森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

身体を介した記憶

2008年02月28日 11時09分43秒 | 過去ログ
一昨日は、大阪、京都と実習地訪問を行い、
亀岡まで行き、寒さを体感するとともに、
初瀬川のがんばり、出田先生の臨床家としての心の豊かさに触れた。
と同時に・・・かつての教え子、高知に21期生の「まよちゃん」発見。
久しぶりに顔がほころぶ。

必ずしも学校で習ったことがすべてでないし、
志向性が変われば、視点がかわることを体感しているようだ。
学校の教員は普通の人だからね。

身体を介した記憶。
それが大事だ。

ガチボーイの佐藤隆太もそう言っている・・・

京都に向かい、越智先生と合流。
いろんな話をし、飲み、そして近鉄にのるが、
意識がない。

久しぶりに飲みすぎたのか体調が悪かったのか、
西大寺で降り、もう終電もない状態で、
浮遊する。

タクシーにのるが、大阪よりも多くとられ、
やっと帰宅。
大阪のタクシーは5000円以上が半額。
奈良はそうでない・・・悲

昨日は、なんとか大学に来て、
松下電工の中野さん、岩川さんと脳イメージング研究に関するいろんな話をする。

また、ディスカッションして、よりよいものづくりへと発展できればと思っている。

その後、rejectメールをもらい、
特にがっかりはせず、
他の論文の修正をして、普通をすごす。

さて、今から会議2本に、

その後も実習地訪問に箕面に向かう。

古きよき、同級生と話すと心が落ち着くかもしれない。

人間とは、うまくできている。



揺らぎと未完成

2008年02月25日 22時45分39秒 | 過去ログ
今日は、少し大学に行き、雑務をして、
3年生の評価実習施設の訪問に出る。
「ちょっと、今日は研究室で処理したいものがある」
その自らのこころと決別して、
河内の病院へ。

順調を確認し、その表情から、安心を持った。

少し時間があったので、今里の病院に向かい、
院生の計画書を指摘し、

そのまま、河内に戻り、老人保健施設へ。

今が成長の過程。

そんなことを感じながら、

「喜怒哀楽」とはよく言ったものだ。

と、人間らしさを感じ、

「四苦八苦」の意味を再認識し、
20代前半の「こころ(精神)」のはぐくみの重要性を感じた。
「他」ばかり気にして、「自己」を意識していない。


PTだろうが、なんだろうが、あんまり「意識」せずに、
「人間」として、どう生きるかを考え、
「自己中心的」志向にならず、かといって、「他者」ばかり気にして、
自己嫌悪に陥らず、
どう生きるか、を悩んでほしい。

自己嫌悪とは、所詮、自己保護なのだ。

こころの揺らぎが、明日の自分を創る。

人生は、未完成だから面白い。

「うれしいことは手ごたえ」「かなしいことは口ごたえ」
自らの身体で、自らの心を感じることだ。
それが「わかる」を創発する。
「わかった」という私にしかない感覚は、突然生まれる。
付け焼刃で生まれないし、だれかの借り物でもない。



最近、いろんな人があとがきで「上辺」だけの脳科学者を批判しているが、

それも自己保護にすぎない。

それをしている「心意気」を計らず、
自分の精神の枠組みのなかのみで、否定している。

それは科学でなく、文化だといい、自らをある枠組みに落とし込み、
世界観を小さくしている。

「実験」「実験」といって他を知らず、自己を保護している人たちは、
「臨床」「臨床」といって保護している人たちに似ているし、
その小さな枠組みでは、突然変異は生まれないかもしれない。


小さい枠組みで争うことの醜さを思いながら、

「臨床」という「人間らしさ」の場を感じることができ、
今日は自分を自分が体感することができた。

久しぶりに、生き方、将来を思うことができ、

10年後、どう生きるかをイメージしてみた。

車を運転しているときか、歩いているときか、
はたまた、風呂に入っているときか、
そのときの、脳のなかのことばの結合(神経結合)は、すごい。


イメージと同時に、もう1回自分を不安定な揺らぎに追い込んでみようと思った。
時間を削ってでも(睡眠を減らしてでも)、色んなことを考えてみたい。

人間らしさを科学する。

人間探求学研究室にでも変更しようかと思うこの頃でありつつ、

高知のどっかで、細々と生きたいと思うこの頃でもあるし、

10年後の自分が10人ぐらいいる。

「生物らしさ」の「喜怒哀楽」とは?

それこそが、ロマンティックな世界観かもしれない。


静岡のみなさん、メールありがとうございました。

また、今年度の院生の受け入れを3名の方々で断ってしまい・・・
次の機会のお願いをしながら、

日本は狭い。
いつでも、どこでも、一緒に研究をすることはできる。

そして、世界も狭い。
いつでも、どこでも、飛んで行き、
共有できる。


人間コミュニケーション、それは「愉快」な「間の意識」だ。




Knowledge

2008年02月24日 16時15分33秒 | 過去ログ
金曜日、岡山への非常勤はなく、
少し気を休め、浜松に向かう。

久しぶりに浜松だ。
普段は「のぞみ」でそのまま東京なので、
浜名湖を見ることはないが(寝ているので)、
今回は「こだま」のため、浜名湖を眺めることができた。
「浜名湖どこですか?」というコマーシャルが懐かしい。

平成3年にこの地で実習をした。
半田の医大。
それは、それは、泣く子も黙る実習だったが、
今の自分があるのは、その時の精神のおかげ。

実習が始まってもないのに、浜松につくやいなや、
病院に呼ばれ、
「慢性腎不全」「多発性神経炎」高校生の「脊髄損傷」
「熱傷」「股離断」「糖尿病」の評価がスタートした。
同時にデスクに積み上げられた本、文献はタワーのようになり、
その日に要約を求められた(試みた)。
その横で、実技もプロフェッショナルなSVは英語で論文を書いていた、。

その後、実習開始ごろには、担当症例は10を超えた。
3つの施設での実習のケースは30を超えた。
古き良き時代。
その経験は、就職時の心意気に活かされた。
「熱傷」の可動域制限をなんとかしてみせる!と豪語した就職面接が懐かしい。
そんなエピソード記憶を脳内で回想しながら「浜松駅」におりたった。

そういや、母親もここで仕事もしていたな。
そんな10数年前の回想をした。


18時ごろより、聖隷クリストファー大学の大城先生、
西田先生、水池先生、そして、4月より大城先生の研究室に入室する院生の方々と懇親。fNIRSが何を見ているのか?など真面目な話も少しして、
あとは、これからの研究や、その心意気なんかを話したと思う。

それよりも皆さんの人柄に触れ、
そして、いろんな志向性に接触した。
「目標」「目的」を持つことはすばらしいと感じ、
たとえ、手段は変わろうとも、この世界に「ともしび」を!、という視点を持っている人は、何かに真剣に取り組んでいる人、取り組もうとしている人だなと率直に思った。
そういうことを感じていると、自分はセラピストなんだと思う。

いろんな批判も行うが、やはり、この世界が好きなんだと思う。

翌日、「脳研究の方法論」というテーマで午前中はなす。
「脳の構造と機能」「脳の可塑性」「脳研究の変遷」「脳イメージング研究」そして、「運動・言語・道具と脳」について話した。

中途に質問をいただき、
面白かった。
ライブとは「インタラクション」である。
講演でなく、大学院の特別講義であったため、それが可能であった。

そのおかげで、午後の「脳科学のリハビリテーションの応用」というテーマは、
少し、意識がとぶ瞬間もあったが、スムーズに、愉快に流れた。
うちの研究室のfNIRSの最近の成果を7割程度示した。
はやく、論文になることを祈る・・・

これからの研究の話がつきなかったが、
再会を約束いただき、
今後、共同研究へと進むことが、知恵としての発展につながると思う。

いろんな視点から見る。
それが科学すること。

科学するとは、数値を並べることでない。

知ること、思考すること、知ろうとすること、である。

8月には合宿して、お互いの成果に、いろんなことばを浴びせて、

位相となるよう、発展したい。

大城先生の研究室のテーマは面白そうだ。



「間」の科学性

2008年02月22日 10時12分35秒 | 過去ログ
一昨日は、研究日とし、老年学関連の雑誌に英文を投稿した。
久しぶりに、まじめに投稿すると、新鮮な自分に出会う。
やはり、丁寧な手続きがいる。
それには、余裕がある時間を自分自身に求めないといけない。

昨日は、会議3つでほぼ終日だったが、
院生は、最近は夕方以降ほぼ毎日研究計画の打ち合わせのため、
研究室に来室する。

昨日は、藤本君の研究が、面白い方に展開し、
応用科学としての見せ所が決まった。
「image vivid!」のための言語の役割を解明したいものだ。


僕の研究室は、基礎-応用科学が主なので、その「間」を意識したい。


さて、最近学術論文を書いていると、
そっとしてほしいという気持ちがわくが、
いつまでも、若くはないので、
きちんと、教師としての役割もしないといけないと思う、今日この頃である。

さて、浜松に向かうとしよう。


鉄は熱きうちに打て!

2008年02月19日 03時41分11秒 | 過去ログ
最近、会議、授業、出張講演、院生の研究費関連、などなど、に追われ、
自分を見失いつつある。

本来なら、これでいいのだ。
と思うのだが、どうも日々創造性にかけており、
自己に対して腹立たしい。
その腹だたしさの意識が出たのが、
授業が終了し、少しこの2ヶ月にすべきことが、
浮かんだからだ。
つまり、脳に余裕が生まれ、それが自己に向けた意識を発生したのだと思う。
余裕がないと、次が生まれない。

次が生まれるということは、実に楽しい。

昨日は、国家試験対策(ごく数名に;基本的には全体ではやっていないのだ)、
大学院の仕事でほぼ8時間は過ごしたが、
その合間にGerontology関連の論文を修正し、
科研の研究を遂行した。

「研究」という本来すべき仕事に心的復帰することが、
精神上よい。

最近、毎日院生が来室しているが、それはよいことである。
プレゼンを鍛える意味でも。

一方で、いろんな局面を自分自身で乗り越える。
自立した研究活動が行えることを前提としているので、
関連学会、雑誌を選択してくる技能も必要だし、
もちろん、データを抽出する前から、統計学については
自分自身で学んでおかなければならない。
借り物は、借り物でしかない。

自分の手で、自分の身体にしみこませることだ。

とにかく、鉄は熱きうちに打て。
行動を起こそうと思ったときに、行動を起こす。
1週間後にしようと、伸ばせば、それが1ヶ月になっていく。


しかしながら、自分の行動・言動をモニタリングする。
これを忘れずに。

一度とった行動・言動が命取りになることもある。

人間関係とは、意識と意識が入り乱れる複雑な回路である。


寝て、記憶が整理されると、いろんなことが浮かぶ。

とりあえず、書きたいことを、wordに「なぶりがき」する。
それが久しぶりに生まれたAM3時であった。

その「こころの余裕」の発生の喜びにひたりながら、
このブログを書いている。

身体はバキバキ感は否めず、「ハコウ」も出ているが、
少しはこれで回復に向かうであろうか。







来歴回想

2008年02月17日 16時23分39秒 | 過去ログ

高知の朝、ポポロ東宝の跡地にはホテルが。
このホテルから出ると、以前の面影はない。
細い路地には、高校のときのたまり場があった。
そこでは、いつも学校に行かないものが、タムロし、
いろんな遊びをしていた。





その薄汚れた路地を抜けると、明るい帯屋町商店街に抜ける。
しかし、以前のような明るさはない。
ドーナツ化現象である。
地方都市は、イオンでお買い物!の影響で、
中心部が過疎地となる。
中心地の小学校は閉校になった。

ポポロ東宝の地下にはデポーという喫茶があり、
そこは、高校時代の朝ごはん(モーニング)を食べる場所であった。
遅い出勤ならず、遅い登校であり、
よくも単位がとれたな、と不思議である。
また、よくも金があったなと、不思議である。

高知と岐阜は喫茶店文化である。
モーニングセットが充実し、
休みは必ず、モーニングという生活である。
高知の女性は、男性にかわって大黒柱?というよりは、
働きマンなので、土日は、食事は作らない人が多いことによる文化ともいわれているらしい。
その代表が皿鉢料理である。
大皿にデザートまでのせ(仕出し料理屋に頼み?)、そのあとは男性ともども、
飲む、つまり懐石だと、いちいち、料理をしたり、運んだりしないといけないので、
女性も男性も飲み続けることができるための料理なのである。
結婚式も懐石でなく、このさわち(皿鉢)料理。
新郎新婦そっちのけで、ほとんどが宴会になっている。
その人数は芸能人の結婚式なみの数である。

そんなことをエピソード記憶による回想をしながら、
デポーの代わりに、ドトールに入った。
どこのドトールも同じ味。
それが、今のニーズである。
安心、安全を追求した結果が、こう。
スタバに代表されるように、そこには自己意識が発生しない。
機械的な店員の対応(サービスは抜群)。
しかし、表情が、作り笑いが否めない。
そこまでしないと、サービス充実といえない、日本の未来は、少々心配だ。

アーケードを歩いていると皇帝発見。
こっちの喫茶にしておけばよかったと後悔。

とにかく、僕にとって喫茶(カフェ)は生活そのものであり、
それは、高校時代の一人で生活していたときの落ち着く場所であり、
音楽を聴く場所であり、
そして、パリで生活していたときの、人波を観察し、
ものを書く場である。

飲み屋の梯子ならず、カフェの梯子なんかあたりまえ。

奈良は極めて少ないのが実情だ。
以前に、東大寺などに実習巡回していたころも、それを感じた。
それだけ、家で食事をする習慣があるのだろう。
どちらかといえば、ファミレスは充実しているな。

昨日は、結局帰ってきて、疲労困憊なので、寝てしまった。
寝るということはすばらしいことを実感しつつ、
寝ると、寝たいという欲望がわく。
今も眠い。

今日は、奈良県理学療法士会の新人教育プログラム。
世界の理学療法について、WCPTについて、そして
自らの欧州留学体験記を話し、
必ずしも自分のみている世界が世界共通でないことを話した。
海をわたると、こころが大きくなるよ。
目先のメリット・デメリットのみ意識すると、
行動が機械になる。
メリットということばはあまり好きでない。
シャンプーはいいが・・・(すみません)

来年度からはオーストラリアの留学体験がある福本先生にお願いしたい。
もうこのテーマを話して、10年あまり。
情報も古くなっている。
最新の世界の理学療法でない。
古い情報から新しい情報へ。
地方士会にもどんどん留学しているメンツがほしいものだ。

来年度入学する院生と計画を打ち合わせ。
大学に戻ってきた。

院生研究費の書類を書き、
メールをチェックし、
ねむさ倍増。

今日は家に帰ることにします。