絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

高校時代の思い出 12

2013-04-25 | 思い出
先輩がなぜ練習に出てこなくなったのか、詳しい理由がわかりません。

ただ、覚えているのは、二年と一年で勝負してみようかと言われたことです。
一年生のチームは、私と宿命のライバルと紹介している本庄西中出身のキャプテンのO君と副キャプテンのN君。
それと、県大会優勝経験のある荒川中出身のM君。そして、背の高い本庄東中出身のM君です。
かなり力のあるメンバーです。
それに対して、先輩たちは、中学時代本庄西中で夏の県大会で優勝したメンバー4人ともう一人です。
かなり、いい勝負にはなると思いましたが、やってみたら一年生が勝ってしまいました。

その後から、出てこなくなりました。一年に負けるようじゃしょうがないと思ったのか、後は任せたという感じでした。

そういえば、この部活に入ってから、3年生の記憶がありません。
やはり、2年生が1年のときに、先輩を負かしてしまったことで、先輩が出てこなくなったと聞いたような気がします。

変な伝統ができてしまったのかもしれません。
2年生の先輩たちは、県大会優勝経験者ですから、先輩たちを負かしてしまうのもわかる気がします。
しかし、その強い先輩たちに我々が勝てるとは思いませんでした。

これは、もしかすると仕組まれたことなのかと後で思いました。
ただ、その時は、私は実力で勝ったと思っていました。
なぜなら、私が自信があったからです。自分のプレーにうぬぼれていました。

前回もお話しした通り、私は絶好調で、相手チームからボックスワンをされたほどです。
それは、このチームで一番の選手だと認められたことでもあったのです。

ーーーーーーーーーー
それ以降、私たちは1年生チームとして、試合に出ました。
私は、絶好調で、スター選手の如く得点を重ねました。
1試合で、38点も一人で取ったことがあります。相手チームが私の存在を知らないために、私は思う存分動き回りました。

その時は、女子のマネージャーができていました。
どういう経緯でその二人のマネージャーが入ったのかわかりませんが、
その子たちの、「キャー、かっこいい!!」という黄色い声に乗せられて、私は余計に調子づきました。

ーーーーーーーーー
あるとき、本庄市の大会がありました。それは、高校の試合ではなく、社会人チームと対戦するものでした。
本庄には、会社とか、市のチームとかがあったようです。
そこでも、私はものすごい活躍をしました。打つシュートが悉く入りました。
あまりに、シュートが入るので、途中から相手チームが本気になり、
一人の選手が私に付きました。

その人は、後で聞いたことですが、国体選手でした。埼玉県代表の選手だそうです。
その人の、ディフェンスはすごかったです。

「よーし、このやろう」と言って私に自由にやらせないぞと向かってきました。攻撃的なディフェンスです。

私が一番驚いたのは、その人の本格的なディフェンスでした。
その後、私はかなり封じ込められました。

その一つに、私はバスケットを始めて以来、初めてのチャージングというものを経験しました。
チャージングとは、攻撃をしている側の反則です。

私は、完全に相手を振り切ってシュートに持ち込んだつもりでした。しかし、ハッと気づいたら、
その人の胸にまっすぐ向かって突っ込んでいました。
なに??と思いました。

私が動くコースをしっかり読んで、その真正面に正対して、無抵抗のまま真っ直ぐ後ろに倒れたのです。
私は、まるで、その人の胸を正面から踏みつけるような格好になったのです。
これには驚きました。今なら、それがすばらしいディフェンスだとわかります。NBAを見ていると何度も出てくるからです。
しかし、初めての私はそれがわからず、まるで騙されたような、嵌められたような気がしました。

うまいディフェンスとはこういうのを言うんだなと思い知らされた感じでした。

これが、1年生チームとして戦った一番強烈な思い出になりました。

つづく















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今日のデッサン会

2013-04-25 | 私の絵
今日のデッサン会で描きました。

それぞれ、50分です。

 

描き込みデッサンは、月に二回行います。
私は、指導に徹する日と、自分が描いて見せる日があります。
今日は、描く日でした。

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高校時代の思い出 11

2013-04-25 | 思い出
バスケット部の状況は、割と練習があまくて、このままではあまり勝ち上がっていくことは望めないなあという感じのチームでした。毎日練習はしていましたが、先にお話ししたように、先生が出てきた記憶がありません。

だから私も、ややなめていました。一度だけサボったことがあります。
その理由は、数学の問題集をやるためでした。数学の授業では、先生がサブテキストとして、入試問題を含めたような問題集を配っていました。それが、なかなか進まなかったので、気になりました。自分だけが遅れている気がしたのです。
その問題集は、授業の内容と一致していて併行して進めるものと思っていました。
後で、みんなに聞いたら、そんなのやってないよと言ったので、安心しましたが授業では、先生がよくその問題集を使いました。

私は次の日、先輩に昨日休んだ理由を言いました。すると、先輩は勉強していたんならいいよというような反応を示し、てっきり叱られるかと思った私は、意外でした。
ほおーー、この学校は勉強していたという理由なら、部活を休んでも叱られないのかと思いました。
まあ、その程度の意識の部活だったということなのですが、私はこの学校の勉強に対する意識の高さと思いました。

ただ、自分では、この学校はいいなと思った理由の一つに、勉強に対する感覚が、自分に合っていると思いました。
これは、私の思い過ごしかもしれませんが、中学までの自分は、休み時間に勉強していたりすると、がり勉というイメージで見られ、そう見られることを嫌がっていました。
だから、家では勉強しても、人前では勉強している所を見せないという人間でした。

しかし、本庄高校に行ったら、休み時間に勉強している人がいます。放課後もいます。
そして、そうしている人間をがり勉の嫌な奴という見方をしないように思いました。
そういう光景が自然と見られるのです。それがいいなと思ったのです。

ただ、心の中は複雑で、がり勉というイメージの強い奴には、反発したい気持ちもありました。高校生なら、部活もやれよという気持ちです。だから、俺はバスケットをやっていても、勉強だけをしているがり勉には負けたくないという気持ちがありました。
それで、クラス順位に拘ったのです。

ーーーーーー
バスケット部は、夏休みを過ぎた頃、先輩が練習に出て来なくなりました。
それで、その後は、一年生だけで練習をやり、私はキャプテンになりました。

つづく








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