隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1091.京都迷宮事件簿-薄い月-

2010年08月31日 | 警察小説
薄い月
京都迷宮事件簿
読 了 日 2010/8/7
著  者 海月ルイ
出 版 社 徳間書店
形  態 新書
ページ数 310
発 行 日 2008/1/10
ISBN 978-4-06-182578-9

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

い出したように時々読みたくなるという作家が何人かいるが、この作者もその一人だ。今はネットで何でも検索できて、知りたい情報が詳しく簡単に、しかも瞬時に引き出せるのが便利だ。
本書もそうして得たデータで知って手に入れた、のだが同じようなタイトルの本が2冊あったので、サブタイトルのついた本書を短編集かと勘違いして注文した。
見たら短編集でないばかりか、シリーズの2作目だった。僕の誤った思いこみと早とちりはいつものことで、悔やんでも仕方がない。

検索と云えば、YahooジャパンとGoogleが提携するというニュースをテレビでやっていたが、強力なライバルだった2社が手をつなぐというのはどういうことなのだろうと、不思議な気もしたが、なんでもありの今の世の中、そんなことで驚いてはいられないか?!

 

 

本書は今までに読んだ3作とは少しばかり趣の違った作品だ。
表紙には書下し長編旅情ミステリーなどと記されているが、東京を本拠とする主人公が京都を舞台に活躍するといった点で、旅情と言えなくはないが、いわゆる紀行ミステリーとは違うようだ。
フリーライターの夏目潤子を主人公としたストーリーで、京都府警の中にある「見当たり捜査課」の実態を取材するというのが、テーマとなっている。
僕は初めて聞くが、知っている人もいるだろうか?
見当たり捜査とは警察署や、街の交番にの中にも貼ってあるのを見かけるが指名手配の顔写真だ。一般の市民にも見かけたら通報を依頼する意味でも大事なものだが、実はこの写真をもとに、街頭の道行く人々や、駅頭などの人の行き来する場所で、眼を凝らして捜査員であることを隠しながら、探すことを職務とするのが見当たり捜査課というのだそうだ。

 

 

目潤子はその見当たり捜査課員に同行して、実際の犯人逮捕の瞬間を取材しようと云うのだ。このストーリーの中では、その捜査の模様が細やかに、だが、迫力を以って描写される。
捜査員たちは手配写真の顔を500人は覚えているという。そして、さらに驚くべきはそうした容疑者たちが、例え整形手術をしようが解ると云うのである。
見当たり捜査員たちの中でも高い検挙率を誇るのが、警部補の稲垣だった。彼らが群衆の中から一つの顔を見出すことを「アタリ」がつくという。
稲垣は今までその「アタリ」を外したことがないといわれるが、潤子の取材中に確かに稲垣の反応が「アタリ」をつけたと思われたが、外したのだ。なぜ?

主人公は夏目潤子と云う女性フリーライターなのだが、これも一つの警察小説と言えるだろう。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1090.夜明けの・晩・に

2010年08月28日 | サスペンス
夜明けの・晩・に
読了日 2010/8/5
著者 斎藤澪
出版社 角川書店
形態 文庫
ページ数 267
発行日 1985/11/25
ISBN 4-04-159703-X

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

達て読んだ「赤いランドセル」のところで、少し書いたが、著者の持つ物語性に惹かれて、第3作である本書も続けて読みたいという欲求に襲われた。 デビュー作の映画化で、冒頭のやり切れないような暗く、陰惨なシーンが印象に残り、しばらく僕はこの作者の作品に、間違った評価を下していたのかもしれない。そう云う感慨に似たものがわいて、しばらく斎藤氏の作品を読み継いでみようかと思い立ったのだ。 25年も前の作品は、少なからず暗い雰囲気を漂わせるストーリーで、まさに僕はこうした物語を気持ちのどこかで期待していたのか、とも思い始めた。



日光戦場ヶ原で発見された、焼けた乗用車と男女二人の焼死体。
調査の結果、車の所有者は東京に住む代田洋一と判明、焼死体の男も同人とだと思われた。調査に当たった日光警察署は心中事件として扱ったが、警察からの呼び出しに東京から駆け付けた男の姉・代田やすかは、弟が心中するとは信じられなかった。
そして、東京に戻った彼女に不気味な電話がかかってくる。
「弟は生きている。警察には知らせるな!」
さらに、それを裏付けるような出来事が起きた。弟から届いた小包にどんな秘密が隠されているのか?
舞台は、北海道へ・・・。
ストーリーの進展とともに、少しずつ明らかになっていく、姉弟の出生の謎に絡み、ふたりを身動きの取れない状況へと追い込む。

 

の作品は昭和57年に発表されたのだが、まだ第2次大戦の影響を色濃く感じさせる場面もあって、そうしたことも暗い雰囲気を漂わせる一因となって、僕を少し酔わせる。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1089.眼の壁

2010年08月25日 | 本格
眼の壁
読 了 日 2010/08/01
著  者 松本清張
出 版 社 新潮社
形  態 文庫
ページ数 437
発 行 日 1971/3/30
ISBN 4-10-110917-6

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

の文庫には記されていないが、作品は昭和32年に週刊読売に連載されて、連載中から多くの読者の目を奪い、映画会社は映画化に向けて準備を進めていた。従来の探偵小説から、現実の世界に根差した新しい社会派推理小説への転換がはかられていた時期だった。
同じようなことを過去何度か書いてきた気がするが、この時期の松本清張氏の作品を読むたびに、懐古的な思いがわき出てくる。高校生の本来の目的である勉学そっちのけで、いっぱしの評論家風情で探偵小説に夢中になっていた苦い思い出とともに、そうして夢中になれるものを持っていたという逆の思いやらが交錯した、複雑な心境が今でも胸いっぱいに広がるのだ。
その頃僕が見る雑誌と云えば、芸能関係の月刊誌をたまに見る程度で、三大紙から出ている週刊誌にはほとんど目もくれなかったので、週刊読売に連載されている「眼の壁」についても、友人から聞いて初めて知ったような状況だった。
そしてそれが、そののち僕が清張氏の次々と発表される作品にのめりこむ発端でもあった。半世紀も前の話だ。

僕がこの作品を本として読んだのは、2-3年後に出た光文社のカッパノベルスだったが、当時カッパノベルスからは、清張氏の作品のほかにもミステリの名作が次々と発刊されて、結構お世話になっていたことも思いだされる。
ところで、僕は今回50ン年ぶりに再読して、おぼろげな記憶がほんの一部しか内容を把握していなかったことに気付いた。本を読んで、しかもそのあと映画も見ているのに、全く僕の記憶は当てにならない。
作品の冒頭で発生する“手形詐欺事件”があまりにも強烈な印象だったことから、それ以外のことはすっかり頭から抜け落ちていたのだ。僕はのちに社会に出てから、10数年経理畑で仕事をするようになって、約束手形も取り扱うようになり、常に手形の扱いの怖さを身をもって感じていた。そうしたこともあって、そこだけが頭の中で増幅していたのだろう。
だが、作品の中では手形詐欺事件の発生は、ほんの序の口とでも云おうか、その後に続く物語が本筋なのだ。

 

んな僕のあいまいな記憶は、再読の楽しみを増やしているのかもしれない。とかくミステリーは、特に本格ミステリーは、犯人捜しがテーマの大きな要素であるから、結末がわかってしまえば、二度三度とは読まない人が大部分だろう。僕のように懲りずに何度も読もうとするのは、その都度別の楽しみを見つけることにもある。
本書で特に感じたのは、調べれば調べるほどに隠された謎が複雑な様相を示していくことだ。
手形詐欺事件の責任をとって自殺をした経理課長の無念を晴らすために、事件の裏に隠された陰謀を探る、主人公の気の遠くなるような調査の模様が、切なくも頼もしい。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1088.タカイ×タカイ

2010年08月22日 | 本格
タカイ×タカイ
読了日 2010/7/29
著 者 森博嗣
出版社 講談社
形 態 新書
ページ数 287
発行日 2007/9/6
ISBN 4-06-182555-0

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

のXシリーズと名付けられたシリーズは今のところ本書が最新刊のようだが、発刊されてから2年半も過ぎている。
あとは続かないのだろうか?気になるところだ。
僕は例によって、ゆっくり読むということができずに、図書館で借りてきて読んでしまったが、できれば印象に残っているうちに次が読みたいものだ。と云ったってこればかりはどうなるものでもない!
しかし、僕は作家の書いたものを好き勝手なことを云いながら読むだけだが、書く方は大変だろうと思う。特にシリーズ物を幾つもかいているこの著者などは、こんがらかってこないだろうか?
しかも、作家業は大学で教べんをとる傍らだから、なおさら大変だろうと思うが、そこは常人と頭の構造が違うのだろう。天は特別な人には二物も三物も与えるのだ。
誰だ!天は二物を与えずと云ったのは?

 

さて、今回の事件はと云えば、有名なマジシャンである牧村亜佐美の自宅敷地内に設置された高さ15mのポールの天辺に掲げられた他殺死体。死体は彼女のマネージャー・横川敬造だった。
いったいどうやって死体をポールの上に乗せたのだろう?という疑問と、なぜそんな高いところに死体を掲げる必要があったのか?という二つの不思議が捜査に当たった警察を悩ませる。
そんな事件について、探偵の鷹知祐一郎は思わぬ形で事件についての調査を依頼される。調査の依頼主は、実業家の三澤宗佑だった。だが、鷹知や、彼に頼まれた小川令子らが調べを進めるうちに、三澤の娘・有希江が関わっているのではないかと云う疑問が・・・。

 

によって、見かけによらず鋭いひらめきを見せるのは、アルバイト?の真鍋瞬市。そして今回はいよいよ待望の(僕にとっての)、西之園萌絵の登場と相成るのだ。
と云っても、なぜこのシリーズに彼女が出てくる必要があるのか、僕にはちょっと理解の及ばないところなのだが、理屈はどうあれファンとしては、歓迎したい。
この後はどうなっていくの?森準教授?!

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1087.ベイジン

2010年08月19日 | 経済
ベイジン
読了日 2010/7/27
著 者 真山仁
出版社 東洋経済新聞社
形 態 単行本
ページ数 361/319
発行日 2008/7/31
ISBN 978-4-492-06147-3(上)
978-4-492-06148-0(下)

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

ながら単純だな、と思うが「虚像(メディア)の砦」を読んで、未読の著者の本が読みたくなり、木更津市立図書館の蔵書検索をしたら貸し出し中だったので、君津市立図書館まで行って借りてきた。
そういえば君津の図書館で借りたのは前回も真山氏の「レッドゾーン」だった。君津に2か所ある図書館のうち、市民体育館の図書室は割と貸し出し中なことが少なくて、便利に利用している。もちろん自宅から車で10分余りの距離だから、行きやすいということもあって、木更津の図書館を検索して、貸し出し中の時はすぐに君津の方を検索することにしているのだが。
僕の住まいの近くではもう一か所袖ヶ浦市の図書館もあるので、こちらも機会があったら利用しようかと思っている。
図書館をもっと利用して、スムーズな読書生活を楽しもうと考えるものの、生来の貧乏気質というのか、自分のものにしないと安心できないみたいなところがあって、まあ、しかしそれはそれで、書店めぐりの楽しさでもあるから、仕方がないのかもしれない。
なんだか訳のわからない話になってきた。

 

 

先ず、この単行本上下巻の表紙イラストが素晴らしいではないか!
イラストレーター西口司郎氏の力作だが、無数の龍が暴れて大地震による地球(儀)を崩壊するがごとき動きを示す絵は、読む前からこのイラストの表す内容が、想像できるようだ。タイトル(ベイジンbeijing=peking北京)から推しても龍は中国の象徴として描かれたのだろう?
内容もその通り、中国が舞台だ。途上国とはいえその経済発展は、今や世界経済のカギを握るとまで言われる中国で、急速に伸び行く電力需要を賄うために、世界一を目指す原子力発電所建設の計画が持ち上がった。
そして、その技術顧問、運転開始責任者として中国側から要請されたのは、DHI:大亜重工業の田嶋伸悟だった。大亜重工業で、若狭原発プロジェクトを担当していたが、計画が中止となって腐っていたところへ、この話が舞い込んで、田嶋は中国へと単身赴任することになる。
中国は大連市の北に位置する、紅陽市(架空の都市)に一大国家プロジェクトである、世界一を誇る核電(原子力発電所)の建設が始まった。

 

 

が、中国側から要請されたとは言いながら、一筋縄でいく相手ではなかった。考え方も、環境もまったくと言っていいほど日本とは隔たりのある現状は、末端の工事関係者までに意思を伝達することさえままならぬ毎日に、田嶋は心身ともに疲弊していく。
一番のネックは、副首相夫人と、彼女の率いる企業集団との関係だった。建設工事に必要な資材は一切が関係企業からの供給を受けていたのだ。
品質に問題がなければいいのだが、まるで不良品ともいえる資材は、建築の必要強度等のレベルに達していないどころか、工期を遅らせる原因ともなっていた。
発電の開始は、北京五輪の開始日となっているのである。
そうした副首相夫人の暴挙には、中国当局も監視を強めるために、重要な人物を送り込んできたのだが、その人物さえ、田嶋にとっては心を許せる相手ではなかった。

数多くの試練の中で、それらに立ち向かう田嶋の奮闘ぶりとは別に、北京五輪の公式記録映画の監督に任命された、若手女性監督のエピソードや、現場に送り込まれた人物のエピソード等も描かれ、ストーリーは複雑な展開を見せていく。
ハゲタカシリーズとは趣の違うスリルを満喫させるストーリーは、フィクションとはいえ、現実の中国事情をうかがわせる描写が素晴らしい。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1086.赤いランドセル

2010年08月16日 | サスペンス
赤いランドセル
読了日 2010/7/22
著者 斎藤澪
出版社 角川書店
形態 文庫
ページ数 384
発行日 1985/5/25
ISBN 4-04-159702-1

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

者の横溝正史賞受賞後の第1作だ。そうと知って買ったわけではないが、タイトルからデビュー作の「この子の七つのお祝いに」と、同様の惹きつけられるものを感じて、手に入れた。
サイトを検索してみたら、斎藤氏は受賞して後に、執筆活動に専念してたくさんの著書を著しているようだが、僕はタイトルと云い内容と云い、いかにも横溝正史氏の世界を彷彿させるデビュー作に惹かれていたにもかかわらず、その後の著者の作品にはあまり縁がなかった。
僕の気まぐれのなせる技だが、本当にしばらくぶりの斎藤氏の世界に触れて、少しずつ作品を読み起こそうという気になったのである。





本書を手に入れてから、遅まきながら斎藤氏が今までにどんな作品を発表しているのだろうと、ネットで検索してみた。これから読み継いでいこうと思ったからだ。
それによれば、タイトルだけで惹きつけられるような作品も、幾つかあって、先行き楽しみが増えた感じだ。

 

さて、本書は受賞第1作にしては、だいぶ時間がかかって受賞後15ヶ月後だそうだ。(巻末・郷原宏の解説による)ずいぶんと想を練ったのであろう?
その結果としてのストーリーは、高級マンションの地下に設置されたコインランドリーから始まる。
4台並んだ洗濯乾燥機の内の作動している1台に、幼女の死体が投げ込まれていたという事件が発端だ。
最近は、新聞、テレビ等でも毎日のようにどこかで起こる子供への虐待事件が報道されているが、何度同じような事件の報道を目や耳にしても、こればかりは慣れることがない。小説やドラマと違って現実の事件には、その痛ましさに胸のつぶれる思いだ。
異常な状態で発見された死体は、そのマンションに住む市原俊之・寿代夫妻の次女・加代5歳だった。猟奇的な犯罪に見える事件にテレビ局は色めき立つ。奥様モーニングニュースのスタッフは、プロダクション33に事件の取材を依頼する。そして、プロダクション33の社長・野々村からから指名されたのはフリーライターの浅見恭介だった。

 

れっ子のファッションコーディネーター・真美という恋人をもちながら、うだつの上がらない雑文屋の浅見恭介という男を主人公としたストーリーは、この男の暗い過去などを暗示しながら、被害者である市原加代の家族の複雑な事情も交錯させて、浅見の取材は思わぬ方向へと発展する。だが、浅見の取材も警察の捜査にも、事件の真相はなかなかその姿を現さない。
デビュー作にも劣らず、渾身の気迫を込めたという印象の1篇である。読み終わってから、冒頭にも伏線と思われる記述がなされていることに気づき、驚かされる。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1085.繁殖

2010年08月13日 | メディカル
繁殖
読 了 日 2010/7/19
著  者 仙川環
出 版 社 小学館
形  態 文庫
ページ数 279
発 行 日 2007/12/11
ISBN 978-4-09-408230-2

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

者の作品はこれで4冊目となるが、僕は順不同で読んでいるので作者の発表順とはならず、作者の発表順ではこれが3作目にあたるようだ。
それはともかくとして、いろいろと題材はあるものだと、感心する。アメリカの医学サスペンスの大家、ロビン・クック氏の一連の作品を翻訳している林克己氏が、クック氏の作品の巻末で述べているように、医学サスペンスの題材を次々と見つけて作品を発表するクック氏に対して関心のほどを示しているのを思い起こす。
同様に我が国の医学・医療ミステリーの分野でも次々と名乗りを上げる作家によって、新しいストーリーが誕生するのは、読者として大いに歓迎するところだ。
大阪大学医学部の医学系研究科修士課程を修了しながら医学の道に進まず、ジャーナリストへの道を選んだ後に執筆活動に入るという、僕にしてみれば変わった経歴とも思われる仙川氏だが、結果としてこうした面白い作品を生み出してくれるのは大いに喜ぶべきことか。

 

 

ところで、本書はカバーの写真からも推測できるように、幼稚園の食事から食中毒が疑える事件が発生する、という発端である。
猛暑日の続く北関東市の、かえで幼稚園の中庭で行われた食事会は、近隣の農家からの野菜や、合鴨農家から譲り受けた合鴨の肉などで、にぎわいを見せながら子供たちも親たちもおいしく食べたのだが・・・。
数人の子供たちに食中毒を思わせる症状が発生して、市立の平井病院に運ばれた。おにぎりが原因かと思われていたが、分析を進めるうちにそうではない疑いが出てくる。
病院の医師や、保健所の対応がかみ合わない様相を示していく。そして、分析結果からカドミウムが検出された。警察の捜査が始まる。入院した子供の内ほとんどが軽い症状で退院する中、一人の少女の病態は依然として重く、回復の兆しを見せなかった。
若い幼稚園の教師と、その恋人である企業の研究員は、カドミウムがどこに潜んでいたのか、毒物の出所の調査に乗り出す。

 

 

境保護問題や、保健所の職員の思惑、意思の正義漢などなどいろいろ複雑な問題がからみあって、事件は思わぬ方向へと歩みを見せる。
少しばかり納得しかねるところも出てくるが、サスペンスあふれるストーリーに、この作者の創作意欲のようなものを感じて、作品を読み続けたいという欲求が深まる。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 


1084.キラレ×キラレ

2010年08月09日 | 本格
キラレ×キラレ
読了日 2010/7/16
著 者 森博嗣
出版社 講談社
形 態 新書
ページ数 287
発行日 2007/9/6
ISBN 4-06-182555-0

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

リーズ物は読み始めると、次々読みたくなるのが欠点だ?否、良いところか! そういうわけで、木更津市立図書館に行って借りてきた。
前作の終盤で椙田泰男に姿を見せた人物が、本書ではやはり終盤にほんの少しだが、姿を現した。もちろん西之園萌絵のことである。どういった形で姿を現したのかは、ある種のネタばらしになるので書けないのだが・・・。
登場時間はちょこっとだから、登場人物紹介に名前はない。そうすると僕の見た、登場人物紹介に名前が載っていたのは、次回作「タカイ×タカイ」ということになる。どういう形で登場するのか?ますます楽しみになってきた。

ところで、僕はこのシリーズを前に読んだS&Mシリーズや、Vシリーズ同様の面白さを感じないままに、読み継いでいるのは、西之園萌絵や犀川創平たちがいずれ姿を現すのではないかと云う、淡い期待を抱いているからなのだ。 そんなことをいうと、このシリーズの真のファンからの反発を招くかもしれないが。 事件の成り立ちや、不可思議な様相は他のシリーズ同様に、凝った仕掛けが施されており、名探偵も登場しているのだが、何故僕がS&Mシリーズのような面白さを感じてないかと云えば、やはり登場人物たちの雰囲気とか、彼らにそれほど魅力を感じていないことだろう。
他のシリーズの所でも幾度か同じようなことを書いたが、S&Mシリーズなどが舞台としている架空の都市・那古野市(多分に名古屋を思わせる)に、幾多の登場人物を配した大河ドラマを想定しているのではないかと、勝手な想像をしてきた。
ところがここにきて、このXシリーズを読んでいると、そうした僕の思いはいささか怪しくなってきた感じだ。それと、このXシリーズが何故書かれたのか?、どこに位置するのか?と云うようなひそやかな疑問も…。

 

僕の読書スタイル(そんなものがあればと云う話だが…)から云えば、そういったこととは関わりなく、物語が楽しければいいのだが、僕の中には、S&Mシリーズや、Vシリーズの登場人物たちが、再び現れてほしいという願望があるから、いろいろ考えるのだろう。

 

さて、今回は連続?切り裂き魔の事件だ。切り裂き魔と云っても人を傷つけるのが目的ではないようだ。 結果として皮膚に切っ先が及ぶこともあったが、衣服だけの被害と云うこともあり、その辺があいまいなところでもある。探偵の鷹知祐一郎から協力を頼まれた小川令子は、被害者を調査すると、無関係と思われていた被害者たちが、同じクリニックに通っていたことが判明する。 だが調べを進めるうちに、やがて殺人事件に発展する…。 例によって時々鋭いところを示す、真鍋瞬市や、少し頼りなさを発揮する小川令子、そしてなんだか訳のわからないキャラクターの所長・椙田らと、鷹知祐一郎探偵が行きつく先には?

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

1083.虚像(メディア)の砦

2010年08月07日 | 社会
虚像(メディア)の砦
読 了 日 2010/7/14
著    者 真山仁
出 版 社 講談社
形    態 文庫
ページ数 511
発 行 日 2007/12/14
ISBN 978-4-06-275925-0

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

道の本質とは、という命題を抱えながら、テレビという媒体の使命を追求していくディレクターと、それにかかわる人々を描くドラマ。
というような理屈っぽい表現は、この物語の面白さを伝えることはできないだろう。難しいことはさておいて、NHKでドラマ・映画化されたハゲタカシリーズから生まれた新しいヒーロー・鷲津雅彦とは違う形のヒーロー(という言い方は少し違うかもしれないが)が誕生した。
PTBテレビ局で「プライム・ニュース」という報道番組のディレクターを務める、風見敏生(としき)をメインキャラクターとして、角度を変えながらテレビ界を舞台として、マスメディアの実態やそこで働く人々の動き等を描いたドラマだ。
秒単位で動いているともいわれる、テレビ界の内幕はこれまでも各種のドラマや小説他で、語られてきたが、著者の描く世界は「ハゲタカ」にも見られるように、国際的な広い視野から捉えられる。

 

 

この物語には、同じテレビ局内のもう一人のディレクターも並行して描かれる。その名は黒岩宗佑、彼は生活情報局のプロデューサーだが、バラエティ番組いわゆるお笑い番組で視聴率を上げていることから、ミスター視聴率とも呼ばれる敏腕プロデューサーだ。
だが、彼自身次第にその視聴率に縛られて、自分を見失っていく。入社当時に目指した「本当の笑いとは?」と云う命題が忘れ去られようとしていた。
さてそんな中、緊迫の度が深まる中東で、3人の日本人が誘拐されるというニュースが飛び込んできた。
風見は、多極に先駆けるスクープに向けて、万難を排しての努力を傾けるのだが、上司を始めとする各方面からの壁に突き当たる。しかしながら独自の情報収集活動を続ける中で、事件に対する世論の反応は思いがけない方向へと発展する。
誘拐を企てたテロ組織は、派遣された自衛隊の撤退を要求していた。拉致された3人の日本人は、なぜ治安情勢の不安な中東の国へと行ったのか?
政府の対応は?

 

 

月30日(2010年)に召集されて、始まった臨時国会は昨日で閉会したが、予算委員会では、「過去のイラクへの自衛隊派遣」の検証についての質問があり、政府関係者は将来検証を課題とする認識を示したが、本書はフィクションではあるが、数々の問題が提起されて、考えさせられる。

マスメディアの使命はどのように行使されるのか?風見敏生のとった行動は?
一方、娯楽番組を担当する黒岩プロデューサーの「笑いの追求」はどんな結論を導き出すのか? 重い問題を提起しながらも、スピーディーな展開を示すストーリーは、スリリングで眼を離せない。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 


向日葵の咲かない夏

2010年08月04日 | サスペンス
向日葵の咲かない夏
読 了 日 2010/7/12
著  者 道尾秀介
出 版 社 新潮社
形   文庫
ページ数 470
発 行 日 2008/8/1
ISBN 978-4-10-135551-1

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

者にとって新しいほうの作品を先に読んでしまって、話題の本書が後になった。
前に読んだ「シャドウ」もそうだったが、この作者は子供を主人公に描くのが得意なのか?
本書もいきなり小学校4年生のミチオ君と、その妹で3歳のミカちゃんとが現れて、この二人が主人公?と、ちょっとした驚きと同時に引いてしまいそうになったが、ストーリーの展開がそうはさせなかった。
もう、僕にとって悠久のかなたとなった子供の世界は、とくに現代の子供たちの世界は全く想像できないので(僕には孫がない)、こうした物語の中に描かれる彼らを見て、そんなものかと思うしかない。
僕の子供のころと比較するのはナンセンスというものだろう。
というのは、先達て読んだ宮部みゆき氏の「小暮写眞館」に出てくる小学生のピカちゃんにしろ、本書のミチオ君にしろ、物語中の人物とは言え、かなりしっかりしていて、自分の考えを持ったりしているから、感心したり驚いたり。もう、負けそう!

 

 

だが、読み始めて間もなく、この物語には予想もしてなかった人の蘇りの肯定を根底に作られていることが分かり、何となく僕の漠然とした期待から外れているような思いを持った。だが、そうした思いをどこかに置き忘れるようなストーリーの展開に、引きずられていった。
読者である僕にとって、もう一つ受け入れ難い設定は主人公の少年と、彼に対する半ば精神的な虐待とも思える母親の態度だった。(その前提となる事件?は終盤で明らかにされるのだが…)
前述のごとく、それでもなお僕がお終いまで読み続けることができたのは、やはり全体のストーリー展開と構成にあるのだろう。
事の始まりは、夏休みに入る終業式の日に、ミチオが担任の岩村教師から頼まれて、欠席していたS君に返された作文を届けたことだった。いじめを受ける方での問題児だったSと比較的交流のあったミチオが自分から引き受けたことだったのだが、彼がSの家を訪ねると、そこには首をつって死んでいるSの姿があった。
ミチオは急ぎ学校に引き返して、岩村教師にそれを伝えたのだが、警察に連絡して刑事と現場で落ち合った教師は、それらしい形跡はあったものの、Sの死体は消えていた! というのだ。

そして、ある時Sの生まれ変わりがミチオの前に現れる。生まれ変わったSによれば、自分が死んだのは自殺ではなく、教師の岩村に殺されたのだというのだ。
そこからミチオと3歳の妹ミカと、生まれ変わったSと、3人で岩村教師の告発に向けての活動が始まる。

 

 

ともと不条理な世界と、現実の世界との融合で物語が構成されているので、細かいところで不都合が生じるのは仕方がないところなのだが、僕にとってはいささか好みからはずれた作品だ。こうした作品は文章だけで味わう作品(映像不可)なのだろうが、読み終わってから返り見て、「あれ?」と思う個所がいくつか思い浮かぶ。
だが、根底に蘇りが認められた世界なのだから仕方がないか!?と、解ったような解らないような気持ちの整理がつかないような不可解な印象を残した。(好みの問題?)
似たような超現実的な世界を舞台とした作品は他にもたくさんあるのだろうが、たとえば宮部みゆき氏の作品には趣は違うものの、ファンタジックな作品も多数あるが、それはそれで受け入れ難いという印象はない。
僕は1冊しか読んでないので、偉そうなことは言えないが、この作品は山口雅也氏の「生ける屍の死」の世界に近いのではという印象を持った。この作品が多くの読者の支持を得たということに、僕の感性が人と違うのかも知れない、とも思われるが、もしかしたらこうした作品が嫌いだという人もいるのではないか?どうだろう。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

 


1081.新本陣殺人事件

2010年08月01日 | 本格
新本陣殺人事件
読 了 日 2010/7/10
著  者 若桜木虔/矢島誠
出 版 社 河出書房新社
形  態 単行本
ページ数 385
発 行 日 2001/7/20
ISBN 4-309-01419-4

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

しい共著の本である。珍しいのは共著ということではなく、二人の作家が連名で出しているということか。そうした例を僕はあまり知らないが、ほかに具体的に知っているのは1冊だけ、まだ読んではないが、東京創元社から出ている「合わせ鏡の迷宮」が、愛川晶氏と美唄清斗氏の共著という形だ。
本書は10年以上前に、スカパーに加入したばかりの時に、ミステリチャンネル(現在のAXNミステリー)のプレゼントに応募して当選したもので、横溝正史氏のファンである僕はぜひ読んでみたいという思いで応募したのだが、いざ運よく手に入ると棚に入ったままになってしまった。
例によって僕の天の邪鬼な性格のせいか、実物を手にしたら何となく、胡乱下な感じに思えてきてしまったのだ。馬鹿な話だが、今までにも何度かそういうことがあって、読みたい欲求から書店で購入した本でさえ、読まずに放っておいた本もいくつかある。
前にもどこかで書いたが、僕はそうして読まずに積ン読のままの本が他にも多数あって、気まぐれの読書態度を物語っている。少しずつ消化していこうという気はあるのだが、何時になることやら・・・・。

 

 

そんな経緯を経てきた本だが、読み始めて見ればごく普通の本格ミステリー、というより探偵小説といった方がいいか。別に古き時代の探偵小説に特別の思いがあるわけではないが、少年時代にそうした古い時代を経てきた者としては、その時代を思わせるような探偵小説に懐かしさを覚える、ということだけだ。
だが、本書はそうした懐旧の情を蘇らせるのではなく、不可能犯罪の出現が物語に引き込む。
雪に閉ざされた密室が同時に2か所に出現する、という幕あきだ。
他にも本書のような設定、あるいはシチュエーションといった方がいいか?があったかどうか、ちょっと思い浮かばないが、二か所で発生した雪の密室に、それぞれ一組ずつの男女がメインキャラクターとして関わっていくという筋書きだ。簡単に言ってしまえば二つのストーリーを合体させたようなものだ。

 

 

の辺が二人の作家の共同作業ということなのか?
それでも、展開としてはオーソドックスなミステリーを形成しており、二組の素人探偵も不自然ではない活躍を示していく。
さて、3月雪の静岡で最初の事件は発生する。雑誌「旅行」のカメラマン酒匂薫は、扶桑新聞の社会部記者である甘宮洋幹を伴っての古くからの大名の宿場であった静岡県由比町の由比本陣を取材のために訪れる。由比本陣の当主・神谷孝範は元文部科学省の事務次官を務めた人物だった。だが、広大な屋敷の施錠された離れで彼は死体で発見された。
現場の離れ屋敷は内側から施錠されていたばかりでなく、周囲に降り積もった雪には足跡もなかった。
一方、東京の杉並区久我山にある聖華女学院の体育館内でも首つり死体が発見された。発見者は西東南(さいとうみなみ)、週刊誌「女性の広場」の契約記者だった。そして死体は学院長の蒲原善吉郎、西東南がその日取材を約束していた相手だった。
珍しく昨夜から降った雪が、ここでも密室を形成していた。
こうした二つの事件が捜査段階で類似した状況と、被害者同士の関係などから同一犯の可能性を追求することになるのだが…。
静岡の事件を追う恋人同士コンビの甘宮洋幹と酒匂薫(甘党と辛党の名前か?)、東京の事件を追いかけるのは、西東南と未だ恋人未満の警視庁浜田山警察署の警部・小中大(こなかひろし)(こちらは方角と大小を現す二人の名前だ)。ふざけたような二つのコンビの名前だが、内容はふざけていない。本格ミステリーの常道を行く、ストーリー構成に読む方としても捜査陣とともに頭を悩ませることになる。

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村