絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

Oさんの人物画

2013-04-23 | 絵画指導
Oさんが、久しぶりに油絵の人物画を見せてくれました。
以前はデッサン会の度に持ってきて、見せてくれていましたが、最近では久しぶりです。



私の家のアトリエで、お孫さんを連れてきて、撮影したものを元に描きました。
この写真は私が撮ったものを見て描いたそうです。

右奥に私が描いた油絵があるので、私の家だとよくわかります。
やや、その私の絵がうるさい感じがします。
また、下の方が、見えすぎているので、もっと暗くして見せないようにしたらどうでしょうかと話しました。

椅子から垂れ下がっている布の形や位置を考える必要があるでしょう。
写真では、これはありませんでした。ただ、椅子の中にバツの形があるので、それを隠したかったそうです。


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高校時代の思い出 9

2013-04-23 | 思い出
私は、児玉から本庄まで通学はバスでした。
友達は、天気が良い日は、自転車で通う子もいましたが、私はほとんどバスでした。

あるとき、私は定期券を忘れました。そして慌てていたら、古川先生が貸してくれたことがあります。
50円だったことを覚えています。当時のバス代がいくらだったかということは、忘れてしまうことですが、
そのことがあったために、記憶に残っています。児玉から本庄高校入口までが50円だったんですね。

そのことを、帰宅してから父に話すと、父がお金を返しに行きました。
すると、先生が「わざわざ返しに来なくもいいのに、あれはあげたんだから」と答えたそうです。

我が家は古川先生の家の隣です。私が中学二年生のときに、先生が引っ越してきました。
私は本庄高校の美術部の先輩たちからはうらやましがられます。
家が隣で、同じバスで通っていたということで。

だからその日は、私はたまたま先生と隣に座っていたのです。
そのことだけでも、うらやましいと思う先輩もいるでしょう。

通学の思い出で覚えているのは、よく周りの友達のカバンを持ってやりました。
私が乗るバス停が他の友達より手前なので、私はバスが混む前に乗れました。そのため座れるのです。
通学時間なので、毎日バスは混雑します。だから立っている人が多いので、私はその友達のカバンを持ってやりました。

バスには、本庄高校だけでなく、隣の女子高の子もいます。みんな同じ中学出身だから顔なじみです。
私は、その女子高の生徒たちのカバンも持ってやりました。だから毎日私の膝の上には、カバンが2つか3つ置かれました。
時には、それが首くらいまで積まれて、私は顎で抑えていたこともあります。
私がそうしていると、となりに座っている友達もそうせざるをえなくなって、付き合って同じように他の子のカバンを持ってやりました。

通学に関わる話題では、帰りのバスを待っているとき、待ち時間がちょっと長いときには、次のバス停まで歩くこともあります。
気晴らしと遊び半分です。そうしたら歩いている途中でバスが来てしまって、結局その次のバスになってしまったこともありました。そして、もっと面白いのは、そうやっているうちに、このまま歩いて帰ろうかなと思ったことでした。
本庄高校から児玉までは、約8キロです。二時間もあれば帰れるかなという感じです。
そうやって、四方田辺りまで来たとき、車が泊まりました。
2つ年上の先輩でした。「どうした?定期をわすれたか?」と言って、「乗せてくよ」と言ってくれました。
私は、歩いて帰る愉快さを味わっていたのですが、この状況は乗せてもらった方がいいかなと思って、歩くことを諦めました。

また、怖い経験もしました。
私がバス停で待っていると、友達のバイクが停まりました。
「乗せてくよ」と言うのです。
私はちょっと躊躇しましたが、乗せてもらいました。
その当時、ヘルメットのことはあまりうるさくなかったのか、私はヘルメットがありません。そのままでした。

初めは良かったのですが、スピードが増すにつれて、段々目から涙が出て、辛くなりました。
また、友達は、途中からビュンビュン飛ばします。
途中で、車を追い越しました。
私がスピードメーターを見たとき、100キロになっていました。
そのあと、前の車を抜いたので、120キロくらいまで出たのではないかと想像します。
なぜなら、私は目を開けていられなかったのです。

児玉について、ホッとしました。そして、もう絶対バイクには乗せてもらわないと心に誓いました。
だからこの経験は、それ以降何度でも人に話しました。絶対バイクに乗せてもらわないようにと。

私が担任した子で、バイクに乗せてもらって事故に合い、4か月意識不明だった子がいます。
幸い、命は助かり意識も回復しましたが、完全には戻らず学校をやめました。
あの子は、今どうなっているかなあと思います。

バスの思い出では、もっともっといろんなことがあります。
知らない人から、贈り物が届きました。バスでよく出会うのだそうです。
私の友達と会社の同僚で、私の住所を聞いたとのことでした。

隣の女子高生で、ちょっと素敵な子がいました。私が1年生でしたから、私より先輩ではないかという気がします。
その人は、児玉行きのバスに乗るのに、私が知らない人ですから、おそらく児玉駅からまた電車に乗るのかなと思います。
何度か会ううちに、会うのが楽しみになりました。しかし、何も言葉を交わさないうちに、姿を見なくなりました。
通学方法を変えたか、それとも学校をやめたのかなと想像しました。

車掌さんと顔なじみになると、定期を忘れたときでも、「いいよ」と言ってくれる人もいました。

こんなことが、思い出されました。
書いてみると、いろいろ思い出すものです。

つづく






















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