絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

美術部卒業生忘年会

2009-12-30 | 美術部情報
今夜は、美術部の卒業生で忘年会をやりました。
場所はなかまちでした。
20名集まりました。

東北芸術工科大学の4年吉田さんと大学院1年の荻野さんが中心になって、開いてくれました。

棚沢先生が今年の美術部の実績を発表してくれました。

今年も全国代表に選ばれて、7年連続になったそうです。

また、佐藤太清展で、太清賞を取ったこと、群馬県展で特選者が出たことなどが、大きなニュースでした。
私学文化祭の一位はいつものことなので、あまりニュースになりませんが、それでも続けているのは、すごいです。県北展も特選を二人が取りました。

なんだかすごいことなのに、毎年のことになって、麻痺してしまいそうですね。
しかし、部員は30名になってしまいました。そのことが気がかりですね。

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エジプトをつかもう 6

2009-12-30 | 美術
パラムセスがラムセス1世になって、第19王朝を開きました。

その息子が、セティ1世で、孫がラムセス2世です。

セティ1世は、お墓が立派なので有名ですが、それは、ラムセス2世が凄かったからだという気がします。自分が凄くても、その後がダメでは、自分の墓は立派になりませんから。

そう考えると、ツタンカーメンのお墓はなぜあんなに立派だったのでしょうか?
ちょっと不思議ではありませんか。もし、殺されたり、王名表から外されたりしたのなら尚更おかしいですよね。単に財宝を隠すための材料に使われたということなのでしょうか。

とにかく、ラムセス2世が凄かったので、セティ1世のお墓は凄いものになっています。

ラムセス2世は、建築王とも言われて、今、エジプトに残る建築物の半分くらいは、ラムセス2世か作ったと言われるほどです。

特に有名なのは、アブシンベル神殿です。
世界遺産の第一号ですね。

これは、ナイル川にアスワンダムを作るという計画の時、ダム湖の底に沈んでしまう運命にあったものを、世界の宝だから救おうという運動が起こって、移動させたものです。
この工事は大変なことでした。石の山のようになっている所に作られていたものを、山ごと移動しようという計画で、石を切り取って、たくさんのパーツに分け、それをまるで積み木を運ぶように移動させたのです。
そして、上流の川の端に再現しました。凄い工事でした。そのときに、日本は何も貢献できなくてすみませんでしたと、吉村先生が言ったところ、いえ、日本はすごい貢献をしているのですよと答えが返ってきたそうです。なぜかと言うと、その石をくっつけたのは、日本製の接着剤だったのだそうです。
へええーーーですね。

このアブシンベル神殿は、大神殿と小神殿があって、小神殿は奥さんの神殿だそうです。奥さんの名前は、ネフェルタリと言って、ラムセス2世にとっては、とても大切な存在だったようです。ファラオの奥さんで、神殿を持っているのは、エジプトの長い歴史の中でも、この人だけだそうです。

ラムセス2世の像の足元や後ろなどに小さく立っている女性があったら、それはネフェルタリだと思っていいでしょう。

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ついでに話ますが、ラムセス2世の有名な戦いに、カデシュの戦いというのがありますが、戦いはエジプトがやや有利に展開していたにも関わらず、引き上げてしまいました。相手は、ヒッタイトでしたが、ラムセス2世が敵に背を向けるわけがない、きっとこれは罠に違いないと思って、追わなかったそうです。
しかし、よくよく調べると、それは、奥さんのネフェルタリが戦いが嫌になって、息子を連れてエジプトに帰ってしまったため、じゃあ僕も帰ると言って、帰ったと言う話でした。そんな、馬鹿なという話です。
愛する奥さんが、帰ってしまうなら、僕も帰りたいなどと、嘘みたいな話ですよね。
この時、ネフェルタリは、「あなたは好きなだけ戦ってください。私は帰ります。
あなたが死んでもこの子がいるから大丈夫です。存分に戦ってください」と言ったとか。

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カンボジアの小学校

2009-12-30 | いろいろ
カンボジアの小学校で、楽しい授業

電次郎先生が、カンボジアの小学校で理科の実験授業をやっていました。
子供たちは、楽しそうに学んでいました。

次に、別の学校で音楽の授業をやりました。先生の名前を忘れてしまいました。
シンガーソングライターの方です。

カンボジアの子供たちは、音楽の授業がありません。楽器がありません。
小学校がなくて、通えない子供もたくさんいます。
最初に驚いたのは、手拍子が合いません。みんなで揃って歌うという経験がないのです。みんなバラバラでした。

そうか、合唱というのも習わないとできないのかと思いました。
それで、121212というリズムから始めました。

だんだん、子供たちはできるようになっていきました。
そして、その先生が作った歌を現地の言葉で歌えるように教えました。

一人の女の子が、引っ越すことになりました。
じゃあ、その子を送る歌にしようと言って、みんなの思いを歌に入れました。

歌自体は、世界の平和を願い、人類はみんな仲間だという歌です。

それを、その子のために、さようなら、元気でね、笑顔を忘れないという言葉に変えて歌いました。

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歌は、いいですね。特にみんなで歌うというのは。
子供たちの素直な表情、輝く目を見ていると、小学校を作ってやりたいなあと思ったり、せめて笛でも送ってやりたいなあと思ったりしました。

地雷がたくさんあって、今でも爆発して死んだり怪我をしたりという状態が続いているそうです。不発弾もたくさんあるそうです。

日本と比べたら、とんでもない状態ですね。
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私の母と一緒に見ていたら、母が子供のころは学校へお弁当を持って来られない子供がいて、用務員室でおにぎりをもらっていた子がいたと聞きました。日本も70年くらい前は、そういう貧しい状態もあったのだと思うと、今の子たちは幸せですね。



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