goo blog サービス終了のお知らせ 

絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

甲状腺手術 つづき2

2011-01-29 | 甲状腺手術体験記
入院の日が来ました。

入院は、絵の仲間が手伝ってくれました。両親は高齢で、運転をたのめません。
弟にほとんど全てを頼むことにしましたが、病院が遠いので、他の人にも頼めたらいいと思い頼んでみました。
すると快く引き受けてくれた方がいたので、助かりました。

入院、手術、退院の三回、東京まで来てもらうには、大変な苦労をおかけすることになります。
その度に、私の家から車で来るには、高速を使っても2時間半がかかります。
だから、母には手術の日だけ来てもらい、それ以外は弟に頼みました。

私は一人ものなので、こうした時は妻や子供がいる人はいいですね。

入院は、21日(金)でした。
個室は特別料金がかかります。一日2~3万円かかるようなことを聞きましたが、私は庶民なので4~6人部屋でお願いしました。幸い、4人部屋でしたが、前から入っていたのは、一人だけでしたので、とてもゆっくり使えて楽でした。

手術は、24日(月)です。
土日は、待つだけという感じです。
日程表は、一週間になっていて、手術をしてから4日で退院とのことです。
看護師さんはそれが当たり前のように考えていて、手術後の状況によっては、退院が長引くということを考えていません。
入院初日にいろいろ説明を受けて、一通り聞いていると、聞き終わったときには、もう全て終わったと言う気がするほど、シュミレーションがなされました。

手術後のいろいろな予定まで、全てです。

ーーーーーーーーーーーー
手術の日は、母と弟が来てくれることになっていましたが、東京にいる伯父叔母も来てくれました。
これは、良かったなと思いました。家族だけだとあまり話すこともないので、待っている間が暗く沈んでしまいます。誰か少し気楽な人がいた方が、待っている間の時間がお話しすることで、気がまぎれるのです。
家族がいることは、手術の途中で、なにか起こった時に説明と相談をするためだそうです。そして、手術後の説明を受けるためです。成功したのか、手術後の心配することなど。だから、来なくてもいいよと言ってはいましたが、やはり必要なようです。

完全看護だから、付き添いは必要ありませんと説明を受けたので、夜は看護師さんたちが面倒をみてくれます。

手術の時間を待ちました。
叔母さんが、「私なんか何回も手術をしているんだから、それでもこうして元気でいられるんだから、大丈夫よ」と励ましてくれました。こういうときは、経験者がそういう話をしてくれるのは、心強いです。

朝、手術を担当する先生が顔を見せてくれました。私が担当します。「安全のために大きく切りますからね」とおっしゃいました。
そして、「では、時間になったら手術室で会いましょう」と言われました。私は「お願いします」と頭を下げました。この先生が手術をしてくれるのか、ベテランで頼りになりそうな先生なので良かったなどと、勝手な感想を持ちました。
しかし、手術する先生は主治医ではなく、他の先生だと言う点が不思議でした。この病院では、手術をする先生は、二日前に決まります。だから、土曜日に言われたのです。手術の時間も土曜日のお昼頃告げられました。この時間が前もってわからないと、家族に来てもらう時間に関係するのです。家から2時間半かかるので、道が混むことも考えると、家を早めに出る必要も出て来ます。私の場合は、お昼頃が予定時間でした。

手術は一人でするのではなく、三人くらいが関わるのだそうです。でも執刀医という言い方で、中心になってやる先生という意味で一人の先生が挨拶に来ました。私の場合は、糖尿があるので、内科の先生にも立ち会ってもらうと言っていました。

時間になりました。私は3例目ということでした。3番目と言わず、3例目というんですね。
後で、知ったことですが、一日に10人の手術を行うそうです。手術室が2つなので、一部屋5人なんですね。

それだけ多くの人が手術を受けているのです。

私はベッドの上で、手術着に着かえると、頭もビニルの帽子を被り、紙パンツを履きました。
車椅子で運ばれ、手術室は6階でした。手術台は自分で上り、その後、点滴、血圧など何人もの人が私に必要なことを施していきます。そして、いつのまにか麻酔をかけられて眠ってしまいました。以前やったときは「眠くなりますよ」と言われた気がしましたが、今回は言われたのかどうか記憶にありません。ただ、いよいよ始まるなと思いました。すこしだけ人ごとのような気がしました。
感じた事は、いつもの手術室のあのライトと違うなということでした。

そして、次に気がついた時は、「終わりましたよ」でした。
私は朦朧としていましたが、はっきりわかりました。自分から聞いたのかどうか、「輸血はしないで済みましたよ」と言われました。良かったです。なぜなら、輸血の承諾書を書いた時、危険性が書かれてあったからです。
HIV,何とか肝炎など、何パーセントの割で危険があると書かれていたからです。
輸血をしなかったことは、その危険がなくなったことを意味します。

ーーーーーーーーーーーーーーー

当然ですがベッドに寝かされたまま部屋に戻り、問題の時間が始まりました。

私が夢でうなされた問題の時間です。ただ、想像と違ったのは、次々とやることがあって、看護師とお医者さんがたが来たりして、こんなにいろいろ忙しいのかということです。手術が終わると、伯父叔母が帰りました。そうなのです。伯父叔母は私の母と弟のために役に立ってくれたのです。私に無事に終わって良かったねと言い、お大事にと挨拶して帰りました。
私は、有難うございました。ということができました。
あれっと思ったのは、まず、声が出ることでした。
少なくとも声がかれると思っていたので、そうならないことがやはりここは日本一の病院なので、上手いのだなということでした。心配したことが、ほとんど起こらず、100パーセントを目指しますと言う事が、本当だと思いました。

手術してから3時間は動かないでくださいと言われていました。それは、ちょっとつらいことでした。
がっちり固められて、動けないようにもしてあったと思います。まるで、重い鎧を身に付けたようでした。
その間、入れ替わり立ち替わり先生たちが現れました。内科の先生も何科だかわからない先生方も、とにかく初めて見る先生たちが、それぞれの分担があるのか、見に来るのです。
そして、みんなそれぞれ、大丈夫だなと言って帰るのです。私は呆気に取られていました。
麻酔がきいているのでしょう、痛みは感じませんでした。切れたら痛いのだろうと思いましたが、結局、最後まで痛みはほとんど感じませんでした。

3時間が過ぎた時、初めてベッドを上げて、水を飲まされました。この水が問題のようです。
飲んでみて、あまり飲み込めないのを感じましたが、それでも飲みました。すると、浸みませんか?と問われました。
特に浸みませんと答えました。飲み込めない人、浸みて咽る人がいるそうです。じゃあ、大丈夫だねと言われました。
上体が起きると、お尻が楽でした。それで、しばらく起きたままいましたが、同じ状態でいると疲れてきます。
それで、また倒してもらいました。

それからが、大変です。何が大変かと言うと、唾でした。痰が絡むのです。何回か息をすると痰が絡む。それを取らないと苦しくて呼吸が苦しいのです。しかし、喉を手術しているので、刺激をしてはいけないらしく、がーといって痰を出すのはなるべくしないでほしいと言われ、しかたなく唾だけを頻繁に出すように心がけました。
この痰唾は、麻酔をするときに、管を通したため、喉を刺激して、荒れるらしいのです。そのために出るとのことでした。

右手は点滴、左手は血圧が付いてました。だから、自分で口のところまで、手を持って行くことができません。
それで、弟に口を拭いてもらいました。何回も何回もです。
唾を拭きとるのは、他人がやると難しのだなと思いました。出した唾がもう一度つくととても嫌なので、拭き取るようにとって欲しいのですが、こちらが望むようにはいかないのです。

弟は、母を連れて帰らなければなりません。それで何時までいてくれたのか忘れましたが、その後は自分でティッシュを取れるようにしてもらいました。幸い血圧を測る器具はその時点で取り外してもらえたので助かりました。
完全看護とはいえ、傍にいてくっついてティッシュの世話まではしてくれません。そう考えると、手術の後の一晩だけは付き添いがいるべきではないかという気がしました。

手術の後で、首はがっちり固められた状態で、自由に物を探せません。だから、ティッシュと看護師さんを呼ぶスイッチを左手で手探りで探します。それがすぐに掴めない時はとても困りました。

また、足にマッサージ機がついているのです。エコノミー症候群になることを防ぐ器具なのだそうです。
だから、足も固められているような感じです。そして、おしっこの管がついています。

そんな状態で、朝まで過ごしました。

一番苦しかったのは、痰唾でした。このために眠ることができませんでした。
唾は拭いても、やはりごっくんという飲み込む行為はしてしまいます。その度に苦しくなります。
看護師さんが「少し眠れるように痛み止めをしますからね」と言ってくれました。私は筋肉注射だと思っていましたが、点滴の中に入れるから痛くありませんよと言いました。今は、筋肉注射はしなくなりましたとのことです。
ただ、この痛み止めは、痛みを感じなくさせてくれたのでしょうけれど、眠気は失敗でした。
これは拷問です。眠くなるのですが、痰が苦しくて起こされるのです。眠くて朦朧とした中で、起こされるという状態です。
お分かり頂けるでしょうか。それで、苦しみました。
ティッシュの箱を二つ使いました。一つは使いかけでしたが、それでも小さめの箱の二箱分は使いました。ゴミ箱は一杯になり、一度捨ててもらいましたが、また一杯になりました。

朝方になって、やっとティッシュが必要なくなりました。

途中、看護師さんを何度も呼びました。同じ格好をしていると、腰が辛くてどうにもならないので、寝返りを打ちたいのです。ただ、首が固められているようで、思うように寝返れず、少し向きを変えては、腰の下にバスタオルを入れてもらいました。
この時も誰か付き添いがいれば、看護師さんを呼ばなくても済むと感じました。
寝返り、ベッドの角度を変えてもらう、ティッシュの箱の位置、ゴミ箱の位置、起こしてもらって水を飲む、いろいろあります。そして、途中で看護師を呼ぶスイッチがわからなくなり、柵にしばりつけてもらい、わからなくなっても探せるようにしてもらいました。

これが、手術後の一晩でした。とにかくいつまで経っても世が明けないのです。
ここ数年で一番長い夜でした。

それでも、朝方になると痰唾が少し楽になった分、眠ることができたのは幸せでした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー
つづきます。























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲状腺手術 つづき

2011-01-29 | 甲状腺手術体験記
続きです。

手術する方が良いと、伊藤病院で言われて、大学病院に行きました。

そして、外科の先生に診てもらいました。
すると、意外なことを言われました。

やはり、「手術してもしなくても良いけれど、するなら命がけだよ」と。
「お腹の手術なんかよりもよっぽど危険があるんだから」と。問題は手術後の出血だそうです。
手術中は血を止められるけれど、術後の出血は再手術になるそうです。
また、大量の出血が予想されるので、輸血の用意は欠かせないし、出血多量でショック死もありうる。
神経が麻痺したとき、片方の神経だけなら声が掠れる程度で済むけれど、両方が麻痺したら、気管に穴を開けて呼吸をさせることになると言われました。
恐ろしい話です。そして、最低二日間は集中治療室に入るのだそうです。

これは、超ヘビー級だからなあとなんだか手術の遣り甲斐がありそうな笑顔で言われました。
大分脅かしたけど、95パーセントは大丈夫だから、よく考えて見てくださいとのこと。
でも、95パーセントはバカにならない数字です。大抵は大丈夫と見るか、20人に1人は危険と見るかです。
20人に1人という確率は当たってしまいそうな気がしたりします。

このまま、一生メルカゾールで生きるのも構わないし、手術をしてもいい。
ただ、問題は、他の病気になった時、メルカゾールが邪魔になることがある。使えないときが困る。
それと、大きくなればなるほど手術は難しくなるし、あなたも年をとるほど、体力的に大変になる。
だから、若い時に手術をしておく方がいい。

ただ、今すぐ決断しなくてもいい。慌てることじゃないから、じっくり考えて結論を出してください。と言われた。

ーーーーーーーーーーーーーーー
この話を聞いて、私はビビりました。

手術と言っても、以前お腹を切ったときのような大変な思いはしないだろうと思い、嫌だけどまあ大したことはないだろうと考えていたのです。しかし、この説明を聞いて、怖くなりました。
だから、してもしなくてもとか、自分で選んでいいという話をされていたのかなと思いました。
がんなら、何が何でも直ぐに手術だけれど、そうではないから、選んでいいというのです。

大学病院では、別の日にもう一人の先生のアドバイスも受けましたが、やはり似たようなお話でした。
ただ、言われたことは、お医者さんが自分の家族なら手術を受けさせると言ったことでした。
その言葉は少し救われました。ある意味で手術に自信があるのだと思ったのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、私の不安は消えません。そうか命がけの手術なのかと。考えれば考えるほど、ここで命が終わるとしたらということを考えてしまいます。そのためには、何をどうしておく必要があるのか?
預金は、保険は、投資信託は、携帯やパソコンの契約は、図書館の本を返すことまで、いろいろです。
通帳やカードの暗証番号を誰に知っていてもらうのがいいかまでも。


自分のことを書きだした重要なものをまとめておこうか、誰に何を書き残そうか?
絵も、卒業生の顔を描く約束が果たしてないなあとか、誰に絵をプレゼントしようと思っていたのに、まだできていないなあとか。御線香をあげに行きたいと思いつつできないでいるなあ、手術の前に行こうか?
こんなことが、次々と浮かびました。

しかし、これらのことをやればやるほど、死に向かう事を強めるような気がして、やらない方がいいのではないかと考えてしまいます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

大学病院では、一応、仮予約だけと勧められて、手術の予定を10月14日という日に抑えてもらいました。
いつキャンセルしてもいいから、一応入れておきましょうとなりました。

ただ、どうしても不安なので、やはり伊藤病院で手術をしてもらう方が良いのではないかと思い、三回目の通院に行ってみました。

ーーー―ーー 伊藤病院三回目の通院  ------

そして、手術を再度勧めてもらい、予約を入れたのが、1月でした。
以前の先生は8カ月先とおっしゃいましたが、予約の部屋で言われたのは、4カ月先の1月でした。
大学病院には、キャンセルの連絡を入れました。そちらでは不安なので、伊藤病院にしましたとは言えません。
もう少し考えたいので、このまま内科で続けてみますと言う事にしたのです。

伊藤病院で大学病院で言われたことを話すと、「リスクのことばかり言っていたら、手術なんてできないですよ」と言われました。
手術は危険が伴うのですから、一応はそういうこともないとは言えませんが、こちらは100パーセントを目指しますと言ってくれました。それと、あなたより大きい人の手術は何人もやっていますからとも言われました。
それを聞くと、こちらの方が慣れているんだなと思います。

万全の準備で臨みますからねとも。

聞いてみると、ここでは毎日10人の患者さんが手術を受けているそうです。
先生方も一流の方たちばかりで、本当に専門病院として日本一なんだなと思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それで、手術を待つ日々が続きました。

ときどき、圧迫感が強くなり、このまま待っていて大丈夫なんだろうかと思い、予定より早くやってもらう訳には行きませんかと電話してみたり、あまり圧迫感が感じられない日々が続くと、またキャンセルしようかなと思ったりしました。
勝手なわがままです。
今までのことがいろいろと浮かんできます。そして、寝ていてうなされるようになりました。どうしても大学病院で言われたことが頭に浮かんでしまうのです。

手術後の自分が出血で苦しんで、窒息死する夢です。
昼間起きている時は、何でもないのですが、目覚めの頃の気持ちが緩んでいる時に見る夢でうなされるのです。
手術をしなければならないということが夢ならいいなあと思う甘い気持ちがあるからです。
断ろうかなとも思ったり、そうしたらまた手術の日程が白紙に戻って、予約の取りなおしになるとか。そんなことで待っていたら、どんどん腫れて、自分で自分の首を絞めることになるなど、つまらないことを次々と考えてしまうのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのとき、自分を励ましたのは、何のための手術なのか?死ぬためじゃない。
95パーセントは大丈夫だ。100パーセントを目指すと言ってくれた。日本一の病院である。
私より大きい人を何人も手術している。
これらの言葉でした。

これは、重要です。いかに自分を励ますかです。
私はつくづく弱いなあと思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう、全身麻酔の手術は3回受けています。今度が4回目になります。それでも、慣れるものではありません。

人からは、「平気そうでいるので、すごいなと思います」と言われましたが、とてもとても、そんなではありません。
入院前日のデッサン会にも休まず参加して指導しましたら、入院前なのに、すごいねと。

以前、私はこう言って自分を励ましたことがあります。
手術は嫌だけど、その日になったら嫌だと思えばいいや。その前から暗くなっていなくもいいじゃないか、笑って生きるのも人生、暗く下を向いて生きるのも人生。好きな方が選べるよ。と。

そう思ったら、そうだなと思えたので、そうすることにしたのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つづきます。






















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲状腺手術

2011-01-29 | 甲状腺手術体験記
甲状腺手術で、一週間入院しました。

東京の表参道にある伊藤病院でした。

実は、私は30年前から甲状腺(バセドー病)の機能亢進症で、メルカゾールを飲み続けていました。

そもそもの発端は、他の病気で若い時に埼玉県立がんセンターで手術をし、放射線治療を受けたことが原因ではないかと勝手に想像していたのですが、お医者さんはそれが原因とは言えないとおっしゃるので、なぜバセドー病になったのか、わかりません。ただ、そこで発見されたので、ずっとがんセンターで薬をもらっていましたが、もうがんは完治したので、これからは近くの病院で薬をもらってくださいと言われ、ずっと飲んでいました。

私が放射線が原因ではないのかと考えたのは、チェリノブイリの原発事故があった辺りで甲状腺の病気になる人が多発したときいたからです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

バセドー病は手術したからと言って、良くなるとは限らず、メルカゾールでコントロールされるならそれで良いと言われ、飲んでいるうちに治ってしまう人もいるということでした。だから、初めは6錠飲んでいて、段々と減らし2錠まで来るのですが、そうすると足りなくなり、4錠に戻ったり、2錠まで行けたりと繰り返していました。

すると、段々と腫れてきました。長い年月をかけて腫れたので、このままどこまで腫れるのか心配になり、相談しているうちに、
内科の先生が手術も考えてみたらいかがでしょうかというようになりました。

それで、外科を紹介してもらい診察に行きましたが、外科の先生は、どこまで切るかが問題なんだよねと言いました。
半分切ったとして、丁度良ければ薬が要らなくなるけれど、切り過ぎなら今度はホルモン剤を飲むことになる。
切り足りなければ、量は減るけれどメルカゾールを飲むことになるので、手術をするだけ痛い思いをして損じゃないかなと言われました。


ほー、そういうものなのかと初めて知りました。
「だから、腫れるのが気にならなければ、今のまま一生メルカゾールで調節していてもいいんだよ」でした。

ーーーーーーーーーーーーーー
それで、私は手術はしたくないので、メルカゾールで調節を続ける方法を選びました。
しかし、段々と腫れが大きくなりました。
気にしなければいいんだからいいやと思っていましたが、気にするとは見かけのみっともないのを気にするという意味ではありませんでした。腫れて苦しくなるという意味だったのです。腫れるとなんだか首が圧迫されるのです。

いつもトックリセーターを着ているような締め付け感なのです。

それで、気になり始めました。

ーーーーーーーーーーーーーー

その頃、東京の伊藤病院というところが、甲状腺の専門病院だから一度行って診てもらったらどうだろうと勧めてくれる人がいました。それで、行ってみました。

予約のない病院で、その日の内に採血とエコー検査が行われ、診断がなされます。
結果は、「悪性ではないので、手術の必要はありません。内科の先生と相談してください」と言われました。
内科の先生は、「ラジオアイソトープという方法がありますが、やりますか」と言い、「そうでなければこの先同じようにメルカゾールを飲んでコントロールしていてもいいんですよ」とのことでした。

専門病院での診断がこのようだったので、じゃあ、このままでいいやという判断を下しました。

ーーーーーーーーーーーーーーー

しかし、しばらくするといつも通っている内科の先生が、また「手術を考えてみては?」と勧めるのです。「あまりいつまでもメルカゾールを飲んでいるのも良くないでしょう」と言いました。手術をする場合は、薬が効果を為さない場合、腫れが大きくなって苦しい場合などです。
腫れていて圧迫感が出て来たので、勧めるのも分かる気がしました。

ーーーーーーーーーーーーーーー
それで今度は、大学病院を紹介してくれたので行ってみました。

言われたことは、「確かに手術をしたからと言って、丁度よく薬から離れらるとは限らないから、手術する分だけ損という考えもある」と言って、いままで言われたことを繰り返す結果でした。そして、「今の状態は手術をしなければならない状態ではないので、するかしないかは自分で選んでいいよ」と言われました。「もし悪性なら手術をしなければならないけどそうではないので」ということでした。

自分で選んでいいよとなると、しないで済むならという考えが勝ってしまいます。

そして、また時間が経ちました。

段々、腫れが大きくなって行きました。

このまま行くと苦しくなって、首が締め付けられて、窒息なんてことになるんじゃあないかなと不安になりました。
それで、仕方がないので、また、伊藤病院に行ってみました。

ーー 二度目の伊藤病院外来  --

すると今度は、「確かに大きいのでこのくらいになると手術をお勧めしているんですよ」と言われました。

「あとは、ラジオアイソトープという方法ですが、どちらを選びますか?」と選択肢を示されました。
ただ、ラジオアイソトープの場合は、目がおかしくなる人が稀にいるので、その心配がないかどうか眼科にかかって判断してからでないと取りかかれないのだそうです。

ラジオアイソトープなら、ただカプセルを飲むだけでとても簡単です。ただ、放射能を使うので隔離が必要で、時間も2週間かそこらかかると言われました。(期間は私の記憶が曖昧です。)また、一回で効果が無い人は2回やるそうです。それだけの入院が必要になります。とのこと。

それなら、痛くもかゆくもないことで済むのでそれがいいなあと思いましたが、万が一目に異常が出ると、私は絵の先生ですから、絵が描けなくなり、指導もできなくなります。それは困ります。

だから、眼科でみてもらうことになりました。伊藤病院からさほど遠くない原宿駅の近くの眼科の病院を紹介され、行ってみました。
そして、診てもらったところ、検査が3カ月先になるということでした。それで予約だけして帰りました。

次の伊藤病院の通院は一週間後でした。それで検査結果を診てもらったところ、あなたの場合はラジオアイソトープでは効果がないかもしれないと言われました。それで手術をお勧めしますというのです。アレー、やはり手術しかないのかと思い、暗くなりました。そして、言われたことは、「伊藤病院で手術をするには8カ月先になるので、近くの大学病院で手術してもらってください」とのことでした。

これが、ある意味、前半のお話です。


続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする