降版時間だ!原稿を早goo!

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「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★春樹さんは角川文庫より面白い❷(かも)

2016年07月20日 | 新聞

(きのう7月19日付の続きです)

田中角栄ブームの次は、角川春樹さん(74)が来る(たぶん)。
「本の雑誌」2015年10月号では、春樹さんが出版界のレジェンドとして再評価されているが……。


*実弟・歴彦さん角川追放の翌年、兄・春樹さん逮捕——がムニャムニャだ
中川右介さんの『角川映画1976-1986増補版』(角川文庫、角川映画創立40周年記念)でも書かれている。
角川春樹さんと、1歳違いの実弟・歴彦さんとの確執は相当なものだったようだ。

1992年9月14日、副社長だった歴彦さんが辞任という形で社を追われ、株式会社メディアワークスを設立する。
その1年後93年8月28日、今度は春樹さんが麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で千葉県警に逮捕される。
そして半月後9月15日、歴彦さんは顧問として角川書店に劇的復帰、同社社長に就任する。
——歴彦さん追放の翌年、春樹さん逮捕。その半月後、歴彦さん角川奪首!
わずか1年の攻守入り乱れる天下取り合戦は、角川文庫よりも面白い(かも)。


春樹さんは自著『わが闘争』(写真)で記している。
「弟から仕掛けてきた追放劇」
弟との軋轢が表面化したのは、一九九二(平成四)年である。この年の九月、おれは弟の歴彦を角川書店から追い出した。
なぜ、そうしたのか。それ以前のことであるが、弟は、おれを追い出すということを取次会社や書店に言っていたのだ。
歴彦が取締役会で反乱を起こして、おれを追放しようとしているという話が伝わってきた。(中略)
歴彦の追放劇に結びついた原因は何かと問われるならば、歴彦が脚光を浴びている兄に取って代わって権力を握りたいと、おれを引きずり下ろそうとしたことが発端だとおれは思っている。
結果的には、それを事前に知ったおれが、逆に彼を追放したわけである。(後略)
(イースト・プレス版『わが闘争/不良青年は世界を目指す』109〜111ページから)

そして、次章のタイトルが凄い。
「角川書店を自分のものにした歴彦」
彼(歴彦氏)が進める事業には斬新さを感じさせるものはない。それまでおれがつくった映画の権利はすべて角川書店が持っている。
映画を含めておれが築き上げてきた角川書店の資産を維持しているだけで、彼がおれと違うことを唯一やったのは、角川ホールディングスという持ち株会社をつくったことだけである。(後略)


——(歴彦さんの、先を見据えた持ち株会社移行というビジネス才覚も凄いと思うけど)とにかく、春樹さんは怒り心頭、恨み骨髄である。
偏らず、中川本と春樹本の合わせ読みが面白い。

*角川兄弟の有為転変がムニャムニャだ
「読んでから観るか、観てから読むか」
「母さん、僕のあの帽子、どうしたのでしょうね」(映画「人間の証明」)
「私は、この小説だけは映画にしたくなかった」(映画「悪魔が来りて笛を吹く」)
などの宣伝コピーを自らつくり、映画と本、音楽をリンクさせてのメディアミックスで角川書店を急成長させた春樹さん。
ところが、1993年の逮捕後は一変してしまう……春樹さんのイケイケ黄金期は、
「1967〜(ピーク1983年)〜1992年」
だったのではないだろうか。

対して、弟・歴彦さん。
1993年、角川書店復帰後は業績が一時期低迷したが、
(「書店の苦しかった時期を救ってくださったのは、作家の五木寛之さんだった。『生きるヒント』シリーズ文庫化を許諾していただけた」と新聞で話していた)
角川書店ホールディングス設立後は社長兼CEO就任、株式会社KADOKAWA取締役会長、内閣官房知的財産戦略本部本部員など務めている。
勝てば官軍なり。
*有為転変(ういてんぺん)
昨日の繁華は何処どこへやら、有為転変の世の中、哀れと云うもなかなかおろかなり。(安部公房「榎本武揚」から)


——破天荒で規格外な角川春樹さんが上司だったら部下は大変な目に遭いそうだし、敵に回したら怖いし、いずれにしても遠くから見ているのが一番いいようだ。
今度は、歴彦さん側の言を読みたい。
(ちなみに昨年、春樹さんに会合でお会いしたときは、
「フォッ、フォッ、フォッ」
と笑っていらっしゃった。
だいぶ角が取れて丸くなられていらっしゃるようだけど、目は笑っていなかった)