隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1441.お台場アイランドベイビー

2014年02月28日 | サスペンス
お台場アイランドベイビー
読 了 日 2014/02/16
著  者 伊予原新
出 版 社 角川書店
形  態 単行本
ページ数 462
発 行 日 2010/09/24
I S B N 978-4-04-874112-5

 

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に25―26日といすみ市大原へ行くことになって、ブログの更新が予定を遅れた。大原行きは先方で思わぬアクシデントに見舞われ(それも遅れの理由の一つだ)たが、その話はまた後で別の形で書くことにして、今日は去る(2月)23日(日曜日)に、僕が監事を務める社会福祉法人薄光会で行われた評議員会、理事会についての話題を少し書いて見ようと思う。 例年この時期の会合では、当期の第二次補正予算案、次年度の事業計画案が主たる議題である。
平成15年に2代目の理事長である鈴木栄氏が亡くなって、長く続いたカリスマ的なワンマン体制が終了、それまでの理事が次々と辞任して、新に山氏を理事長とした理事会が刷新されるという事態を迎えた。
何処かの国を思わせるような大改革ではあったが、近年その山氏が加齢による体調不良を理由に理事長を辞任し、新たに理事長に就任したのは、奇しくも同姓の山崎氏(と埼の違いはあるが)だった。元は千葉県庁に勤務するお役人だったのだが、その立派な体型とともに積極的な姿勢が、理事会並びに職員達ををリードして4代目理事長の地位を確保している。

 

 

薄光会は元々が障害児(者)を子に持つ親たちが、子供の将来を案じて、重度の知的障害者を支援する入所施設を作ることを目的として組織されたものだ。そのため理事長を始めとする役員は全て入所者及び通園する施設利用者の親たちで占められてきた。
後年、施設運営に積極的かつ功績の認められる、施設長の中からも理事となるものが出て、理事会は最高決定機関としての立場を確立してきた。
ところが、年を経て当然のことながら、リーダーとして施設職員を指導・牽引してきた施設長の中からも、60歳定年を迎える者がでてきた。リーダーの世代交代である。施設利用者の保護者―主として親―たちの中には既にこの世を去った人たちも少なくない。何年も前から、保護者の世代交代は始まっていたから、最前線で利用者の支援に当たる職員にも、それ(世代交代)はやってくることはわかっていたはずだが、長年慣れ親しんだ施設長の交代は一抹の寂しさを感じる。

 

 

方新に若手の施設長が誕生することには、もろ手を挙げて歓迎したい。
今回は2名の施設長の退任に伴い、3名の施設長が誕生することになった。これは2名のうちの一人が二つの事業所を兼任していたためだ。組織運営においては、可能な限り兼任を廃することが望ましいのだが、人員不足はコスト削減との兼ね合いで、必要な部署に必要な人員を配置することは、厳しい運営状況の中で難しい課題だ。
主として千葉県南部の要所に事業所を配置して、地域密着型の福祉サービスを展開させると言うのが、法人の目的の一つでもある。そのためには、今後も各事業所に積極的に人材を迎えて、施設利用者により良い支援や介護といった福祉サービスを展開していくことが重要となる。
さて、定年となった元の施設長は、一人は事業所において主幹職としてとどまることになったが、片や本部の専従員としての職務につくことになる。従来法人本部は有って無きがごとくの状態を続けてきたのだが、ここに至っていよいよその形を明確に捉えることができそうだ。僕は法人の監事として常々本部の重要性を説いてきたが、諸般の事情は本部体制の確立を阻んできたことも有り、ようやくその本部を形作る端緒をつかむことのできる要素が生まれたことは、なんにしても喜ばしいことだ。
今年11月で後期高齢者の仲間入りを果たす僕も、法人の先行きに一筋の光明を見出した思いで、今回の会合に満足して帰ってきた次第だ。

 

 

例によってこの初めての作者の新しい作品「ルカの方舟」を何処かで紹介されたのを見て、メモしておいたのだが、作者の経歴を調べたら、本書「お台場アイランドベイビー」で、2009年第30回横溝正史ミステリ大賞を受賞していることを知り(僕は文学賞のページを作っていたのだが、忘れていたのだ)、先にこちらを読むことにした。
若い頃は高木彬光氏とともに横溝正史氏のファンでもあったから、たくさんの作品を読み漁り、横溝正史賞が制定された当時は、角川映画のマルチメディア作戦が大当たりだったことも重なって、ドラマや映画の映像化作品も次々と見たものだった。
第1回の受賞作「この子の七つのお祝いに」(斎藤澪著)も、映画の方を先に見てから読んだのではなかったかと、記憶しているが近頃はその記憶も曖昧になっている。しかし、いかにもその賞の主旨に相応しいような感覚をもたらす、受賞作に僕は感激して、その後も受賞作に注目するのだが、あるときから受賞作の傾向に疑問を感じるようになった。

 

 

じ文学賞ではあっても、時代の流れとともに選考委員も変わっていくから(近年その交代期間は短くなっているようだ)、それに伴う受賞作の傾向も変化していくことは、避けられないことだろう。
できれば僕のような読者にとっては、その賞の傾向が本選びの指針となるような独自の路線をとってくれることがありがたい。しかしこう文学賞が増えてくると、なかなかそうも行かないのだろう。

近未来、といってもそれほど遠い未来ではなく、今起こってもおかしくないような東京の、バーチャルリアリティ(仮想現実)と言った舞台が描かれる。
此の作品は2010年の受賞作品だから、東日本大震災がまだ起こる前だが、まるでその震災を先取りするような大震災を東京に発生させており、特に埋立地のお台場の高層ビル群は壊滅状態となり、しかも彼の地への橋という橋は破壊されて、お台場は孤島状態となる。
そんな舞台の中でカリスマ的な都知事が目指した、都市復興計画とは? 巨大な陰謀が見え隠れする状況の中、元刑事の巽丑寅は、一人の奇妙な少年と出会う。

無さそうで有りそうな、そんな感覚をもたらす冒険物語だ。

 

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1440.パティシエの秘密推理

2014年02月22日 | 連作短編集
パティシエの秘密推理 お召し上がりは容疑者から
読 了 日 2014/02/14
著  者 似鳥鶏
出 版 社 幻冬舎
形  態 文庫
ページ数 412
発 行 日 2013/09/05
ISBN 978-4-344-42079-3

 

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日は僕にとってちょっと暗いニュースからだ。
このブログの運営者であるNTTぷららが、ブログサービスを廃止すると言うニュースである。実は既に昨2013年5月末を以って、新規のブログ加入者を打ち切っていたので、近々ブログは休止されるのではないかと言うこともブロガーの間で噂されていたことだ。
期限は今年(2014年)6月末だと言うからそれほど余裕があるわけではないので、引越しの準備が大変だ。僕を含め長く続けていた人は、今後も続けたいだろうから、新に引越し先(プロバイダー及びサーバー)を見つける必要がある。
厄介なのは新たな引越し先が、ぷららの提供していたBroach(ブローチ)というシステムと同じだとは限らないから、否、むしろ違うと考えた方がいいだろう。そうすると、画像処理やデータの保存方法なども、変わるだろうということだ。
HTMLなどの言語は共通としても、CSSの扱いなどが、これまた微妙に変化することも考えられる。多少の知識があれば(多少じゃだめか)いいが、HTMLやCSSに明るくない人はどうするのだろう?

 

 

といったようなことで、僕も今引越しの準備を整えつつあるのだが、幸いなことにぷららがホームページのサイト運営は継続すると言うことなので、とりあえずは過去の記事を順次ホームページに移行しようと考えているところだ。
1999年11月から始めた読書記録は、2007年にこのブログに移して丸7年となり、読んだ本の冊数だけでも本書で1440冊となり、著者のページやインデックスのページを合わせるとデータ数は2,145件にものぼる。
そのほかに登録した画像(これは本の表紙を始めとして、文章の間に挟んだ飾り罫、文章の頭に置いたドロップキャップ、諸々のイラストなど様々)が3900件にも及ぼうとしている。
これだけの数を移行させるのは容易なことではないが、折角今まで続けたブログだから、多少の手間(多少じゃないか)がかかっても、何とか継続させたいと思っているがどうなることか?

 

 

書はAxnミステリーの「BOOK倶楽部」で紹介されていたのをメモしておいたのだと思う。僕が読書記録をブログに書くために本のデータなどを書いておくB5版のノート「読書録」の後ろの方には、そうした番組で紹介されたタイトルのうち、気になったものを後々のためにメモってある。
読書のスピードはそれになかなか追いつかず、メモは溜まっていく一方だが、このところ専ら図書館を利用しているので、割と順調にそのメモを消化している。この著者・似鳥鶏氏は「理由(わけ)あって冬にでる」と言う作品が、第16回鮎川哲也賞の佳作に入選してデビューしたと言うことで、そのタイトルが気になっていた。出ると言うのは「幽霊」とか「妖怪」とか、そんなものではないか?という想像はつき、学園ミステリーかもしれない、などと思いながらいずれ読もうと思っていた。
早合点の僕はてっきりそのデビュー作が、木更津市立図書館にあるものだとばかり思っていたから、前もって検索もせずに出かけていったら、なかった。考えてみたら鮎川哲也賞といっても本賞の受賞でなく佳作だったので、蔵書に加えなかったのだろう。代わりに本書を借りてきた次第。そんな風に直ぐに変わりの本を見つけることができるのも、図書館ならではだ。

 

 

またまた余計なことだが、著者の他の作品である「戦力外捜査官」がドラマ化されて、毎週土曜日の午後9時から日テレで放送されている。ドラマ化の影響は大きく著者の文庫は、書店の店頭を華々しく飾っている。
僕はミステリー小説を読むのと同様に、ミステリー・ドラマや映画を見ることも好きで、テレビ番組月刊誌で気になるタイトルをチェックして、カレンダーに録画予定をメモしておく。毎月20日前後に購読している東京新聞に折り込まれてくる1枚物のカレンダーに、録画予定をメモするようになって、10年以上になる。
最初の頃の2―3年分は捨ててしまったが、2005年の10月分からはずっととってある。単なる記録の積み重ねにしか過ぎないが、時たま役に立つこともあるから捨てられずにいる。
ドラマや映画の録画は、昔のビデオテープの時代から続けているが、今DVDやBD(ブルーレイディスク)になって、あるいはハードディスクやフラッシュメモリーの驚異的な大容量化に伴って、録画そのものの形態が変わってきて、媒体がスペースをそれほど必要としなくなっている。
そのため見るまもなく、何でもかんでも録画して取っておく癖がついた。そっちの方の整理もしておかないと、余分な仕事を作ってしまいそうだ。

 

 

が始めた喫茶店「Priere プリエール」(フランス語で祈りと言う意味だそうだ)を引き継いだ総司季(みのる)の許に、突然警察官を辞した弟・智がパティシエとして働くことになった。
だが、有能な警部だった智の退官は県警本部としても痛手だったようで、智の推理力を当てにして、秘書室の直井楓―通称直ちゃん―を送り込んで、難解な事件の相談をさせているのだった。

サラリーマン現役の頃は、毎日のように暇を見てはそっちこっちの喫茶店に入り浸って(と言うほどではないか)いた僕は、こうした喫茶店やカフェといった舞台で展開されるストーリーに惹かれる。
今でもペーパードリップで1日3―4杯のコーヒーを飲むが、必然的にコーヒーを飲むシーンが出てくるストーリーには、僕のコーヒーの量も増えるというものだ。

狂言回しといった直ちゃんとともに、名探偵・総司智パティシエの推理を、コーヒーを飲みながら楽しむ。

 

収録作(全て書き下ろし)
# タイトル
第一話 喪服の女王陛下のために
第二話 スフレの時間が教えてくれる
第三話 星空と死者と桃のタルト
第四話 最後は甘い解決を

 

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1439.冤罪死刑

2014年02月19日 | サスペンス
冤罪死刑
読 了 日 2014/02/10
著  者 緒川怜
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 381
発 行 日 2013/01/29
I S B N 978-4-06-21*167-9

 

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日までの気象情報では、今日(2月19日)にもまた雪となる予報となっていた。だが南岸低気圧の進路変更に伴って、どうやら再びの雪は免れたようだ。短い間に関東平野の沿岸地帯にこれほどの積もる雪が降るのは極めて珍しいことだ。
あまり当てにならない記憶の限りでは、かつてなかったことだ。僕が憶えている昔の大雪は、昭和27年か28年、中学の2年生頃だったと思うが、大雪と言えばそんなはるか昔を思い出すだけだ。
当時はまだ僕は外房の町・大原(現在のいすみ市大原)に住んでいて、温暖な房総半島の中でも際立って穏やかな気候の場所だったから、余計に雪の想い出が深いのかもしれない。
まあ、なんにしろ雪は後の雪かきと言う面倒な作業をもたらすので、歓迎すべきものではない。遠く山陰から北陸、東北の日本海側の豪雪地帯の人々の苦労を思えば、どうということもないのだろうが・・・。
否、だからこそ大雪による建物の倒壊や、立ち往生する車、道路の封鎖による孤立する集落などなど慣れてい ない雪に対応が取れない状況になるのか。

 

 

昨年(2013年)11月に本書を基にしたドラマがテレビ朝日で放送された。新聞のテレビ番組欄で原作者や内容を知り、録画した。DVDに移していずれ原作を読んでから見ようと思っていたから、ドラマはまだ見てない。
その前の週の同じ時間に同じ局で、これも同じく主演を務めた椎名桔平氏のミステリードラマをやっていたのだが、今、ちょっと思い出せないでいる。そのドラマも確か録画しておいたはずなのだが、後でDVDを探してみよう。

この作者も初めてお目にかかる。2007年、「霧のソレア」と言う作品で、第11回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞したとのことで、少し前にBOOKOFFなどで、「霧のソレア」というタイトルを何度か見かけたことを思い出した。
航空パニック・ストーリーだと言うので、またいつか読んでみたい。そういえば昔、アメリカ映画の「大空港」や、「エアポート75」などのシリーズともいえる航空パニック映画に夢中になったこともあった。
特に「大空港」は映画館のみならず、テレビでも何度か放映されたので、僕はその都度何度も見返した。
ユーモラスな老婆―というよりオ婆チャンと言った方がいいか―を演じたヘレン・ヘイズ女史が愛らしく、主演のバート・ランカスター氏を喰うほどの演技が素晴らしかった。このヘレン・ヘイズ女史についてはまた別の機会に少し書いてみたい。

ミステリー小説でも、1991年に第37回江戸川乱歩賞を受賞した鳴海章氏の「ナイト・ダンサー」や2000年に第3回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した高野裕美子氏の「サイレント・ナイト」などを読んでいる。翻訳家でもあった高野裕美子氏はそのほかにも幾つかの作品を発表したが、惜しくも若くして亡くなった。折角花開いた才能が散ってしまうのはまことに「もったいない」ことだ。
しかし、同じ賞(日本ミステリー文学大賞新人賞)に、航空サスペンスが2作品登場したのは偶然か?珍しいことだ。

 

 

ころで、本書の「冤罪死刑」というタイトルの意味が、いまいちよく判らないまま読み進むが、何度かその意味をうかがわせる様な事態が起きるにもかかわらず、結局終盤に到るまでその意味は隠されたまま進む。
物語の主人公は、通信社の記者・恩田和志だ。冒頭で発生する少女の誘拐殺人事件が、恩田の記者としての感覚に不協和音を響かせるような違和感を持たせる。
更には事件の容疑者として起訴された山哲也の弁護を担当することになった女性弁護士の櫻木希久子だ。彼女は被告に冤罪の匂いを嗅ぎ取り、恩田の記者としての情報収集能力に期待して、彼に協力を要請するのだった。

これまで幾つか僕は死刑執行までのタイムリミットをにらみながら、事件を再調査すると言ったストーリーを読んできたから、形は違うにしても同様のタイムリミットが設定されているのかと思いながら読んでいると、なんとあっさり死刑が執行されてしまうのだ。
しかし、謎が明らかにされていく過程が、これほど読む者を興奮させるものだと言うことを、再認識させるストーリー展開と、タイトルに隠された謎の真相が先に張られた伏線とともに最後に・・・・。

 

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1438.闇の伴走者

2014年02月16日 | サスペンス
闇の伴走者
読 了 日 2014/02/08
著  者 長崎尚志
出 版 社 新潮社
形  態 単行本
ページ数 296
発 行 日 2012/04/20
I S B N 978-4-10-332171-2

 

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画という呼び方で、従来の漫画とは一線を画すようになったのはいつ頃だったのだろうか?
僕が「漫画アクション」(双葉社刊)という大人向けの漫画週刊誌と出会ったのは、1960年代だったと思うが、そこに連載されていた「ルパン三世」(モンキー・パンチ作)に、それまでになかったダイナミックな画面構成や、キャラクターのアクションを示す描画に、まさに雑誌のタイトル「漫画アクション」にふさわしい感じを持ったものだった。
人の記憶は当てにならない場合もあり、特に僕は近頃物忘れが激しく、毎度書いているようにまったく過去の記憶に自信をなくしている。どうでもいいことだが、この「漫画アクション」という週刊誌も秋田書店の刊行とばかり思っていたのだ。誤った情報を書いてはまずいから、念のためネットで調べたら、上記のごとく双葉社刊だとわかり、危うく間違った情報を書くところだった。

その後。小学館が発行する「ビッグコミック」誌に、さいとうたかお氏が「ゴルゴ13」を発表することになり、いよいよ本格的な劇画時代を迎えた、といった感触を持ち続けていたのだが、例によって僕の記憶などあまり当てにはならない。
一時期は、「いい大人が漫画に夢中になって・・・」と言われるほど夢中で読んだのに、いつ頃からか僕が漫画や劇画に興味を示さなくなったのは、そうした週刊誌などを買わなくなったせいもある。
一つは経済的な理由からと、ビジネス関連の書物を読むのに精一杯と言う環境がそうさせたのかもしれない。なんていう後付の理由はいくらでも思いつくが、実態はどうだったのかは記憶のかなただ。1

 

 

作者の長崎尚志(たかし)氏は高名な漫画編集者で、プロデューサーであるらしい、と言ったことをWikipediaなどで知ることが出来る。前出の「ビッグコミック」(このビッグコミック誌はたくさんの兄弟誌があるので、その内のどれかだったかも知れない。ことによったらビッグコミック・オリジナルか?)に連載されていた、浦沢直樹氏の「MASTERキートン」(この頃僕と同年代か、それより上の読者には、このタイトルがアメリカの喜劇役者・バスター・キートンを連想したのではないか?内容はまったく関わりのないものだが・・・)に係って編集・プロデュースを担当するなど、浦沢氏とは30年来の付き合いだそうだ。
僕もその浦沢氏の「MASTERキートン」は、理髪店か、病院の待合室か、何処かそういったところで見たことがあり、その後テレビでもアニメーションではなく、紙芝居のように静止画の連続で見せる番組になっていたのではなかったか。
ミステリータッチのストーリーは、後を引くような展開で、人気があったと言うような記憶がある。僕の記憶は曖昧で、いつも言うように当てにならないが、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクターを連想させるような内容ではなかったか(否、あれは「MONSTER」の方だったか?)と、機会があったら読み返してみたい。

 

 

画編集者の仕事は、漫画家から原稿を受け取るばかりでなく、作品の傾向を示したり、ストーリーのヒントを考えたりと、作者と一体になってプロデュースの一端を担うということのようだ。時には原作者のように筋書きを考えたりもするという。
本書で活躍するメインキャラクターの一人、醍醐真司は元はその漫画編集者だった。編集者としての仕事は一流だと認められており、自身も編集者としてのプライドを持っている反面、協調性の欠如からか、大手出版社を辞して調査探偵という仕事をしている。不細工な容貌と人に威圧感を与えるような並外れた巨体は、常に飢餓感を伴い大量のジャンクフードを食い散らす。
もう一人のメインキャラクターは女性だ。彼女の名前は寺田優希、180cmに届こうという大きな身体、すれ違う男どもが思わず振り返る美貌を持ち、元警察官という経歴はそれなりの護身術の心得もある。
警察官を辞めた後、出版関係の調査を生業としており、最近亡くなった高名の漫画家の妻からの依頼で、遺稿の真贋を調査する仕事で、醍醐を訪ねるところからストーリーは進展する。

最近ではNHKのBS放送などで、宮崎駿氏のスタジオ・ジブリの活動を取材したドキュメント番組などが、漫画やアニメーションの出来上がるまでのプロセスを一般に知識として知らしめている。そうした番組から僕も多少はその世界の実情を知ることが出来て、今や漫画や劇画が一人の作者によって読者に提供されることが、稀有な状況であることもわかる。
本書はそうした世界を、特異なキャラクターを配して、ドキュメンタリー風なリアルな感覚をもたらす、サスペンスストーリーだ。

 

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1437.靄の旋律

2014年02月13日 | 警察小説
靄の旋律
MISTERIOSO
読了日 2014/02/06
著 者 アルネ・ダール
Arne Dahl
訳 者 ヘレンハルメ美穂
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 535
発行日 2012/09/25
ISBN 978-4-08-760654-6

 

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頃はここに話題として上らないが、僕はスカパーHDのチャンネル「Axnミステリー」を30年近く視聴している。HD放送に切り替えたのはここ数年で、もともとはCS放送のスカパーのミステリーチャンネルだった。多分業績が思わしくなかったか?Axnに吸収されて「Axnミステリー」となった。
時を同じくして僕はHD放送に切り替えた。受信料は変わらずデジタル放送の画面は格段ときれいになった。
スカパーの視聴システムは簡便で、月単位で視聴チャンネルを改廃できることから、以前は番組月刊誌で海外ドラマなどの見たい番組を探しては、その都度視聴契約をしたり、解除したりしていたものだ。
しかし今はAxnミステリー1本だけに絞っている。経済的な理由からだ。

先月だったか、それとも暮(2013年12月)からだったか、あるいはもっと前だったか?はっきり憶えてないが、番組の一つに「スウェーデン国家刑事警察特捜班」が加わり、初回の前後編(およそ3時間)を見て、その見ごたえのあるドラマに、またチームを構成する個性的な配役陣にも惹かれた。
何話有るのか知らないが、全話録画してみようと思っていたら、HDチューナーの設定をうっかり変えたため、LANケーブルで接続してあったレコーダーが認識されず録画不能になった。先日、何とか設定をもとに戻して、録画はできるようにはなったが、再放送は既に2話が終了して、録画は第3話からとなった。
できれば第1話の前後編が、本書「靄の旋律」を基にしたものだから、もう一度見たかったのだが、残念ながらいずれまたの再放送を待つしかない。

放送では合間のCF部分で著者のアルネ・ダール氏のインタビューなどもあり、ドラマの全話視聴を楽しみにしている。

 

 

スウェーデン・ミステリーと言えば古くは、ペール・バールー/マイ・シューバル夫妻の、刑事マルティンベックのシリーズが有名だが、近年では世界中の話題をさらった「ミレニアム」三部作(スティーグ・ラーソン著 早川書房刊)がある。他にも僕はまだ読んでないのだが、ドラマにもなっていて本国スウェーデンのみならず、英国でもドラマ化された刑事ヴァランダー・シリーズなどがある。
こちらはヘニング・マンケル氏という同じくスウェーデンの作家による作品で、こちらも確か早川書房から刊行されているはずだ。
勿論それだけでなく他にもたくさんあるのだろうが、我が国に紹介されているのはそのうちでも人気の高いものなのだろう。いずれもドラマや映画になっており、刑事マルティンベックシリーズはかなり前にNHKでもドラマが何本か放送された、シリーズの一本「笑う警官」などはアメリカでも映画(映画の邦訳タイトルは「サブウェイ・パニック」)になっているほどだ。
そんなことで質の高い作品はどこの国であろうと、自然と広がって認知されていくものだと言う感じがする。

先にも書いたようにこの「靄の旋律」と言う作品は、国家刑事警察の中で組織された特別捜査班の面々の活躍を描いたストーリーだ。刑事ポール・イエルム(階級は警部補)が、捜査班メンバーの中心的人物だ。
冒頭、移民管理局に散弾銃を持った男が押し入り、人質をとって立てこもった。イエルムは人質救出部隊を待たず単身事件現場に潜入して、拳銃で犯人を撃つと言う暴挙に出た。幸い人質に怪我はなく無事救出されたが、内部調査班の厳しい取調べを受けることになり、危うく辞職を余儀なくされるところを、警察庁の国家刑事警察に新に組織される、特別捜査班Aに編入されることになり、命拾いをする。
と言った経緯が示されて、チーム・リーダーのヤン=オーロフ・フルティーンの許、総勢7人の特捜班Aの事件への取り組みが始まる。スウェーデン版「七人の刑事」と言ったところか。
経済界の重鎮が頭部に2発の弾丸を受けて殺害されると言う事件が2件続き、推測される状況から3件目の被害者と目される人物の警護に当たるも、予測ははずれて事件は異なる場所で発生する。
連続殺人事件の捜査は難航を極め、捜査員の一人であるヴィゴ・ノーランデルは、単身関わりが疑われるロシア・マフィアの巣窟に入り、逆に彼らの虜となって磔にされると言う災難に遭遇する始末だった。

 

 

年11月以来の翻訳小説のスウェーデン・ミステリーは前に読んだ「ミレニアム」三部作と同様、ヘレンハルメ美穂氏の訳出だ。
著者アルネ・ダール氏が此の作品を発表したのは、1999年だと言うから15年も前のこととなり、現在とは環境も異なる部分も生じているが、僕が見たドラマの方は舞台を現代に置き換えて制作されている。
ドラマは、更によりドラマチックにするため、チーム・リーダーのフルティーンは女性になっているが、原作の方は署内のサッカーチームでも活躍するヤン=オーロフ・フルティーンなる、れっきとした男性である。
つい最近見たばかりなのに、忘れていたドラマの推移を、本書を読みながら少しずつ思い起こす。
最初の短い章(本書の章割りは数字の1から33までとなっている)1の中で、示されるエピソードが、伏線とも言える本書の重要な鍵を握るところだ。
僕はその辺のどういった意味を持つのかと言うことは、ドラマを見て知っていたのだが、原作ではそれが実に巧みに隠されて、終盤のクライマックスをより効果的にサスペンス・ストーリーを盛り上げている。

優れた警察小説と本格推理の融合である。

 

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1436.女神のタクト

2014年02月10日 | 音楽
女神のタクト
読 了 日 2014/01/31
著  者 塩田武士
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 280
発 行 日 2011/10/26
ISBN 978-4-06-217322-3

 

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近テレビの書評番組で知った著者とその作品は、「崩壊」というタイトルだったが、生憎木更津市の図書館には蔵書がなく、「捜査官」、「盤上のアルファ」、「女神のタクト」と並んだ棚から、本書を選んで借りてきた。タイトルと表紙イラストからミュージック・ストーリーと言うことに興味があったからだ。
ミュージック・ストーリーと言えばまだ読後の興奮を思い浮かべることのできる、中山七里氏の2作品「さよならドビュッシー」、「おやすみラフマニノフ」がある。その行間から音があふれ出すような、圧倒的な演奏の描写が胸を高鳴らせた。ということなどはさておき、そうでないとまた長々とわき道に逸れそうだ。

古書店めぐりを控えて図書館通いをするようになって10日ほどが過ぎ、その間4冊ほど借りて詠んだ。読書ノートの後ろの方に、メモしてある気になるタイトルを少しずつ消化しているところだ。
木更津市の図書館にないものもあるが、そうした本は大抵は君津市か袖ヶ浦市の図書館にあり、またそちらの方にも足を伸ばそうと考えている。サラリーマン現役の頃は、会社が千葉市にあったものだから、近くの県立中央図書館をよく利用していた。
だいぶ前のことになるが、刑事コロンボに関する資料を探していた折(昭和61年~62年頃)は、NHKで放送されていた当時の映画雑誌などを見るため、国立国会図書館にまで出かけていったことがあった。

 

 

折角軌道修正したのにまた、少し横道に逸れてるが、ちょっとだけ・・・。 その当時は今のようにまさかHDリマスター版の刑事コロンボが全作放送されるなど、思いもよらないことだったから、昭和49年から56年にかけてNHKの放送をビデオ録画した人を探して、テレビ雑誌に投稿したりしていた。まだまだその頃はビデオ機器も一般的ではなかったし、録画した人が僕の投稿を見ることも少なかったようで、数本しか入手できなかった。
それでも北海道札幌市に在住の吉川さんという方から連絡をいただき、ソニーのβテープで録画したものを数本ダビングしてもらったものを(これは違反なのだがもう時効ということで)、何度も繰り返し見たものだ。
それが縁で、この方とは今も年賀状のやり取りを続けている。

他のエピソードはもう二度と見ることはできないのではないかと言う思いで、夢中だったことが今となってはほろ苦くも懐かしい。
そうした環境の中、映像を見ることができないなら、せめても当時の雑誌の記事でもいいから探して集めよう、などという涙ぐましい努力を重ねた末に、国会図書館にまで足を運ぶことになったのだ。初めて訪れた国立国会図書館は広く大勢の人でにぎわい、上の階には食堂などもあり、1日いても飽きないほどだった。
30数年前のことである。
今は古書であろうと、欲しい資料やデータなども、大概のものはネットで調べて、入手することもできて便利な世の中になった。当時の苦労は滑稽とさえ思える時代になった。

 

 

の作品は裸一貫で起こした稼業を、大企業にまで発展させたオーナー・白石麟太郎が、今は亡き妻のために結成したオーケストラ、「神戸オルケストラ」の再生を期して、たまたま出会った矢吹明菜に、世界的な名声を博す指揮者・一宮拓斗を連れてくるよう依頼する。
そんなところからストーリーは始まるのだが、この矢吹明菜も三十路を間近に控えて、職と男とを同時に亡くしたばかりで、傷心?の旅の途中でたまたま下車した町の海岸で、白石老人と出会ったのだった。
成功報酬をもらえると言うことに心を奪われて、彼女は目的の人物がいると言う京都に向かうのだ、が・・・。
第一章の章タイトルの「その女、凶暴につき」と、何処かで見たようなそのタイトルに見合った、すぐに手の方が出る、という怖いお嬢さん?三十路間近だからお嬢さんでもないか。

まったく音楽とはかかわりのなかった矢吹明菜が、無事一宮拓斗を神戸オルケストラの指揮者にすえることが出来るのか?そして、神戸オルケストラの再生を図ることができるのか?
一癖も二癖もあるような楽団員や事務局員を向こうにまわして、暴力女・矢吹明菜の奮闘が始まる。

 

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1435.檻の中の鼓動

2014年02月07日 | サスペンス
檻の中の鼓動
読 了 日 2014/01/28
著  者 末浦広海
出 版 社 中央公論新社
形  態 単行本
ページ数 285
発 行 日 2011/06/25
ISBN 978-4-12-004244-7

 

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評番組で紹介されたミステリーを次々と読めるのは、手元不如意となって仕方なく始めた、図書館通いのおかげだ。懐の寂しいのはあまり歓迎すべきことではないが、古書店めぐりを控えての図書館通いは、新刊でなければ割りと順調にことが運び、読みたい本を読むことができて、心豊かだ。

しかし、古書店に行かなくなったって、従来僕が古書店で散財していたのはわずかな額で、止めたからと言って懐まで豊かになるわけではないのだが。それに昔からのことわざに「ちりも積もれば山・・・」と言うが、ちりはいくら積もっても山にはならず、僕の場合は塵はあくまで塵のままだ。おっと、折角心豊かになったのだから、後ろ向きの話は止めよう。

この作者は2008年、「訣別の森」(応募時のタイトル「猛き咆哮の果てに」を改題)で、第54回江戸川乱歩賞を受賞しており、順序としてそちらを先に読もうと思ったが、たまたま木更津市の図書館が貸し出し中だったことから、こちらの書評番組か何かで紹介された方を読むことにした。
かれこれ3年近く前に刊行された本が何故今頃紹介されたのかは、紹介した人物とともに忘れた。しかし、そんなことはお構いなく、知らない世界を垣間見ることができて楽しく読めた。

 

 

ベテランの刑事と若い刑事の二人組みがパトロール中に“公園のトイレに産み落とされた嬰児の死体・・・”という無線が入り、近くにいた彼らはパトカーを現場に乗りつけた。
生み捨てられた嬰児は既に死亡しているように見えたが、年配の刑事は狂ったように嬰児を抱きしめて、自分の子供につけようと決めてあった名を叫ぶのだった。彼、四十年配の刑事は、不妊治療を続けた末、やっと授かった子供を妻が流産したばかりで、失意の毎日だったのだ。 そんな彼が、嬰児を抱きしめ蘇生を図る姿に若い刑事はただ呆然とするばかりだった。

と、そんなプロローグから物語は始まるので、警察小説かという思いを持って第一章に進むと、その思いを打ち消すように様相が一変する。その世界にまったく疎い僕は、初めて“デリヘル”なる組織の内容を知ることになる。
車で市内を走っていると電柱などに張ってあるポスターやビラで、“デリヘル”なるものの名前と漠然としたイメージはなくもなかったが、その興味深い実態を知り、なるほどと納得。
“デリヘル”とは知る人ぞ知る「デリバリー・ヘルス」の略称で、文字通り解釈すれば顧客からの電話で、マッサージなどのヘルス介助員を送り込むと言うことなのだが、実際は男性客に対して若い女性を送り込むと言うことだから、そこでの行為は推して知るべし。
そうした組織は反社会的な団体の下部組織である場合が多く、資金源になっているらしい。

 

 

織が送り込む女性は様々な手段で確保して、若い女子高生から人妻や年配者、果ては妊婦までが登録されて、客の要望に応えている。デリヘルはいくつかのチームで組織されており、チームごとにそれをまとめるリーダーがいる。
リーダーは客の求めに応じて、登録されている中から人選して女を送り込むという仕事をする。
中畑蘭子が率いるチームにはアキナという若い妊婦がいた。そのアキナに客がついたとの連絡が入り、指定のラブホテルに送ったが、彼女はそこで出産してしまう、というハプニングが起こった。

元婦人警官だったという中畑蘭子が、どんな経緯でデリヘルのリーダーと言う稼業に陥ったのか?
若い妊婦のアキナが何故デリヘル嬢などという仕事をしているのか?
多くの謎をはらんで進むストーリーは、スリリングな展開を示しながら、裏社会の実態を描写する。
そして、プロローグで示された事態のその後が、後半の重要な鍵となって・・・・。

 

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1434.十二人の手紙

2014年02月04日 | 連作短編集
十二人の手紙
読 了 日 2014/01/27
著  者 井上ひさし
出 版 社 中央公論新社
形  態 文庫
ページ数 302
発 行 日 1980/04/10
ISBN 978-4-12-205103-4

 

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めての作家の作品が続いている。僕の気まぐれはもう少しこのまま、初めての作家の作品を続けたいと願っている。この読書記録のささやかな目標の一つに、既成のミステリー作家だけではなく、できるだけ広い分野で活躍している作家が、著しているミステリー作品を読みたいと思っているからだ。
ところで、自慢になる話ではないが、僕はこの偉大な直木賞作家で、放送作家、戯作者で演出家でもある井上ひさし氏をよくは知らない。
特にこのブログでは、ミステリー読書と銘打っているから(と言いながら、時にはミステリーとかかわりのな い話も出てくるが)著者とは接点がないと思っていた。だから、あえて知ろうともしてこなかったし、著作を読もうとも思わなかったのだ。
昔、NHKテレビの「ひょっこりひょうたん島」という人形アニメが始まったときに、作者の名前として初めて知ったくらいで、その後あまり関心を持つこともなかった。そんな著者の作品を、今回読もうと思ったのは、前にBSイレブンの「宮崎美子のすずらん本屋堂」と言う番組の中で、誰かが本書を紹介していたのを思い出したからだ。
確か出演のコメンテーターの誰かがお勧めの本として、紹介した中で本書がミステリーだと言う話があって、興味を持ったのだが忘れていた。木更津市立図書館で、文庫の棚を見ていて背表紙のタイトルを見て思い出し借りてきた。

 

 

前に何処かで書いたが、その昔江戸川乱歩氏が業績不振の探偵雑誌「宝石」のてこ入れのため、編集に乗り出したとき、広い分野で活躍している作家や作家以外の方たちに、ミステリー(探偵小説)を書く事を盛んに薦めていたことがあった。
その誘いに乗って多くの名シリーズを残した代表的な人物が、歌舞伎役者で名探偵の“中村雅楽”を生み出した戸板康二氏だ。他にも文学畑では三浦朱門・曾野綾子夫妻などもその代表の一人、いや二人か。あえてミステリーと言わなくとも、芥川龍之介を始め、谷崎潤一郎や太宰治など文学作品の多くを生み出している作家たちも、ミステリー的作品を書いている。
そういえば昔、テレビ東京だったかどこの局か忘れたが、文豪の書いたミステリーということで1時間のドラマを、シリーズで放送していた。誰の作品か、どんな内容かは覚えてないが、いくつか見たという記憶はある。

人によれば全ての小説はミステリーだと言う。どんな小説にも多少の差はあれ、謎が、すなわちミステリー要 素が含まれていると言うことなのだ。放送されたドラマは、そういうこじ付け的なことではなく作品の内容がミステリーと言ってもおかしくない内容だったとおぼえているが。

 

 

書はタイトルからもわかるように、十二人の異なる人物が、親族や知人その他に宛てて書いた手紙の内容が書かれたものだ。またちょっと余分な話だが、僕はこのタイトルのように数字が入る、特に“○○人”などと言う数字に惹かれる。何故だかわからないが、そんなタイトルに名作が多いと言う感じがしているのだ。
若しかしたら僕の思い込みかもしれないが、本だけでなく映像化された作品にもそれを感じるのだ。例えば「七人の侍」とか、「十三人の刺客」と言った時代劇、アメリカの名画「十二人の怒れる男」、有馬頼儀氏の「三十六人の乗客」、「四万人の目撃者」も映画化されている。僕の読んだ中にもパット・マガー女史の「七人のおば」などが有る。
ここまで書いて、僕は気になるのでこのブログの過去の記事を見直してみたら、意外と「○○人」という表示のタイトルは少ないことが判った。他には今邑彩氏の「七人の中にいる」、森博嗣氏の「六人の超音波科学者」、近藤史恵女史の「二人道成寺」くらいだ。するとこれはやはり僕の思い込みか。

此の作品を通読して、手紙と言うものは、特に往復書簡などはそれだけで一つの物語になることに驚きを感じた。まったく係りのない異なった人物たちの手紙だと思っていたら、作者はいろいろと仕掛けをめぐらせていたのである。本書を紹介した人物が、ミステリーだと言った所以だ。
少し趣は違い、その目的も異なるが、前に読んだ小林英樹氏の「ゴッホの遺言」の中でもゴッホが弟のテオに送った手紙を随所に現して、ゴッホの考えや行動を示唆していた。手紙の持つ真実性を端的に示したものではないか。
十二人の手紙と言う割りに、下表の収録作のタイトルが13なのは、最後のエピローグに作者の仕掛けの総仕上げがしてあるのだ。途中の1篇には、実際驚くような作者の試みもあって、名人の仕掛けたからくりに堪能。まさにこれはミステリーだ。

 

収録作
# タイトル
1 プロローグ悪魔
2 葬送歌
3 赤い手
4 ペンフレンド
5 第三十番善楽寺
6 隣からの声
7
8
9 シンデレラの死
10 玉の輿
11 里親
12 泥と雪
13 エピローグ人質

 

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1433.酔いどれ小籐次留書 御槍拝借

2014年02月01日 | 時代ミステリー
酔いどれ小藤次留書 御鑓拝借
読 了 日 2014/01/24
著  者 佐伯泰英
出 版 社 幻冬舎
形  態 文庫
ページ数 330
発 行 日 2004/02/10
ISBN 4-344-40484-X

 

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いもので、この間年が明けたと思ったら、もう2月だ。物忘れの多い僕は、去年のことなど憶えていないが、このところの気温の変化は例年のことなのだろうか。三寒四温と言うのはもう少し先のことだと思っていたが。
それにしてもこうした気象状況が少しは係っているのだろうか? インフルエンザの流行や、ノロウィルスの蔓延が伝えられる昨今、外に出ることがはばかられて終日部屋にいることが多くなった。
まあ、家にいる分には金もかからないし、貧乏暮らしの僕には丁度いいのだが・・・・。

多くの著作を発表している著者・佐伯泰英氏については、以前NHKテレビの「週刊ブックレビュー」と言う番組にゲスト出演しているのを見て知った。まだ存命中だった児玉清氏がMC(Master of Ceremony 簡単に言えば司会の事だが、近年この言い方が定着している)を勤めていたころだった。
それほど前のことではないが、ミステリー以外の時代物は興味がなかったから、インタビューの内容も記憶 に残っていない。

だが、児玉氏が著者のファンだと言うことで、話がだいぶ盛り上がっていたことは憶えている。時代物と言え ば、子供の頃―多分小学生高学年から中学生にかけての頃だったと思う―一時期講談物に熱中したことが有って、後藤又兵衛とか荒木又右衛門、柳生十兵衛はたまた堀部安兵衛などなど、片っ端から読み漁った。
その頃だったと思うが(若しかしたら時期がずれているかもしれない)、東映が中村錦之助(後の萬屋錦之助)、東千代之介、大友柳太朗など各氏の出演で、「笛吹童子」とか「紅孔雀」といったどちらかと言えば若年層向けの娯楽時代劇を制作して、人気を誇っていた時代だ。そういえばあの頃は東映時代劇が隆盛だったな。

 

 

この「御鑓拝借」がNHKでドラマ化され放送したのが、昨2013年1月1日だった。NHKのコマーシャルメッセージとも言うべき、ドラマの予告編があまりにも面白そうだったから、普段時代物はミステリー以外あまり見ないのだが、ついつい誘いに乗って見た。まあ、一つには主演の竹中直人氏に惹かれたということもあったのだ。
大ファンと言うわけではないが、彼の演技には何か人を惹きつけるものがある。以前NHKの大河ドラマ「秀吉」も毎週見るつもりはなかったのに、彼の演技に釣られて、とうとう1年間全編見通してしまった経緯がある。
そして今回も、やはりこの主人公は竹中氏でなければ、という思いを深くした。そんな印象深いドラマだった ので、僕はつい先だって見たと言う感覚だったのだが、データを見たらもう1年も前だったことを改めて確認した。いつものことながら時の流れの速さに驚く。そしていつか原作を読もうという思いも持ち続けていた。それこそつい先だってBOOKOFFでたまたま105円の文庫棚で本書を見つけて買ってきたのだ。

このシリーズはNHKでその後連続ドラマとして昨年6月から1クール放送されたから、一層人気が高まって、BOOKOFFでもなかなか安くならなかったのだろう。現在はこの文庫も新装版が出ており、僕の買ったのは古い版なので安かったのだろう。

ドラマだろうと映画だろうと、あるいは本であっても、僕が内容を覚えているのはそれほど多くない。メモリー容量がそれほど多くないと言うことか。そのうちコンピュータのように、人間の脳にもメモリーを増設できるようになって、必要な情報をいつでも取り出せるようになるといいか? いや、やはり忘れることができるのが人の記憶の長所でもあるのだから、今のままで良いか。

 

 

書は、豊後森藩下屋敷の厩番である主人公の赤目小藤次が、普通なら目通りかなうはずのない藩主・久留島通嘉とが邂逅する。
そこで、小藤次は藩主が江戸城中で他藩の大名たちから辱めを受けたことを知ったのだ。
その辺のところはドラマでも原作の雰囲気を損なわず、描かれていた。
そして軽輩の身ながら小藤次は主君の雪辱を心に誓い、大酒の催しに出て藩主の参勤交代のための国表への出立の見送りを欠席して、お役御免を言い渡され自らを浪々の身とするのだ。江戸から出た参勤交代のための大名行列を次々と襲って、その象徴とも言うべき槍の穂先を奪う小藤次の胸のすくような殺陣が続く。

だが、この物語の読みどころのもう一つは、やはり小藤次の主君への思いだろう。実は小藤次は現在の主君・久留島通嘉の父親である先代の藩主・久留島通同(みちとも)に、命を助けられたことがあるのだ。
二代に渡る藩主に仕えた小藤次は、先代のお子である主君への思いはまた格別で、そうした思いが命を懸けた「御鑓拝借」の報復に奔らせたたのである。藩主・久留島通嘉のやさしさは、終盤においても小藤次に向かって示され、感動的な結末を迎える。

 

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