絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

スペインの画家3

2009-12-19 | 美術
美術史を勉強する場合は、頭に入れたいと思った時、どのようにするのがいいかと言うと、まず、テーマを設定することです。

私の場合は、自分の年表が作ってあります。


エジプト、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中世、ルネッサンスと流れて、
続いて、マニエリズム、バロック、ロココ、19世紀、20世紀です。


今回は、スペインを掴んでみようとテーマを設定しました。

そのためにまず行ったことは、

1、代表的な画家を捕まえて、その人たちを歴史の順番に並べること。

2、そのそれぞれの画家が描いた代表作を捕まえること。

3、その画家の特徴を説明する。

4、面白いエピソードを何か一つ語れるようにする。

以上の4つが私の勉強方法です。

これが、できたら、次は、もう少しその画家が描いた絵を覚えようと二点目三点目と増やし、エピソードも二つ三つと増やして覚えることです。

それを覚えるには、覚えたことをどんどん人に語ることです。私の場合は、幸い教師だったので、生徒たちに話すことで更に頭に入りました。

ーーーーー
グレコは、マニエリズムという時代で、ルネッサンスの理想美に飽きてきた時代です。以前も話しましたが、楷書が行書になるように、美術も崩れてくるのです。

色がモノクロ調になり、人間の表現なども縦に伸びたような絵になりました。それがグレコの特徴です。

グレコは、ローマに来ていたティツィアーノから絵を教えてもらったそうです。そのためベネチア派の影響を受けています。その後、スペインに渡って活躍しました。ギリシャ人だったので、グレコと言われたので、本名ではありません。これは画家の名前のお話をしたときも話しましたね。

この絵は、日本にあるそうです。児島虎次郎という画家がパリにいた時、売りに出されているのを見つけて、お金がなくて買えないけれど、買いたいと大原さんに写真を添えて手紙で伝えたら、お金を送るから買うようにと返事がきたそうです。そのため、この絵はいま大原美術館にあるのです。ヨーロッパに行けない日本の若者に本物を見せたいという気持ちで、大原さんが児島に頼んで買い集めてもらったのだそうです。児島は絵の勉強でパリに行っていましたが、お金は大原さんが出してくれたそうです。




グレコは、クレタ島出身で、本名は、ドメニコス テオトコブーロスと言います。

縦に伸びたような表現に特徴があるのですが、それをよく表している絵は、この絵を見ると分かりやすいです。





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ローマ人の物語15

2009-12-19 | 読書
ローマ人の物語15を借りて来ました。
14が読み終わりました。いよいよラストです。

14は、キリストの勝利でしたが、その意味がわかりました。

313年にコンスタンチヌス帝がミラノ勅令によってキリスト教を公認しました。それから、約70年後のテオドシウス帝がキリスト教を国教にしました。

これによって、他の宗教が異教から邪教になってしまいました。

キリスト教以外の宗教を異教と言いました。同じキリスト教でも考えの違うものを異端と言うそうです。結局、キリスト教の三位一体のアタナシウス派以外は全部認められなくなりました。

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今回読んでみて知ったことは、カノッサの屈辱と同じようなことが、このテオドシウス帝でさえあったことです。

テオドシウス帝は、31歳くらいのときに、病気で死にそこなっています。そのときに、洗礼を受けました。そうしたら病気が治ってしまいました。その後、キリスト教を国教にしたので、神によって選ばれた皇帝であるという認識で生きることになりました。
そして、皇帝としての仕事をしていましたが、そのやりすぎをミラノの司教から咎められて、神に懺悔するように言われます。しかし、それを拒否しましたが、結局懺悔させられる状況に追い込まれます。そして、人々の前で、神の許しを請うということを行うのです。まるでカノッサの屈辱です。

カノッサの屈辱よりも700年も前の出来事でした。ということは、それ以降も多くの皇帝や国王などがそれと似たようなことがおこるのだなと思いました。

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コンスタンチヌス帝とコンスタンチウス帝が、亡くなる直前まで洗礼を受けなかったのも、このようなことが予想されていたからではないかと塩野さんは言っています。
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他の宗教を認めないということが、どういうことかというと、今まで信じてきたギリシャ、ローマの神々を信じてはいけないということになります。そのため、多くの美術品が壊されました。神殿も壊されたり、キリスト教の教会に利用されたりしたそうです。

このことは、美術史を勉強する上で、とても重要です。私は偶像礼拝はいけないので、破壊運動が起こったということを、800年ごろだけしか掴んでいませんでした。よく考えたら、キリスト教が公認されたときからこのことは予想されたことでした。ただ、ミラノ勅令のときは、キリスト教を他の宗教と同じように認めたのであって、ギリシャローマの宗教を否定するものではありませんでした。だから壊されるということにはならなかったのです。

それが、国教になった時点で、他の宗教を認めないとなったわけですから、この時点で、他の宗教の神殿や彫刻が壊されたのは、当然でしたね。そこまで考えが及びませんでした。勉強になりました。

そう考えると、ミロのビーナスが4つに割れていたこと、腕が取れてみつからないこと、サモトラケのニケが胴体だけで120個くらいにバラバラに壊れていたこと、頭が見つからないことなども、このキリスト教の国教化ゆえに起こったことかなと思いました。

ーーー
ただ、ここで、塩野さんが想像したことが面白いです。
壊されないで、残っているビーナスがあることが、不思議だというのです。
もしかしたら、壊さないでこっそり棺桶のようなものに入れて、自宅の庭に埋めた人がいるかもしれないということです。確かにあり得ますよね。

ギリシャローマの全ての家々の庭を掘ってみたら面白いかなと思いました。



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スペインの画家2

2009-12-19 | 美術
有名な7人の画家の生きた年号を描き込んでみました。

1、グレコ  (1541~1614)マニエリズム~バロック時代

2、ベラスケス(1599~1660)バロック時代

3、ムリリョ (1617~1682)バロック時代

4、ゴヤ   (1746~1828)ロココ時代

5、ピカソ  (1881~1973)キュービズム

6、ミロ   (1893~1983)シュールレアリズム

7、ダリ   (1904~1989)シュールレアリズム

スペインの画家としてこの7人を覚えると、美術史の知識としてはほとんど十分ではないでしょうか。
更に深めるには、スルバランとか、タピエス、グリスなどが次に来ると思います。
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スペインの画家

2009-12-19 | 美術
ゴヤについて、まとめたので、スペインの画家をまとめてみましょう。

頭の中を整理して、まとめて掴むには、代表的な画家を並べてみることから始めると良いと思います。みなさんはどんな画家をご存知でしょうか。一応有名な画家を並べてみます。

1、グレコ
2、ベラスケス
3、ムリリョ
4、ゴヤ
5、ピカソ
6、ミロ
7、ダリ

私はこの7人が浮かびます。もしかするとムリリョは知らない人がいるかもしれんません。一番有名なのは、ピカソですね。二番目は誰ですか?ゴヤでしょうか?

この1から7は、生まれた時代順にならべました。
グレコは、マニエリズムからバロックの時代です。
ベラスケスはバロックです。
ムリリョもバロックです。
ゴヤはロココ時代です。
ピカソ、ミロ、ダリは現代ですね。20世紀です。

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