成したことがもとで、脅迫を受けているらしい。

しかし、名弁護士・ぺリイ・メイスンとはいえ、毎回複雑極まる事件と向き合い、さらには何とか彼の鼻を明かそうとする検察陣を敵に回して、戦うのは容易ではない。

 

 

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1792.放浪処女事件

2017年11月02日 | リーガル
放浪処女事件
The Case of The Vagabond Virgin
読了日 2017/11/02
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 尾坂力
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 352
発行日 1983/11/30
ASIN B000J8R0Q0

 

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日、11月2日は僕の誕生日で、たいして、めでたくもないが無事78歳を迎えることが出来た。朝から晴れて暖かく天候までもが、僕のバースデイをハッピーにしてくれているかのようだ。そういう風に考えれば、誰にも迷惑をかけることもない。

昨日までの1800冊の読書目標には、わずかに届かなかったが、次の79歳の誕生日までには、何とか1900冊を達成したいと思っている。
しかし、楽しみだけの読書だから、目標を達成できないことが、何かに支障をきたすということはなく、いたって気楽なものだが、歳をとって読書意欲が衰えることなく、持続していることは喜ばしいことだ
それに何より、なんとなく敬遠してきたような、翻訳小説にまた夢中になっていることが、なおさらのこと嬉しい。
この読書記録を始めた頃は、専ら海外ミステリーを読んでいたから、翻訳ものには慣れているはずなのが、しばらく国内小説に専念していたことからか、翻訳小説にとっつきにくさを感じていたのだ。
といっても、たまには海外ものも読んでおり、まるっきり遠ざかっていたほどではなかったことが幸いして、先月から読み始めた「ぺリイ・メイスン・シリーズ」に、文字通り嵌ってもうしばらくは読み続けてみようと思っている。
なんといっても、このシリーズは長編だけで82冊もあるから、本書でようやく18冊目ということは、まだまだたっぷりと残っているのがありがたい。

 

 

まあ、すべてを読み続けることは出来ないから、せめて手持ちの蔵書(あと文庫1冊とポケミス9冊)だけは消化しておきたいと思うのだ。
それにこのまま翻訳小説への興味が途切れないとしたら、アガサ・クリスティ女史や、ルース・レンデル女史、エラリイ・クイーン氏、P・D・ジェイムス氏、パトリシア・モイーズ氏等々、数々のポケミスが待っている。
本を買わなくなってから大分たっているが、以前BOOKOFFや、ヤフオクなどで買い求めた積ン読本があるから、読むには事欠かない。
晩秋に入っての夜長は、読書の季節でもあり、いよいよ本格的な蔵書の消化が始まったところだ。

全部消化するには2-3年はかかるだろうが、時間はたっぷり―いやそうでもないかな?―ある、と思って、じっくりと海外ミステリーを読むのも良いではないか。若い頃の理想としていたコーヒーを飲みながらの、ミステリー読書三昧などとしゃれてみるのも、歳を重ねたからできることだと、勝手な思いを抱いている。

 

 

元にある文庫を手当たり次第に読んできたので、どれが古くてどれが新しいのか気にしてなかった。
それでこの後に読む場合は、出来るだけ古いものから順に読んでみよう、という気にもなって巻末の著作リストを、Excelの表にしてみた。
すると、第1作の「ビロードの爪」から10作目くらいまでは、かつて読んでいたことに朧気ではあるが気付いた。木更津市立図書館を検索したら、「ビロードの爪」や「吠える犬」など初期のものが残念ながらなかった。図書館といえど、蔵書を置くにはスペースという限度があるから、必然的に置いてないタイトルがあるのは当然だが、僕にすればこれほど著名な本がないというのはどうしたことか、などと思ってしまう。まあ、図書館は一つではないから、他の図書館も当たってみよう。

さて、本書は第32作目のシリーズだ。
このシリーズは原タイトルがすべて、The Case Of Theで始まっており、和訳もほとんどが直訳に近い。
本書も全くの直訳で、VAGABOND VIRGINが放浪処女ということだが、若く独身の娘というだけで、処女という言葉に特別の意味があるわけではない。が、このベロニカ・デールという家出娘を巡って、デパート経営者ジョン・レイサー・アディスンからメイスンに依頼が舞い込むというスタートだ。
このシリーズには、ガードナー氏の好みかどうか、ちょっとやっかいな美女がよく登場して、メイスン弁護士を悩ませることになるが、なんといっても彼にはデラ・ストリートという有能ながら、一方でかわいさも併せ持つ美女が傍についている。
ビルの同じ階に事務所を持つ有能な探偵・ポールドレイクもいて、それでもなおかつ一筋縄では解決のできない事件が、毎回彼を待っているのだ。

 

 

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