降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★向田邦子さんに会いに行った。

2013年08月29日 | 新聞/小説


向田邦子さんが衝撃事故死されてから、33年──。
八重洲ブックセンター本店(東京・中央区)で開かれていた
「素顔の向田邦子/向田邦子33回忌展」
に行った=写真。

1981(昭和56)年8月、台湾旅行中に飛行機墜落事故死。同展開催中の22日は命日だった。
「どこで死ぬのも運命です」
と三女・和子さん宛てに生前、遺言メモらしきものを遺していたが、
直木賞を受賞された翌年の悲報だから、実に悔やまれる。佳人薄命。
ご存命なら84歳。
たぶん、エッセイ・小説で健筆をふるわれ、直木賞選考委員のほか各賞委員もされていただろう。

向田さん関係のイベントや展示会に行って、いつも驚くのだけど、向田さんは実に多くのプライベート写真を残していた。
鹿児島時代、東京・杉並区本天沼時代、実践女子大時代、映画記者時代、シナリオライター時代、そして直木賞受賞時代........。
「初めてのボーナスで買ったジャンセンの水着」姿では海岸の岩場でポーズをとられ、
昭和30年代の映画記者時代、バーのカウンターらしきところではWinstonの煙草を吸われている(←向田さん、愛煙家だったのですねぇ。お会いしたかったなぁ)。
いずれも撮影されていることを意識しているものだが、凛とした美しさと知性が感じられる。

ただ、会場で見た
「昭和37年、本天沼自宅の居間で」
と記された1枚だけが、珍しくボサボサ頭で真ん丸に太った姿なのだ。
高円寺(東京・杉並区)のN氏のもとに通われていたころだろうか。
ほかにイワキ眼鏡、執筆用鉛筆、万年筆パーカーなど愛用品のほか、出世作となった「銀座百点」自筆原稿も見られた。

和子さんと共同経営していた
「酒・惣菜の店ままや」(1978~1998年)
の開店20周年記念テレホンカードをいただいた(→繰り返します、あの時代でも貴重だったテレカですよ!)。
ことしさいりょうの日(わらい)、ぼくは宝ものにしま~す。
とてもうれしいいちにちだったです(←まるで小学生の夏休み課題作文)。


(^○^)