絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ローマ人の物語15

2009-12-19 | 読書
ローマ人の物語15を借りて来ました。
14が読み終わりました。いよいよラストです。

14は、キリストの勝利でしたが、その意味がわかりました。

313年にコンスタンチヌス帝がミラノ勅令によってキリスト教を公認しました。それから、約70年後のテオドシウス帝がキリスト教を国教にしました。

これによって、他の宗教が異教から邪教になってしまいました。

キリスト教以外の宗教を異教と言いました。同じキリスト教でも考えの違うものを異端と言うそうです。結局、キリスト教の三位一体のアタナシウス派以外は全部認められなくなりました。

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今回読んでみて知ったことは、カノッサの屈辱と同じようなことが、このテオドシウス帝でさえあったことです。

テオドシウス帝は、31歳くらいのときに、病気で死にそこなっています。そのときに、洗礼を受けました。そうしたら病気が治ってしまいました。その後、キリスト教を国教にしたので、神によって選ばれた皇帝であるという認識で生きることになりました。
そして、皇帝としての仕事をしていましたが、そのやりすぎをミラノの司教から咎められて、神に懺悔するように言われます。しかし、それを拒否しましたが、結局懺悔させられる状況に追い込まれます。そして、人々の前で、神の許しを請うということを行うのです。まるでカノッサの屈辱です。

カノッサの屈辱よりも700年も前の出来事でした。ということは、それ以降も多くの皇帝や国王などがそれと似たようなことがおこるのだなと思いました。

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コンスタンチヌス帝とコンスタンチウス帝が、亡くなる直前まで洗礼を受けなかったのも、このようなことが予想されていたからではないかと塩野さんは言っています。
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他の宗教を認めないということが、どういうことかというと、今まで信じてきたギリシャ、ローマの神々を信じてはいけないということになります。そのため、多くの美術品が壊されました。神殿も壊されたり、キリスト教の教会に利用されたりしたそうです。

このことは、美術史を勉強する上で、とても重要です。私は偶像礼拝はいけないので、破壊運動が起こったということを、800年ごろだけしか掴んでいませんでした。よく考えたら、キリスト教が公認されたときからこのことは予想されたことでした。ただ、ミラノ勅令のときは、キリスト教を他の宗教と同じように認めたのであって、ギリシャローマの宗教を否定するものではありませんでした。だから壊されるということにはならなかったのです。

それが、国教になった時点で、他の宗教を認めないとなったわけですから、この時点で、他の宗教の神殿や彫刻が壊されたのは、当然でしたね。そこまで考えが及びませんでした。勉強になりました。

そう考えると、ミロのビーナスが4つに割れていたこと、腕が取れてみつからないこと、サモトラケのニケが胴体だけで120個くらいにバラバラに壊れていたこと、頭が見つからないことなども、このキリスト教の国教化ゆえに起こったことかなと思いました。

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ただ、ここで、塩野さんが想像したことが面白いです。
壊されないで、残っているビーナスがあることが、不思議だというのです。
もしかしたら、壊さないでこっそり棺桶のようなものに入れて、自宅の庭に埋めた人がいるかもしれないということです。確かにあり得ますよね。

ギリシャローマの全ての家々の庭を掘ってみたら面白いかなと思いました。



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