隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1687.ハイパープラジア 脳内寄生者

2016年12月29日 | SF
ハイパープラジア
脳内寄生者
読了日 2016/12/29
著 者 望月諒子
出版社 徳間書店
形 態 単行本
ページ数 289
発行日 2008/01/31
ISBN 978-4-19-862472-9

 

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すところ今年もあと3日となった。年内に一度息子の入所しているケアホームに行こうと思っていたが、思うだけで終わってしまいそうだ。正月に2日ほどどこかに連れていく予定だが、以前と違い遊園地での乗り物への付き合いがだんだん苦痛になってきた。
ここ1-2年はもっぱら観覧車どまりで、ジェットコースターなど動きの速いものは僕の方が敬遠している。何年か前までは千葉市の動物公園が、息子のお気に入りだったのだが、採算が取れないのかどうか、乗り物の多かった遊園地部分が閉鎖されてしまったので、その後は鹿野山のマザー牧場や、袖ケ浦市の東京ドイツ村などに連れて行ってる。
知的障害者である彼は、今年6月の誕生日が来ると、満50歳を迎えるのだが障害のため、言葉はいくつかの簡単な単語しか言えない。それでも人の言うことは何とかその場の雰囲気や、態度などで判断できている。
難点は時としてパニック状態に陥ることで、そのため公共交通機関などの利用が困難なことだ。
高齢者の車の事故が多発していることから、僕もそろそろ免許証の返納を考えなければならないが、息子のことやカミさんのことを考えると、今しばらく必要かとジレンマに陥っているところだ。

 

 

24日クリスマスイブの日に8月以来4か月ぶりに散髪に行ってきた。正月を迎える時期になったので、ぼさぼさの頭は見苦しいだろうと思ったのだ。誰に会うわけでもないが正月には息子と出かけることもあって、長い髪は自分でも鬱陶しくなるので、仕方がなく行ってきた。
朝日町のカスミ(茨城県に本社を構えるスーパーマーケット。現在はイオングループに属している。)の建物内にあるカットオンリークラブという今時流行りの、というか理・美容組合に非加入の安価な料金で多店舗展開をしている店だ。普通の床屋さんのように洗髪や顔剃りはなく、名前の通りカットだけの処理で1回1,550円だ。こんな店がそっちこっちに出来ているから、従来の普通の床屋さんは大変だろう。
昔はそんな普通の床屋さんを利用していたのだが、今は1回の散髪に3千円も4千円もは払えないから、できるだけ安いこうした店を探しては通っているのだ。通っているとはいえ、3か月ないし4か月に1回だから、大きなことは言えないが。

 

 

の時期になるとテレビやラジオで今年の重大事件・ニュースなどと言ったものが発表されるが、国際的にはなんといってもアメリカの大統領選挙で、ドナルド・トランプ氏が大方の予想を裏切って当選したことその中の上位を占めるのではないか。
超大国アメリカのリーダーがもたらす影響が、来る新年に各国への影響がどんなものになるのか、気になるところだ。国内では多くの災害や事故が多発して、甚大な被害をもたらした。押し詰まってから来日したロシアのプーチン氏との日ロ首脳会談は、あっけにとられるほどに実りの見えなかったものに終わったが、今考えるとあれは何だったのだろう?そんな気にもなるのは僕だけだろうか。

 

 

僕はブログのタイトル通り物語は、スリル、サスペンスの横溢した作品が好きなのに、時として幸せな一家の日常シーンなどを読んでいると、こちらまで幸せな気分となり、このまま何事もなく進めばいいのに、などと思ってしまうことがある。自分でも嫌になるほど気の小さい部分だが、それも僕の一部分なのだ。
もちろんストーリーはそんな僕の思いとは裏腹に、彼らが残酷な事件に巻き込まれたり、殺害されたりするのだ。当たり前と言えば当たり前の話だが、ミステリーはそうした思いもかけない事件を起こすかもしれない、人間の行動の抑止力になっているともいわれる。
僕がミステリーを読むのはもちろんそんなことからではないが、人それぞれいろいろと事情があるだろうが、面白い本でも読んで、心を落ち着けていい正月を迎えてほしいものだ。
本書はタイトルにある通り、外科医師が手術の折にとんだことから、思いもしなかった結果になるという、メディカル・サイエンス・フィクションとでも言ったらいいか。この著者のいろいろと趣向を凝らしたストーリーに心惹かれる。

多分、これが今年最後のブログへの投稿となるだろう。ありがとうございました。皆さんよいお年をお迎えください。

 

 

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1686.その日まで 紅雲町珈琲屋こよみ

2016年12月26日 | 短編集
その日まで
紅雲町珈琲屋こよみ
読 了 日 2016/12/26
著  者 吉永南央
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫
ページ数 282
発 行 日 2012/11/10
ISBN 978-4-16-781303-6

 

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日は朝8時半過ぎにカミさんを、君津中央病院に送っていく。ほぼ月に一度彼女は循環器科に通院している。8月で81歳となりリウマチをはじめとするさまざまな病を持ちながらも、少し忘れっぽくなったことを除けば、頭はまずまずで今のところ認知症の心配もなさそうだ。
糖尿病も毎日定期的にインシュリンを打っているので、進行は抑えられており格別な障害はない。
つい最近急性の心筋梗塞でカテーテルによる手術を受けたばかりだが、そちらの方も治まっているようだ。
かくいう僕も喜寿を迎えて、決して健康体というわけではないが、少し歩くと息切れがするくらいで、毎日6種類もの薬を飲んでいるせいか、血圧もどうやら安定している。
お互いに歳をとってどこかしらが具合が悪くなるのは致し方がないが、それでも何とか平穏な日常が遅れていることに感謝している。年の暮れは何かと気ぜわしいが、無事1年が過ぎようとしているから、感謝している。

 

 

古い家屋を解体して得た材木を使って、古民家風に設計された小蔵屋は和食器とコーヒー豆を扱う店だ。その店の主人が本編の主人公・杉浦草(そう)、通称お草さんだ。ミスマープルを思わせるような、好奇心旺盛な老婦人が、ちょっとおせっかいとも思わせるところを見せながらも、周囲に発生するミステリーを解き明かして、解決に導く名探偵ぶりを見せるのは、なんとも心地よい読後感を得られる。
初めてこのシリーズを読んだのはもう5年も前で、そのあとBOOKOFFで続編の本書を見つけて買ったまま、今まで読まずにいたのは、いつもの癖でいつか読もうと思いながら積ン読になっていたのだ。
話が違うが先日新聞で、この「積ン読」という言葉は日本独自のもので、諸外国には当てはまる言葉はないのだそうだ。僕にとっては決して自慢できることではないが、いつできたかは知らないこの言葉がいつでも僕の周りのまとわりついていて、いつになったら止められるのだろうと、思いつつ解消できないでいる。

 

 

月は12月に似合わないような、平年を上回る暖かな日が多くて、寒さに弱くなった老人にはありがたかったが、ついにまた真冬を思わせる寒い日がやってきた。エアコンのない僕の部屋には、小さな石油ストーブが1台あるきりで、それだってできるだけ灯油代を節約しようと、昼間はつける時間を短くしている。
まあ、寒くても暖かくても僕の最近の出不精は相変わらずで、息子の入所しているケアホームにちょっとした用事があって、行かなければと思っているのだが、なかなか足が向かなくて困っている。来年3月に控えている天羽支部会(社会福祉法人薄光会が運営するケアホームで生活する利用者(知的障害者)、と富津市湊とその周辺に在住する自宅介護の障害者、その保護者の団体をさす名称を、保護者・家族の会天羽支部という。年に4回ほどの会合が開催される。)に配布する会報の取材のためにも、富津市に行く必要があるのだが、その内にと言っている間に、日が過ぎた。
しかし、こうしてのんびりと本を読んで、よしなしごとを書いていられるのだから、愚痴をこぼすこには及ばないか。

 

収録作
# タイトル
第一話 如月の人形
第二話 卯月に飛んで
第三話 水無月、揺れる緑の
第四話 葉月の雲の下
第五話 神無月の声
第六話 師走、その日まで

 

 

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1685.腐葉土

2016年12月23日 | サスペンス
腐葉土
読了日 2016/12/23
著 者 望月諒子
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 559
発行日 2013/04/25
ISBN 4-08-745060-6

 

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日の新潟県糸魚川の火事は、昨夜半にどうやら鎮火したようだが、強風にあおられた火は140棟にも及ぶ延焼を拡大して、混みあった木造家屋の集落を燃やし尽くした。
毎年どこかでくれも押し詰まった時期に、こうした火事が発生するような気がする。被害にあった人たちには気の毒としか言いようがない。関東地方と違い、日本海に面し大陸からの寒気を直に被る地方は、寒さも一段と厳しい中、焼け出された多くの被害者たちのことを思うと、僕は東京大空襲で焼け出された子供の頃を嫌でも思い出す。
すべてをなくした状態に、子供心にも情けない思いを抱いたことを。そして隣組にあった比較的大きな会社から、炊き出しのおにぎりをもらって食べたことも、焼夷弾で焼け野原になった景色とともに、鮮明に残っている。横道にそれた。
不幸中の幸いと言えるかどうか、この大火に死者が出なかったことだけが、唯一よかったといえることだろう。

 

 

今のところ本書が木部美智子シリーズ最終作らしいが、4作目の木部美智子シリーズはこれまでで一番長いストーリーだ。発行日からもわかるように、3作目からかなり時間をおいて書かれたもののようだが、作風は前3作を踏襲しながらも、一人の女性の戦後の時代をしぶとく生き抜き、資産家となった波乱の生涯を描く。
しかし、事件はその女性が老人ホームで殺害されるという幕開きだ。彼女の血筋は仇一人の孫である成年だけだが、その孫はしょっちゅう金をせびりにホームに表れて、多分著者はデビュー作を発表するまでにたくさんの作品を書いていたのではないかと思われる。
それはまさにデビュー作に登場した、重要人物である来生恭子は、望月諒子そのものではないかと思わせるのだ。
デビュー作の中で来生恭子という作家を目指す女性は、原稿用紙1万枚もの作品を書いたということだが、著者も長編の作品を数作書いていたのではないだろうか?そんなことを思いながら読んでいると、少なくも現在刊行されている作品は全部読んでみたいという欲求が湧いてくる。僕は今月初めに読んだ「フェルメールの憂鬱」から、ほぼ続けざまに本作で5作品を読んでおり、この後にも4作ほど予定している。

 

 

し前までは読書の傾向として、広く浅くを目指していたから、一人の作者の作品を続けて読むことは出来るだけ控えていたのだ。しかし、いつまで読み続けることができるかということを考えると、好きな作家の本を思い切り楽しむことも悪くはないという考え方に傾いてきた。
ブログにはかなりの間をあけて書いているが、実のところ読書そのものは順調に進んで、この後8冊ほどを読み終わっている。それなのにブログへの投稿が遅れているのは、なかなか文章を思いつかないからだ。
別にしゃれた記事を書こうと思っているわけではないのだが、時には一つの記事に5日も6日も掛かってしまい、嫌になって気の向くのを待つという具合だ。誰のためのブログではないが、一人でも二人でも読んでくれる読者がいるうちは、あまり気ままな態度はよくない、そう思いつつも書けないことにはどうしようもない。
読んで下さっている方には申し訳ないが、気長にお待ちいただくようお願いします。

 

 

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1684.呪い人形

2016年12月21日 | サスペンス
呪い人形
読了日 2016/12/21
著 者 望月諒子
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 474
発行日 2004/08/25
ISBN 4-08-747730-4

 

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日も今日も晴れて比較的あたたかな気候で、出かけるにも抵抗がなくありがたい。昨日はカミさんが近くのホームセンター・ケーヨーD2に行きたいというので午後1時過ぎに車で出かけた。国道16号沿いの店は旧道沿い(木更津市請西)にあった記念すべき1号店を閉鎖した後に、西側の潮見地区に新設された店舗だ。
元々戦後の財閥解体などの影響を受けた、三菱商事を脱サラした永井氏が京大の後輩である岡本氏とともに立ち上げた京葉産業という、石油卸業が母体の会社だ。だが、昭和48年に起こった第1次オイルショックがもとで、当時アメリカで爆発的な店舗展開で、多くの顧客を獲得していた業態であるホーム・インプルーブメントへと、戦略の大転換を図ったのである。
石油卸業を始めたのち木更津市請西に土地を求めて、三井石油販売の支援の下、直営の木更津SS(サービスステーション)を建てたのだが、道路の分断で道路を挟んだ向かいの土地が空いた。その土地にケーヨーホームセンター一号店・木更津店をオープンしたのは、昭和49年のことである。 時流に乗った店舗展開は企業の業績を押し上げて、昭和59年12月に東証2部に上場、同63年には第1部に上場するといった発展を見せて、社名も株式会社ケーヨーと改めた。

話が大分それた。昔勤めていた会社のこととなると、つい夢中になってしまう。そうしたこととは全くかかわりなく、カミさんの買い物は小鳥の餌だ。1-2年ほど前のこととなるが、我が家の庭の百日紅や梅の枝に小鳥が舞い込むので、米粒をまいたところ雀が数羽来て、ついばむようになった。
その姿が可愛くてついにはホームセンターで小鳥の餌を買って、撒くようになったのである。今では餌係は娘に引き継がれた、多い時には50羽ほどが集団でやってくるようになって、餌時には大賑わいを見せている。
我が家は、元は山だったところが開発された住宅地で、以前はたくさんの種類の鳥たちが来たが、周辺の森や林も近年開発が進み、近頃は少なくなった。そうした中、人里でしか活動できない雀たちは、たまに来るヒヨドリなどはなわばりを主張するかのごとき、冷たい目?の集団で見つめるものだから、めったに来なくなってしまった。

 

 

今日は年賀状を出してきた。1昨年までは早くにデザインを考えて、干支のイラストを描いて、年賀状を作ってきたが、このところそうした気力も薄れて、おざなりの賀状になっている。
昔まだ60歳にもなっていなかった頃に、僕は息子の入所している福祉施設の、保護者会の会長を務めていたことがある。まだその頃は辛うじてサラリーマン現役だったから、役目柄保護者全員に年賀状を出していた。
多い時にはそうした人とは別に友人知人や、会社の上役、同僚と100枚ほどを出していたこともあった。そんな名残というわけでもないが、今でも60枚ほどの年賀状のやり取りを続けている。
先述のとおりだんだん歳をとって、いろいろと日常の些事が億劫となり、ついつい年一回の年賀状についても、面倒な気になっている。普段行き来のない人たちとの微かな交流なのに、そうしたことにもあまり意義を感じなくなっているのは、情けないことだ。
本格的な冬を感じさせる寒い日が何日か続き、出不精になっていたが、今日は穏やかで温かくなった。寒くなると必然的に朝の血圧も高くなって、だからと言って取り立てて具合が悪くなるわけではないものの、やはり寒さは老人を縮こませるのだ。

ほんの2-300m先の郵便局までの往復さえ、時として1-2度の息継ぎを必要とすることもあり、そんなこともこの頃は持病の一つと考えて、当たり前のこととなっている。

 

 

書は前にも書いたが、望月諒子氏のデビュー作から続いている、木部美智子というフリーのルポライターが活躍するシリーズ作品の第3作だ。
医療ミスで大学病院を追われた若い医師が、死んだ患者が怪しげな宗教家だったことから、医療ミスが殺人だったのではないかとの容疑をかけられることとなる。再就職した地方の病院で彼は、またもや患者の死に立ち会うことになり、疑いの目はますます彼を不利な状況に陥れる。
そんな中、呪殺を売り物にする老婆が、裏社会の評判となって依頼人が殺到するのだが・・・・。 ストーリーの複雑さも、行き着く先の見えなさも、だれが事件の真相を解き明かすのか、といったことさえも容易に見せない面白さはシリーズ共通のところで、小説の面白さを追求したという著者の面目躍如。

 

 

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1683.殺人者

2016年12月16日 | サスペンス
殺人者
読了日 2016/12/16
著 者 望月諒子
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 403
発行日 2004/06/25
ISBN 4-08-747713-4

 

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日今日のテレビのニュースは、来日したロシアの大統領・プーチン氏一色の状態が続いた、という感じだ。
平和条約、経済協力そして北方領土と、解決すべき多くの問題はどう進展するのか?そうした期待を抱かせた二日間に亘る首脳会談だったが、なかなか一挙に進まないのが二国間の国際問題だ。
しかし、大統領の訪日を機会に重要な問題解決に向けての、出発点を確認できたことは、何にしても喜ばしいことだろう。ニュースを見聞きしても僕には詳しいことは理解できないことも多いが、今後の二国間の経済協力が、お互いの国の経済発展の基礎になることを期待したい。
もう一つ大きく取り上げられたのは、東京都知事・小池氏のオリンピック・バレー会場の決定についてだった。当初の予定通り有明アリーナに決定したことを聞いて、流石の小池氏も五輪組織委員会や、競技団体に負けてしまったのかと、ちょっぴりストレスを覚える結果だ。

 

 

話は変わる。テレビや新聞で大きく取り上げられているのが、高齢者の車の運転に関する課題だ。毎日のようにどこかで起こっている高齢者による自動車事故は、高齢者社会における重要な問題だ。超高齢者社会と言われる現状は、他人事ではなく誰しもが考えるべきことなのだろう。
先日のテレビで自動車免許取得者の年齢が上がるほど、身体能力などの自覚に乏しくなっている、という統計が示された。改正道路交通法では、高齢者による事故防止の一環として、免許更新の際の認知症に関する検査などを厳密に行うことが盛り込まれているようだが、身体能力の測定なども必要となるのではないか?
制度の改革に伴う費用の増大が懸念されるが、事故による社会的な損失を考えれば、ある程度の費用の増大はやむを得ないのではないかと考える。有識者の討論などを見聞きしていると、万全だと思える方策はなかなか見つからないが、運転者の自覚に待つことには限界のあることが、今日の大きな課題だ。偉そうなことを言うつもりでは決してない。僕も当事者の一人として、身体能力や気持ちの持ち方など、改めるべくこうした諸問題について考えたり、反省したりする毎日なのだ。

 

 

て、好きなように読もうと方針を変えたから、というわけでもないが前回読んだ著者のデビュー作を面白く読んだので、シリーズ第2作を続けて読もうと思って、市原市の図書館で借りてきたことは前回の終わりで書いた通り。
主人公であるフリーのルポライター・木部美智子の活躍を描くデビュー作「神の手」は、「デビュー作にはその作家のすべてが盛り込まれている」、と言った(言い回しは確かでないが意味は間違っていないと思う)作家がいる。読書記録を付けるようになってから、僕もいくつものデビュー作を読んでいるが、言いにつけ悪いにつけそうしたことを感じることは多い。
望月諒子氏の作品は光文社主宰の「日本ミステリー文学大賞新人賞」を受賞した「大絵画展」が初めて読んだ作品だから、よく知っているとは言えないのだが、内容も文体も異なる印象で、なるほどこれが望月諒子氏の本領なのか!と言ったような強烈ともいえる読み応えを感じたのだ。

そうしたことから第2作である本書や、続く第3作及びシリーズではあるが、大分年を隔てて書かれた第4作を続けて読もうと思ったのだ。
僕は惚れっぽいというのか、一つ気に入った作品を読むと、特にそれがシリーズであるときなど、全部を読みたくなる。多分それは僕に限らず読書好きの人なら、共通した気持ではないだろうか。 特別に気負った感じではない語り口で進むストーリーが、次第に謎の部分に光を当てるところに、僕は胸をワクワクさせながら読み進む。過去と現在が行き来する事件の根源が明らかになる展開は、思わず背筋を寒からしめる。

 

 

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1682.神の手

2016年12月09日 | サスペンス
神の手
読了日 2016/12/09
著 者 望月諒子
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 407
発行日 2004/04/25
ISBN 4-08-747691-X

 

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回しばらくぶりに著者の作品に触れて、手元にあった著者の処女作を読もうという気になった。この文庫は多分2013年に読んだ「大絵画展」の面白さに、著者の他の作品も読んでみたい、と思っていた時にBOOKOFFの文庫棚で見かけて買ったものだと思う。
買ってしまうと安心して、読むのが後回しになるのはいつものことで、何かきっかけがあるまで手にしないのは僕の悪い癖だ。前回その「大絵画展」のシリーズともいえる「フェルメールの憂鬱」を読んで、しばらくぶりに著者の作品の面白さに出会い、これを機会にしばらく著者の作品を読み続けてみよう、そんな気になったのだ。
この「神の手」というタイトルは、他の作家の作品にもあって、例えば古くはアメリカのメディカル・サスペンスの大家・ロビン・クック氏の作品には、神の手を持つかのように手術をこなす医師が登場する。国内作品では今年2月に読んだ久坂部羊氏の同じタイトル「神の手」文庫上下巻があり、同様に医師の話だ。
だが、本書は“神の手”を持つのは医師ではなく、作家を目指す女性のことである。

 

 

この作品は2001年に電子出版という形で刊行されて、異例の大ヒットを飛ばした末に、集英社文庫となって再び読者の評判を勝ち得たということらしい。前述のとおりここには1万枚もの原稿をものにした、まさに神の手と呼ばれるにふさわしい女性が登場?するのだが、“幻の女”のごとく関係者の話の中に出てくるだけだ。
というようなことを書くと、限りなくネタ晴らしに近づくので…、発端は文芸誌「新文芸」の編集長・三村が、広瀬という医師からの電話で、忘れかけていた、いや忘れようとしていた過去を思い起こされる。
電話の要件は「高岡真紀という女性を知りませんか?」というものだった。三村は初めて聞く名前だが、その女性が書いたという作品のタイトルに、突然過去に引き戻されたのである。彼女・高岡真紀が来生恭子というペンネームで書いたというその「緑色の猿」は、三村にとって忘れようにも忘れられない作品で、冒頭からの文章はそらんじていたほどだった。

 

 

う何日か前に読み終わっている本の、内容明細については忘れつつあるが、著者・望月諒子氏の作家としての才能を、嫌というほど味わったデビュー作だった、ということはきっちり脳に刻み込まれた。
ここに登場?する女性はあたかも著者自身を投影するかのようだとは、解説氏の言葉だがストーリー展開や、巧みな文章表現などから、そうしたことも納得させられる。そして、単純な僕はまたしてもこの作家の作品を全部読んでみたいなどと思うのだ。
たまたま本文庫は手元にあったが、これを読んで主人公木部美智子が登場するシリーズ作品は、この後3冊あって続けて読むために、市原市立図書館の分館である姉崎公民館図書室で、その3冊を借りてきた。木更津の図書館にはなかったからだ。

 

 

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1681.フェルメールの憂鬱

2016年12月02日 | 絵画
フェルメールの憂鬱
読了日 2016/12/02
著 者 望月諒子
出版社 光文社
形 態 単行本
ページ数 244
発行日 2016/06/20
ISBN 978-4-344-91100-3

 

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家は作品のタイトルをどう決めるのだろうか?それは個々の作家によって違うのだろうが、僕はタイトルを見ただけで読みたいと思ことがたびたびあるので、ちょっと気になっただけだ。
昔見たドラマの中で、辞書や電話帳だったか、適当なページを開けてそこで目に付いた言葉からタイトルを選ぶという、ふざけた場面があったが、中には内容とはまるで無関係なタイトルを付ける人が、実際いるのかもしれない。
Amazonからのメールマガジンで時々書籍の紹介があり、既刊本、新刊本を問わず以前僕が買ったり、検索したりした本に関連した本をピックアップしてくれる。そんな中に読みたくなるタイトルがたまに入っていて、「オッ!」と思うことがある。本書もそんな1冊だ。
そういえば、著者・望月諒子氏の日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した「大絵画展」も、Amazonの紹介で知ったのではなかったか。2013年のことだからもう3年もの月日が流れたのか。 この頃はことあるたびに、月日の流れの速さを感じて、残された時間がどんどん減っていくような感じを持つ。と言いながらも、僕はそれほど深刻に考えているわけではない。一方でまだ少し先のことだろうと思う僕もいるからだ。しかし、あと3年もすれば80歳になるのだ。
この読書記録も80歳・2000冊を目標にしてきたのだが、ここにきて少しばかり読む速度が落ちてきて、本来であれば11月2日の77歳の誕生日に、1700冊を読み終わっていなければならないのに、だいぶ足りない。

 

 

何かそれで支障をきたすということもないから、どうということはないのだが、ここに書くことも読書記録というより、近頃はどうでもいいような日記になっていて、読んだ本の内容も次の本を読み始めれば、忘れてしまうからそれも仕方のないことかも知れない。
そんなことから、よく目につくのが認知症関連の書物や記事、あるいはテレビのニュースや特集番組だ。前にも書いたが高齢者の車の事故も、認知症かあるいはそれに似た症状の運転事故が多い。 今のところ自分が認知症になることを真剣に心配しているわけではないが、物忘れがいどいことは認知所予備軍の傾向を示しており、いつかテレビでそうした物忘れ状態から脱するために、瞑想が効果的だというようなことを言っていたから、一日3分で済む事ならと、教えられた通り実行しているが、まだ効果は表れていないようだ。
だから、このブログにも気づかないうちに、何度も同じことを書いているのではないかと思う。

 

 

て、本書はサブタイトルに「大絵画展」とあるように、シリーズ作品と言っていいだろう。
前作の内容はすでに僕の頭からは大半が抜け落ちているが、冒頭でドイツの片田舎・ワトウという村の教会から、一枚の絵が盗まれたという事件の依頼を受けるのが、イアン・ノースウィッグ。彼は前作「大絵画展」において、美術品競売会社ルービーズにおいて、スポンサーから依頼されたゴッホの「医師ガジェの肖像」を競り負けて落札できなかったのだ。
今や彼・ノースウィッグは貴族の称号を持つ大金持ちだが、電話をしてきた牧師トマス・キャンベルは彼の過去の悪行を知り尽くす友?で、依頼を断るわけにはいかなかったのだ。
そんな幕開きで始まるストーリーは、ハリウッド映画の紺ゲームさながらに、スリルとサスペンスに彩られて進む。美術の世界も悪玉善玉が入り乱れて(いやいや、もしかしたら悪玉ばかりか???)、莫大な資金が動き回る。そんなことを頭において見る展覧会もまた楽しからずや、そんなことに思いが及ぶ。

 

 

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1680.慈雨

2016年12月01日 | 警察小説
慈雨
読了日 2016/12/01
著 者 柚月裕子
出版社 集英社
形 態 単行本
ページ数 330
発行日 2016/10/30
ISBN 978-4-08-771670-2

 

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日は朝から冷たい雨が降って、いよいよ本格的な冬の到来を予感させる。暑さ寒さにめっきり弱くなって、1年の内に快適に過ごせる期間も、だんだん短くなっているような気がする。
今午前10時22分、今朝から2杯目のコーヒーを飲みながらこれを書いている。通常は朝、昼、晩と一日3杯のコーヒーがいつの間にか習慣となっているが、今日は寒さのせいか熱いコーヒーを続けて飲みたくなった。
テレビ番組にはいろいろと健康に関する番組が目白押しだが、そんな番組の中でコーヒーを飲む習慣を持つ人は、飲まない人と比べて健康だというようなことを言っていた。だからというわけではなく、僕のコーヒーの習慣は20代初めの頃からで、サイフォンを使ったり、ある時はコーヒーメーカーを使ったりと、工夫しながら飲んできた。
一時期は豆を買ってミルで挽いたりしたが、そのうち面倒になっていつしか大袋の粉で、ペーパーフィルター一本やりになった。ただ、大袋から1杯分ずつチャック付きの小袋に入れて、冷凍庫に保存するのが湿気を避けて、うまさを損なわない方法ということで続けている。

 

 

ごく最近、君津市にある量販店・ジョイフル本田で、ハリオというメーカーの円錐形のドリッパーとフィルターを見かけて、買ってきた。今までのドリッパーは底に2つから3つほどの穴が開いていたが、この新しい形のドリッパーは円錐形の底は一点にすぼまっているから穴は一つ、したがってフィルターも同様の形をしており、お湯を注いだ際にコーヒーは底の一か所に向かって抽出される。
もう1か月ほど使っているが、今までより濃くて旨いコーヒーを飲んでいるという感じだ。僕はどちらかと言えば、コーヒーの味にそれほどうるさくなく、というかよくわからないのだが、それでもコーヒーショップやファミリーレストランで飲むコーヒーが、うまいと感じなくなった。
自分で淹れたコーヒーの方が旨いのだ。まあ、半分は気のせいかとも思うが、自分で淹れたコーヒーが旨いと感じることが、一つの幸せなことと自己満足している。

 

 

更津市立図書館にリクエストしておいた本書が用意できたというメールが入り、11月11日に借りてきた。
予約したのは10月末ごろだったと思うので、つまり発売前にAmazonのサイトで知ったデータで予約しておいたのだ。もう少し時間がかかると思っていたのだが、割と早く借りることができた。いつもこの調子で新刊が読めるということはないのだが―うまい話がそう続くことはない、というのが世の常だ―それでもこうして時には早く読めることもあるから、図書館をうまく利用することは、今の僕にとって大事なことなのだ。
多分本書が著者・柚月裕子氏の最新作で、僕は彼女の全作品を読んだことになる(と思う)。だからどうだということはないが、新しく出てきた作家でないと、なかなか全作品を読むなどということは至難で、しかも僕は他にも全作品を読みたいと思う作家が何人もいるから、それを実行するのはとても難しい。
いくつかの作品がドラマ化されるなど、柚月氏はいまや人気作家の一人となって、ファンとしては誠に喜ばしいことだ。どんどん作品を書いてほしい、とそんなことを僕が言ってもどうにかなるわけではないが、それでもすべての作品を読もうという熱烈なファンがここにもいるということだ。

この最新作は下記のとおり、集英社発行の「小説すばる」誌に、2014年12月から翌年12月まで1年余りに亘って、連載された警察小説だ。退職した刑事が過去にかかわった事件に関して、贖罪の気持ちを持ちながら四国の八十八か所の霊場を巡る巡礼の旅に出るというストーリーを軸に、模倣犯かとも思われる現在警察の捜査が続く事件の模様を重ねて、少しずつ真相に近づく展開がスリリングだ。ドキュメンタリー・タッチで描かれる退職刑事夫妻の巡礼の旅も、リアルに描かれて情緒が漂う。

初出(小説すばる) 2014年12月号~2015年12月号

 

 

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