隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1604.依頼人は死んだ

2016年02月27日 | 短編集

                                            

依頼人は死んだ
読 了 日 2016/02/16
著  者 若竹七海
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫
ページ数 338
発 行 日 2003/06/10
ISBN 4-16-765667-1

 

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月のように月末近くになると、月日の経つのが早く感じられ、1ケ月なんて瞬く間に過ぎてしまいそうだ。今月も残すところ今日を入れて3日となった。勤めていた時と違い月末になっても、金の心配をするでもないから、気楽なものだ。

だが、特に僕のような年寄りには、残された時間がどんどん少なくなっていくようで寂しい。
寂しいといえば僕は親友を早くに亡くし、二親もこの世にいないことから、心を許せる人が本当に少なくなっている。これから幾つまで生きられるかわからないが、長生きするほどに知人が少なくなっていくのだろう。
1996年に放送された、NHK大河ドラマ「秀吉」(1996年:竹中直人主演)で、終盤「みんなどこへ行ってしまったんだ!」と秀吉が嘆くシーンがあった。辞世の句も「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」と、天下を納めた人物の句とも思えない、寂しさが表われている?ような気がする。
もちろん一庶民の僕の場合とは、比べるべくもないのだが、早く感じる月日の流れは、次第に「最後は一人」の状態が近づいていることを実感させる。

 

 

昨日(26日金曜日)は診察の予約日で、病院に行ってきた。相変わらず血圧の数値は不安定で、今回は心機図をとると言われていたが、どんなことをするのかと思ったら、身長・体重測定の後、両手両足の血圧を測り、動脈硬化の程度を観たり(CAVIと言うらしい)することだった。
両足と大動脈に動脈硬化の疑いがあるという検査結果に、塩分を少し控えた方がいいと言われる。それに動脈の硬さが、70代後半に相当すということで、薬の服用方法が一部変わり、種類が増えた。今まで自分の身体的な機能などに気を配ることはなかったが、いよいよ本格的に老人の域に達したかと、ほんの少しがっかりもするが、体力が衰えたこと以外に格段の不都合は感じられないから、普段の暮らしにそれほどの変化はないのだろう。ウォーキングでもしてみようか?

 

 

言ったようなことは本書の内容とは、一切関わりのないことだ。本書は下表が示すように9編からなる連作短編集。僕は時々こうして年月を隔てて、さまざまな紙誌に掲載された作品が、一つのテーマに沿って作品集として1冊にまとめられることに、作家と言う才能に感心する。
僕は若竹七海氏と言う著者の本はいくつか読んできたが、格別に好きな作家と言うわけではない。実を言うと、あまりよくわからないのだ。そんなことで本書はタイトルから、面白さを期待して手に入れたものだ(と思う)。
特に大きな期待をもって読み始めたわけでもないのに(なんてことを言ったら、作者に失礼か)、探偵事務所の仕事をアルバイト的にする女性調査員とでも言ったらいいか?女探偵の活躍は、見事なハードボイルドを形成している。
読み進めるにつれて、これは思わぬ拾い物だったと思うようになった。

主人公の葉村晶は、日本版のV.I.ウォーショウスキーあk、それともキンジー・ミルホーンか、とも思える女探偵で、その調査方法や生活態度がクールで、読み終わった後もっとシリーズ作品として、続けたらいいのにと思ったくらいだ。

 

初出
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 濃紺の悪魔 週刊小説 1998年9月4日号
2 詩人の死 小説TRIPPER 1997年冬季号
3 たぶん、暑かったから オール讀物 1993年11月号
4 鉄格子の女 ポンツーン 1998年11月号
5 アヴェ・マリア 小説NON 1995年2月号
6 依頼人は死んだ 別冊文藝春秋 228号
7 女探偵の夏休み 週刊小説 1999年8月20日号
8 私の調査に手加減はない 小説NON 1999年2月号
9 都合のいい地獄 書き下ろし  

 

 

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1603.ミステリー映画を観よう

2016年02月24日 | エッセイ
ミステリー映画を観よう
読了日 2016/02/13
著 者 山口雅也
出版社 光文社
形 態 文庫
ページ数 275
発行日 2005/11/20
ISBN 4-334-73968-7

 

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書に挟まっていた君津中央病院の受付票で、買った時のことを思い出した。ところが僕は身体のどこの診察を受けるために、君津中央病院に行ったのかはまるで思い出せない。記憶と言うものは不思議なものだとは、いろいろメディカルミステリーを読んでいるから、少しは分かっているつもりでいた。しかし自分自身にそうした記憶の不思議さが関わってくるとは思わなかった。

 

 

診察の待ち時間に読もうと買い求めたのだが、途中まで読んで帰宅後は積ン読となって、10年もの間底の方に埋もれさせてしまったのだ。そう、何の治療のために病院を訪れたのかはすっかり忘れたが、その折昼食をとるためだと思うが、病院内の4階の食堂に行ったついでに、そばのコンビニに寄って、本書を買い求めたことを思い出した。もう10年前になるのかと、ちょっとばかり感慨深い。

 

 

著者の山口雅也氏については、2002年に「生ける屍の死」を読んだが、あまり僕の好みではなかったせいか、内容は忘れて死者が生き返って、いや生き返るのでなく死者の世界を描いたものだったか?なんだか記憶もあやふやだ。
他に短編も一つ二つ読んだが、いずれもよくわからなかったというのが本音だ。
だが、本書は山口氏の個人的な収集品―秘蔵品ともいうべき品々と、それにまつわるミステリー談議が収録された作品だ。ミステリーファンとしては、なんとも羨ましい限りの品物が紹介されて、また、彼のそれらに対する薀蓄は聞くべきものがあって、楽しい。

 

 

ート1には観音シティー秘法館、パート2にタイトルの「ミステリー映画を観よう」が収められた、大きく二つの部分に分けられている。また、巻末には「だからマニアはやめられない」と題した、小山正、喜国雅彦、山口雅也三氏のスペシャルトークもあり、全体としてはミステリファンならずとも、楽しめる構成となっている。
僕は特にパート2の中のエラリー・クイーンに関する映像の話に、興味を惹かれた。エラリー・クイーンのテレビドラマが放送されていたころは、わが家にはまだテレビがなく(たぶんその頃は我が家だけでなく、近所でもテレビのある家は少なかったと思うが…)見られなかったミステリードラマはたくさんある。
まだ貧乏だった若い頃(その状態は今でもあまり変わらないのだが)、将来はエラリー・クイーンのシリーズ作品を思い切り読もう、などと言う思いを持ち続けていたこと思い起こすといささか切ない。
子供のおもちゃ箱をひっくり返したような感じの、本書のバラエティに富んだ内容は、遥か遠くになった若かりし頃の様々な事柄を呼び起こす。

 

 

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1602.図書館員

2016年02月21日 | サスペンス

タイトルorTitle

図書館員
THE LIBRARIAN
読 了 日 2016/02/10
著  者 ラリー・バインハート
Larry Beinhart
訳  者 真崎義博
出 版 社 早川書房
形  態 文庫2巻組
ページ数 280/283
発 行 日 2007/05/25
ISBN 978-4-15-076704-4
978-4-15-076705-1

 

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回書いたように、先週の水曜日(2月18日)は息子の入所している、福祉施設の保護者・家族の打ち合わせがあって、富津市の太陽(ひ)のしずく(生活介護事業所だが、社会福祉法人薄光会の本部を包括している)に行ってきた。僕の都合で午後からにしてもらったので、会合は1時半から始まった。
僕が所属しているのは、天羽支部と言ってケアホームの入所者の保護者・家族と、在宅介護で太陽(ひ)のしずくの利用者の保護者・家族の集まりである。支部の会合は毎事業年度ごとに4回開催されて、法人本部からの報告事項や、支部独自の催しなどの計画や、報告が行われる。次回は3月13日の日曜日に、平成27年度最後の支部会が開催されるので、その事前の打ち合わせである。
支部長、副支部長、会計、会計監査担当が出席するのだが、僕はそれらのどの役でもないけれど、昨年7月から発行している会報の制作を担当しているので参加しているというわけだ。 今度の支部会の会合で発行する会報はようやくの第3号、どうやら3号廃刊にはならなくて済みそうだが、一回ごとに難しくなる感じだ。細かいところでは、施設職員の手助けをお願いしているが、利用者のイベントに関する写真をとっても、こちらが目指す方向とはかかわりのないものが多く、多くの写真から記事に沿った写真を選ぶだけでも一仕事である。

 

 

それでも3月13日号の内容はどうやらほぼ埋まって、無事に発刊できそうだ。以前にも書いた覚えがあるが、僕の息子が昭和60年に入所した豊岡光生園(社会福祉法人薄光会の最初の入所施設)では、開園当初から職員たちが「園だより」と名付けた広報紙を定期的に発行して、保護者・家族に配布していた。記事は当時理事長だった鈴木栄氏をはじめ、職員たちの利用者に対する思いなどが寄せられて、職員の真摯な記事や手書きの暖かさは、利用者を預けている保護者たちを安心させるとともに、わが子らの元気な様子を知ることができた。
その後法人全体の広報誌として名称も「きらめき」と変わったが、古くからの保護者である僕などは、昔の手書きの「園だより」を時々懐かしく思い起こしている。
僕が天羽支部の会報を作ろうとしたのも、そうした以前の広報誌の雰囲気に、できるだけ近づけようとする思いもあったのだ。可能な限り長く続けるつもりだが、それにはもっと大勢の人たちを巻き込んでいく必要がありそうだ。

 

 

純な僕は、こういうタイトルについつい惹かれて、多分面白いのではないかと期待をもってしまうのだ。
いつもそういう勘みたいなものが当たって、面白い本に出合えればこんな楽しいことはないのだが、残念ながら往々にしてそれは外れる。
まあ、一読者に過ぎない僕だから、そうしたことは当然とも思えるが、まれに思い通りの面白い本に出合った時は、自分の選択眼に誇らしさを感じるのだ。だが、本書はどこかで書評を見たか聞いたか、詳しいことは思い出せないが、ただ単にタイトルに引かれて買ったものではない。
それでも面白かったことは間違いなく、どういう経緯かはともかくとして、面白く読めた本に出合えた幸せを感じている。こうした翻訳作品を読むと、世界を相手にしたスケールの大きな作品は、やはり英語圏の方が人々に受け入れられやすいのかと、わが国の作品がなかなか世界に向かって浸透していかない?ことを半ば不条理のように感じてしまうのは僕だけだろうか?

ところで、原題がTHE LIBRARIANとなっているから、リブラリアンかと思っていたら、ライブラリアンと発音するようだ。CSのAxnミステリーで、毎月放送されている「リブラリアンの書庫」という講談社の広報番組がある。毎回見ている僕は図書がライブラリイだから、図書に関する仕事をする人―例えば司書など―をリブラリアンと呼ぶのを当たり前のように感じていた。
本の内容とはあまり関わりのないことだが、ちょっと気になって辞書を引いてみた。

 

 

多方面で活躍する著者らしく、この作品は大学の図書館員・デヴィッド・ゴールドバーグを主人公とした、スパイ小説とも取れるサスペンスストーリーだ。
大学の経済事情から、やむなく解雇した女性・エレイナから、その後見つかったアルバイトを都合で、2-3日休まなければならないので、その間代わりに行ってもらえないだろうか、と言う依頼をデヴィッドじゃ承知した。アルバイト先が事業で成功した財閥の運営する図書館だったからだ。
だがそれが元で、、彼は大統領選挙に絡む陰謀に巻き込まれることになる。身に覚えのないことで、司法省をはじめ警察から指名手配されることになる。そうしたストーリーの展開は、身の置き場のなくなった主人公とともに、こちらまでその恐怖を味わうことになるのだ。

 

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1601.神の手

2016年02月18日 | メディカル
神の手
読了日 2016/02/05
著 者 久坂部羊
出版社 幻冬舎
形 態 文庫2巻組
ページ数 (上)446
(下)418
発行日 2012/05/10
ISBN (上) 978-4-344-41860-8
(下) 978-4-344-41861-5

 

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日(2月17日)いすみ市大原の菩提寺・瀧泉寺に行ってきた。来月お袋の3回忌の法要を行うための、日を決めるためだ。18日が命日なのでその前の16日がお寺さんのスケジュールが空いていたので、その日に決めてきた。
お袋が存命だった頃は、大原へ行った時はお袋の一人暮らしの家が、足を伸ばすところだったが、借家だったその家は返却しているから、もうのんびりできるところは無くなって、用事が済めば帰るしかないのが、ちょっと寂しい気もする。
途中の直売所で買った花を供えて、墓を参ってから帰途に就く。例によって大原に行った時に必ず訪れる古書店に寄る。近頃は近くのBOOKOFFにもいかなくなっているが、少し遠くに出かけた時は別だ。目についた文庫を3冊ほど買った。本当はそうしたことが積ン読本を増やす音になるからと、買うことをしばらく控えてきたのに、外に出ると気が緩むようだ。
今日は、この後午後から息子の入所している福祉施設の、保護者会の打ち合わせがあって、富津市へ出かける。 僕は役員ではないのだが、昨年始めた会報の制作を担当しているので、そうした会合には顔を出すことになっている。めっきり人と会って話すことがなくなっている中の、数少ない貴重な機会となっている。

 

 

先頃読んだ山崎豊子氏の「白い巨塔」の、あまりにも泥臭い人間模様が頭に残っていて、僕は長いことそれが医療小説であり、裁判小説であることを意識してなかった。
それに、映画やドラマも何度か見ており、多分僕のメディカルストーリーへの傾向の原点だったのだと、最近になってお模様になった。なんともドジな話だが、大分昔のことで意識の外へ漏れていたのだ。
それがこの読書記録を始める2年前から1年前にかけて読んだ、P・コーンウェル女史の「検屍官」シリーズによって、僕の中に残っていたメディカルサスペンスへの意識が、呼び覚まされて同類のストーリーを読み続けることになる。加えて、テレビドラマの「ER―緊急救命室」も、輪をかけるように迫って来たから、しばらくはそんなサスペンスストーリーを探しまくることになった。
最近はわが国のテレビドラマも、多くの医療関連ドラマが制作されているのは、やはり優れた原作も後押ししているからだろう。

 

 

坂部氏の著作「破裂」を読んで、また新しい医療サスペンスに出会えた喜びを感じたのは、まだ最近のことだと思っていたら、データを顧みて10年前だとわかり、ここでも月日の流れの早いことを再認識。
積ン読になっていた本書を思い出したのは、最近著者の作品が立て続けにドラマ化されたからだ。
ドラマの録画をレコーダーにセットしながら、そう言えば「以前本書を買っておいたな」と思い出したのだ。
先述のごとくわが国の医療サスペンスも、昔と比べると格段の差があって映像化されることも多くなった。何より本職の医師たちが次々と執筆業に携わり、傑作を世に出すことが本当に多くなって、読者としてはそのすべてに目を通すなどと言うことは、難しい状況になっている。
僕などはそうしたことに嬉しい悲鳴を上げているが、それでもできるだけたくさんの医療サスペンスを読みたいと思っている。

本書は大学病院のベテラン外科医師が、肛門癌の手術後合併症に苦しむさまを見て、親族から安楽死を要請されるというスタートから、思わぬ展開を見せる医療ドラマである。 安楽死に対する賛成派・反対派の論争が、大きく社会問題として取り上げられて、考えさせる内容だ。

 

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1600.狼よ、はなやかに翔べ

2016年02月15日 | サスペンス

                                            

狼よ、はなやかに翔べ
読 了 日 2016/01/24
著  者 藤原審爾
出 版 社 角川書店
形  態 文庫
ページ数 252
発 行 日 1982/01/10
書肆番号 0193-125721-0946(0)

 

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検の予約をしてあったので、9時半過ぎに車をオートバックスに持って行った。一日で終わるから、代車は申し込まなかったので、帰り道は歩きメデスだ。だが、最近は少し歩いただけでも、疲れたり息切れを感じるようになって、たった1kmの道を途中何度も立ち止まって息を整える始末だ。
昨年11月半ばに起こった突然の腰の痛みに、ギックリ腰かと驚いたことがあったが、その後遺症なのか?仰向けに寝た時に背中の左側の一ケ所が、痛むことが続いていたり、気にはなっているが、専門医を訪ねるのがなんとなく億劫で、そのままになっている。
息切れや疲れは年相応の症状だろう、そんな考えや面倒なことを先延ばしにする癖も相まって、そのうち何とかなるだろう、などというバカな思いも・・・・。血圧の不安定も、そうしたことに関わりがあるのだろうかと、思いは乱れる。次回の通院は26日だから、その際にはいろいろドクターに相談してみよう。

 

 

国際的なブックナンバー、いわゆるISBNが採用されていない時代の本だから、相当前に買った本だとは言えないのが、僕の積ン読本の面白いところだ。いやいや、別に面白くもないが、こうした古い本も時として、BOOKOFFの棚にある。いや、これはBOOKOFFではない古書店で買ったものだったか?
そんな益体もないことで頭を悩ますことはない。しかし、人はなぜどうでもいいことにこだわるのだろうと、時々僕は自分のことをそう思う。僕はしょっちゅう目的と手段を取り違えて、手段が目的になってしまうことがあるのだ。
例えば、少し前に毎日飲むコーヒーについて書いた。できるだけおいしいコーヒーを飲むために、400g入りのコーヒー粉を買ってきて、それを1杯分ずつジッパー付きの小袋に入れて、それを20袋くらいにまとめてさらに少し大きめの袋に入れてから、冷凍庫に保存しておく。
小さなポリ袋は何度か使ううちに劣化するので、新しい福利に変えるのだが、今使っている袋は何年か前に旭化成で生産中止となっていて、同様のサイズの袋が探してもないので困った。同じ幅の袋は縦の長さが長いのである。そこで僕はポリ袋用のシーラーを買って、適当なところをシーラーで圧着して切りそろえたのだ。
と、そんな馬鹿なことにわずかな額とは言いながら、金や神経を使うのが僕の全くの悪い癖なのだ。

 

 

調に読書が進めていたら、この1600冊目は昨年11月2日以前に終わっていたはずなのだが、前にも書いたように昨年の一時期、長いこと休んでいたから、今頃になってしまった。
記念すべき?1600冊目は動物小説となった。僕はタイトルからハードボイルドをイメージしてしたのだが、タイトルそのものの狼の生き様を描いた表題作をはじめ、下表のように4篇からなる動物を主役とする短編集だ。人のうかがい知れない動物たちの本能や生態が、克明に描かれて動物によるハードボイルドともいえるストーリーに、感銘を受ける。

 

収録作
# タイトル
1 狼よ、はなやかに翔べ
2 黒豹よ、魔神のごとく襲え
3 赤い人喰熊
4 山犬たちが吠える雪夜

 

 

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1599.ひとは化けもん、われも化けもん

2016年02月12日 | 時代ミステリー
ひとは化けもん、われも化けもん
読了日 2016/01/22
著 者 山本音也
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 246
発行日 2002/06/15
ISBN 4-16-321080-6

 

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―三年前から使っていたキヤノンのプリンター、MG6330の調子が悪く、サービスセンターに電話をしたところ、修理を要する症状だといわれた。どのくらいの費用が掛かるのか尋ねると、16,000円ほどかかるという。それでは少し足せば同様の、いやその上位機種の新品が買えるではないか。
昔、知人が「パソコンは金食い虫だ」と言っていたが、全くその通りだ。いっそのこともうパソコンを使うのは止めようか、などと言ったって今更そんなことはできようはずがない。
否、そんなことはない、気持ちの持ちようだ。いろいろ心は揺れ動く。
「パソコンなど無くたって、生活はできるよ」と、もう一人の僕は言うが、30数年も親しんできたパソコンは、もう僕の生活の一部となっている。キヤノンのサービスセンターには、修理するか買い替えるか、少し考えてから決めると言って電話を切った。

貧乏人にはどうしてこんな金のいることばかり起こるのだろう?そんな愚痴を言っても始まらない。まるっきり使えなくなったわけではないから、もう少しだましだまし使い続けてみるか。
不具合はブラックの部分が縞模様になるのだ。背景の暗い画像などではそれが目立つが、文書などのプリントでは支障がないように見える。しかし、画像のある文書では多少気になることがあるから、そうしたことはストレスのもとになり、血圧に影響するかも。困ったものだ。

 

 

歴史の発掘者としても多くの著作を残している松本清張氏だが、その偉大な功績をたたえる意味もあるのだろう松本清張賞は、さまざまなジャンルの作品が受賞している。僕はその賞の受賞作には従来それほど関心が深かったわけではなく、たまたま買った本が受賞作だったということもある。
だが、本書は第9回受賞作だということで、新刊を買ったものだった。2002年はまだ辛うじて僕もサラリーマン現役だったから、多少は懐に余裕があったのだろう。そんなことなのに10数年も積ン読にしておくのは、忘れっぽいのと気まぐれの僕の悪い癖なのだ。今頃になってせっせと積ン読本の消化に、精を出してもなまなかのことで、多く溜めた積ン読本を読み終えることは難しい。
だから、そうしたたくさんの本を持ち合わせていることを、これから読む本に不自由しないのは幸せなことだと思うようにしているのだ。

 

 

んなことで本書は、長らく積ン読本の底の方にあったから、ぱらっと開いてみることもなく、したがって内容もどんなものかも全く分からないでいた。読み始めて井原西鶴を主人公としたフィクションだということが分かった。実在の人物を登場させるのだから、ノンフィクションと思いがちだが、これはエンターテインメントで、これこそ「講釈師、見てきたような嘘を言い」と言ったところだろう。
しかし、そうは言っても史実に基づいて、それをドラマに仕立て上げているのだろうから、読んでいて多少オーバーな表現も、いかにも本当らしく思えるのだ。
僕は井原西鶴の代表作「好色一代男」も「好色五人女」も読んでない。それでもその一つである「世間胸算用」は、ある勘違いから読んでいる。まあ、その程度だから、特別この関西の俳諧師については詳しくない。
後の世まで長く読まれることになり、その作品が映像化までされることなど、全く考えが及びもしなかったで あろう作者の生活風景が、面白おかしく語られるのが、何かとても文字通り面白くも切ない感じだ。

西鶴は、矢数俳諧と言われる、一昼夜の間に発句を作る数を競うことを得意として、勇名をはせているが、そうした俳諧師の世界での地位が、なぜか危ういものに感じられて、気が気ではない。目の不自由な娘の行く末も気になるし、身体の弱い女房の治療代にも事欠く。そんな西鶴に草紙を書くことを勧められるが、自分は俳諧師であるということのプライドが、なかなかに筆を進めることができない。
さらには世間体も気にして、煮え切らぬ態度を続ける西鶴に、可笑しいやら呆れるやら、関西弁の語り口はそうした状況が目に浮かんで、あたかもその時代を映像のように映し出す。従来抱いていた井原西鶴と言う人物の、イメージを一変させる物語だ。

 

 

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1598.孤宿の人

2016年02月09日 | 時代ミステリー

                                             

孤宿の人
  
読了日 2016/01/20
著 者 宮部みゆき
出版社 新人物往来社
形 態 単行本
ページ数 (上)405
(下)423
発行日 2005/06/21
ISBN (上) 4-404-03257-9
(下) 4-404-03258-7

 

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頃読書の進み具合が時々遅れる。と言うより集中できないことがあるのは、耳鳴りのせいかもしれない。普段あまり気にしてないのだが、昨夜読んでいる途中で、いつもより耳鳴りの音が大きいような気がして、読むのをやめてしばらく耳鳴りの音を聞いていた。
耳鳴りはふつう治らないといわれているが、僕の場合は昼間ほとんど気にならないくらいに、音が小さくなることもあり、それほど厄介なこととも思わないでいた。何時のころからか僕の読書スタイルは、数ページ、あるいは十数ページ読んでは一休みと言った風になった。それも多分耳鳴りのせいかと今になって思うのだが、そうであればやはり耳鳴りは歓迎できることではない。
何とか気にしないようにはしているが、もしかしたら血圧が高いのも、そうしたことがストレスになっているからか?ああ、そんな風に考えることもストレスの原因か?そうなら、どうすればいいのだろう?次の通院日の26日にドクターに聞いてみよう。

 

 

僕にとって特別な存在と言っていいほどの、著者の作品が積ン読になっているなど、許されないことだなどと言ってみても、仕方がない。僕の気まぐれは時として、そんなことを平気でする。
著者の作品は時代物であろうと、現代ミステリー、あるいはファンタジー、どんなジャンルのものであろうと、面白く読めるのに時によっては、敬遠と言うわけではないが、後回しになることもある。そんなことから幸か不幸か、まだ未読の著者の作品は結構な数があるだろう。せっせと読まなければ。
しかし、稀代のストーリーテラーともいわれるほどの著者は、全く驚くべき執筆活動を続けており、全作を読もうとすれば、膨大なエネルギーを必要とするほどだ。いや、これは経済的にも、体力的にも、あるいは残された時間の少なさにおいても、僕だけの問題といえるのだが・・・・。
特に昨年の暮れあたりから、急にと言っていいほど体力の衰えを感じている。頭で考えるほどに運動能力が追い付かないから、ちょっとした姿勢の変化で体のバランスを欠くといったことが、頻繁に起こるようになった。そんなところに年寄りになったことを実感する。全く歳は取りたくないもんだが、こればかりは避けられないことで、1年に1つずつ歳をとるのは万人に共通した悩みの一つ(ではないかな)。

 

 

分なことだが(僕の記事は大半が、その余分なことで占められているのだが)本書のタイトルを見る都度、『瓜につめあり、爪につめなし』と言う言葉を思い出す。孤宿の孤は子偏に瓜だから、このタイトル文字は間違っている、そんな思いが沸くのだが。しかしまあ、偉い書家の書いた文字だからこれで良いのか?
別にケチをつけるわけではないが、出版社とて見ているだろうから、やはりこれでもいいということにしておこう!?

役者の中には、子供や動物が出てくる話には出たくない、と言う人もいるくらいに、ドラマや映画、芝居などでは子供や動物の可愛さや純粋さに、主役が食われてしまうということが、往々にして有るようだ。 長編時代ミステリーの本書も、幼い女の子が登場して、その健気さや純粋さで周りの人間を取り込んでしまうのだ。この作品が将来ドラマ化されるかどうかは分からないが、もしドラマになるなら、どんな子役がキャスティングされるのか楽しみだ。

さて、四国は讃岐の丸海藩という地方の小藩が舞台だ。小藩とは言いながら、藩主の畠山長門守(ながとのかみ)の政(まつりごと)は行き届き、城下の民はおおむね平穏な暮らしを送っていた。そんな丸海藩にある時青天の霹靂とも言える出来事が襲う。
元は幕府の勘定奉行を務めていた、船井加賀守守利が罪びととなった。そして、丸海藩に流人として迎い入れるよう、幕府の命令が下ったのだ。罪人とはいえ幕府の中枢を担っていた方を、お迎えするにはどうしたらよいのか、平穏で静かだった城下町は、様相が一変する。
そんな中で、藩内の医療を担う井上家の娘・琴江が、何者かに毒殺されるという事件が起こる。そうした混沌とした町の中で、翻弄される孤児の女児・“ほう”は、加賀様を迎い入れた屋敷に、女中として勤めることになるのだが・・・・。
さまざまな人々が絡み合って、城下町は危機的な状況に向かって進むことになる。

 

 

そんな危機的な状況は、罪人とは言いながらも、大きな屋敷に迎い入れられた加賀守と、女中奉公のほうの身の回りにも、及ぼうとして行く。そこで、先に書いたように幼いほうの子供らしい純真さが、胸を打つ場面を作り出すのである。宮部女史の作品には、これ以外にも子供が主役を担う作品はいくつかあるが、子供を描くうまさには定評があり、本編においても生き生きと描かれる主人公に、僕以外の読者も肩入れしてしまうのだろう、多分。

 

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1597.エンジェルフライト

2016年02月06日 | ノンフィクション
エンジェルフライト
読了日 2016/01/16
著 者 佐々涼子
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 284
発行日 2014/11/25
ISBN 978-4-08-745252-5

 

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常気象や温暖化が叫ばれる中、昨日は鹿児島県桜島の昭和火口が噴火した。それほど大きな噴火ではないようだが、気象庁はそれまでの噴火警戒レベル2から3に引き上げた。千葉県に住んでいる僕のショックはそれほど大きなものではなく、それよりも朝方の東京多摩区を震源とする地震の方に、驚きを感じた。
近い将来(将来と言えるかどうかは分からないが)起きるであろう南海トラフトの地震を予感させて脅威だ。
人間は分からないことに恐怖を覚えるといわれる。しかし、防ぎようのない大きな自然災害に、どう対処するかを考えさせるが、一日たてばその恐怖も薄れる。困ったものだ。

佐々涼子氏とその著書「エンジェルフライト」については、2014年9月12日のテレビ番組「宮崎美子のすずらん本屋堂」で知った。この番組については以前のこの場所で何度か書いているが、この番組がいつ頃から始まったのかこのブログを検索してみたら、2012年からだったようだ。
宮崎美子氏と言う映画やテレビドラマの他に、バラエティ番組などでも活躍している才媛を迎えて始まった番組は、毎回作家をはじめとする多彩なゲストを迎え、楽しい本の話を繰り広げている。
佐々亮子氏がゲストとして登場した回では、その時点での著者最新作『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』という、日本製紙石巻工場が東日本大震災の津波で、壊滅的な打撃を受けてからの再生の状況を密着取材したノンフィクションが紹介された。MCの宮崎美子氏と著者の対談の中で、本書についても紹介されており、国際霊柩送還士という仕事に興味が沸いて、いつかは読んでみようと思ったのだ。僕の“いつか”はいつになるかあてにならないが、文庫化されたものが意外と早く古書店に出回ったので、読む機会が早まった。その時紹介された「紙つなげ!・・・」の方も、出来るだけ早い機会に読みたいと思う。
この読書記録の中ではノンフィクションは少なく、別に嫌いではないがなんとなく疎遠になっている。多分僕が読んでいるのは、最相葉月氏の「絶対音感―ABSOLUTE PITCH」の1冊だけだったと思う。小学館ノンフィクション賞を受賞した作品だった。同様に本書の方は開高健ノンフィクション賞を受賞しており、こうしたノンフィクションもいくつかあるノンフィクション賞を受賞した作品でないと、僕の目に入らないのかとも思う。

 

 

幸いこの本は先述のように、テレビ番組に著者の佐々涼子氏が登場してのトークで、初めて聞いた国際霊柩送還士という仕事が、どんなものなのだろうと興味を持たされたのだ。
言ってみれば僕はミーハーの類だから、いろいろと興味を持つのだが、その動機が歌の文句ではないが、不純な場合もある。今回だって国際霊柩送還士に興味を抱いた、と言うのは本当だが、その前に著者の美貌とその明るい話しぶりにも惹かれたのだ。もう引退して何年にもなる三浦(山口)百恵さんに、「あなた動機が不純なんだわ!」と言われかねない。
それはともかく、海外で不幸にも亡くなった方の遺体が、どのようにして帰ってくるのかなどと言うことは、今まであまり考えたこともなかったが、簡単ではないということが説明される。生きている人間ならばパスポート一つで、簡単に帰国できるものが、複雑な手続きを必要とするのだ。
また、国によって遺体に対する扱いの相違、収棺の方法など習慣の違いなど、ざまざまな問題点を取り上げる。

 

 

者はわが国で初めての専門業者である、Angel Freight(エンジェルフレイト)―タイトルはここからきている―国際霊柩送還と言う仕事を専門とする会社を立ち上げ、遺体を故国に一日でも早く、きれいな状態で届ける、そのために奔走する人たちに文字通り密着して、その仕事ぶりや実態を描いたのが本書の内容である。
密着取材の成果は、時に僕に涙を流させて、人のひたむきな努力や優しさに、感動する。

 

 

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1596.私は今日消えて行く

2016年02月03日 | 短編集

                                            

私は今日消えて行く
   読 了 日 2016/01/14
著  者 土屋隆夫
出 版 社 出版芸術社
形  態 単行本
ページ数 252
発 行 日 1996/11/25
ISBN 4-88293-130-3

 

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分と言ってもピンと来ない時代になった。豆まきは神社がタレントやスポーツ選手などの有名人を招いて、大々的に行うものというような近頃の印象だ。我が家でも子供がまだ小さい頃には、幼い娘と一緒に豆まきをしたものだ。近所の家からも「鬼は外、福は内」の声が聞こえて、災いを遠のけ一年の幸せを願う行事を、うち揃ってしたものだ。そうした習慣が一般家庭から立ち消えとなったのは、いつのころからだろう?
今日も成田山などからの中継画像が、テレビで放映されるのだろう。それを見て僕もささやかな一年の無事を願うことにしよう。それに、僕は昨日知人のM子さんからメールをもらって、もう幸せいっぱいの気分だ。
M子さんは社会福祉法人薄光会の役員で、いろいろと法人のために活動を続けている方で、このブログでも何度か紹介している。1昨年から僕は役職を退いたから、近頃では会う機会もなくなって、もっぱらメールでのお付き合いとなっているから、彼女からのメールが今のところ僕の元気の元なのだ。

何とかと秋の空と言って、変わりやすい喩えに使われるが、この頃の冬の空も低気圧の移動か、前線の影響かはよくわからないが、寒い日が続いたり晴天が続いたり。しかしあっという間に、という表現が僕にはぴったりとくる時の流れだ。毎日読書に明け暮れ(と言うほどではないか)、3日に一度のブログへのアップロードが日常の作業になっている僕には、何事もなく過ごせる毎日が幸せだと感じるこの頃だ。
だから、何がなくても幸せな一日はすぐに終わって、1か月だって夢のように過ぎ去る感じなのだ。「足るを 知る」と言うほど悟っているわけではないが、それに似た気分だ。
僕は、夕方5時半から6時半くらいにかけ、歯磨きをする。この歯磨きが今では結構な仕事の一つとなっている。世間で言われる80-20の法則?を維持しようと、簡単な朝の歯磨きとは違い、時間をかけて丹念な磨き方をするのだ。80歳で20本の自分の歯を残すというのは、簡単なようだが若い頃大事にしなかった報いか、人並みに僕も上の右奥に2本分の入れ歯を使っている。今のところ上下で23本の歯を残している状態だから、このまま4年弱を過ごせれば、80-20は大丈夫だと思うが油断はできない。

 

 

10数年前に使い始めた入れ歯だって、初めの頃の違和感はひどかった。今では信じられないほどだが食べ物の味がわからなくなるほどだった。“健康は丈夫な歯から”などとも言われているように、歯を大事にしたいと思う歳になった証拠だろう。もう何年も歯科医のお世話にならないのも、幸せの一つだ。
そして、歯磨きが終わると自分の部屋で布団を敷いて就寝の準備をする。もう何年も晩御飯は食べないようにしているから、いつでも寝られるように準備をしておくのだが、と言ってもすぐに寝るわけではない。それからが僕の読書の時間である。
これと言って仕事をしているわけでもないのに、昼間は気が散って読書に身が入らないのだ。そこでいつでも寝られるように準備を済ませて、ゆっくりと読書に向かうことになる。いつぞや腰が痛くなったから、本当は椅子に座って机で姿勢よく、読むのがいいのだが、そうした環境にないものだから、いつものように布団に座って読む。ないものねだりをしてもどうにもならないから、少し読んでは一休み、そんなことの繰り返しだ。
それでもまあ読もうと思えば、今のところ月に10冊程度は読めているから、良いとしている。

 

 

屋隆夫氏の初期の短編集だ。この中の「奇妙な招待状」と「りんご裁判」は、去る2006年1月に読んだ短編集「奇妙な招待状」にも収録されているものだから、二度目となるのだが僕はもうその内容をすっかり忘れているから、何の支障もなく読んだ。
初期の作品だけあって、短編とはいえ非常に短い作品だ。主に1950年代の作品で占められており、いかにも探偵小説然としたストーリーは、本格謎解きと言った探偵趣味の横溢したもので、中には読者への挑戦と言ったストーリーもあり、楽しませる。
大半のストーリーに登場して、名探偵を演じているのは、朝霧一平という捜査一課の警部補だ。巻末の新保博久氏の解説にもあるように、初期の頃の土屋氏は、探偵小説には明智小五郎や金田一幸助のような、名探偵が必要だとの思いから、書いていたのだそうだ。
しかしながら、それがうまくいかず初期の短編のみに登場するだけで、消えてしまったらしい。

 

 

後にミステリー界の重鎮ともなった土屋氏でも、そんな時代があったのだと面白く感じる。今思うと、僕が中学生の後半から夢中になった、探偵小説の世界を彷彿させるこの短編集は、幼く未熟だった人生の出発点をも思い起こさせて切ない。
先達て御宿から大多喜へと場所を変えながら行われた、ミニクラス会ともいうような食事会に参加した折、I氏から近頃の気象状況に関して、昭和25年だったかの大雪を覚えているか?との問いに、僕はそれがその2-3年後だと記憶していたのが、勘違いだと気づいた。 先述の僕の読書の傾向がミステリーへと傾き始めたことと、その大雪が重なっていたのだ。全く本とは無関係の話だが、いつもその頃のことを思い出すとその時の雪景色が重なって、過ぎし日の思い出は美しいと感じるのだ。

 

収録作
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 奇妙な招待状 別冊宝石 1951年12月
2 宝石 1951年11月号
3 地獄から来た天使 宝石 1950年11月号
4 九十九点の犯罪 推理教室(河出書房新社刊) 1959年7月
5 見えない手 推理教室(河出書房新社刊) 1959年7月
6 民主主義殺人事件 宝石 1953年3月増刊号
7 りんご裁判 探偵倶楽部 1954年2月号
8 心の影 宝石 1955年1月号
9 夢の足跡 探偵実話 1957年7月号
10 私は今日消えて行く 宝石 1952年12月号
11 殺人のお知らせ 探偵倶楽部 1955年7月号
12 女の鎖 別冊週刊漫画TIMES 1963年3月5日号
13 魔笛 NHK「私だけが知っている」 1960年2月

 

 

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