絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ミケランジェロのエピソード

2009-08-27 | 美術
ミケランジェロのエピソードを紹介します。

1、ダビデ像の逸話

  石切り場から運ばれて、フィレンツェの街に置かれていた形のおかしい石がありました。形が歪だったために、誰もこの石を彫刻にすることができないので放置されてあったのです。
  しかし、そこへ通りかかったミケランジェロがそれを聞くと、「この中にダビデがいるじゃないか」と言いました。
  すると、それを聞いた人々が「そんな生意気なことを言うなら、お前彫ってみろ」と言ったため、これを作ったと言われます。

  一説には、この石は他の彫刻家が途中まで彫っていて、上手くいかないで放置してあったので、誰も作りたがらないで置き去りになっていたともいわれます。

とにかく、こんな凄い作品を完成させてしまいました。

すると、どうにも悔しいのでなんか文句をいってやろうと、クレームをつけた人がいました。「ダビデにしては、鼻が高すぎるんじゃないか」と。

ミケランジェロは、それに対して、言い返さず、梯子をかけて登っていき、鼻を削る動作をしました。しかし、鼻には全く触れません。そして、登る前にそっと掴んでいった石の粉を少しづつパラパラと巻きました。
そして、降りて来て、「これで、どうでしょうか」と尋ねました。
すると、その人は、「うん、さっきよりずっと良くなった」と言ったそうです。

身分の違いで、逆らうことのできない人だったのでしょうか?
それとも、わざと、嘲笑うためにやったのでしょうか。
とにかく、芸術家の意地も感じますね。言われたからと言ってやり直す訳ないじゃないかということです。

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2、ミケランジェロは、頑固で生意気

若い時に、友達の彫刻を酷評して、友達から殴られています。
そして、鼻の骨を折りました。そのためミケランジェロの肖像画や彫刻を見ると、鼻が凹んでいます。それは、そのときの骨折です。

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3、ミケランジェロは、レオナルドを馬鹿にしていました。

レオナルドは、絵しか描けないじゃないか。絵だけなら女でも子供できるぞと。
それは、男なら彫刻をやるもんだと言ったのです。今では、画家の方が威張っている感じがしますが、当時は彫刻こそ男の仕事という感じで画家より、威張っていました。
しかし、そんなことを言っても、ミケランジェロは、レオナルドが描いた絵を模写したりしていたようです。それを見つけたラファエロが、言っていることと違うと言って、笑ったとか。なんだかんだ言っても認めているんだなと。

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4、ミケランジェロの先祖

あるとき、友達がいろいろ調べたらミケランジェロの先祖はマチルダ夫人だと教えてくれました。マチルダ夫人とは、カノッサの屈辱のとき、グレゴリウス7世とハインリッヒ4世の間に入って、ハインリッヒ4世の破門を解いてあげた人です。

それを聞いたミケランジェロは喜び、みんなに言いふらしたといいます。良く調べると、どうもその話は怪しいのですが、ミケランジェロは死ぬまでそのことを信じていたそうです。
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そんなことを、言わなくても、ミケランジェロ自身がそれ以上に凄いのにね。

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5、サンミニアートが日本で使われいる。

ミケランジェロは、フィレンツェが共和政を望んで戦った時、メヂチ家の敵側に加わりました。そのときに、作ったのが、サンミニアートという要塞です。これは、フィレンツェのアルノ川を挟んで反対側の丘に作りましたが、この形は日本で北海道の五稜郭のデザインで使われています。

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6、半年隠れていた。

戦いに敗れた共和政側は、ほとんどが死刑になりました。
しかし、ミケランジェロは隠れて、命拾いをしました。その隠れた場所が、最近わかりました。
現在のメヂチ家礼拝堂の地下です。

サンロレンツォ教会の下に地下がありますが、最近観光客が増えたので、流れをよくするために、通路を作ろうとして、地下を改造しようとしたら、ミケランジェロのデッサンが壁に描かれているのを発見したのです。
ミケランジェロはここに隠れていたんだと分かりました。

井戸があったので、なんとか生き伸びたようです。半年くらい隠れていました。
見つかって、出て来た時、命を助けたのは、クレメンス7世でした。

子供時代から一緒にメヂチ家で育ったのです。そのために助かりました。
とにかく、言われた仕事をするように言われました。

クレメンス7世とは、神聖ローマ帝国が攻めて来た時に、サンタンジェロ城に隠れて、スイスの兵隊が最後まで一緒に戦ってくれたため、今でもバチカンを守る兵隊はスイスの若者に限定されているという話をしたときに紹介した法王です。

ミケランジェロに最後の審判を描くように命じた人としても有名です。
命じて、ミケランジェロが仕事を始める直前に亡くなってしまいましたが。

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そのクレメンス7世のお陰で、命拾いをした訳ですが、一緒に戦った仲間がみんな死刑になったので、その後のミケランジェロがどのくらい仲間に対して済まない気持ちで生きたかは測り知れません。
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そういった、苦悩をかかえながらの人生になったのです。
だから、奴隷をつくったのも、そうした苦悩の現れだったかもしれません。
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7、天井壁画で、フレスコの先生たちを首にした。

これは、既に、お話しましたから、省きます。

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8、ダビデ像設置委員会のエピソード

ダビデ像をどこに置くかという委員会が開かれた時、レオナルドはシニョーリア広場のロッジア、つまり屋根の下がいいと言ったが、ミケランジェロは彫刻は青空の下に置くものだと言って、市庁舎の前を主張した。

ここでも、レオナルドを馬鹿にする発言をしたのです。

まだまだ、いろいろありますね。調べてみると面白いですよ。
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